「こんにちはー、なまえでーす」
「あれ、なまえちゃん!」


合宿六日目の今日は、ここへ来て初めてのオフだった。朝からバタバタと騒がしかった先輩たちは、どうやら海へと行ったらしい。同期の奴らもそれに無理矢理連行され、宿舎へと残っているのはほんの数名だ。休みの日まで海に行くなんて、俺には到底理解できん。蒸し暑い昼下がりに、特にすることもなく縁側で本を読んでいると、玄関先で突然あいつの陽気な声が聞こえてきた。その声に気付き、俺の隣で鬱陶しく一人で喋っていた高尾が縁側から玄関へと顔を覗かせる。


「今日は早いじゃーん。そんなとこ突っ立ってないで入ってこいよー」
「うん。あのね、オフって聞いて早めにご飯作りに来たのー。せっかくのお休みだし邪魔しちゃ悪いかなって思ってー」
「……お前らはもっと小声で喋ることは出来ないのか」


喋るならあいつがここへ来てからでいいだろう、縁側と玄関先で大声で話し合うな。と言うことすら気怠く、下手に喋ればこの猛暑に身体がやられる気がしてならなかった。どうしたの真ちゃん、と縁側へ小走りにやって来た女の言葉も聞こえないふりをする。


「いやーちょうど暇だったしなまえちゃん来てくれて良かったわー、真ちゃん相手にしてくんねーんだもん」
「わたし途中で大坪さんたちが海にいるの見たけど、真ちゃん達は行かなかったの?」
「それがさ、暑いから行きたくないって言うんだぜこいつ。信じらんねーだろ」


そうなんだ。高尾の言葉に女はそう言って可笑しそうに笑う。すっかり気を良くした高尾が、また面倒くさく絡んできて心底鬱陶しくなった。こいつはどうしてこんなに調子がいいのだ。
そんな俺たちを見た女は、ねぇ、二人とも。と何かを思いついたように明るい声を上げて、俺の肩を指で突ついた。仕方なく本から目を上げ振り返ると、そいつはにこにこと笑いながら俺の顔を見て、「ここらへん、案内しようか」と得意げに言った。


「案内?なまえちゃんが?」
「うん。この旅館の裏の山にね、涼しい場所があるんだ。今日暑いし避暑も兼ねてどうかなって」
「まじで!行く!」


ほら真ちゃんも本なんか読んでんなよ行くぞ!と高尾に腕を引っ張られ、暑さで気力を奪われていた俺は抵抗できずされるがままになった。ばさりと落ちた本を女が拾い上げ、傍にあった照灯台へとそっと置く。そして高尾に習って俺の服の裾を掴み、また嬉しそうに笑いながら引っ張ってきた。どうして俺まで行かなければならないのだとも言い出せず、猛暑の中俺はこの馬鹿二人に外へと連れ出されることになったのは言うまでもない。


・・・



「あ、そういえばわたし、真ちゃんたちの学校のことちらっと聞いたんだけどね」


旅館の裏山は、道路こそ舗装されているものの車の影なんてものはなく、ほぼ歩道として使われているような印象を受けた。斜面も適度に緩く、ここで走り込みをすれば体力の向上になるだろう、と歩きながら一人思う。耳をつんざくような蝉の鳴き声にうんざりしていると、ふと思い出したように女が切り出した。ぱたぱたと手を団扇のようにして自分の顔を扇いでいた高尾が、え?と問い返す。


「秀徳高校だっけ。真ちゃんたちのバスケ部、全国でも凄く強いって聞いたよ」
「なにその噂、照れるわー!」
「凄いよね、憧れちゃうよわたし」


うまいなーなまえちゃんは!と高尾が女に絡み始めたのをぼんやりと見る。憧れ、か。その言葉に、不思議と悪い気はしなかった。静かに息をつくと、脳裏にメンバーたちの顔が浮かんできて不意に頬が弛む。それに気付いたのか、女が俺の方を向いてきてふと微笑み、そうして高尾に何かを耳打ちしたあと二人して俺へと笑いかけてきた。何だこいつらは、今何を言ったのだ。


「あ、着いたよー真ちゃん、高尾くん!」
「おーすっげー!」


笑い合う二人を睨むと、肩を竦めながら逃げ出し開けてきた道へと駆けていった。走る気力もない俺はそのあとをゆっくり着いていく。ここは山の中腹だろうか、道を逸れたところに広場のような場所があり、そこで女が俺を手招きしている。早く早くと急かす女に少し待つよう言い、汗で貼りついた前髪を払う。と、そのときふわりと頬を風が撫で、思わず目を見張った。


「ここね、街を一望できる場所なんだ。何もないけど、山の中で涼しいし眺めもいいから、一度連れて来てあげたいなって思ってたの」
「すげーなぁここ。超眺めいいな」
「でしょ!ほら、真ちゃんも」


駆け寄ってきて服の裾を掴み、女は笑顔で俺を引っ張る。制止の声も聞かず強引に高尾の隣に並ばせると、「綺麗だよ」と前方を指差した。
渋々と指差された方を向くと、太陽の光を反射する海が視界に映った。鮮やかな青と、砂浜の白が対照的で思わず目を細める。点々と連なる建物がここではとても小さく見え、こんな場所があったのかと思わず感嘆の息が漏れた。まるで絵に描いたような景色がそこにあり、頬を撫でるひやりとした風に心地良さを感じ目を閉じた。


