真田幸村はその日、己が仕える武田信玄の領地を検分するために森の中馬を走らせていた。
山間の村を巡り、夏が近づくとよく氾濫を起こす川の流れが安らかである事を確認し、何も滞る事無く全てを見届け、その安寧に流石お館様の治める甲斐であると感慨に深く頷いた。
そうして日も高くなった頃、後はお館様の元に戻り報告をするだけという頃、幸村は激しい馬の蹄の音を聞いた気がした。
「む…」
ふと馬を止め空を見上げればざわざわと野鳥が忙しない。
何事であるか。
不吉な。
「佐助。」
「御意にってね。」
声をかければ優秀な忍はすぐに森を翔る。
確かに聞こえたのは蹄の音で、数は凡そ数十。
敵か、と気を研ぎ澄ますがどこかその音は落ち着かない。
そもそも数十の軍勢で甲斐に攻め込むなど浅慮にも程がある。
甲斐の虎を侮っているのかそれとも。
気配を探りながら馬を走らせた。
いつ何者が現れても対峙出来る様に槍を構え森を進む。
さっきよりも確実に聞こえる蹄の音に幸村が身構えれば馬よりも先に己の忍が戻ってきた。
「佐助!」
「旦那ー、ちょっと大変だー!」
「何者であったか。」
「やー、それがさぁ。」
お館様が前に言ってた書状の件覚えてる?
ほら、伊達さんの。
そう言って佐助が頭をぽりぽりとかいた時、別の方向から別の気配が。
僅かな気配がこの崖の下より二つこちらに向かって近づいてくる。
馬では無い。
忍んでいるものでも無い。
「む?」
「旦那?聞いてる?」
大変だって言ってるんだけど。
何余所見してんの。
佐助の声も右から左へ聞き流し、幸村は手綱を取った。
「ちょ、待ってよ旦那!?」
「佐助、お前はお館様の元へ戻れ!」
「はぁ!?」
ちょっと!
どこ行く気!
叫ぶ佐助を横目に幸村は馬を駆ける。
山肌が剥き出し、急勾配する斜面をものともせずに。
「旦那!」
「此度の件、お館様にご報告せよ!」
「えー!」
待ってって言ってるのにどこ行くの!
大変なんだってば!
そんな声に槍を振って応え、土煙を上げて崖を駆け下りていく主に伸ばした佐助の腕がやるせなく宙に浮いた。
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