真樹緒と名乗った餓鬼は、馬鹿なぐらいに真っ直ぐな目を持った餓鬼だった。
真っ直ぐで、無垢で、じっと見つめれば飲み込まれてしまいそうな深い黒目は、揶揄とは言え明智光秀を切り捨てた俺に二の句を継げさせなかった。


「明智の光秀さんおふね乗ったらあかんの?」


なんで。


深い意味など無いのだろう。
そのままの意味なんだろう告げた餓鬼の言葉は俺を大いに驚かせ、大いに胸を騒がせた。
そして真樹緒はあろう事か乗船を突っ撥ねたこの俺に「ありがとう」と礼を言い、更には明智光秀を、あの死神を!大事だと言って笑う。
俺の目の前にいる明智光秀は魔王を裏切った明智光秀とは違う明智光秀なんだそうだ。
俺と明智光秀の縁はこれから始まるんだそうだ。


何を馬鹿な事を。


明智光秀は誰でも無い明智光秀自身で。
その手に染み着いた血の臭いも、おどろおどろしく体にまとわりついている瘴気も無くなりはしない。
死神の通り名は誇らしげに奴を飾りつけ、主を裏切ったその不名誉はこれからも奴の後をついて回るだろう。


それなのに。
餓鬼の目はやはり真っ直ぐで俺を見据えた。
綺麗事などでは無くただただ無垢に。
それでいて何か文句があるなら言ってみろと、凄まれている様だった。
だがそれが可笑しくて可笑しくて仕様が無かった。
この戦国の世でそんな夢物語の様な事を本気で考えている奴がいたのかと、嬉しくて仕様が無かった。


「変わった餓鬼だぜまったくよゥ。」


船は順調に砦に向かっている。
風は追い風、波も穏やかだ。
この分なら日暮れ前には四国を見せてやれるだろう。


海風を受けながら、甲板に座り込んでいる真樹緒を見る。
横には真樹緒の手先を覗き込むように蹲った忍が時に頷き、時に首を振って二人は何とも楽しげだ。
船に乗るなり「おくすり分けてほしいん!」と船医に詰め寄った真樹緒は明智光秀と忍の手当てをしたいのだという。
当の本人共は構わないと首を振ったが、真樹緒は頑として譲らなかった。
すぐさま船医の薬箱から薬草を選りすぐり、「ちょっと待っててねすぐおくすり作るから!」とそれはそれは眩しい笑顔を振りまいて、さっきから懸命に薬研を引き続けている。


「………」


……
………



腹痛の薬草を。



あいつァ、薬師なのか…?
どこをどう見たらその様に見えますか。


傷の手当てにと腹痛薬をすり潰す子ですよ。



「…」
「…」



隣で同じ様に真樹緒を眺めていた明智光秀と視線を交わし、静かに目をもう一度真樹緒にやった。


「こーちゃん後もうちょっとやから待っててね!」


あとこれすり潰して良い感じにしてきれいな布にくるんでね。
それを傷口にぬったら血も止まるし治りも早くなるんやで!
何でかこれちょっとぱさっとしてるけど俺、いっしょうけんめいすり潰すから!


「(が ん ば っ て)」
「ぬん!」


ありがと!



……
………



えれーやる気なんだが。
「…忍、あの子気付いているのに止めない気ですね全くどれだけ主に甘いんでしょう本当にあの主従は。


甘んじて腹痛薬を傷口に塗られる気ですか化膿しても知りませんよ。
心ばえは酌みますがそれで得られる物は何もありません。
全くあの主従は。



呆れた様な怒った様な声で呟く明智光秀を他所に例の主従は楽しげだ。
片や「ぬんぬんぬんぬん」と鼻歌交じりで何の疑いも無くその腹痛薬をすり潰し、片やその鼻歌に肩を揺らし。
たまに手を滑らせ忍に心配されているのが微笑ましい。


「健気じゃねェか。」


心意気も申し分ねェ。
「ふいー」と額の汗をぬぐい自信ありげに忍に笑って見せた真樹緒はそりゃァいじらしく。
忍と纏めてあの辺りに漂っている花でも咲きそうな雰囲気も、この船では常ぞ見られねぇもので面白い。
遠巻きに眺めている野郎共の顔が緩んでいるのも頷ける。


てめぇ明智光秀。
お前はあの和みきった二人の間に割って入れんのか。
あんな得意気な真樹緒にお前はあれが腹痛の薬草だと言えるってのか。
俺にはとてもじゃねぇがあいつらを泣かせる様な真似はできねェぜ。


私は言えますよ。


あれに、真樹緒に間違った事を教えるのは私の本意ではありません。
私の目の届く内であれを調子に乗せるなどという事も許しません。


それにあなた西海の鬼。
真樹緒と忍が事実を聞かされて泣くような子だとお思いですか。
前にも申し上げましたがあれを、更にはあの忍を甘やかし過ぎると痛い目を見ますよ。


……お前ァ、苦労してんだな。
「ご理解下さったなら口出しは無用です。」


そう言って明智光秀があくまでも無表情で(僅か呆れたようなため息が聞こえたが)真樹緒の所へ歩いて行く。
それが殊の他可笑しく喉を鳴らした。
仲ァいいんだなぁとその明智光秀の背中に声をかければぴたりとその歩みが止まって。


「ええ、仲がいいんです。」


羨ましいですか。


……
………



「お、」



冷やかしてやったはずなのに一本取られてしまった。
何だそんな顔も出来るんじゃねぇかこの野郎。
口元を小さく上げ俺を流し見た明智光秀はどこか楽しげに、また踵を返して真樹緒の所に行ってしまう。


「真樹緒、」
「あれ、明智の光秀さん。」


ぬん?
どうしたん?
あにきと何やお話してたんちがうん?
俺、傷によく効くおくすり作ってるんやけどまだもうちょっと時間かかりそうなん。
こーちゃんと明智の光秀さんの傷とっても痛そうやからなるべく早くって思うんやけどちょっとこの薬草いつもと違う感じで。
ごりごりごりごりすり潰しても全然しっとりした感じにならんくってー。

何でやろう。
ふしぎ。
いっつもやったらそろそろ良い感じになるころやのに。
ぬーん。
もうちょいお待たせしてしまいそうー。
ごめんねでもがんばるから!


