ハヤトの様子がおかしいのは明らかだった。
「……うーん…」
いつもあれだけ騒がしいハヤトがここ最近ずっと会長の机に顔を突っ伏している。トキヤが気味が悪くなる程に変だった。真斗が気を使って和菓子やお茶を出しても「ありがとう…」と呟くだけで口にしない。レンは放っておけば治るさ、と言っていたものの少し気にかけていた。
ハヤトはあれから砂月のことが気になってまともに眠れもしなかった。あの花壇で見つけた封筒を見てしまってから、砂月のとんでもない秘密を知ってしまったようでハヤトはずっと悩んでいた。あの封筒のことがあってから幸いハヤトは砂月のことを見ていない。いや、その方がいいかもしれない。ハヤトのお人好しな性格がこんなにも自分を悩ませているんなんて。
「頭冷やしてくるね〜…」
ふらりと手を振ってハヤトは生徒会室を抜け出した。気晴らしに屋上に来たハヤトは大胆に寝転んで空を仰ぐ。砂月の秘密をばらそうなんてハヤトは毛頭考えていない。そんな悪いことするつもりなどない。むしろ気になって気になって仕方ないのだ。空を見上げるとそんな悩みがちっぽけに思えてしまう。悩みが溜まりに溜まったハヤトは天に向かって思い切り叫んだ。
「もうどうしたらいいんだにゃー!!」
「…何がだよ」
ハヤトの叫び声に続く、低い声が聞こえた。え?と直ぐに起きあがるとそこにはあの砂月が立っていた。
「いいいいいつ、から…」
「ドア開けた瞬間お前が叫んだんだろ」
どうやら最初から全部聞こえていたらしい。うわあどうしようと羞恥心にもがくハヤトを砂月は困ったような目で見た。顔色が面白いくらい変わるハヤトに砂月は嫌な気はしなかった。ハヤトの横にどさりと座った砂月もまた寝転んで空を見る。ハヤトは砂月を見るなりあの封筒のことを思い出した。あれ、怒ってるんじゃないの?とちらりと横目に砂月を見てもただ空を見ているだけだった。僕の考え過ぎだったのかな…というかなんでこんな近くに座るの!と色々言いたいハヤトだったが、相手はあの問題児。まともに会話すら出来そうにない。
「おい」
はちきれそうになる心を抑えていたら砂月からハヤトに話しかてきた。ビクリと肩を飛び上がらせるハヤトに砂月もまた驚いた。
「な、なに…?」
「この前は自分から喋りかけてきたくせに、今日は喋らないんだな」
ハヤトはてっきり封筒の話をされるかと思っていた、なんだそんなことか。途端に緊張が解けて自然と堅くなっていた表情が戻る。あの時は何故かすらすらと言葉が出た。それはあの封筒を見る前だったから。ただの不良かと思えば、あんなものを見てしまえばまともに言いたいことも言えやしない。
「あの封筒の中身…見たんだろ?」
「え、あ、うん、ごっごめんなさい!」
地面に当たるスレスレまで頭を下げて謝るハヤトに砂月はやっぱりな、と目を瞑った。あのぎこちない動きや言葉を耳にしてすぐに分かった。しかもよりによってこの学園の生徒会長に見られてしまうなんて、全くついていないとため息をつく。さてどうやってばらさないように脅してやろうか、と考えているとハヤトが機嫌を伺うような眼差しで砂月を見た。
「ば、ばらす気とかはないよ!」
精一杯、本当のことを伝えられるようにハヤトは言った。信じてくれないかもしれないけど、本当にばらそうとは思ってない。砂月はその言葉を簡単に信じることが出来なかった。人を信じるなど、何年も諦めてきたことだった。
「……本当に!本当だよ!」
まるで砂月に言い聞かせるようにしつこく言ってくるハヤトに痺れを切らした砂月は無言でそっぽを向いた。その反応がショックだったのかハヤトは途端に黙ってしまう。しばしの沈黙が流れるとびゅう、と屋上に一際強い風が吹いた。そして同時に校内アナウンスが流れる。紛れもなくトキヤの声だった。
