どさりと、屋根から雪が落ちる音が聞こえた。
ちらり障子窓から外を見ると落ちた雪が山になって光っている。
視線を上げれば軒下の氷柱は鋭く地面を目指して。
透明なそれは日を浴びてとても雅やかだ。
奥州の雪もそろそろ解け始めただろうか。
春はもうすぐそこまでやってきている。
信玄公の立派な庭では梅の蕾が綻んで、あと少しすれば可愛らしい花が咲くんだろう。


火鉢の炭が音を立てて崩れた。


温かい茶を啜って一息。
目の前には寛いで肘を立てる信玄公。
湯気の向こう、俺は真っ直ぐにその目を見る。


「さて、伊達の三傑が儂に何用ぞ。」


穏やかに穏やかに言って甲斐の虎は口元を緩めた。
俺がここにやってきた原因なんてとっくに知っているだろうに何とも読めない方だ。
小さく息を吐いて、笑う信玄公にこちらも少し口角を上げ「お聞きしたい事が」と居住まいを正す。


「真樹緒の事で。」


真樹緒を最後に見送ったのはこの信玄公だと聞いた。
以前、そう梵が盟を組むため訪れた際恐れ多くも懇意にして貰っていたと言う。
あの通りの真樹緒が信玄公に対してどんな態度かだったなんて考えるのも恐ろしいけれど、今回快く迎えられたのだからそんな心配は無用かもしれない。
豪儀な方だと、噂は奥州まで届いている。


そんな信玄公がどうして真樹緒を戦場にやってしまったのか。
いくら風魔が従じていたとしても。
そこは余りにも危険で、血生臭く。



信玄公、貴方は案じませんでしたか不安を覚えませんでしたか。
あの子に、真樹緒によもやの事が起こるかもしれないと。
戦に巻き込まれやしないかと。



「くっくっくっ、」
「…信玄公?」
「いや、すまぬ。」


真樹緒から聞き及んでおった三傑とは似つかぬ面持ち故、ちいと驚いたまでよ。


「は…?」
「三傑は怒るとそれはそれは恐ろしいと、」


真樹緒が申しておった。
頭から角を出し、こちらが根を上げても容赦が無いと。


「…あの子は、」
「面を会わせて見れば誠、良き奥州の母よ。」


信玄公が笑う。
笑われた俺としては目を見開くばかりで、あの子は甲斐の虎の前で何て事を言ってくれているんだろうと頭を抱えた。


どんな話をしたの。
分かってるなら勝手に城を出て行くんじゃないよ。
奥州のお母さんなんて、真樹緒ぐらいしか呼んで無いじゃない。
ああ全くもう。
他所様の御館様に何を言っているの。
少し長めのため息を吐いて、一口茶に口をつけたのは照れ隠しだ。


「あ奴はのう、」


幸村を、佐助を、優しいと言って泣いたのよ。
信玄公が俺に言い聞かせるように言った。


「え…」
「伊達と明智浅井が戦火を交えたと知らせが入った折、あれの目が揺れてな。」


それを見て佐助と幸村が駆けた。
無論伊達からの援軍要請など入ってはおらん。
それは奴らも承知の上よ。
真樹緒の首は頷かせておったがのう。


信玄公が肘を変えて楽しげに言った。


「だが真樹緒は己一人でここに留まるのは嫌と言う。」


あれの心はすでに戦場におる伊達軍、ひいてはそれを追った幸村佐助の元に。
心を決めた真樹緒に止めいと言えるか伊達の三傑よ。


「切欠を与えたは儂。」


その事実に悔恨の意、甚だ無し。
しかし主らには憂慮な思いをさせた。
真樹緒は先の戦で明智光秀の手の内に倒れたと聞く。
その明智も立場危うく、真樹緒は未だ戻らぬ。


「信玄公…?」
「申し訳のう思う。」


両膝に逞しい腕を乗せ、首を垂れた信玄公に一瞬体が固まる。
ついさっきまで寛がれていた信玄公が粛々と俺に頭を下げて。
下げて――って…



「っ信玄公!!」



頭を…!
弾かれた様に膝を立てた。


信玄公から謝罪を頂くなどまさか思っていた訳では無く、ただあの子の真樹緒の様子が分かればと。
苛むつもりが無かったとは言い切れない。
どうして真樹緒を止めて下さらなかったのかと、貴方がおっしゃられればもしかしたら止まったかもしれないのにと、恐れ多くも恨み事を噛み締めた時。
けれどあの真樹緒なら止めた所で、駄目だと言い聞かせた所で、引きとめるなんて事が出来ないと思ったのも事実で。


けれど俺は。



「怖くて堪りません。」



震えた声に信玄公が顔を上げた。
未だ膝立ちのまま所在なく揺れる手を握り締めて再び腰を下ろす。
言い淀んでいる俺を促す様に、静かに静かに信玄公が腕を組んだ。


「真樹緒が、いなくなってしまうのが。」


無茶をしてよもやの事が起こってしまったら。
目の前からいなくなってしまったら。
俺はそれがとても怖い。
真樹緒が倒れる所をその目で見た梵の事を考えると胸が締め付けられる。


「あの子は、特別なんです。」


俺達の。
奥州の。
梵の。


「心配をするのは…間違っていますか。」


何も小鳥の様に囲っておこうなどとは思っていない。
閉じ込めて自由を奪うつもりもない。
ただ大事にしたいだけで。
けらけらと笑う声がいつも傍で聞こえていれば、そして梵がその隣で同じ様に笑っていればそれだけで。


上を向いて目を閉じる。
ああ駄目だ。
堪えろ堪えろと言い聞かせたのに、目の奥が熱い。



「真樹緒に何かあったら俺は…」



小さく息を吐いたのと同時に温かい物が頬を伝う。


梵と真田殿はどうなっただろう。
お忍び君と風魔は近江で何か見つけられただろうか。
皆が留守の間、放っていた忍からはまた嫌な知らせが入った。
ああ、もう。
何もかもうまく行かなくて。
俺は何も出来無くて。



「誠、お主は優しき奥州の母よ。」



何も焦る事は無い。


……
………


え?


