俺が真樹緒から目を離したのなんてほんの僅かな間だったはずだ。
人が行きかう大通りを前に俺は立ち尽くす。
町の喧騒は己の呟きさえ消してしまいそうな程大きいのにどこか遠くの方で聞こえて頭が真っ白になった。
賑やかな城下は国が栄えている証拠。
そんな話をいつか真樹緒としたのを思い出しながら両手で顔を覆う。
右を向いても真樹緒はいない。
左を向いても真樹緒はいない。
名前を呼んでも返事は返ってこない。
「…じっとしてろって俺…言ったのに…」
馬を預ける間、良い子で待っててねって俺言ったのに。
すぐに戻って来るからねって言ったのに。
その時とってもいい笑顔でお返事をしていたのに。
もう、本当。
何であの子は。
あの子は。
「お母さんの言う事を一つも聞かないかな…!」
だん!と近くにあった門柱にこのどうしようもない気持ちを拳に任せてぶつけてみればみしりと揺れてわずかに傾く。
通り過ぎる町人達が肩を揺らし遠巻きにそんな俺を見ていたが気にしている余裕は無い。
「…風魔。」
傍にいるかと思って呼んでみたけれど風魔は現れなかった。
なら真樹緒と共に居るんだろう。
真樹緒が一人じゃないならそれで構わない。
これから向かう先は上杉謙信の屋敷で、その事は風魔も真樹緒も知っているしここは上杉の城下で危険なんかあるはずがないんだから。
「…なのにこの胸騒ぎは何だろう…」
このなんとも言い難い胸騒ぎは何だろう。
落ち着いてる場合じゃないぞと俺の不安を駆り立ててくれるこれは何だろう。
普通に風魔と真樹緒が上杉謙信の屋敷に向かっている想像が出来ないのは何でだろう。
嫌な予感しかしないのは何でだろう。
「…」
あの子ほんと変な事に巻き込まれてないだろうね。
他所様のお国にやって来てまで騒ぎを起こしてたらお母さん許さないよ。
親指を噛んで足を一歩踏みだした。
梵の名代で越後にやってきている以上、国主を待たせるわけにはいかない。
俺の無礼は梵の無礼、ひいては奥州の無礼だ。
大丈夫、落ち着け。
ここは危険な場所じゃない。
あの上杉が治める国だ。
民と国はそれを治める者の鑑。
風魔もいる、真樹緒は無事だ。
「…よし。」
喧騒をかきわけ早足で大通を抜ける。
向かうのは上杉謙信の屋敷だ。
目的を果たしてしまってから探せばいい。
そう思ってはいるけれど、俺の意思は弱く甘味屋の隣を歩けばふと目を泳がせてしまう。
ひょっこり真樹緒が出てこないだろうか。
声が聞こえてこないだろうか。
その椅子に腰かけて風魔と二人、甘味でも食べてやしないだろうか。
まだまだ寒いから温かい甘味を。
「あ、お焼きがある。」
そんなまさか、なんて首を振ってその甘味屋を通り過ぎようとしたら鼻をくすぐる匂いについに足を止めた。
店先から香るこうばしい匂いと甘い匂い。
一つずつ丁寧に焼かれているそれはお焼きで。
「…好きそうだなあ。」
あつあつの餡子のお焼きと、高菜が入ったお焼き。
真樹緒なら餡子を選びそうだけど。
隣でくつくつと音を立てている葛湯もいい。
春が近いっていうのに最近まだまだ寒くて。
体中があったまる葛湯は城でもよく飲んでいる。
「でも持ち帰るならお焼きかわらび餅だよね…」
さっさと真樹緒を見つけないとどちらも冷めてしまいそうだけれど。
個人的には甘酒が飲みたいけれど。
飲んでほっこり落ち着きたいけれど。
いや、落ち着いてる場合じゃないんだけどさ。
