「わー、できた!」


いつの間にか分厚く成長していた記録紙を持ち上げて、わたしは込み上げる達成感に思わず歓声を上げた。
シンドリアに来てから集めていたこの国の歴史や文化。まだ建国してから間もないシンドリアの記録は、他国と比較すると割と早くに終わることができた。それでも、興味深い資料がたくさん収集できて大満足なのだけれど。
散らばった本や紙の山を整えながら、わたしは大きく溜息をついた。毎度のことながら、一つの国を調べ終えたこの達成感は心地良いものだ。「あ、そうだ!」

シンドバッドさんに教えてこなきゃ。シンドバッドさんがこの部屋や資料を貸してくれたから完成させることができたんだし!
そう思って勢いよく立ち上がったら、せっかくまとめた資料が机の振動で再びバラバラと散らばった。や、やってしまった。 



***




「シンドバッドさん!」


幸い、シンドバッドさんはサボりという名の休憩中だったようで中庭で寛いでいた。(いつものことだ)駆け寄るわたしの足音に気だるそうに振り返り、姿を見た瞬間ぱっと笑顔を向けてくれる。


「ナマエじゃないか。どうしたんだ?」

「あの、シンドリアの記録、全部終わったんです!」

「おー、すごいな。見せてくれるかい?」


もちろんです!記録物を手渡すと、シンドバッドさんは自分の隣に座るよう促してくれた。失礼しますと声をかけそっと腰掛けると、シンドバッドさんは既に興味深そうに記録紙に目を通していた。あ、横顔かっこいい。
一通り目を通したシンドバッドさんは、満足そうに頷き資料を整え直してからわたしへと返してくれた。そして肩へと手を添え笑顔を浮かべる。


「大したものだ。まだシンドリアに来てそんなに経っていないだろう、それでもここまで完成させたのはやはり腕がいいからだな」

「そ、それは褒めすぎです!」

「シンドリアが君のお役に立てて光栄だよ。次の国に行っても、ここでの経験がせめて何かの足しになればいいのだが」


あ。
シンドバッドさんの言葉に、わたしはふと考える。そうだ、もうシンドリアのみんなとはお別れなんだ。操觚者の仕事は、各国の歴史や文化の記録。それが終わったら次の国へと行って記録を収める。わたしはまた旅に出るんだ。何を今さら言っているんだろう、わたし。そんな当たり前のこと、考えなくたって、


「……す、すごく参考になりますよ!シンドリアはまだ若い国なのに、こんなに発展していて、色んな国の人たちがいて、」

「ナマエ、まだこの国にいる気はないのか?」

「は、」


え?おじさ…お兄さん、今なんて。
言葉の意味を理解できずにぽかんとしていると、シンドバッドさんはニコニコとわたしの肩に添えた手をぽんぽんと動かす。シンドバッドさんの手、大きいなあ、なんて場違いなことをぼんやり思った。


「君がいなくなれば八人将たちが悲しむだろう。もちろん俺だって悲しい。だがそれよりも、君がいることで幸せな家庭を築ける可能性がある奴が一人いるんだ」

「あ、あの」

「二人が愛し合い、その愛の結晶が生まれる。こんなに素晴らしいことはないだろう。あいつもあの歳になるまで女っ気一つなかったくせに、最近どうも色気付いてきていてな。一丁前に嫉妬なんかもするようなんだ。まるで思春期の子供を持つ親の気持ちだよ俺は。だからナマエ、君はぐはぁっ」


ひっ!シンドバッドさんが!いきなり白目剥いて倒れて!ひえええ。
どうやら後頭部に石を投げられたらしいシンドバッドさんはぴくりともせず倒れている。その頭には大きなたんこぶ。どうしたら良いか分からず固まっていると、さくさくと芝生を踏む足音がして、わたしの前でぴたりと止まった。


「…ナマエさん、毎度毎度すみません」

「あ、」

「シンに変なことを言われたりしませんでしたか?」


ジャーファル、さん。
どきりと跳ねる心臓を何とか抑え見上げると、わたしに笑いかけるジャーファルさんがいて。困ったように溜息をついて、シンドバッドさんを縄で縛り捕獲する彼は、何だか少しだけ疲れているように見えた。
そういえば、一昨日から顔を見ていなかったかも。あの風邪を引いた日以来、ジャーファルさんは急に忙しくなってしまって白羊塔に籠っていたようだったから。


「あ、ナマエさんそれ」

「…え、え?」

「記録、終わったんですね」


呻き始めるシンドバッドさんを一瞥したあと、ジャーファルさんはわたしの手元を見てにこりと笑う。あ、記録…。そうだ、ジャーファルさんにもちゃんと報告しなきゃ。


「お、終わりました!あの、色々協力していただいてありがとうございました」

「私は何もしてませんよ。ナマエさんが頑張ったから完成したんでしょう」

「そんなこと…。……あの、わたし、これが終わったから近いうちにシンドリアを発とうと思って」


しりすぼみになった声に思わず俯いてジャーファルさんの顔が見えなくなる。ジャーファルさん、驚かせてしまったかな。流れた沈黙にずきりと後悔で胸が痛む。
けれど、そんな沈黙も束の間。そうですか、と優しく響いた声に顔を上げれば、ジャーファルさんの柔らかな眼差しと交差して。どき、と跳ねる心臓と、熱くなる顔に胸に抱いた記録物を強く握りしめた。


「寂しいですが、それがナマエさんの仕事ですからね」

「え。」

「残りの期間で、何かできることがあれば是非言ってください」


あ、れ。
何だかジャーファルさん、素っ気ない感じが…。あれ、いつも通りかな?でも、なんだろう、この感じ。返す言葉が見つからず立ち尽くしていると、ジャーファルさんは踵を返してシンドバッドさんを引きずりながら歩き始める。それを引き留める理由も見つからず、わたしはその背中を見つめていることしかできなかった。


「ジャーファルさん…」


特別な言葉が欲しかったわけじゃない、けれど。いつもと違う感じがしたのも、気のせいだったかもしれないけれど。
拭いきれない寂しさがどうしようもなく大きくて、じわりと滲んだ涙を誰にも見られないよう必死で堪えた。寂しいなんて、思ったらだめだ。好きだなんて、思ったらこの国から出たくなくなる。でもわたし、やっぱりあのひとが好きなんだ。あんな少しの変化でも、こんなに辛くなるなんて。
ジャーファルさんの傍にいたい。でも、わたしの一方通行なこの気持ちは、きっと彼にとって重荷にしかならない。なら、このまま伝えず旅に出てしまった方がいいのだろうか。






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