いつもより格段に温かい主の体をそろりと抱き上げて屋根を駆けた。
眠りに誘われた体は頼り無く、くたりと己の胸に寄り添っている。


「(…)」


その体を殊更大事に包み込み、赤く浮かび上がる厳島を背に常闇を走る。
波の音が響く中、空には満天の星が静々と煌めいていた。
手が届きそうだと、いつか主が言っていたのを思い出す。
あれが取れればとても綺麗なのにと。
けれどあの星というものは己達などの想像もつかない程遠くにあって、それは叶わないそうだ。
手を伸ばしたままそう言ってけらけらと主が笑ったのは、まだ奥州にいた頃の事だった。


「(…)」


宴の喧騒は既に静まり、その席にはあの小童しかいない。
刃を交えていた長曾我部は先の一撃を跳ね返した後仰向きに倒れて動かなくなった。

「あァあァ、飲み過ぎちまったか。」

そう言って何が面白いのか笑いながら己に片手を振ったが、暫くするとその手も止まり豪快な鼾が響いて。
居る必要が無くなった庭を後にし主の下に戻れば毛利の腹の上で上機嫌に。


「(……)」


僅か腹の奥にくすぶった物があった。
それが何かは分からないが、疼いた手を握り締め主の傍へ。
毛利は眠っているのか動かない。
手を伸ばせば主が首を傾げながら同じ様に手を伸ばし。
そのまま攫う様に抱き込んで闇を駆けた。


「ぬ…ん、…」
「(…)」


すでに夢見心地なのかうつらうつらと首を揺らして主が肌を寄せる。
春先とはいえ風が寒かっただろうか。
ふるふると震える長い睫毛をそろりとなぞり足を速めた。
主の室は東の海が見渡せる所にある。
毛利が用意した、朝一番に日が昇る一等の室だ。
それを聞いた主は早起きをするのだと張り切っていたが、この様子では叶わないだろう。
腕の中の温もりは熱い位で、その吐息は果実の様に甘い。
とろりとろりと溶けていた目は既に閉じられている。


「(…)」


酒に弱いのは分かっていただろうに。
以前に、もうずっとずっと以前にもあれ程己を困らせてくれたというのに。
己ばかりか伊達政宗やその右目、だれもかれもを翻弄したというのに。
あなたの危うさがどれほど己をくらりとさせるか知りもしないで。
恨めしげにじいと睨んでも、ふにゃりと頬が緩んだまま目を閉じる主が応える事は無い。
ああ、もうと。
出そうになったため息を噛み殺してそっと主を床に下ろした。


「ん…」
「(…、)」


その刹那、起こしてしまっただろうかと手を止めれば、主の腕が己の首に回る。
そのまま頬をすりつけて。




「…まさむね、さま…」




小さく、小さく主が囁いた。
消え入るようなか細い声で。
一時、体が固まる。
背筋が粟立った。


「ん…」


主が奥州を離れ、伊達政宗の元を離れたのはもう随分前の事だ。
奥州から甲斐、甲斐から近江。
そして四国中国へと長い長い旅の間、主は一言とて弱音を吐き出したりはしなかった。
いつも笑っている方であるから、そんな素振りなど露程も見せられた事も無かった。
そんなはずがある訳が無いのに。
政宗様政宗様と甘えた声で伊達政宗を呼ぶ主を知っているのに。
会いたいに違い無いのに。
なんと己は浅はかだったのだろう。

肌を寄せる主をそっと床に横たえてその頬を撫ぜた。
桃色に色づくそこはやはり温かい。
安らかなその寝顔が余計に己の無力さを痛感させる。
こんなにもお傍にいるというのに、主の願い一つすら叶える事が出来ない。


「ぬ、ん…?」
「(…)」


主がごろりと寝がえりを打った。
くしゃり顔を歪めそして不意に目を開く。
目が合う。
そう思ったたまゆらに、己は黒い羽を散らしていた。


「あ、れ…?」


ぬん?
まさむねさま…?
あれえ?
なんで。
うそ、やあ。


主の大きな目が見開かれる。
ぱちぱちと数回またたかれた後、首をかしげて。
ゆっくりと小さな手が伸びて来る。
やんわりと捕まって、先程とは逆の方向に首を傾げられた。

