白羊塔に来るのは、シンドリアに来て宮殿を案内されて以来だ。いつも出入りしている緑射塔や黒秤塔とはまた違った作りの建物に、少しだけ心が引き締まる。お茶と軽食の入ったバスケットを持ち直し、わたしはひとつ息をついた。そうして目の前に立ちはだかる立派な扉を開こうとして、ふと自分の手を見つめる。
……し、しまった。書類とバスケット持ってて、両手が塞がっちゃってる。扉開けられない。どうしよう!


「ジャ、ジャーファルさーん…」


分厚い扉の前にわたしの声が小さく響く。うう、恥ずかしい。というかジャーファルさん、この中にいるのだろうか。
途方に暮れると、心無しか気分が落ち込んでくるような気がする。さっきまでは何とも思わなかったのに、手に持っている書類とバスケットがとても重たく感じた。ジャーファルさんがここにいなかったら、どうしよう。
ちょっと待ってみたけど、誰も出てくる気配がない。ま、まさか、本当にここにはいないのかな。


「ど、どうしよ。ジャーファルさ、うわっ」

「ナマエさん!」


ちょっと困って、ほんの少しだけあった扉の隙間からジャーファルさんをもう一度呼んだ瞬間だった。目の前の扉が突然開き、少し焦った様子のジャーファルさんが出てきた。よ、よかったあ。ジャーファルさんここにいた。
わたしの姿を捉えたジャーファルさんは自分を落ち着かせる様に息を吐き、いつものように穏やかに笑ってくれる。その笑顔を見たら、何だか安心してしまって一気に肩の力が抜けた。


「驚かせてしまってすみません。シンに書類を預けたままだったのを思い出して」

「あ、わたし預かってきました!シンドバッドさん、ジャーファルさんに怒られて気まずいからって」

「す…すみませんナマエさん、お手を煩わせてしまって。全く、シンは仕方ないですね」


重たかったでしょう。わたしから書類を受け取ったジャーファルさんは、そう言って申し訳なさそうに微笑む。大丈夫ですと返事をすると、彼は目を細めわたしを見た。何だかその笑顔がどこか疲れていて、ジャーファルさんの忙しさに触れたような気がした。ジャーファルさんはシンドリアを担う政務官さんだから、きっとわたしが想像しているよりも遥かに忙しいんだろう。そんなことを考えたら、何だかジャーファルさんの身体がとても心配になってしまって、思わず手にしたバスケットを抱きかかえた。そうして、わたしを見て笑うジャーファルさんに一歩歩み寄り、その黒目がちの瞳を見上げる。


「ジャーファルさん、厨房でお茶と軽食をいただいてきたので、よかったら手が空いたときに食べてください」


そう言いながらバスケットを見せて笑うと、ジャーファルさんは驚いたように目を丸くした。……もしかして紅茶、きらいだったかな。色々と種類を聞いて、結局わたしが好きな茶葉を選んでしまったのだけれど、やっぱり好みを聞いてからの方がよかったかな。
ジャーファルさん?顔を覗き込んで名前を呼んだら、はっと我に返ったように彼はわたしを見る。


「あ、ありがとうございます。こんなことまでさせてしまって…」

「もしかして、紅茶きらいでした?」

「い、いえ。…いや、その、…ありがとうございます」


わたしの心配とは裏腹に、彼は小さく呟いたかと思えば、急に照れ臭そうに微笑んだ。くしゃりとしたその笑顔は、ここへ来てから初めて見たもので、不意打ちのことに思わず喉元まで出かかった言葉を飲み込んでしまった。
何だか、可愛い。心臓の奥がぎゅう、となって、わたしまで照れ臭くなって思わず俯いた。男のひとに可愛いとか失礼だ、わたし。
そろりとジャーファルさんを見上げると、照れ笑いを誤魔化すかのように彼は口元に手を当てわざとらしく咳払いをしている。照れ臭いのは、ジャーファルさんだけじゃないのに。そう言いたかったけど、何だかその仕草も可愛く見えてしまって唇を結んだ。何だか、顔がとても熱い。
一段落したので、ご一緒にどうですか。優しい声音がじわりと溶け込む。ジャーファルさんに持ってきた差し入れなのに、わたしまで頂いちゃっていいのかな。そんなわたしの心根を察したように、彼はすらりと手を差し伸べ部屋へと招く。それが無性に嬉しくて、また心臓がむず痒くなった。

ジャーファルさんが優しいから、きっとこんなに嬉しくなるんだろうな。差し出された手を取りわたしはぼんやりとそんなことを思う。午後の暖かい日差しが差し込む執務室は、ほのかにジャーファルさんの匂いがして。陽だまりのような心地よい香りに、不思議と笑顔が零れた。






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