<※さっちゃんとHAYATOは業界人
HAYATOが歌わなくなった。正しくは声が出なくなった。精神的なショックによる一時的な病状だと医者は言う。精神的とは言うが、俺はなぜHAYATOがこんなことになったのか全く分からない。理由は簡単、HAYATOは笑っているからだ。普段と同じように笑顔を絶やさず愛想を振りまく、いつものHAYATO。ただそこに声が無くなっただけであって、俺はそれが不思議で仕方なかった。
「う〜ん…もう二週間も経つのに全く良い方向に向かってないねぇ…」
HAYATOの胸に当てていた聴診器を話して、医者はうなだれるように呟いた。あれから二回目の検診は良くも無く悪くもない結果だった。
「次は一週間後に来ます。ありがとうございました。」
HAYATOに変わって俺が話すことが多くなったこの二週間、自分でも分かるほど俺は受け答えが上手くなった。変わりにいつもの陽気なHAYATOの声が全くない日々。帰りのタクシーの中、HAYATOは俺を見てニコニコと微笑んでいた。水から救いあげられた魚のように口をぱくぱくさせて身振り手振りするHAYATOは心なしか元気が無いように見えて、綺麗にセットされた頭に手を置いて撫でた。
(違うんだよ、僕は慰めて欲しいわけじゃないんだ)
「言いたいことは紙に書けって言っただろ」
その言葉と共にHAYATOは俺が持ち歩けと言ったボールペンとメモ帳をバッグから出してさらさらと文字を書いていく。その一枚をべりっと剥がして見えた言葉は、
(うたいたい)
歌いたい、そう乱暴な四文字。それはあまりにも素直なメッセージだった。眉間に皺が寄るのを感じて、俺はぶっきらぼうに言った。
「治ったら好きなだけ歌え」
HAYATOは首をぶんぶんふってメモ帳にまた書こうとする。だが生憎あれが最後の一枚だったようで、それ以上HAYATOは何も訴えようとはしてこなかった。
「何かあったら来い、いいな」
そう言ってHAYATOの部屋のドアをしめる。まぁマンションの中なら声が出なくても不便なことは無い筈だ。HAYATOはこくり、と頷いただけだった。俺は自分の部屋に戻るなりソファーにどかっと腰を下ろした。
(ねぇねぇさっちゃん!ここはテンポ上げてもっと盛り上げようよ)(あ、今のうまくいったかな?)(頑張って練習したかいがあったにゃあ)(さっちゃん!)
「………たく、一体何だってんだ」
仕事のストレス、限界、原因なんて腐るほど考えた。だけど分からない。HAYATOに聞いても笑うだけ。トキヤも驚くだけ、医者は具体的なことしか言わない。社長には大事をとって一ヶ月休養を取るように言われた。
(多分、あいつも分からないんだろうな)
HAYATOは自分のことを表に出さない分、ため込んでいるのだろう。実のところ、俺さえあいつのことは今でも掴めない。自分の性格上踏み込めない、と云うのが正しいのだろうか。ふいに携帯のバイブレータが揺れた。ディスプレイにはHAYATOの文字。会話も出来ないのに電話をしてくるなんてこいつはバカなんだろうか。だが意味が無いと知っていても通話ボタンを押してしまう俺も相当バカなんだと思う。
「もしもし、どうした」
「っ、……!、」
「?おい」
パリン
聞こえたのはHAYATOの荒い息と直後に聞こえた何かが割れる音。明らかに異常だと察知して携帯を耳に当てたまますぐさま部屋を飛び出す。幸運にもHAYATOの部屋はすぐ隣なわけで、俺は靴も履かず部屋に押し入った。
「HAYATO!」
「っ、」
視界に入ったのはまるで荒らされたような部屋。テーブルの上の花瓶は落ちたまま割れていて、辺りにはぐしゃぐしゃになった楽譜やペンが散らかっていた。同時に携帯越しの割れた音は花瓶だったのかと察する。HAYATOは俺を見た瞬間床にへたりこんだ。
「おい!どうしたんだよ!」
「〜〜〜っ」
俺が近づくなり周囲に散乱したものを手当たり次第投げてくるHAYATO。目には涙を浮かべていて、普通ではないことは見てとれた。
「おい、落ち着けって」
物を投げる手を握って動きを止める。HAYATOは乱暴にもがいたが、俺とこいつの力の差なんて歴然としている。俺は少しずつ動きが収まっていくHAYATOの背中をさすって抱きしめた。
「大丈夫か」