「ハヤト!いい加減戻ってきなさい!会長である貴方が居なくなってどうするんですか!全く貴方という人は…」
明らかに怒っているトキヤにハヤトは冷や汗を掻いた。大量の書類があるのを忘れていたのだ。ふらりと消えて居なくなったのだ、怒るのも仕方ない。「イッチーここで怒ってもきりがないだろ?」「とりあえず落ち着け一ノ瀬」とアナウンスの向こうでは怒るハヤトを宥めるレンと真斗の声が聞こえる。変わらずそっぽを向いたままの砂月に「ばいばい」と一言残してハヤトは足早に屋上を出ていった。
――――――――――
帰ってくるなりトキヤにくどくどと精神が参りそうなほど叱られたハヤトは会長の椅子に座って意気消沈していた。何もそんなに怒らなくても…なんて呟くと傍にいたレンがそっと耳打ちをする。
「イッチー、君が元気ないって心配してたんだよ」
「え、僕元気なかったの?」
自分でも自覚していなかったらしいハヤトにレンはやれやれといった素振りを見せた。ハヤトはまだぶつぶつと文句を垂れるトキヤに「ありがとう」と得意の笑顔を見せたのだった。
「それにしてもハヤトがそんな参るようなことだ、余程のことがあったのだろう?」
真斗は興味ありげにお茶を啜りながら呟く。それに関してはハヤト以外のメンバー全員が気になっていることだった。ハヤトは観念して砂月のことを話した。勿論封筒のことは内緒だ。ふむふむと黙って聞いてくれた三人の中に一人だけ砂月を良く知る人物がいた。それは砂月と同じクラスのレンである。
「イッチーと聖川とハヤトはまだ入学してなかったから知らなくて当たり前なんだけど、シノミーは一年生の時は普通の生徒だったんだよね」
それはレン以外、初耳のことだった。ハヤトは一際身を乗り出して食いつくようにレンの話を聞く。その姿を見てレンは思わずぷっ、と笑ってしまったがまた淡々と話し始めた。
「そして二年生から…詳しくは一年生の後半からそれは荒れに荒れたよ。それと同時にシノミーの双子の那月って子が退学したんだ」
「え?砂月君って双子だったの?」
「凄い仲が良くて有名だったから驚いたよ。俺が考えるにシノミーが荒れたのと那月の退学には絶対何かあるね」
言い終えたレンは真斗が淹れた珈琲を口に付けた。「うん、悪くないね」と真斗にウインクを飛ばしても淹れた本人は嫌そうな顔である。レンはどうやら砂月の話はどうでもいいようだった。どうでもいいと言うよりこれ以上踏み込めない、といったところか。だがその話を聞いて自分と同じ双子と聞いて親近感が湧いた。ハヤトはますます砂月のことが気になった。
「ハヤト、それ以上砂月さんに関わるのはやめなさい」
「なんで?」
「あんな裏で何をしているか分からない人なんて危険でしょう」
トキヤが言っていることはもっともだった。それはあの封筒を見てしまったハヤトが一番知っていること。いけないと分かっているのに、会長である自分が一人の生徒だけに踏み込むなんて不公平だと、常に全体を見なければいけないのに。ハヤトは歯を噛み締めて俯いた。つい最近まで赤の他人だった男にこれほど感情移入するなど、本人であるハヤトが一番驚いていた。
「わかった。…そうだよ、ね」
ハヤトは諦めたような声で大人しく席に戻り目の前の書類に黙って手をつけ始めた。それを察したトキヤも真斗も日が暮れるまで仕事に明け暮れた。レンはマイペースに「少し散歩でもするかな」と出ていったきり帰ってこなかったが。
I want to be the only exis tence have you.
