「久しぶりだな、秀吉。」
そう声をかけた背中は少し遠くにあって、でかくもあり、懐かしくもあり、それでいて記憶の片隅にあるそれとは大分違ってみえて。
俺はなんとも言えないこの感情を飲み込むために小さく笑って見せた。
「…久しぶりだな慶次。」
秀吉が振り返る。
ゆっくりと腕を組んで。
なあ秀吉。
お前いつからそんな顔をするようになっちまったんだい。
そんな口をぎゅうと結んで眉間に皺を寄せて。
冷めた目で俺を見下ろして。
俺の記憶にあるお前はそんな目をしてなかったよ。
沢山馬鹿をやったあの日々。
毎日笑ってさ。
下らない悪戯をしかけて。
箸が転がっても面白くて仕様が無かった俺達は手に負えない悪餓鬼だった。
どうしようもない懐かしさが頭の隅を過る。
「今更何をしに来た。」
「…お前をぶん殴りに来たんだ。」
思い切りぶん殴って、あの頃のお前に会うために来たんだ。
「お前は何も変わっておらぬようだ。」
「、そうだな。」
俺は変われなかったよ。
色んな理由を探したけど見つからないし。
誰の言葉も右から左に流してた俺には何も聞こえていなかったし。
殻に閉じこもって丸まってた俺は臆病で、一人ぼっちになりたくなくて顔を上げようともしなかった。
「変われなかったけどやるべき事は分かったさ。」
背中を押してくれた子がいた。
間違ってないって笑ってくれた子がいた。
お前に会いに行こうって手を握ってくれた子は俺の腹の底にあった真っ黒くてどろどろしたものを全部綺麗に消してしまった。
俺は一人じゃ無かった。
それに気付いたらちゃんと見えた。
「いくぜ秀吉。」
俺はお前をぶん殴る。
「ぶん殴って一番大事なものを思い出させてやる…!」
そう叫んで一歩。
向かうは秀吉の懐。
下手な小細工なんて必要ない。
真っ直ぐに走るだけでいい。
走って走って真っ向。
懐かしい匂いが近づく。
組んでいた手を解き拳を握る秀吉の懐。
俺は一層力を込めて思い切り自分の拳をぶちこんだ。
「秀吉!なァ秀吉!」
「慶次ィィィィ!」
ぶつかった拳がみしりと嫌な音を出す。
信じられないぐらいの痛みが雷みたいに体を駆け巡った。
痛い。
骨が砕けそうだ。
それでももう一歩進んで反対側の拳を。
「秀吉、なんでねねを殺した!お前あんなに惚れてたじゃねぇか!」
「理由を求めるか!それはすでにお前に告げたはずよ…!」
愛は弱さを生むと!
まだお前は過去にこだわるのか。
あれしきの事を。
「よくもそんな事が言えるな!愛が弱味になるなんて俺は信じねえ!」
お前は馬鹿だ秀吉!
人は死んじまったらそれで終わりなんだよ!
死んじまったらもう一緒に笑う事も触れる事も出来ないんだよ!
お前ねねと一緒にあんなに笑ってたじゃねぇか…!
覚えてねぇなんて言わせねぇぞ!
「下らぬ事を!」
「ねねは下らねえ事じゃねぇ!」
秀吉の拳が腹に入る。
腹の中のものが全部飛び出てくるんじゃないかと思うほどの衝撃に息が詰まる。
やっぱり痛ぇ。
体が軋むぐれぇ痛ぇよ。
同時に俺の拳が秀吉の頬をえぐる。
歯の一本でも飛んでいきゃよかったのに。
よろけただけの秀吉の腹に駄目押しの拳をもう一発。
「お前に一番大事なものってのを思い出させてやるよ!」
「過去は何も生み出さぬ!見るべきものは先、未来!」
思い出すものなど我には何もなし!
過去を超えそして得た力で我は天下を統べる!
その道程に愛など脆弱なものはいらぬ!
必要なのは強さ。
何ものにも揺るがぬ圧倒的な強さよ!
「人の気持ちを捨てて、大事なもんを捨てて、手に入れた強さが本当に正しい強さだと思ってるのか!」
人は恋して強くなれるんだ!
守ってやりたい人がいるから前に進めるんだ!