おそらく部屋をこんな状態にしたのは紛れもなくHAYATOだろう。落ち着いたHAYATOをソファーまで連れていき座らせる。こいつの様子を見る限り、本人も自分が何をしたか虚ろなようだ。俺は花瓶の破片を片付けて、ぐしゃぐしゃの楽譜をテーブルに広げた。
「これお前が書いたんだろ、だったらこんな風にすんな」
ふいに見たHAYATOはまだ微かに涙目で、こくりと頷いた。楽譜は見る限りまだ完成はしていないようだが、大体は書き込んであるのが分かる。HAYATOはいつも歌詞ばかり書いているのが印象的だった為、ついつい魅入ってしまう自分がいた。それに気づいたのかHAYATOは俺の手から楽譜を乱暴に奪ってまたぐしゃぐしゃにする。
「まぁそこまで見てほしくねぇんだったら見ねぇよ」
「……………」
暫し沈黙が流れて、俺は盛大な溜め息をついた。事実、HAYATOがこんな風に暴れるのは初めてではなかった。前に一回だけ、こうなったのを覚えている。その時も暴れるHAYATOを抑えたのは俺だ。このことをトキヤに話すとHAYATOは精神が不安定になると昔から定期的にこうなると言っていた。今回は声が出ないことが原因に違いない。
「別に、焦らなくてもいいんだぞ」
「………」
「きっとお前は頑張り過ぎてるから今は休めって誰かのお告げだ」
我ながらくさいことを言っているのは分かっている。だけど気の利いたことも言えなくて、ものすごく恥ずかしくなった。口に手を当ててなるべくHAYATOを見ないようにしていると、肩をぽんぽんと叩かれた。
「…どうした」
「…、」
「黙ってると一生わかんねぇぞ」
HAYATOは落ちたボールペンを拾って俺から奪った楽譜の裏のまっさらな面に文字を書いていく。
(ごめんなさい)
それだけ書いて手が止まった。
「…気にしてねぇよ」
またさらさらとボールペンが走る。
(がんばってはやくなおせるようにする、だからすてないで)
捨てないで、とはどういう意味だ。捨てるってHAYATOのことだろうが、こいつは何を言いたいのか、それすら分からなくて悔しくなった。
「なんでお前を捨てるんだよ」
(うたえないぼくは、いみがないから)
段々俺の会話とHAYATOの書く速さが離れてきて、ついにHAYATOはボールペンを握る手を止めてしまった。歌えないと意味がない、この一言が声が出なくなった原因なんじゃないかと、はっとする。この前レコーディングをした時を思い出した。歌い終わった後、ディレクターがHAYATOに放った一言がまさに「歌手なんて、歌取っちゃえば何も残らないから」だったことを。あの馬鹿なHAYATOでも心に刺さった言葉だったのだろう。HAYATOはまた涙をぽろぽろと流し始めた。重力に従って滴る水滴を指で拭ってやればHAYATOはその手を掴んで自らの頬に押し当てた。今まさに全てが繋がった。
「人一倍悩んどきながらそれを口にしなかったんだな、お前」
「……っ、」
またぽろりと流れる涙。その表情があまりにも辛そうで、俺はHAYATOの顔を両手で包んでこう言った。
「捨てねぇよ」
そのままHAYATOを抱き寄せて、瞼にキスを落とす。くすぐったいのかはたまた恥ずかしいのか俺の胸に顔を埋めてしまった。こういうときだけピュアなのがたまらない。
「歌が無くても、お前が歌手じゃなくても、良いところなんかいっぱいあんだろうが」
そう宥めて背中をさする。こうして触れるといつも思う、細くて脆くて意外に繊細で小さい背中。
「…ぁ、ぅ、」
「おい、お前、今声…出て」
「は、…、ぁ」
胸に埋めていた顔を上げてもどかしくなるくらいぱくぱくと声を発するHAYATO。あの綺麗なアルトの懐かしい声が耳を掠めた。
「一回深呼吸しろ」
「は、ぅ、ん」
「ほら、なんか言ってみろ」
「さ、っ、ちゃ」
「馬鹿、俺の名前じゃなくていいっ」
久しぶりに聞いたHAYATOの声に驚いた上に、第一声が自分の名前だなんてなんだかくすぐったい。よくできましたと言わんばかりに頭をくしゃりと撫でてやる。HAYATOも徐々に声を発するようになった。
「さ、ちゃん、やっぱり優しい、なぁ」
「なんでそうなるんだよ」
「さっちゃん、さっちゃん」
「そんなに呼ばなくていい…」
まだぎこちないが、治ったイコール問題は解決したのだろう。
「早くさっちゃんのうた、歌いたいにゃあ」
そうだな、といつも通り適当に返事を返す自分はどこか安心しているようで、もうこんなことは二度とごめんだと思った。
〜20120220
ディレクターさんボコボコにされる