いつの間に近づいたのか信玄公は俺の目の前僅か三寸程にいて、がしりと俺の頭をその逞しい片手で掴む。
そして潰されそうな程の力でわっさわっさと撫でられた。



……
………



…え?



あれ何。
これ一体何。
何で俺信玄公に頭撫でられてるの。
泣いたから?
俺が失礼にも信玄公の前で泣いたから?

あれ?
俺、信玄公に慰められてる?


いやいやいやいや。
真樹緒じゃないんだから。


「信玄公…?」
「真樹緒程強い者もおらぬ。」


己の意志は真っ直ぐに、それに負けぬ働きぶり。
あれはただ気勢のみで動いておる訳では無い。
お主らの事も深く考えていよう。
その様な真樹緒が、お主らを悲しませる事があろうか。
未だわっしわっしと俺の頭を混ぜている信玄公は大きな声で、そんな事を言って笑う。


「お主が信じてやらぬと真樹緒はどこへ戻って来ればよい。」
「あ…」


そんな信玄公に俺の力が抜けて。
体の力が全部抜けて。



気付けば涙は止まっていた。



「分かっているんです。」


俺だって。
あの子が、武将ですら無いあの子がどれほど強くあるかぐらい。
けれど本人が分かっていなくて。
分かっているんだけれど分かっていなくて。
俺は真樹緒が思っている以上に真樹緒を心配しているっていうのに分かっていなくて。
俺はそれがもどかしくて。


「その涙をあれに見せてやってはどうか。」


ならば少しは落ち着くやも知れんぞ。


「御冗談を。」


母は言う事聞かない子を叱り飛ばすのが役目なんですよ。
目じりに残っていたものを指で弾いて小さく笑う。


ああよかった。
平気だ。
大丈夫だ。
腹の奥底につかえていたものが綺麗に解けて無くなって行く。


信玄公はやはり大きな方だった。
何も、案じる必要など無かった。
大丈夫だ。


「直に幸村らも戻ってこよう。」
「ええ、うちの忍も。」


そして真樹緒も。


立ちあがった信玄公に深く礼をし頭を下げた。
ありがとうございます信玄公。
梵を、伊達を、真樹緒を、本当にありがとうございます。
笑ってばかりの信玄公から返事は無く、庭を臨むその大きな背に俺は静かに頭を下げ続けた。



「顔を上げよ三傑の。」


戻ってきよったわ。


「ええ、賑やかですね。」


すぐ近くから足音が聞こえる。
聞きなれた声は梵で。
小十郎がそれに続き。
共に戻ってきただろう真田殿からは甲斐のお忍び君の名前も聞ける。
ああなら、うちの子とうちの忍は。



「えっ、伊達サンが大将の部屋に!?」


ちょまじで辛抱堪らなくなって殴り込みとか!?
うっそ大将だよ!?
ああでも伊達さんだったら何かやりそうだよねうっわ怖い。
俺様これから真樹緒の事報告しなきゃならないってのに!
かすが!お願い先行っててよ。
俺様とてもじゃないけどそんな伊達さんに真樹緒の報告なんてできないって。


「押すな馬鹿者!」
「Ah―!?猿てめぇ真樹緒と風魔はどうした!」
「近江に真樹緒殿の姿は無かったのか!?」
「あー…だからそれ話せば長いんだよねー。」


色々あってさー。
てか旦那や独眼竜の方こそどうだったの。
そっち。
織田信長と明智光秀が対峙してたんじゃないの?
何か明智光秀近江に戻って来てたんだけど。


「Shut up!!明智の名は出すんじゃねぇ!」
「政宗様、一体何が。」







どたどたどたとこちらに近づいてくる沢山の足音。
ここを目指しているんだろう待ち遠しくて気が逸る。
けれど。
あれ何か聞き捨てならない科白が聞こえた気がしたんだけれど俺の気の所為かなぁ?
真樹緒の報告?
何の事。
一緒に戻ってきてるんじゃないの。




「…三傑よ、」
「信玄公、今から俺は奥州のお母さんです。」



奥州のお母さんおシゲちゃんです。
くれぐれも口出し無き様お願いいたします。
いいですか。
俺、容赦なんてするつもりはありませんから。



「大将、失礼します。」


猿飛佐助、只今戻りました。


「お館様!幸村もここに!」


背後でゆっくりと開いた扉、同時に俺も振り返る。


「げっ!!」


なんて聞こえて来た声は誰のものかなんて別に気にならない。


さあ、梵。
さあ、真田殿。
さあ、甲斐のお忍び君。


「お帰り。」


詳しい話を聞かせてもらおうか。


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ちょびっと抱えてたものを吐き出しちゃったおシゲちゃん。
おシゲちゃんは奥州の平和と政宗様の幸せを一番に考えています。
そしてキネマ主の事も一番に考えています。

泣いちゃったおシゲちゃん。
でも今後絶対奥州家族の前では泣かないよ。
お館様が後からこっそりキネマ主に教えてあげてたらいいです。

でも次はお母さんなおシゲちゃん。
やっとこ皆帰ってきました…!


  

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