「なぁ真ちゃーん…そろそろ教えてくれたっていいじゃんかよー…」
「何をだ」
「とぼけんなよ!昨日なまえちゃんを送ってたときのことだよ!」


次の日の昼下がり。昨日と変わり映えのない練習メニューをこなしていると、唐突に高尾が俺へと絡み始めてきた。
昨日の夕飯は酷いものだった。あれから宿舎へ帰ると、食堂の床へと転がる屍が無数にあり、何を混ぜたのか皆目検討も付かない異様な臭いが充満していた。夕飯当番の奴らの仕業だと悟ったときには時既に遅し。最後の力を振り絞った高尾と宮地先輩に捕らえられ、鍋へと残ったカレーらしきものを一気に口へと流し込まれる。鼻をつく強烈な臭いと喉を通る訳の分からない刺激に意識が遠退き、気付いたときには日を跨ぐ時間帯になっていた。


「お前に話すようなことなど何もない。その前にお前は昨日のことを俺に謝るのだよ」
「俺がいつお前に謝るようなことしたってんだよー!あのカレーは仕方ねーだろ!部員が道連れになるのは運命だっつーの!」


どうやらあのカレーらしきものは大量に作り置きしてあったらしいが、あんなもの食べられる訳がないとキャプテンと宮地先輩の意見の一致で生ごみ行きとなった。そのため、今日の朝食と昼食は朝からあの商店へと出向いて買った、おにぎりと惣菜のみだ。胃が重くてとても食べられなかったが。
容赦無い暑さの中、未だ胃に滞留しているカレーのようなものが吐き気を誘う。しかしここで嘔吐するわけにいかないとプライドが先行し、必死で堪えながら走っていると、高尾が青ざめながら俺の隣へと並んできた。そして、冒頭へと戻る。


「はー、上手いものが食べたい…。カレーはもう当分いらねぇ…」
「黙れ高尾。胃に響く」
「いや、そうじゃねーよ!俺はなぁ真ちゃん!昨日のなまえちゃんとのことを教えろって、うぷっ」


うおおおおお…と腹から出したような呻き声を上げながら、高尾は徐々にスピードを落とし最終的に砂浜へと膝先づいた。同じく顔を青ざめながら追いついてきた宮地先輩に蹴り飛ばされていたが、どうやら動けないらしく小刻みに身体を震わせている。おい高尾、ここで吐いても俺は知らんぞ。
高尾を置いて走り出したはいいものの、正直この吐き気と胃の痛みに耐えながら練習をこなすのは厳しいものがある。ましてや凄まじい暑さの中だ、心無しが目の前が霞んできたような気も、する。先頭を走るキャプテンが振り返り「おい!気合い入れろお前ら!情けないぞ!」と喝を入れるが、その唇も紫になっていた。ここまで説得力のないキャプテンの怒号は始めてなのだよ。
再びキリキリと痛んできた腹を抑え、よろけるのを堪えながら走っていると「真ちゃーん、高尾くーん、皆さーん」と遠くから俺たちを呼ぶ声が聞こえてきた。一瞬幻聴かと疑ったが、痛みを増してくる腹にそれが即座に否定される。だとすると、この声はもしや…。


「た、高尾くん!なんで砂浜で伸びてるの!」


…やはり、こいつだったか。
砂浜に突っ伏している高尾の姿を見て血相を変えながらあの女が走ってくる。そうして高尾と俺の姿を交互に見たあと、何があったのかと目で訴えてきたが答える気力もなく背を向けた。というか、お前はなぜスイカを二つも持っているのだ。


「あれ……俺幻覚でも見てんのか…なまえちゃんがスイカ持って立ってる…」
「あ、高尾くん無事?あのね、練習大変かなって思ってね、わたしスイカを差し入れで持ってきたんだけど、」
「ま、まじで!!」


