名探偵真樹緒の秘密めもだという見た事の無い文字で書かれたそれを眺め、込み上げたのは愛しさだった。
「真樹緒。」
「うん?」
「…sweet」
「政宗様?」
真樹緒を膝の上に乗せ、柔らかな髪を撫で、時折「くすぐったいってゆうてるやん」等という可愛らしい小言に素知らぬ顔をし、俺の至福は続いている。
温かい体はどうにも離れがたい。
抱いているのは俺だというのにまるでこちらが抱き込まれているようだ。
たまらず華奢な肩に額を擦り付けるとやたらと甘い匂い包まれた。
くらくらと頭の芯が蕩けそうで、腹の底に燻り続けている思いがじわりじわりと粟立つ。
とても顔中に口付けるだけでは足りなくなる。
愛しい。
いつの間に己はこんなに欲深くなったのだろう。
いつの間にこの腕に抱くだけでは物足りなくなったのだろう。
ただの餓鬼だと追いかけ回したあの時の事を思い出すと苦笑しか出ない。
「…真樹緒。」
「はい?」
小十郎は森の中で突然に出会ったと言う。
何を聞いても要領を得ず、こことは違うどこかからやってきたと、不安げに目を揺らしたと言う。
気の毒な程に眉を下げ、小十郎に手を伸ばしたという。
「政宗様?」
「……」
なァ、真樹緒。
こことは違うどこかとは一体どこだ。
「聞きたい事がある。」
「うん?」
俺を見上げる真樹緒に、言いたくなければ言わなくても良いと前置き、あらわになった額に口付けた。
なぁ、真樹緒。
ずっと思っていた事がある。
「お前がいた場所の事だ。」
こことは違うどこかの事だ。
お前が自分から言い出さないものだから、このままお前を己の元に置いておいて良いのだと、理由も無い自信が俺を慢心させる。
けれど同時に、言葉にし難い不安も常に持っている。
真樹緒、真樹緒。
sweet
お前、そこに帰りたいと思わねえのか。
今まで奥州で、俺の側で暮らす中で、一度もそう思った事は無いのか。
聞きたくても聞けない言葉を飲み込んで、何でもない素振りで呟いた。
「俺がおったとこ?」
「ああ。」
「んーっと、ねー。」
口元に手をあてた真樹緒が首を傾げる。
右に左にゆらゆらと。
動く小さなつむじに顎を乗せてやったらぴたりと止まり、大きな目をきょろりと泳がせて俺を見上げた。
俺の心中を知りもしない真樹緒の無垢な目が今ばかりは少し恨めしい。
「俺がおったとこは戦国時代と違ってな。」
平和なんやで。
戦とかは無いん。
ご近所さんとは仲良しやし。
家からは山が見えてやぁ、春になったら桜が満開になるん。
お花見シーズンには大人気スポットでな、俺らも兄弟三人でようお弁当持って近くの土手に繰り出したなー。
「兄弟がいるのか。」
「あれ、ゆうてへんかった?」
「初耳だ。」
楽しげに、まるで目の前にその光景が見えているかの様に真樹緒が笑う。
その眩しさに思わず目を細め、小さな腰に回した腕に僅か力を込めた。
嫉妬など。
この俺がまさか。
「あんな、お兄と俺と妹の三人兄弟なん。」
おとんとおかんは仕事で外国におるんやんか。
やからずっと三人暮らしなん。
ご飯とかはお兄が作ってくれてるん。
昔、俺とか妹がちっちゃかった時はお兄すごいやんちゃしててなー、家とか帰ってけえへんかったから俺と妹が作っててんけど。
今は毎日作ってくれてるんやで。
やんちゃは高一で卒業したんやって。
お弁当も手作り!
「お弁当持って学校へ行くん。」
「学校?」
「んー、皆で一緒に勉強するとこ。」
一日の大半は学校で過ごしてるんよ。
お弁当はお昼ご飯で、天気が良かったらお外とか屋上にくり出したりしてね。
午後は専らお昼寝タイムー。
お腹一杯になったら眠くなるんはしょうがないよねー。
勉強なんてやってられへんよねー。
家帰ったらお兄や妹が「お帰り」ってゆうてくれるんやで。
ちょう幸せな瞬間ー。
「真樹緒。」
「ぬん?」
「…兄弟の事は好きか。」
「大好き!」
当たり前やん!