己はうまく化けているだろうか。
主の目に伊達政宗だと映っているだろうか。
少しだけでも、あなたの寂寞を埋める事が出来るだろうか。
仮初で偽物な己だけれども、今この一時くらいは。
主の心を慰める事が出来るだろうか。


「(…)」
「まさ、むね…さま…?」


首の後ろに回った手の力が強まった。
鼻と鼻が触れ合う距離で主が問う。
頷く事も首を振る事も出来ずにそのまま主の体を抱き寄せた。
目は合ったまま逸らせない。
濡れた唇は赤く、甘い匂いに頭がくらりとする。
まるで毒の様だ。
このまま少し顔をずらせば熟れた唇を捕まえる事が出来る。
ああ何をそんな恐れ多い事を。


「ぬー…ほんまに、まさむねさま?」


それなのに甘い匂いに誘われる。
甘く、熱く、赤く。


「(………は、)」


ゆっくり、ゆっくりと首を傾けた。
ああ何と浅ましい。
けれど体は止まらず。
そのまま主の吐息を食む様に。




「ぬん、こーちゃんやろう?」
「(っ!!)」




瞬間、変化が解けた。
黒い羽が部屋中に舞う。


息が止まって喉がこくりと乾いた音を立てた。
主の目は真っ直ぐに、無垢に己を捕え動く事が出来ない。
己の卑しい心根を見透かされてしまった。
見えない目を覗き込む主に会わせる顔など無く視線を逸らす。
体を離し、距離を取り、すぐに主の前から消えてしまおうと立ち上がれば。


「こーちゃん、こーちゃん、どこいくのん。」


まって。
ちょっとまってこーちゃん。
なんでそんなにしょんぼりしたままどっかにいこうとするん。
まって。


「(…、)」
「ぬん?やってこーちゃんおれとちゅーするんやろう?」
「(…!)」
「あれ?ちがった?」


やって、ほら。
すごいおかおちかかったから。
もうちょっとでちゅうするところやったから。
こーちゃんがなんでまさむねさまになってたんかは分からんけど、ぬん、こーちゃんはこーちゃんなんやから、おれ、こーちゃんのまんまでちゅうしたいな。


「まさむねさまのことはだいすきよ?」


ちゅーするんもすき。
やあやあ、ずいぶんあってへんけどね。
おれまさむねさまのことわすれたりなんかしてへんよ?
あいたいなーっておもうけど、もうすぐあえるから。
ちゅーかってもうすぐできるん。


「でもおれ、こーちゃんのこともだいすきなん。」
「(…)」
「やから、ねえ。」


こーちゃんとちゅうできるんやったら、こーちゃんのまんまでちゅうしたいん。


離れていた主がよたよたと立ち上がり、再び腕の中に収まった。
ぎゅうぎゅう力強い手で抱きこまれて身動きが取れない。
それでも酔っていて頼り無い体が力を抜くので支えながらそのままそこに膝を立て。


「こーちゃん。」
「(…)」
「こーちゃんは、ほら、おれのおよめさんやしね。」


おれはこーちゃんのおむこさんやしね。
ちゅーしたいなーっておもったらしてくれたらええんやで?
おれ、だいかんげいよ!
そう言って鼻の頭に唇を落とされる。


「ちゅー。」
「(…)」
「ほっぺたにもちゅう。」


頬にも小さな唇を落されて。
花の様に笑う主が花の様に甘い声で囁いて。


「こーちゃん、」


大きな目を閉じ、睫毛を震わせ、赤い唇をん、と突き出した。


ちゅうして。
さっきはおれからしたから、こんどはこーちゃんから。
そんな言葉で己を誘う。
こちらがとろけてしまいそうだ。
心地よい甘やかな優しさに、愛しさに、どろどろととろけてしまいそうだ。


「こーちゃん?」


まだ?


「(…)」


細い顎に手をかけた。
そのまま掬いあげて指の腹で唇をなぞる。
赤い唇はとても熱く、とても柔らかかった。
奪ってもいいのだろうか。
触れてもいいのだろうか。
迷えども、もう止まるには遅く。


「(あ る じ)」
「んん?こーちゃん?」


なんかゆうた?