――――――――――
「ぎゃっ!」
「どうしたんですか」
一ノ瀬宅にて、ハヤトの声が響いた。晩御飯の準備をしていたトキヤがリビングを覗くとハヤトがいつも使っているスクールバックを持って眉をへの字にしていた。
「学校にノート忘れちゃったあ〜!」
がっくりとうなだれるハヤトにため息をつくがフライパンを持つ手は止めないトキヤ。「貴方はバカですか」と一喝するとハヤトは涙目でトキヤに懇願した。
「明日テストだから貸して…」
「お断りします」
「なんで〜!本当やばいんだにゃ〜!」
「私もテスト勉強するのに貴方に貸したら出来ないでしょう、ということで無理です」
「トキヤぁ〜!」
トキヤをぽかぽかと叩くハヤトに「五月蝿いですよ、晩御飯抜きでもいいんですか」と言ったらすぐに大人しくなったもののリビングから「うあ〜…」だの「トキヤぁ〜…」だのハヤトの声が聞こえてくる。痺れを切らしたトキヤは出来上がった晩御飯を手際よく皿に盛り付けてハヤトのいるリビングまで持って行くと苛立ちながら言った。
「今からでも学校は開いているはずです。これを食べたら行ってきなさい」
「やだやだ!怖いにゃ!真っ暗だもん!」
そんなこと知りません、と晩御飯を食べ始めるトキヤに「一緒にきて」と言っても無言の拒否で終わった。冷たい、冷たいよトキヤ。お兄ちゃんショックだよ。それから晩御飯を綺麗に平らげると仕方なく学校に行くことにしたのだった。
「うぅ…怖いよう…」
本来なら家でまったりと過ごしていたはずなのに、とうなだれながら夜道を歩く。突然木から鳥が飛びだったり、猫が飛び出してきたりとハヤトはすっかり恐怖に怯えていた。目の前に見えた学園に安堵して即座に校舎に入る。鍵を借りて光の速さでノートをゲットするとハヤトは急いで校舎から出た。よくやった僕!と心の中でガッツポーズをしたのは内緒である。
「ん…?」
帰りの通り道にある公園から何やら人の声が聞こえてきた。こんな夜遅いのに何をやってるんだろうとハヤトは興味本位で木陰に隠れて公園を見た。そこには、
「さっ、砂月くん…?」
あの後ろ姿は紛れもない、砂月のものだった。彼とはよく色んな場所で出くわすものである。運命だったりして、なんて甘い考えもすぐに飛んでいってしまった。砂月の向かい側には太った男がにたにたと笑いながらポケットから封筒を取り出した。ハヤトはその封筒に見覚えがあった。間違いない、花壇で見つけたあの封筒だ。砂月の表情を確認したいのに残念ながらハヤトからは背を向けた状態のため全く分からない。出来るだけばれないように近づいてもあちらの声は聞こえない。砂月は男から封筒を受け取るなり自らのポケットにそれをしまい込んだ。そして砂月はその男に向かってお辞儀をしたのだ。ハヤトは息を呑んだ。あの砂月が、他人に頭を下げている。目の前の光景があまりにも衝撃的だった。交渉のようなものだったのか、それは数分で終わり砂月は公園を出た。見てはいけないものを見てしまった、それを自覚した瞬間冷や汗が流れた。
「あ、やば…っ」
その時バサリとハヤトの手から持ち帰ったノートが音を立てて落ちた。まずい。砂月は音のするほうへ振り向いた。
「お前…」
「あ…その…」
目と目が合う。ハヤトはどうしていいか分からず口をぱくぱくとさせた。そこから動くことも出来ずただ立ちすくむ。砂月はそんなハヤトにどんどん近づいた。殴られる、そう身構えたがその衝撃はいくら待ってもこない。
「こっちにこいっ」
砂月はハヤトの腕を掴み突然走り出した。誰もいないような場所を探して。
〜20120405