「あの態度はないんじゃないか、ジャーファル」

「聞いてたんですか」

「いくらなんでも素っ気なかったぞ。もっと違う言い方はできなかったのか」


仕事をサボった奴が何を言う。縄で縛られたままの自分の王に呆れ返りながら、机に散乱した中途半端な書類に目を通していると、大きく溜息をついたシンがあのなあ、と声を上げる。


「俺に嫉妬するくらいなら、お前が彼女を引き留めればいいじゃないか」

「そんなわけにいかないでしょう」

「なぜだ」


彼女には将来があるんですよ。
私の言葉を理解しきれなかったのか、シンは眉間に皺を寄せたまま凝視してくる。


「彼女はまだ成人すらしていないですが、知識も豊富で聰明な方だ。個人の私欲でこの国に彼女を留めるなどしていいはずがないでしょう」

「ジャーファルあのな。恋愛に私欲は付き物だぞ」

「そもそも貴方の言う恋愛にしたって、彼女にはもっと相応しい殿方がいるでしょう。それに彼女に対しても失礼ではないですか?」

「後悔するぞ、お前」


後悔なんて。
例えば今ここで彼女を引き止めたとして、後にその罪悪感に苛まされるよりは遥かにましだ。自分の、浅はかな私欲に従うなど、

(わたしが眠るまででいいから、)

あの雨の日に握った手が、傍にいてほしいと涙混じりに囁いた声が脳裏を過る。あのとき感じた、彼女を思う気持ちはきっと彼女にとって重荷になるに違いない。それが例えば私の勝手な好意だとしたら、尚更。
シンは何も分かっていない。彼女の未来と私の思いを天秤に掛ければ、どちらが優勢かなど考えなくても分かるはずなのに。

それでも、それでも彼女の顔がちらつくのは、やはり私が傲慢だからなのであろうか。


「ジャーファルさん、シンドバッドさん」


そのとき、静かに扉が開く音がして、従者に連れられたナマエさんが姿を見せた。何かを考え込んでいるように、いつもの快活な姿からは想像もつかないくらいの真剣な面持ち。やはり、先ほどの私の態度が原因だろうか。
申し訳なさと、どうしようもない後悔からナマエさんを見つめていると、ナマエさんは一瞬微笑んだあとすぐに私から目を逸らした。ずき、と痛む心臓に気づかないふりをして、従者たちに下がるよう言いつける。静かに扉が閉まる音を確認してから、ナマエさんは大きく息を吸い、真っ直ぐな視線を向けた。


「お話があります。シンドバッドさん、…ジャーファルさん」



***




本来のわたしのやり方だったら、この国の記録も終わったことだし、いつ旅立っても良かった。今までもそうしてきたから。シンドリアはただ、居心地がよかった。明るくて、楽しくて思わず時間を忘れるくらい。この国に愛着ができるのに、そう時間はかからなかった。
それでも、本来の役割を忘れることはなかったし、いつか離れなければならないと分かっていた。けれど、


「お願いが、あります」


ジャーファルさんのことが好きだと、そう確信したのはあの雨の日の夜。離れてほしくないと、自分を戒めながらも思ったのは、この気持ちに気付く前からきっとジャーファルさんを求めていたからだったんじゃないかと思う。
柔らかな笑顔や穏やかな声、わたしの手を取った少しだけ冷たい体温。それがわたしだけのものであってほしいと思ったのも嘘じゃない。
例えばこの気持ちが一方的なものであったとしても、このひとの傍に、そしてわたしを受け入れてくれた八人将のみんなやシンドバッドさんの傍にいられたら。それがわたしにとっての幸せなんじゃないのかと思ったのは、きっとそれだけこの国の、わたしを取り巻くひとたちに支えられてきたからじゃないのかとも。
だからこの国に、もう少しだけいたいと思った。わたしにできることなら、国に貢献できるよう何でもするから、だから。そして、この気持ちが届かなくてもいいから、彼を、もう少しだけ見ていたいと。



「これからも、この国に置いてほしいのです」








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