お前の言う未来には何がある。
力で恐怖で手に入れた未来に何があるってんだ!
恋が、愛が、あんなに温かくて心を満たしてくれるものを俺は他に知らねぇよ!
お前の目指す空っぽの未来なんか俺は立っていたくない!
「真の愛を知らぬお前が愛を語るな!真の愛が見せる弱さを知らぬお前が何を言おうが我には届かん…!」
「愛が見せるのは弱さじゃねえ!」
何でお前はねねを守ってやらなかった!
ねねを守る強さを持っていただろう!
その両手はなんのためにあるんだ!
俺は覚えてる。
ねねの隣で笑ってたお前を。
ねねを包んでいたその両手を。
あの日。
弱さに打ちひしがれたあの日のお前も。
それがお前の弱さのせいじゃないって事も!
「感傷に浸るな慶次!」
お前のその下らぬ信念がねねの死を無駄死ににさせている事に気がつかぬか…!
我は理解したのだ。
そして確かに恐怖したのだ。
弱さを。
己を追い詰める肉体的な、そして精神的な弱さを。
故に選んだ。
己の求める強さを。
何ものにも揺るがぬ強さを!
「これがお前の強さか!」
大事なものを捨てて手に入れたこれが強さか!
「そうだ我は進む!己が信じた強さと共に!」
「っこの大馬鹿野郎ぉぉぉぉぉ!」
ドン、と地面が揺れた。
どうしてだか流れる涙が土煙りに消えて行く。
目の前には秀吉。
両手の拳がぶつかって俺と秀吉との真ん中で止まる。
それでもこのわからずやに痛い目を見せてやりたくて頭を振る。
がつ、とお互いが勢いをつけて振ったそれは拳と同じくやっぱり真ん中で止まった。
額が割れそうに痛い。
「…慶次。」
「ばかやろう秀吉。」
「慶次。」
「お前の言う強さがあるなら、」
俺が言う強さもあったっていいじゃねぇか。
俺はそれが強さだと思うんだ。
お前は弱さだと言うそれが強さだと思うんだ。
「泣くな慶次。」
「泣いてねえよ。」
ならば目の前に見えるそれは何だ。
秀吉が額を押して来る。
うるさいなあ。
俺だってわかんねぇよ。
「俺、お前が分かんないんだ。」
考えても考えてもわかんねェんだ。
あの頃は顔を見りゃ何でも分かったのに。
「…お前はひどく分かり易い。」
「半兵衛は分かってんのに俺が分かってないのが悔しいんだ。」
お前が俺を見ないから、半兵衛ばっかり側においてこんなに俺が叫んでるのに俺を見ないから。
ねねだって。
ねねは怒っていいのに。
泣いたっていいのにあいつ泣かないでさ。
お前の腕の中で死んでいって。
幸せそうに目を瞑って。
俺ばっかりお前達の事分かって無くて。
「慶次。」
「俺はお前達とずっとともだちでいたかった。」
分からなくったっていいんだ。
届かなくったっていいんだ。
お前の言う強さと俺が思う強さは違うんだって、それでもいいんだ。
本当は届けばいいと思っていたけど。
違ったって同じじゃなくたって色んな思いがあるってあの子が言ってた。
でも。
「一度にはつこいの人と、ともだちがいなくなって俺は…!」
「慶次。」
「秀吉、俺はお前と喧嘩しに来たんだ。」
腹を割って。
本音をぶつけて。
思い切り殴り合って。
それで分かるものが欲しかった。
お前ともう一度話しがしたかった。
「次が最後だ。」
俺、分かっちまったよ。
今まで分かろうとしなかった事が。
もう手も体も動かねぇや。
頑丈な体しやがって。
指だって変な方向に曲がってるし、足なんて立ってるのがやっとだ。
おまけに額は割れて血が出てる。
「この石頭。」
「…人の事が言えるか慶次。」
その血は俺の血だ。
岩頭が。
「へへへ、」
ふいに流れた風に桜が舞った。
涙が乾いた冷たい頬を撫でる温かい風だった。
そしてどこか懐かしい風だった。
合わさっていた額を離し揺れた体を支える右足を一歩。
秀吉が拳を握る。
俺も拳を握る。
風がうねりを上げて。
その後立ちあがった爆風は、俺達が殴り合った今までで一番大きなものだった。
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