迷い無く答える真樹緒に俺よりもかと浅ましい事を考え又腕に力がこもる。
引きつった指は固くなったまま動かない。
みっともない嫉に腹が粟立つ。
なぁ、真樹緒。
そんな風に笑うお前だからその兄や妹に愛されていたのだろう。
ここでいるのと同じように。
日々笑顔を振り撒いて。
それならば真樹緒。
「そこに帰りたいか。」
「…へ?」
二人が待つ現代とやらに帰りたいか。
言ってしまった後、喉元に残ったのは僅かな後悔。
聞かずとも分かっている事なのに。
苦笑いも気恥ずかしく唇を噛み締める。
「政宗様?」
そして、小さな体を抱き締めた。
愛しい愛しいと思いの丈を込めて。
もぞもぞと動く真樹緒を閉じ込める様に。
「真樹緒。」
「…どうしたん?」
なぁ、なぁ、政宗様。
急にどうしたん。
真樹緒の声が心地よく、返事もせずに目の前にある柔らかな髪に口付けた。
「真樹緒。」
「…そんな小さな声で呼ばれたら俺、何や切なくなるやん。」
そんな悲しいお話してた?
俺、大事なお兄と妹の事政宗様に聞いて欲しかっただけなんやで。
帰りたいとか、そんなん思ってたんは一人ぼっちやった最初だけで、こじゅさんに会って、政宗様に会って、お城におる内にそんな気持ちふっ飛んでしまったんやで。
「政宗様。」
「…」
「あのね、政宗様。」
聞いてる?
ほらちゃんと顔上げて俺の目え見て。
真樹緒の小さい手がぺちぺちと俺の頬を叩く。
その頬を優しく包まれれば、少し目をつり上げた真樹緒と目が合った。
怒った様な困った様な顔の真樹緒は「しっかり聞いてな」と目をつむり深く息を吸い込んで。
「俺ね、政宗様の事大好きなん。」
いっつもゆうてるのに伝わって無かった?
ゆっくりと開いたその目は俺の目を真っ直ぐに見据えはっきりと。
俺がその言葉にどれ程驚いたかなんぞはお構いなしに。
「今、俺のおうちはここなん。」
奥州やで。
なぁ、政宗様ちゃんと聞いてる?
俺今とっても大事なお話してるんよ。
確かにな、俺ここにどうやって来たんかも分かれへんし、(やぁ多分あの桜の木やろうけど)どうやって帰れるんかも分かれへん(やぁ多分あの桜の木見つけやなあかんのやろうけど)けど、もし今元おったとこに帰れるでって言われても俺帰れへんよ。
「…真樹緒。」
「俺がここにおりたいん。」
もっと政宗様のそばにおりたいん。
こーちゃんやおシゲちゃんとおりたいん。
こじゅさんや鬼さんとおりたいん。
さっちゃんやゆっきーとのまた会おうねってゆう約束もまだ約束のまんまやで。
かすがちゃんの恋の行方も気になるし。
何より政宗様これから明智の光秀さんと戦って時に何言い出すん。
あ、何やちょっと腹立ってきた俺珍しく!
何のための名探偵真樹緒なん。
や、別に明智の光秀さんの事無くても帰らんけど!
「政宗様は俺に帰って欲しいん?」
「…んなわけ…」
「ぬ?」
「んな訳ねぇだろ…!」
「わあ!」
腕の中の真樹緒を思い切り抱き締めた。
苦しいと言っても離さず更に力を込めて。
帰って欲しいだと。
何を言っている。
手離してたまるかと醜い感情を押し殺し日々を過ごしているのは誰だと思っている。
お前は俺の、この伊達政宗のものだといつだって叫んでやりたいと思っているのに。
「真樹緒。」
「はい?」
「俺の側にいろ。」
出来る事ならこのままいつも。
「はい。」
こちらこそ。
こちらこそお願いします。
ここにおらせてな。
政宗様のとこにおらせてな。
聞こえる声はいつも通り温かく甘ったるく俺を安堵させる。
懸念など必要無いと慰められる。
「なあ、なあ政宗様。」
「どうした。」
「政宗様は俺の事好き?」
今更何を言っている。
お前は何にも代えがたい俺の唯一。
愛している。
「…ああ。」
「ぬん!俺も!」
耳元でくすぐったそうに笑いながら真樹緒が言った。
あれ程己の内を侵食していた黒く澱んでいたものはいつの間にか姿を消し、俺は今言い様の無い幸福に包まれている。
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政宗様の不安編でした。
政宗様は初めこそ気にしませんでしたが、段々とキネマ主が大事になってゆくにつれ、何だか不安になっていたのです。
キネマ主は今を全力でのほほんと生きているので、深く考えてはいないのですが(笑)
3兄弟の過去は詳しく話があったりするのですが、さらっと読み流して下さると幸いです。
次はやっとこ遠征です。
さっちゃんやゆっきーとまた会います。
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