「俺さ、最初ここに来たとき、すげー田舎な場所に来ちまったよってショック受けてたんだけどさ」


ふと高尾が思い立ったように言う。隣にいた女がそれを聞き、目を丸くしたあと黙って言葉の続きを待っているのが分かった。高尾もそれに気付いたのか、少し照れ臭そうに、そして言いにくそうに迷っているような仕草をした。高尾くん。不思議そうに囁いた女に、高尾は何かを吹っ切るように頬を掻いたあと、くすぐったそうに笑って「いい場所だよな、ここ」と静かに言った。


「…ありがとう、高尾くん」


高尾の笑顔に女は一瞬目を見張ったあと、嬉しそうに笑った。そうして高尾につられたのか、照れ臭そうに俯きながら礼を言う。照れ臭いのはお前たちじゃなく、お前たちの間に挟まれた俺なのだが、あえて言わないでおいてやることにした。
帰ろうか、風に乱れた髪を抑えながら女が笑う。もう少しここにいたいと名残惜しい気持ちもあったが、またいつでも来れると自分を納得させ、返事の代わりに歩き出す。小走りに駆け寄る女の歩調に仕方なく合わせてやると、嬉しそうに俺を見上げる女の顔が視界に映った。


・・・



「あ、そうだ。ちょっと買いたい物があるんだった」
「うおお、また何かすげー傾いてるような駄菓子屋…」
「高尾くんも行く?」


山を降りると、登るときには気づかなかった小さな駄菓子屋があった。見るからに傾いてる風貌で、薄暗い店内に何となく見覚えのある駄菓子が並んでいる。その前を通ると、女が何かを思い出したように手を叩き申し訳なさそうな表情で店を指差した。店を見て絶句した高尾に困ったように笑うと、小さく手招きをして店の中へと入っていった。断りきれなかったのか、奴は俺をおずおずと振り返る。


「…し、真ちゃん」
「俺は知らん」
「ちくしょー!」


高尾を振り向きもせず切り捨てると、奴は雄叫びを上げながら店へと入っていく。残された俺は溜息をつき、後ろの塀へともたれ掛かった。
午後になると暑さは一層増す。もたれた塀のコンクリートもじりじりと熱く、すぐに背中をそこから離した。眩しい外とは反対に、あいつらのいる店の中はやはり薄暗く、レジらしき場所で楽しそうに商品を見せ合っていたがよく見えなかった。何だ、高尾の奴、とやかく言いながらも楽しんでいるではないか。


「待たせたなー真ちゃん!」
「はい真ちゃん、アイス!今日付き合ってくれたお礼!」


会計を済ませた様子で店から出てきた二人は、それぞれに白いビニール袋を持って俺に満面の笑顔を見せた。女の方はそこから棒アイスを取り出し、俺に手渡す。ひやりと冷たい感覚が指先から伝わり心地良さを感じた。見ると、高尾も俺と同じアイスを持っており、うめー!と馬鹿みたいに騒ぎながら噛り付いている。


「それと、真ちゃんにはこれも」
「え!なまえちゃん砂糖持ち歩いてるのかよ!」
「うん。この間、真ちゃんがお砂糖欲しがってたから持ってきたの」


どうぞ。そう言って小さな瓶に詰めた砂糖を俺に差し出してくる女に、少し呆れてしまって気付かれないように溜息をついた。
馬鹿かこいつは。わざわざ俺の為にこんな砂糖を持ち歩いているなんて、馬鹿としか言いようがない。それでも、俺の為にと用意してくれた小瓶の砂糖を受け取ると、何とも言えないくすぐったいような気持ちになった。


「…アイスに砂糖はかけないのだよ」
「え!何かごめん真ちゃん!」
「……いい、もらう」


俺の言葉に見るからに慌て、砂糖を取り返そうとする女を躱す。そうして上着のポケットへと小瓶を入れ歩き始めると、真ちゃん、と女は恐る恐る俺を呼んだ。それを無視し、貰ったアイスの封を開けると、「真ちゃん、ありがとう」と背中に声が掛けられた。何故お前が礼を言うのだ。冷たいアイスをかじりながら聞き返すと、何となく、と恥ずかしそうにしりすぼみになりながら女の声が返ってくる。何だそれは、意味が分からん。


「さっさと帰るぞ。暑い」
「うん!ほら、高尾くんも」
「お、おう」


喉を通る冷たい感覚に、あのときのラムネをふと思い出す。ポケットの中の小瓶を指先で転がしながら、このくすぐったいような不思議な感覚に少しの心地良さを感じていた。いつもの歩調で歩きがちになりながらも、この馬鹿な女のために時々振り返ってやれば、その度に小走りで追いついてくる笑顔が目に入った。
真ちゃん、ありがとう。そう言いながら隣に並ぶ女に、いいから早く歩けと促すと、馬鹿の二つ覚えのように照れ臭そうに笑いかけてくる。早く宿舎に帰りたいのは山々だが、今日はこいつに貰ったアイスに免じてゆっくり歩いてやろうか。



六日目 | 休日の散歩道にて。







「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -