text | ナノ
ガラガラと戸が開いて、いらっしゃいませーと声を張り上げれば、タバコの香りがふわっと店内に広がった。
思わず緩んだ顔を叩いて引き締め、どんぶりを食器棚から出す。
「お仕事中?」
「ああ。ちょっと休憩さしてくれ」
目の前のカウンター席に土方さんが座ったと同時にお冷やとおしぼりを出し、さらに灰皿を置く。
土方さんの顔をちらりと見るとなんだか浮かない表情をしていて、何があったのか訊こうとしてしまったけれど、土方さんの職業柄、容易には訊くことができない。
何かと暗い話がついて回るんだから、ほいほいこっちから訊くもんじゃあないんだよ。向こうから話してきたときがこっちの腕の見せどころさね。上手い聴き手になってあげな。と、此処の奥さんは言う。
奥さんの言い付けに従って世間話をするけれど、表情からして何かあったに違いないし、気にはなるけど訊けないしで、心配は膨らむばかりだ。
ひとまず、マヨネーズをたっぷりかけたどんぶりをカウンターに置いて、漬け物を出し、ついでにその横にもう1本マヨネーズを置いてどうぞと勧める。
「何があったか知らないけど、これ食べて元気だしなよ」
すると土方さんの目が大きく見開かれ、なんでだよと不満げに呟きながら笑い始めた。なんだ急に。
「え?え?私なにかまずいこと言った?」
「いんや…俺も心のない鬼とか言われてっけど、お前に表情で読まれるなんざ甘いなと思ってよ」
「…なにそれ、褒め言葉?」
「好きに受け取れ」
くくっと喉で笑って煙草を灰皿に置き、マヨ丼(余談だが、奥さんは「土方スペシャルと言いなさい」といつも念を押してくるのだけど、たかがマヨネーズたっぷり乗せただけの丼に私はスペシャルなんて付けたくないのでマヨ丼と呼ぶ)をかきこむ姿は、見ていて飽きないし惚れ惚れする。これをみるために1日仕事を頑張っていると言っても過言ではない。
今は旦那さんも奥さんも出払っていて、しかもすでに夕方近いために客入りが一番少ない時間帯。だからお客さんも土方さんひとりしかいなく、他のお客さんの心配をせずに会話できるのが嬉しい。
「こんな時間にお昼取るなんて、今日は忙しかったんだ?」
「忙しいというか、探すのが大変だったというか…」
「えー?また上司と部下の世話?相変わらずだねえ」
「ったく、どーにかしてほしいぜ」
給料2倍以上の働きしてるぞ、と苦笑いしながら煙草を吸っている。
土方さんは優しい人だなあ。
とても後ろ暗い事件があったということは明白なのに。
隊服には乾いて黒くなった血が、目立つほどではないけれども所々ついているのが見て取れるし、刀はいつもカウンターに置くくせに、今日は血がつかないよう配慮してか椅子の横に立て掛けてある。もう一つ決定的なのは、食事中にでさえ煙草の火を消さずに吸い続けているときは、何かあった証拠。
敢えて暗い話をしないのはきっと、余計な心配をかけさせないようにとの考えのもとなんだろうけど
もっと頼ってほしい。
これが本音。言えないけど。
食べ終わり、つま楊枝で歯の間を掃除し始めたところでお冷やのおかわりを入れる。何か真剣に考えている様子だから、目の前に立ったまま食器を拭いて考え終わるのを待った。
「なまえ?オイ、なまえ大丈夫か?」
はっと気がつくと目の前には心配そうな表情の土方さん。
食器を拭く作業が機械的になりすぎて、どうやらしばらくぼんやりしていたらしい。土方さんはその間に話しかけていたらしく、大丈夫と慌てて応えた。それならいーけどと立ち上がる土方さん。
ああ、もうお勘定かな
「…で、さっきの話なんだが」
「え、うん、さっきの話?」
話聞いてなかっただろと頭をかく土方さんに私は思わず舌をちろりと出した
「…まあいい。で、今週の土曜日空いてるか?」
「土曜日…は、仕事入ってないよ。空いてる」
「俺非番だから、どっか行くか」
「…え?いいの?いや、でも悪いよ。せっかくの休みなのに」
「一緒に出掛けるの嫌かよ?」
「そそんなことないよ!むしろ嬉しいけど、めったにない休みなのに申し訳な…………」
ガタンと音がして、気がつくと土方さんの顔が目の前にあって、それよりも重大なことに唇に微かに触れた感触があって、その触れてきた土方さんの唇はいま私の視線の先に。
しばらくそうしていただろうか、目を合わせ、ふふと笑い、お互い顔を離した。
「ここお店だよ?誰かに見られる」
普通に出したはずの声はかすれていた
「誰もいないから別にいーだろうが」
「このタイミングで奥さん帰ってきたらどやされるなあ。仕事辞めさせられちゃうかも」
「そしたら真選組の女中になれよ」
「ふふ、心にもないことを。来たら嫌なくせに」
「…そりゃあ危険な目に合わせたくねえしなにより…」
「心配かけさせたくない?」
ああ、と頷きかけた土方さんは我に返った表情をしたから、にやりと笑いかけると、はめやがったなと顔に手をあてて苦笑した。
本当に素直じゃないなあ。お互いさまか。
「とにかく土曜日は空けとけよ」
何も言わせやしないとギロリと睨みをきかせる土方さんに、両の手をあげてはいはいと頷き、視線を絡ませると、なんだか可笑しさがこみ上げてきて笑いあい、どちらからともなく再びカウンター越しに唇を重ねた。
20100510/もちつもたれつ