「私と真樹緒の関係ですか。」
盃に注がれた酒を傾けた。
とろりと口の中に広がる苦みに肩の力が抜ける。
隣で笑う鬼とちらりと視線を寄越す毛利、そしてもう一度盃に目をやりため息を一つ。
そんな大層なものでもありませんがと前置いて笑って見せた。
設けられた宴の席は緩やかに始まった。
次々と運ばれてくる佳肴に目を輝かせた真樹緒と坊やが目の前で騒いでいるのが見える。
そう言えば随分と長い間諸共に。
遠くない一頃を思う。
ほうと一息吐いて盃に映る己と目を絡めた。
「真樹緒は元々伊達の子ですよ。」
「何…」
「私が拾って俘虜にしたのです。」
鬼からお聞きになったと思っておりましたが。
以前今川で戦があったのはあなたもご存じでしょう毛利。
その時に独眼竜を追って戦場にやって来た真樹緒を鎌にかけました。
そうしてそのまま屋敷に連れ帰り俘虜に。
けれどまぁあの通り、随分肝の据わった俘虜でして。
まんまと私つまされてしまいましてね。
あれの身の振り方についてそのまま伊達からのお迎えを待っても良かったのですが、運悪く私が信長公に謀反した潮時と重なり。
私を追って来た帰蝶…魔王の奥方に追い詰められ逃れるため真樹緒と、その忍びと共に海へ身を投げた訳です。
助かる手段が他に無かった訳ではありませんが、止むを得ず。
「海へ身を投げた後はゆらゆらと小島に流れ着き、鬼に助けられた次第です。」
ええ本当にあれは運が良かったとしか思えません。
今思い返しても薄ら恐ろしい。
切れる程に冷たい水の温度、真っ暗な闇、ひくりとも動きやしない隣の子供。
重い体に遠くなる意識。
思い通りにならない水底で感じたのは恐怖。
驚くほどの恐怖。
目を覚まし隣に眠る真樹緒を見た時どれほどに安堵したか。
盃に映る己の顔は歪んでいる。
過去など振り返った所で何も得るものなど無いというのに。
「貴様が生に執着あるとは思わなんだわ。」
「私が執着しているのは真樹緒ですよ。」
生ではありません。
「…ほう、?」
手を止め振り向いた毛利が意味あり気に相槌を打った。
酒を傾け目を細めこちらを見る。
それに喉を鳴らし鬼からの酌を受けた。
「私あの子が大事なんです。」
今頭の中にあるのはあの子をどうやったら無事に甲斐まで送り届けられるかそれだけで他の事には興味が無いんです。
いつの間にやら私から死神のお株を奪ってしまった真樹緒を守る事で頭の中は一杯なんです。
どれだけ無様に足掻こうと、どれだけ体裁悪く醜態を晒そうと、真樹緒が無事でいれば笑っていればそれでいいんです。
あの子は私の中の何かを変えてしまった。
私を形作るものになってしまった。
「くっくっく、何たってかーちゃんだからなァ。」
「随分腑抜けたものよ。」
「ふふ…人らしくあるでしょう。」
羨ましいですか。
人に戻った私が。
「あなたこそ、真樹緒に興味がおありで?」
懐かれていた様ですが。
私や鬼がおらぬ間に一体何があったのやら。
人らしくあるのはあなたも同じではないのか。
含めて返せばついと目を逸らす毛利に笑う。
「ふん…我と真樹緒の密事よ。」
「…おやおや。」
すっかりお互い様ですねえ。
今度は鬼に酌をして小さく肩をすくめた。
豪快に酒を煽る鬼がやけに面白げにいるのにため息を吐く。
いつもいつも、いつも。
この男は。
「鬼、何か言いたい事でも?」
「あん?何にもねぇぜ?」
お前がやけに素直だろうが、毛利が真樹緒に懐柔されようが。
何せ酒が美味くてよ。
気分が良くもなるってもんだ。
「…白々しい男よ。」
「全くです。」
「何とでも言いやがれィ。」
笑いをかみ殺す鬼にやはり溜息を。
肩を竦め盃に口をつける。
相変わらず極上品の酒は熱く喉を通り過ぎた。
図らずも楽しんでいる己に苦笑いが漏れる。
毛利が国に戻り、四国と中国の同盟も成った。
真樹緒の中の憂慮も消え去っただろう。
ならば次の目途は甲斐。
甲斐へは鬼の船で戻る手筈になっている。
「鬼、」
「あん?」
「四国から甲斐近辺までどれ程で着くでしょう。」
言えば鬼が意表を突かれた様な顔をして酒を傾けるのを止める。
折角の酒を台無しにしたかと思えど、浮かれてばかりはいられない。
私には焦る理由がある。
再び公の追手が迫っていないとも限らない。
そしてそれにも増して懸念する事がある。