「(…)」


己の全てはあなたのもの。
腕も、力も、体も、全てあなたのもの。
開こうとする主の瞼に口付けて、小さな唇にも口付けた。
甘い甘い酒の味がした。


「ん、…」


ゆるゆると熱い唇を舐めて。
火傷をしそうなそこを吸って。
そうしたら主の口が開くものだから、そのまま舌を温かいそこへ忍び入れた。


「あ…こー、ちゃ」
「(…)」


柔らかい舌を絡ませて。
撫でて、擽って。


「は、ふ…」


悪戯に小さい舌が逃げるのを捕まえる。
主の奮える手を握り締め一層に舌を舐めた。
それに応える主がいじらしく。


「…こーちゃん。」
「(…)」
「おわり?」
「(こくり)」


これ以上は。
これ以上はとても己の身が持ちそうにありません。
気をどこかにやってしまいそうです。
ぶくぶくと溺れてしまいそうです。


「ぬー…」


ほんならおれがさいごにちゅー。


「ちゅ!」
「(…………、)」
「こーちゃん?」
「(…)」



ちゅう。



「ぬん!こーちゃんのかわいいちゅう!」


やっぱりおれももういっかいちゅーう!


可愛らしい音を立てて顔中に唇が降って来る。
体重をかけられて腹に乗られてしまえば、長曾我部や毛利の二の舞で。
ああ、己は主を床に寝かせる為に来たのに。
ゆっくりと休んでいただくために来たのに。
倒された体は起き上がれずにいる。
ぐりぐりと首元に顔をすりつけられてしまえば逃げる事などどうあっても出来ず。


「ぬふふ!」
「(…)」
「やあやあ、おれ、めがさえちゃったー。」


ぬーん。
ちゅーしてたらめがさえてもたん。
もー、こーちゃんがあんなちゅーするからー。
おとなのちゅーするからー。
おれ、どきどきしてもうたやん!
もうせきにんとってね!
せきにんとっておよめにもらってね!

ぬ?
あれ、こーちゃんがおよめさんやったっけ。
やあやあほんならおれがせきにんとってけっこんしきやね!


「(…)」
「ぬふふ。」


きっと夜が明ければ何を言ったかなど覚えておられないだろう。
いつものようにこーちゃんこーちゃんと己を呼ぶのだろう。
ああけれどそれを思うにも嬉しくて仕様が無い。
主の頭をそろりと撫でる。
やはり花が咲いた様に笑うものだから今度は頬をくすぐって。


「こーちゃんこーちゃん。」


すこやかなるときもー、やめるときもー。
ずーっとずっと、おれのおよめさんになってくれますかー。


最早恐れ多いと悩む事すら諦めて、そして頷いて。
独り占めた体を抱きしめた。



夜はまだまだ明けない。
明日には明智光秀から小言が飛ぶだろう。
けれど離れ難く、その温かさと面映ゆさに己の身を任せた。


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小太郎さんのちゅー魔でした…!
あれでも、あんまりイチャイチャしてない、だと…?(どきどき)

小太郎さんはキネマ主の事がとっても大事だけれども、自分が忍びだという事もちゃんと弁えているので、キネマ主に触れるのを少し怖がっている感じです。
自分がキネマ主からとーっても大事にされている事をまだちょっと納得していないので、政宗様の姿であればキネマ主にちゅーしても大丈夫だろうと打算がありました。
(でも政宗様に変化したのはキネマ主のためを考えたからですよ!)
でもばれていてびっくりして、変化がとけてしまったのですけれども。
酔っ払っているけれども違いは分った見たいですキネマ主。
でも当然、キネマ主は小太郎さんの事も大好きなので、小太郎さんの心配はモウマンタイなのですが!

お久しぶりのヨメムココントでしたが、やっぱりキネマ主夜が明けたら何にも覚えていないかと思います(笑)
さてさて次回はやっとこ帰還編。
でもちょっと厳島でお土産におにぎり食べながら二日酔いのくだりをやってからになると思います。
ようやっとの四章クライマックス、どうぞ最後までお付き合い下さいませ。

ちゅー魔、ご覧下さってありがとうございました!
  

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