夜はきらい。自分が本当にちっぽけで星に吸い込まれてしまいそうになるから。

そう呟いた横顔は、本当に美しくまるで一枚の絵画を見ているようだった。どうして、と掠れた声で発した野暮な質問は、僕を振り向いた彼女の甘い笑顔に飲み込まれていく。
僕たちだけを包む不思議な静寂。紺碧の空に煌めく星は、決して僕らを吸い込むなどと恐ろしいことはしないのに。僕のそんな意図を読み取ったかのように、彼女はくすりと笑い僕の髪をするりと撫でた。


「ティトスくんは優しいね」
「…そんなこと、」
「ティトスくんのそういう優しいところ、好き。わたしはティトスくんみたいに、優しい世界を見られないもの」


きっとわたしが捻くれ者だから、神様も飽きれてるのかもね。
それならどうして、星を見るの?そう訊ねる代わりに彼女の指をそっと辿ると、くすぐったように目を細めるナマエは「分からない」と消え入りそうな声で返事をする。何だかそれがどうしようもなく悲しくなってしまって、僕は思わず俯いた。
彼女は優しい。優しくて純粋で、痛いほどに真っ直ぐだ。誰よりも僕が一番分かっているのに、そんなに悲しそうな声で自分を無碍にしないで。
窓辺に咲かせた花を辿るナマエの指をぎゅう、と握り締めると、美しく微笑んだ彼女の唇が柔らかく弧を描いた。


「泣かないで」
「泣いているのはナマエの方だ」
「わたしはティトスくんがいれば、もう何もいらないよ」


世界がきらいだなんて、そんなの嘘に決まってる。鳥が歌う朝も、人々が笑う昼も、こうして星が瞬く夜だって、本当に求めているのは君なんだ。世界を望まなければ、こんなに花を美しく咲かせることなんて出来ない。僕だけがいる世界なんて、君は求めてなんかいないんだ。
ぽたりと落ちた涙を見て、彼女はふと目を見張った。どうしたの、ティトスくん。そう言って僕を仰いだ瞳に、確かに僕が映っているのが見える。夜空と同じ紺碧の瞳に、確かな光が宿る。この光が望むのは、僕という存在ではない。彼女はまだ知らない、僕が彼女が本当に望む世界の一部でしかないこと。そしてその世界は巡り、いつか僕の存在なんて消えてしまうこと。頬を滑る涙は彼女の指へと落ちていく。こんな酷く儚い事実を知ったとき、きっと彼女はそれでも美しいと言うのだろう。


「ナマエ、僕は君が好きだ」
「……ティトスくん、」
「今もこれからも、ずっと好きだよ。ずっと」


永遠ではない時間を、止まらない世界を、君はきっと愛すだろう。そしてその美しさを知った君は、生の喜びを知り、息づく億の命を求める。そうして僕から旅立ち、人知れず死にゆく僕を省みることなく歩いていく。そんな未来を思い浮かべ、寂しいような嬉しいような感情が渦巻いた。
こんなの僕のわがままだ。自嘲気味に笑うと、彼女も困ったように微笑む。本当に綺麗だと、思った。

彼女がきらいだと言う夜空はどこまでも広く、雄大で美しい。それを知るのは、今は僕だけで、彼女は目を逸らしてしまう。星は君を吸い込んだりなんかしない、むしろ君が来るのを待っていて、数多の命と共に君を迎えるだろう。どうか一日でも一秒でも早く君がその痛いくらいに澄んだ事実に気付くことができますよう。
そうして君が僕の手を離れ、いつか忘れてくれることを切に願う。



僕の愛を神話にしてよ神様




夜明けを待ち、穏やかに眠る彼女に口づけを落とし僕は部屋を抜け出した。淡く消えゆく月に、星に手を伸ばし僕は願った。どうか目を覚ましたナマエが、僕を想い泣いてしまうことのないようにと。そんなの無理に決まっているのに、浅はかな自分の望みに心が痛む。
ナマエ、さようなら。君と過ごした日々はとても鮮やかで僕の大切な記憶となった。生きることの喜びを、世界の美しさを教えてくれたのは、紛れもない君で。無償の愛を与えてくれる君に惹かれるのはきっと必然だった。
どうかそんな優しく純粋な君に、限りない愛が与えられんことを。そうして巡る時間と共に、君はたくさんの人に囲まれ、幸せに生き幸せに眠っていくんだ。それは僕の願いであり、せめてもの恩返しだから。

目を閉じると、傍でナマエが囁いたような気がした。そんなこと、ある訳ないのにと空を仰ぐ。今頃、君もこの空を見ているのだろうか。一人の世界はとても静かで、ほんの少しだけ泣きたくなるような気持ちを覚えた。









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