「気が早ェな。」
「気にかかる情勢がありますから。」
「豊臣か。」
「ご存知で。」
「ふん、抜かり無いわ。」
毛利が眉を顰めた。
己も同じ顔をしているのだろう。
四国へ戻り、鬼から聞かされたのは豊臣の噂だった。
あの覇王が重い腰を上げ進軍に乗り出したと。
先頭に立つのは軍師竹中半兵衛、その名の通った智将。
「東に向かっているそうです。」
大阪城から東、そこにあるのは。
「徳川と伊達か。」
「甲斐に控えていた独眼竜がこの情報を知らないはずはありません。」
そのまま甲斐に留まってるとは思えない。
真樹緒の安否は心懸かりでしょうが、それでも一国の主。
自国の守りを固める為奥州へ向かっているでしょう。
徳川を破られれば進軍を許してしまうのだから。
けれど。
「その足、豊臣に追いつかれなければいいのですが。」
独眼竜とその右目は手負いではありませんが、私独眼竜の兵を一個隊程蹴散らしてきましたので。
奥州への道は長い。
歩む足取りも遅鈍となりましょう。
「で?」
「何です。」
「お前は一体何を企んでんだイ明智。」
「…、」
楽しげに肘を立ててこちらを見る鬼と目が合った。
にやりと意地悪気にいるのが忌々しい。
聞かずとも分かっているでしょうに。
気を酌む度量もあるでしょうに。
態々口を割らせようとする鬼に眉を上げる。
「私、独眼竜へ真樹緒を届けたいんですよ。」
多少危険があろうとも。
あなたが船を出して下さるというのなら、航路は甲斐の方から伊達軍が歩んだ道なりに独眼竜を追う様に。
「ふうん?」
それで。
「……あなた素敵な船をお持ちじゃないですか。」
あの。
どうやって造ったのか思いもよらない程の大船が。
それに少し厄介になろうと思っていたのですが。
都合が悪いのなら構いませんよ。
ええ、構いませんとも。
期待などそんなまさか。
送り届けて下さるだけで感謝しております。
船路はあなたの思うままに。
「くっくっく、そう拗ねんなよ。」
「拗ねてなど。」
「お前等を乗せる船は富嶽だ。」
もう決めてある。
すぐにだって出航出来らァ。
酒を豪快に煽りけらけらと声を上げて鬼が笑う。
見透かしていたくせにいけしゃあしゃあと。
子供の様なしてやったり顔で。
ああ、と。
何て面倒臭い男だろうかと肩を落としため息を吐く。
今度は喉を鳴らす様に笑う鬼を小さく睨んだ。
「明智。」
「何です毛利。」
「見送りぐらいなら我も行ってやろう。」
「…」
「…」
「は?」
「あ?」
鬼と同時に顔を見合わせる。
綽々とした顔で酒と肴を煽る毛利をじいと見て、またちらりと二人顔を見合わせた。
聞きましたか鬼。
あの毛利が。
おうおう聞いたぜ。
いつの間にこいつはこんなに丸っこくなっちまったんだァ?
「真樹緒には世話になった故な。」
あれは面白い。
可愛げもある。
戻る場所があるというのなら手を貸してやろうと思うたまでよ。
「…まさか毛利の水軍をお貸し頂けるとは思ってもおりませんでした。」
かの水軍ならば百人力。
長曾我部と毛利が同盟を組んだなど知りもしない輩には過ぎる程の脅威でしょうよ。
「白々しいわ貴様。」
我は水軍を出すなどと申しておらん。
ただの見送りよ。
違えるな。
「けどんな事言って水軍出すんだろ?あんた。」
真樹緒が危ねぇ目に合うかもしれねぇんだもんなあ。
丸腰っつー訳にはいかねーだろ。
随分なご執心ぶりじゃねぇか。
「最後の切り札をはなから堂々と出す貴様にだけは言われとう無いわ。」
我の足手纏いだけにはなるな。
海賊共の為に裂く駒など無い故な。
「…」
真樹緒の何が毛利の琴線に触れたのかは分からない。
冷徹無情の智将が何を持ってこれ程機嫌が良いのかも不明で。
真樹緒を中心に紡がれた奇妙な縁が輪を為す。
ぐるぐるぐるぐると絡まって。
不思議な子だと思う。
どこまでも。
「ま、俺はちィーと惜しいけどな。」
「…鬼?」
「帰しちまうのがよ。」
お前と真樹緒、それからあのおもしれぇ忍をな。
に、と鬼が笑う。
屈託の無い顔で。
「いっその事、お前等纏めて鬼のモンになってみねェかい。」
ああ勿論独眼竜へ挨拶は忘れちゃいねぇ。
一筋縄ではいかねぇ猛者だろう伊達政宗ってのは。
一度遣り合ってみてェと思う。
俺は海賊、勝ったらあいつのお宝は俺のもんだよなァ?