引き寄せられる様に暖簾をくぐる。
人のよさそうな女将が出迎えてくれた。
「持ち帰りたいんだけど。」
「はいはい、何に致しましょう。」
「えーっと…餡子のお焼きが三つに温かいわらび餅三人分、」
「冷めない様に温石お入れしておきますね。」
「わあ、嬉しいや。」
にこにこと笑って女将がお焼きとわらび餅を包んでくれる。
今日はお焼きがよく売れて、なんて些細な会話も上手くて人柄だなあなんて感心する。
客を待たせないところもいい。
「さっきも可愛らしいお客さんが来ましてね。」
お連れさんと二人、ああいや三人でそりゃあ美味しそうに食べてくれて。
「へえ、食べるのが楽しみだな。」
「わらび餅は黒蜜ときな粉をお好みでどうぞ。」
「ありがとう。」
頭を下げる女将に片手をあげて大通りに出る。
土産が出来た。
上杉謙信への挨拶が終わったら三人で食べよう。
きっと満面の笑顔で「ありがとうおシゲちゃん!」なんて言ってくれるだろう。
目に浮かぶ様だ。
まあその前に一つ二つおシゲちゃんから大事なお話がある訳だけど。
「さあ、行こうか。」
ふうと息を漏らせば目の前が白く曇る。
本当寒いやと首に巻いていた襟巻を引きあげた。
空気が澄んでいるせいか風が痛いせいか鼻がひくりと動いてたまらない。
もしかしたらうちより寒いのかもなあなんて冷え冷えする鼻の頭を撫でた。
上杉謙信の屋敷は城下を抜けた春日山の頂上にある。
天然の要塞、難攻不落と名高い名城だ。
それをこんな風に訪ねる事になるとはねぇ。
もう一度息を吐いてそびえる春日山を望む。
世が世なだけに、俺達だって刀を抜いて挑まなければならなかったかもしれない城に手土産持って参上する事になるとは。
分からないものだ。
声には出さず呟いて足を速めた。
真樹緒の事が気にかかっていたから早々に上杉謙信への目通りを済ませてしまいたかったのもあるけれど、どこか通りの奥の方からざわざわと人の騒ぐ声が聞こえて来たからだ。
喧嘩でもしているのだろうか、次第にその声は大きくなる。
そんなものに巻き込まれてはたまったものではない。
ちらりと声のする方向を一瞥し、踵を返そうとした時だ。
「うわあああああああん!!」
……
………
「…え?」
声が。
とても聞きなれた声が背後からこちらに迫って来たのは。
……
………
「え?」
待て待て。
ちょっと待て。
何なの。
何で真樹緒の声が聞こえるの。
絶対に関わらないでおこうと思っていた喧騒の方から何で真樹緒の声が聞こえて来るの。
他所様のお国にまでやってきてあの子何やらかしたの。
勢い任せに振り返る。
人をかきわけ声のする方へ。
一体何の騒ぎだと真樹緒を探せば。
「何でおいかけてくるん俺ちゃんとお断りしたやんー!」
うわーん!
何なん!
もうほんま何なん!
俺もうしんどい!
さっきから全力疾走しんどい!
しかもお焼き食べたばっかりやからよこっぱらが痛いんやけどうわああん!
「俺の話を聞いてくれってなあ!」
さっきから頼んでんのに何で止まってくれないかな!
あんたが逃げるから追いかけてんだよ!
その肩にいる子猿をこっちに渡してほしいんだってば!
「ゆめきちに何するき…!」
可愛い可愛いゆめきちになにするき…!
そんなおそろしい顔でおいかけてきて…!
「何もしないよ…!」
「うそやしー!」
「ああもう!」
参ったなほんと!
