森を抜け、山を越え、近江に入り、人が住む集落を避けた山間に、ひっそりと明智光秀の屋敷があった。
すでに屋敷の主は本能寺へ発っていたのいたのか気配は無い。
それどころか忍が潜んでいる様子も無ければ、女中が働いている様子も無い。
気味悪いぐらいに静かに屋敷はあって、一体何の前触れなのかと背中を冷たいものが走る。
こんなところに、本当に真樹緒はいるんだろうか。
幹を揺らし屋根へ潜み、真樹緒の気配を探る。
先に到着している風魔の気配と共に。
小さくて、温かくて、柔らかいあの気配はどこだ。
光の様に眩しく、包み込むようなあの気配はどこだ。
目を閉じ闇の中へ一歩。
指の先から足の先、全身を使って。
見つけたそれは久方ぶりで。
「はは…」
涙が出そうだった。
顔を両手で覆って空を仰いで。
そうしなければ抑えること事が出来ない何かが溢れてきそうだった。
自分はこんなにも脆いものだったのかと込み上げてくる物を耐えた。
震える全身を抱えて「見つけたよ旦那」と小さく。
見つけた。
生きてた。
生きてた…!!
「ああ…!」
もう、本当にあの子は!
真樹緒は!
暗闇の中蹲って、手を伸ばせば真樹緒に触れられるところにまでやってきて。
さぁ、どうしてやろうか。
驚くだろう真樹緒を思いきり抱きしめてやろうか。
それとも甲斐のお母さんはお母さんらしく叱り飛ばしてやろうか。
ぐるぐるとまだ落ち着かない頭の中をどうにか平静に、黒い煙と共に姿を現わせば目の前に風魔にくっついて俺を見上げる真樹緒が。
その顔を見てしまえば中々どうして、込み上げるものだとか、感慨だとか、沢山沢山あったのに。
「さっちゃ…!」
そんなものと全部をとっぱらって真樹緒の言葉をさえぎってしまったのは、図らずも俺が甲斐のお母さんに馴染んでしまっているからとかそういう事なんだろうと思う。
「真樹緒、」
「ぬん…」
「大事なお話があるからちょっとこっちにおいで。」
「ぬーん…!!」
さっちゃん顔は笑ってるけどでも何や雰囲気が笑ってへんよちょう怖い!!
目の前で、風魔の膝に座って俺の顔色をうかがっている真樹緒に笑顔で手招きをすればびくりと肩を揺らして風魔の首に抱きついた。
風魔に頭を撫でられながら恐る恐る俺を見る真樹緒の名前をもう一度呼ぶ。
「真樹緒。」
おいで。
さっちゃんお話あるって言ってるだろ?
何をそんなところで震えてるの。
おいで。
俺様、真樹緒とお話があるんだよ。
俺からは動かず、黙ってじっと待っていたというのに真樹緒は風魔を見て、俺を見て、背後のかすがを見て、また風魔にくっついた。
「…真樹緒、」
まったくこの子は!
俺のこめかみがひくりと攣ったのは、溜息を吐いたかすがと俺から視線を外さない風魔にしか知られていないんだろう。
「…ふうん。」
「ひう!」
じゃぁ、仕方がない。
一向に埒が明かないのなら仕方がない。
風魔から離れるつもりが無いなら仕方がない。
「ねぇ、風魔。」
「(…)」
あんたと俺の馬が合わないのは知ってるよ。
今までだって、これからだってそれは変わらないんだろうけどさぁ。
真樹緒を大事に思っているって所は同じだと思う訳だ、俺様。
今回の件であんたが真樹緒を心配していた様に、俺だって心配してたんだぜ。
そりゃぁもう、旦那でさえ知り得ないぐらいにね。
「まだ手が震えてるんだ。」
「(…)」
だからあんたみたいに抱きしめたいと思う。
けれどそれ以上に俺様さぁ。
甲斐のお母さんとしてこう、腹の底から沸々と湧き上がるものがあるんだよね。
そういう俺の心情を踏まえてあんたにお願いするよ。
「真樹緒貸してくれない?」
「(…)」
そろそろこの笑顔も限界なんだよねー。
あははー、俺様結構気は短い方でさぁ。
風魔をじっと見る。
笑顔のまま、じっと見る。
「(…)」
「こ、こーちゃん…」
「風魔。」
お願い。
ここで甘やかしたらまた無茶するよこの子は。
あんたそれでいいの。
ただでさえあんたは真樹緒を叱ったり出来ないでしょ。
そういうのは俺様と伊達さんに任せときな。
だからほら。
目を逸らさずに手を差し出して無言のまま暫く。
「(……)」
……
………
「(ぽん、)」
「こーちゃん!?」
ええ、何そのあきらめた方がいいよ的な手…!
い、いっつもやったらこーちゃんさっちゃんとシュシュシュッってやり取りがあるところちがうんまじで…!!
優しげに肩をたたいてくれてるけど俺まだちょっと覚悟が出来て無いってゆうか!
心の準備も始まって無いってゆうか!
さっちゃんちょう怖い笑顔で待ち構えてるんいつものさっちゃんやないん…!
「(…)」
「へ?」
「(…、)」
「か、い、の?」
「(……)」
「は、は、ゆ、え?」
ぬーん!!!
そうやけど!
さっちゃんは甲斐のお母さんやけど!!
まさかこーちゃんからそんなツッコミを貰えるとは思ってへんかったってゆうか!
俺こりつむえん!!
「か、かすがちゃん…」
ぬん、俺のたのみはもうかすがちゃんだけ。
たすけて。
甲斐のお母さんちょう怖い。
こーちゃんの後ろにいるかすがちゃんを振り返ったんやけど。
「……お前は一度痛い目を見た方がいい。」
「ぬーん!!」
「流石、話が分かるねー。」
かすがも風魔も。
「さっちゃん…」
半分泣きながら俺を振り返った真樹緒にはやっぱり笑顔を返して、伸ばしていた手をぎゅうと握る。
黒い煙が真樹緒を覆えばすぐに。
「捕まえた。」
「ぬん…!」
風魔の膝にいた真樹緒は俺の膝の上に。
小さな体を腕の中に閉じ込めて。
「さぁ、詳しく話を聞かせてもらおうかなぁ。」
「さ、さっちゃん…」
でもまずはお仕置きだよ。
「お、おしおき…」
にっこり笑って額と額をくっつけて、今にも泣きそうな真樹緒に頷く。
「何危ない事してるのもう、本当にこの馬鹿!!」
ゴスッ!!!
「にょぉぉぉぉ痛い!!!」
そして目の前にある可愛らしいおでこに頭突きを一発。
お忍びさっちゃんの本気を込めた一発をお見舞いして騒ぐ真樹緒を黙らせた。
額からしゅうしゅうと煙の上がる真樹緒を倒れないように抱きとめる。
さぁ、真樹緒。
痛がっている暇なんて無いからね。
甲斐のお母さんの話は始まったばっかりだよ。
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今回は少し短め。
小太郎さんはお忍びさっちゃんには風当たりが強いですが、お母さんなさっちゃんの気持ちは酌んでくれると思うのです。
かすがちゃんは自分が何っても聞かないので、一度怒られた方がいいと思っています。
愛はあるのですよ…!
佐助さんは実はすごく心配していました。
政宗様の手前、顔には出していませんでしたが。
前回ひょっこり出てきましたが、佐助さんもある意味感動の再会だったのですよ。
次回は甲斐のお母さんとお話。
そして明智さんサイド、政宗様サイドへと続きたいです。
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