「…なんてな。」
「…冗談が過ぎますよ鬼。」
ふいと視線を逸らした鬼が酒を煽る。
とうに一升を超えた酒に酔っているのかと嘆息した。
相変わらず笑ったままでその真意は分からない。
ただ言葉端に見える欲ははっきりと。
「お前は俺と独眼竜、どっちが強ェと思う。」
「さぁ…あなたが独眼竜と遣り合おうがあなたの勝手ですが。」
恐らくそんな暇ありませんよ。
真樹緒と独眼竜の再会はそれはそれは感極まるものでしょうけれど、私と独眼竜の再会はそれほど穏やかなものではありません。
それこそ殺し合いですよ。
あなた船が壊されない様にとっととお逃げなさい。
「…お前本当一体何したんだよ。」
「独眼竜の寵児を独眼竜の目の前で斬りつけた挙句その身を攫ってあまつさえ謀反の巻添えまでくらわせたんですよ。」
何度も言っているでしょうに。
ご存知無い様なので申し上げておきますが、私初めからあの子の母であった訳じゃありませんよ。
忘れておられるかもしれませんが、実は母でもおかみでも無く明智光秀なんですよ私。
「…人とは変われば変わるものよ。」
「全くです。」
まあそのままそっくりその科白あなたにお返ししますが。
ごくりと酒を飲みほして、何度目か分からない酌を受ける。
己も思ったより酔っている様だと首を振って真樹緒を見た。
先程からそわそわとこちらを窺っていたあの子は一体何をしているだろう。
普段遠慮などしないくせに妙なところで気をつかって。
もぐもぐと料理を食べていた坊やは放っておいても構わないけれど、忍の気配が無くなった今そのままにしておくのはやはり。
毛利へと作った握り飯も毛利と共にと、まだ食べてはいない。
そろそろ拗ねているのではないかと顔を上げた。
そうしたならば。
「ぬーん、むさし君もういっかいちゅー。」
「しかたねーなー。」
ほらこっちこい。
「んんんー。」
ちゅっちゅっちゅー。
「きーすんだか?」
「まだ。」
ぜんぜんまだまだ。
まだまだちゅーするん。
こんどはね、ちがうちゅーしよう。
こうやってした出してね、ぺろってやるんやで。
まえにまさむねさまとやったん。
ちょっぴりくすぐったいけどちょうきもちええん。
むさし君もすきになってくれるとおもう!
ぬん!
「した?」
「ぬん、した。」
ほら、べーって。
むさし君しただして。
べー、やで。
べー。
「べ、」
「ぬん!」
やあやあそしたらちゅーしましょ。
ちょっとおとなのちゅーしましょ。
おれむさし君の事だいすきやから!
「ちゅー。」
させて堪るものかと、立ちあがろうとした矢先に今まで気配の無かった忍が坊やに大手裏剣を投げた。
僅かな殺気を含ませて。
行き場を失った私の手は宙を舞いふるふると震えている。
あの子は。
あの子は一体何を。
明らかに酔っていますね誰です真樹緒に酒を飲ませたのは。
今なら素手でさえ坊やを仕留める事が出来そうですよと頭を抱えた。
羽目を外すのも好い加減にしなさいよ。
何をへらへらへらへらと笑いながらこちらにやってきているのか。
「ふふふふふ。」
いい度胸です真樹緒。
そのままこちらへおいでなさい。
さあ早く。
その可愛らしい顔が笑っていられなくなる程に酔いを覚まして差し上げましょう。
「…成程、飽きぬ者共よな。」
「毛利この野郎、お前もこっちきて明智止めるの手伝えってんだ。」
「何故止める。好きにさせれば良いではないか。」
……
………
「……毛利。」
「何ぞ。」
「あんたも大概酔ってやがるな?」
「ふん、貴様らに付き合うておると酒が進んで敵わぬわ。」
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ちゅー魔まで行きませんでした明智の光秀さんがキネマ主の事をずっと大好きだと言っているだけの回でしたね…!
しかも何という説明回!
本当はキネマ主がちゅーしかけにいくはずだったのですがすみませ(汗)
しかもまた後半にむさし君とキネマ主がいちゃいちゃしてますしね!
わたしむさし君大好きなんです。
べろちゅーに挑戦したのですが未遂に終わりましたそこまではお母さんのお許しもお嫁さんのお許しも出ないよ。
そして24でもちょっこり呟いた感じですが、何となく元親さん→おかみに読めなくも無くてすみません。
でもあれなんですよ。
元親さんは皆そろってお気に入りなのでみんな揃って自分のものにしたいのですよ。
でもキネマ主にはなんか独眼竜がくっついてくるらしいので、ちょっと相手になってやろうかなって思ってます。
ちょっとしたフォロー…!
次回はやっとこ明智の光秀さんとちゅーへ。
今回明智の光秀さんがひたすらデレたので次はキネマ主視点で。
よっぱらいなので怒られてもめげないよ!
ではでは最後までお付き合い下さりありがとうございました!
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