図体のでかい男が真樹緒を追いかけていた。
そんな二人を避ける様に人混みが開ける。
泣きそうな―というかすでに半泣きだ―の真樹緒は両腕の中に何故か子猿を抱きながらそれでも必死に男から逃げていて。
「手荒な事はしたくなかったけどさあ!」
そうも言ってられないみたいだね。
「悪いけど足止めさせてもらうよ!」
男が身の丈以上の大刀を振りかぶる。
ふわりと温かな風が吹いて顔の横を時季外れの桜が通り過ぎた。
……
………
「…はァ?」
え、ちょっと何あの男。
何うちの真樹緒に抜刀してくれてるの。
何うちの真樹緒を泣かせてくれてるの。
馬鹿なの。
喧嘩売ってるの。
買ってやろうか。
「真樹緒!」
「うえ…?」
息を切らせ足を縺れさせ走っている真樹緒の腕を取る。
そのまま背後に隠して刀を抜いた。
「おシゲちゃん…!?」
「隠れてな。」
風魔。
「(しゅた)」
「あれ何。」
真樹緒を追いかけてるあれ何。
お前が手を出さないところを見るとただの与太者って訳じゃないの。
まあそんなの俺には関係無いけど。
関係があっても関係無いけど。
あれにはお引き取りしてもらっていいんだね?
「(……こくり)」
「お前は真樹緒を守って。」
ぴりりと手に電流が走る。
青白い光が刀身で弾けて。
「ちょ、ちょっとちょっとお兄さん!?」
慌てた男が立ち止まる。
両手を高く上げて隙だらけなのを良い事に俺は刀を振りあげた。
その大刀を真っ二つにしてやるぐらいの気持ちがあったのは確かだ。
それを片手で止められたのが癪で目に入った横っ腹に思い切り踵を入れてやる。
「ぐえっ!」
蛙が潰れたような呻き声を出してよろめいた男をそのまま地面に踏みつけて顔の傍に刀を差した。
おシゲちゃん凄い!
そんな真樹緒の声が聞こえて気分がいい。
よく見ておいでよ真樹緒。
お前の敵はおシゲちゃんが討つからね。
「うちの子を泣かせた落とし前はつけてくれるんだろうね。」
「ちょっとちょっと!お、穏便にいこうよお兄さん…!」
「申し開きがあるなら聞こうか。」
「ご、誤解なんだってば!」
「言い訳は聞いてない。」
「ちょ!刀こっちに寄せないで!そこ首!俺の首!」
「うるさい。」
あ、真樹緒。
おシゲちゃんのその荷物の中にお焼きがあるよ。
餡子のお焼きとわらび餅。
お土産。
「えっ!まじでおシゲちゃんありがとう!」
うれしい!
お焼きとわらびもちうれしい!
「ちょっとあんた!頼むからこのお兄さん止めてよ笑顔が怖い!」
俺何にもしないから!
話だけでも聞いてくれよ!
頼むよ…!
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という事で襲われた慶次君でしたごめんね慶次君!
かといってお話が進んだかというとてんで進んでなくてすみませ…!
本当は謙信様のお屋敷で再開しようと思ったのですが、そうすると今回ほんと面白みも何もなかったので道端で再開させてしまいました。
書きなおしたら面白いかといったらそれはまた別のお話になってしまうのですけれども!
慶次君の誤解はこの後ちゃんととけるので次回の始めではみんなでお焼き食べてると思います。
慶次君の分はないけどきっとキネマ主が分けてくれるよ。
で、そんなお焼きが半分になったキネマ主にはおシゲちゃんがお焼きを半分こしてくれるよ。
更にお焼きが半分になったおシゲちゃんには小太郎さんがお焼きを半分こしてくれるよ親子ですね!
次回は謙信様のお屋敷でお仕事をするおシゲちゃんをよそに、慶次君とキネマ主が仲良くなるかと思います。
仲良くなって二人で大阪にくりだします。
あれまたこれ怒られますね!
でも多分今回は黙って行かないから大丈夫だと思います。
ではでは本日はこのあたりで。
最後までご覧下さってありがとうございました!
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