なまえちゃん神!!!と叫び、相変わらず顔を青くさせながらよたよたと女に近寄る高尾は情けないことこの上なかった。俺包丁とまな板取ってくるわ!と一番に走り出したのは、まさかの宮地先輩で、相当精神的にきているのかと悟る。というか先輩は、あのカレーらしきものの異臭が抜けない調理場へと入るのか。並々ならぬ勇気だな。尊敬の念すら覚えるのだよ。
思い出したらまた吐き気が込み上げてきてその場に座り込むと、「真ちゃん、」と高尾の元から立ち上がり女が近寄ってきた。そうして俺の前にしゃがむと、


「顔色、悪いね」


と言って、俺の前髪を掻き分け額へと手を宛ててきた。こんな炎天下なのに、女のその手はひやりと冷たく火照った肌に心地良い。不快な吐き気が少しだけ治まっていくのを感じていると、背中に嫌な視線を感じた。これは、高尾か……。


「…大丈夫だ、離せ。すぐさま離せ。高尾たちが見ている」
「でも、熱いよ真ちゃん。お水買ってこようか」
「いらん。その前に俺から離れろ」


ぱし、と女の手を払うと、後ろからあからさまに残念がるような高尾の溜息が聞こえた。あいつはどれだけ俺を怒らせれば気が済むのだ。
辛かったらいつでも言ってね。そう言って目を細めて笑う女から、思わず視線を逸らす。こうも真っ直ぐな笑顔は、なんと言葉を返せばいいのか分からなくなる。だから苦手なのだ。黙り込む俺に何も言わず女は立ち上がり、旅館から包丁とまな板を抱えて走ってきた宮地先輩へと今度は駆け寄っていった。
本当にマイペースな奴だ。爪先についた砂を払い溜息をつく。宮地先輩が浮かれた様子でスイカを切っているのをぼんやりと見ていると、高尾が這いずりながら俺の横へと来て、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。


「なぁなぁ真ちゃん。何だかんだ言ってあの子と仲いいじゃねーか。昨日何があったかそろそろ教えてくんね?」
「お前の期待しているようなことは何もない。いい加減そのいやらしい顔をやめろ」
「おーい。真ちゃーん、高尾くーん。スイカできたよー」


何だよちくしょー!少しくらい教えてくれたっていいだろー!と四つん這いになりながら駄々をこねる高尾を無視していると、切り分けたスイカを両手に持ちながら駆け寄ってくる女の姿が見えた。手足をバタバタとさせて駄々をこねている高尾と、無視を決め込んで座る俺を再び交互に見て、「…どうしたの?」と不思議そうに聞いてきたが、俺に聞いても仕方がないだろう。


「なまえちゃん…真ちゃんが…真ちゃんが俺をいじめる…」
「真ちゃんと高尾くん、仲良しなんだね。はい、スイカ」
「うおおお!サンキュー!」


すっかり手玉に取られている高尾を見ていると、こっちが情けなくなってくる。溜息をついた俺の目の前に、真ちゃんもと言って差し出されたスイカを受け取ると、隣で一足早くかぶり付いていた高尾が「うめーなこのスイカ」と呟いた。いや、美味いに越したことはないのだが、一つ足りないものがある。


「…おい、女」
「ん?どしたの真ちゃん」
「砂糖はどこだ」


え。
俺の言葉に一言そう言って目を丸くする女に、こちらまで意味が分からず暫しの沈黙が流れた。俺は何か可笑しなことを言ったか。スイカに砂糖は当然の組み合わせだろう。間抜けな顔で惚ける女の反応を待っていると、今まで黙ってスイカに食らいついていた隣の高尾がわざとらしい咳払いをした。


「あー…なまえちゃん気にすんな。こいつ味覚バカだからさ。練習のあとにお汁粉とか飲むんだぜ。有り得ねーだろ」
「人の好みにケチを付けるお前のその神経が有り得んな」
「そ、そうなんだ。甘党なんだね、真ちゃん」


やれやれと言った様子で再びスイカにかぶり付く高尾を一瞥し、俺も渋々スイカを食べ始めると、女は「あれ、お砂糖…」と困惑したように呟いた。
今から砂糖を買ってきたら遅いだろう、俺にスイカを食べず待ってろとでも言うのか。 そ、そういうわけじゃないけど。 ならいい、今日はこのまま食べるが、次に持ってくるときには、