「…忍、」
「(………ぷい)」

あなたあれだけの目にあってよく懲りませんね。
「ぬ?」


何のおはなし?


首を傾げた真樹緒の正面にしゃがみ、薬研の中の薬草をひとすくい。
指先についたそれを真樹緒の鼻先につけて明智光秀がため息を吐く。
俺はもう笑うしか無く、それでもあいつらに気付かれねェ用に腹を抱えながら。


「真樹緒。」
「?はい?」
「あなたが先程から懸命にすり潰しているのは血止薬でも鎮痛薬でも無く腹痛薬です。」


山査子です。
薬効は健胃と整腸です。
どれだけすり潰したところであなたの言う良い感じになる訳は無く、更にはそれを傷口に塗りつけられても効用は得られません。


……
………


ぬーん!!


えええ…!
まじで…!
何それまじで…!


お、俺これどくだみかと、お、思ってこれ…!
お医者のじっちゃんどくだみはよくすり潰して傷口にぺとっとくっつけたら消毒になるよってゆうてたから俺。


山査子です。
さんざしって何それ聞いた事も無い俺…!


明智の光秀さんさんざしって何…!
てゆうか俺が一生懸命すりつぶしてたあの時間何やったん結構長い事やってたよ!
ぬーん!


お、俺がんばってたのに!
ひどい。
さんざしひどい…!


「…全く、」


そんな事だろうと思いましたよと、言いながら明智光秀は真樹緒を撫でた。
わなわなと手を震わせて明智を見上げる真樹緒は何とも言い難い表情で。
暫く明智を睨んだかと思えば力無く俯いてしまう。


「…俺、頑張ったのに。」
「何事にも懸命なのはあなたの美点です。」
「でもまちがってたもん。」
「間違ったのならそれを繰り返さぬ様に正しい事を覚えればいいでしょう。」
「…明智の光秀さんあきれてたやん。」
「手のかかる子程可愛いなどと刹那でも思った己に呆れたんですよ。」


ほら顔を上げなさい。
手当をして下さるのでしょう。


「…」


これから新しい薬草用意してたらもっと時間かかるけど。
ぬん…待っててくれる?


「…」


真樹緒がそう言うのなら。



……
………



近江のお母さん…!!


すき…!
だいすき…!
俺がんばる!!


はいはい分かりましたから離れなさいそこは傷口です。



首に抱きついてきた真樹緒をあしらい立ち上がった明智は、それでも真樹緒に好きな様にさせながら髪をかきあげ振り返った。
どうです。
泣く様な玉では無かったでしょう。
そんな声が聞こえて来そうな程清々しい一瞥を寄越してくれる。



「くっくっくっ。」



嗚呼、俺ァなんて面白いもんを拾っちまったんだ!
船べりにもたれ空を仰ぐ。
眩しい日の光に向かって笑い飛ばした。


「はーっはっはっは!」


それに驚いた真樹緒が振り返り、明智が面倒臭そうに睨んできたが構わずに。
息が切れる程笑ってやった。



そうして目を細めて耳を澄ます。



なあなあ明智の光秀さんあにきどうしたん?
放っておきなさい、鬼の考える事など私達には到底計り知れませんよ。
ぬん。
…こーちゃんこーちゃん、あにき…
(ふるふるふるふる)
ぬーん…
ええの?
何か楽しそうな事があったみたいやけどほっててええの?
ちょっと気になるけど。
ぬん…
俺ほんなら、ちょっとさっきの船医さんのとこに行ってくる。
一人で行けるんですか。
だいじょうぶ!まってて!


見なくても分かる光景にまた笑いが込み上げる。
平和だねぇとこの戦国の世に有るまじき台詞は口の中で噛み殺し。



「すげェな明智、近江のお母さんよゥ。」


あっという間に収拾しちまったじゃねぇか。
見事なもんだ。


「…あなたの母になった覚えはありませんが。」


手のかかる子は一人で、…いえ二人で十分です。


「くっくっくっ。」


風は順風。
空は快晴。
波は平穏。
もうすぐ四国が見えて来る。


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母子のきずなを確かめただけの話になってしまった…!
明智の光秀さんが言う手のかかる子二人はキネマ主と小太郎さんです。
近江の母さんは小太郎さんのお母さんになった覚えはありませんが、キネマ主といると小太郎さんも手がかかるので何となく面倒を見てしまうかんじ。
キネマ主のためなら腹痛の薬を傷口にだってぬっちゃうよ。
ぜひあれは「はらいたのくすり」と読んでいただきたいです。

あ、そしてそして。
小太郎さんはキネマ主と約束したのでもう絶対に明智さんにクナイを投げません。

ニルのアニキは必要な戦はするけれども、戦自体はこの世に無用と思っています。
人はもっと分り合えると思っています。
自分一人が思ってるだけでは何も事態が動かない事を知っているけれど、事態を動かしそうなキネマ主を見てちょっとテンション上がってる感じでお願いします。
でもニルのアニキ笑ってばっかり…!

  

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