「俺のためにしっかり砂糖を用意しておけ。あとその俺の名前の呼び方をいい加減直せ」
「はーい。お砂糖か、忘れないようにするね」
「……何か、俺思ったんだけどさぁなまえちゃん」


真ちゃんのお砂糖、と独り言のように呟いた女は一体どこまで俺の話を聞いているのか。指摘するのも面倒になり再びスイカを口に含む。ムカムカと暴れている胃に、スイカの水気がちょうどいい。黙々と食べている俺を見て女は安心したようにそっと笑った。
と、そのとき、それを見ていた高尾がふと俺たちに声を掛けた。皮だけになった自分のスイカをぶらぶらと揺らしながら、「こうして差し入れしてくれて、おまけに真ちゃんのわがままも聞いて。なまえちゃん、マネージャーっぽくね?」と得意げに言った。


「マネージャー?」
「そっ。真ちゃんのわがままを素直に聞くなんてそうそう出来るもんじゃねーよ、なまえちゃんマネ向いてるって」
「高尾、お前は余計なことを言うな」


そうだ!俺いいこと思いついたわ!そう言うなり高尾は持っていたスイカの皮を投げ捨て立ち上がる。そしてそのまま目の前にいた女の手を掴み引っ張り上げ、「この合宿の間、なまえちゃんにマネやってもらえばいいんだよ!」と言い放った。
満面の笑みを浮かべて言う高尾とは裏腹に、奴の言っている意味が分からず俺は持っていたスイカを落としそうになった。そしてそれは周りも同じのようで、一瞬のうちにその場が凍りつく。


「た、高尾。お前なに言って…、突然そんなこと無理に決まってるだろ!」
「いや、でもキャプテン。毎日あんなクソまずい飯なんか食ってられないですよ俺」
「そ、それはそうだが…」


なまえちゃん料理得意? ま、まあ人並みに
は…。 んじゃ決まり!いいっすよね先輩方!
無茶苦茶すぎる。出会ったばかりの女にマネージャーを頼むなんて、あまりにもいい加減だ。確かに食事に関しては俺も同意だが、かと言ってそんな突然…。慌ててキャプテンに抗議しようと立ち上がると、治まっていた胃の痛みが蘇ってきて不覚にもよろめいた。何とかそれを耐えキャプテンに歩み寄ると、突然の高尾の無茶な提案と、これからの合宿での食事の問題で葛藤しているらしいキャプテンの何とも言えない表情を向けられた。キャプテンがこの調子では、本当に高尾の思う通りになってしまうではないか。それだけは何としても阻止しなければ。


「おい!高尾!高…っ」
「真ちゃーん、俺先に休憩入ってなまえちゃんに色々教えてくっからー」
「高尾!待て!おい!」


女の手を引いて一目散に旅館へと走っていく高尾を追いかけようとしたが、足元が覚束ず練習の疲れもあり追いつくことすらままならなかった。呆然とする俺の肩を、後ろから誰かがそっと叩く。振り返るとそこには能面のような表情をしたキャプテンがいて、高尾を何とか止めてもらおうと口を開いたら、ゆっくりと首を振られ何も言うなと目で訴えられた。
キャプテンは飢えを凌ぐことを選んだのだ。一瞬にしてそう悟ると、再びどうしようもない疲労感が押し寄せた。何故こんな田舎の僻地まで合宿に来て、毎日毎日疲れを感じなければならないのだ。それも、主に高尾のせいで。疲れと苛立ちで言葉を失っていると、俺を気遣ったのか同期の奴らが次々と肩を叩いてきた。何だお前らは。
この合宿は果たして無事に終わることが出来るのか。いや、そもそも明日を迎えることすら不安だ。どうかおは朝占いで、蟹座が上位であることを願うしかない。そして高尾、あいつは奈落の底へと突き落とされればいい。




四日目 | 炎天下の砂浜にて。






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