好きになってしまった。俺は自分より七つ上の職場の先輩のことを、好きになってしまった。でもこの人は俺のことなんて眼中にない。分かりきっていることなのに。

「苗字さんは彼氏とかいるんですか」
「いるって言ったら、そんな目で私のこと見るの、やめてくれる?」
「どんな目ですか」
「『苗字さんのことが、好きでたまりません』っていう目」
「しょうがないでしょう、好きなんだから」
「白布くんはもっと、賢いんだと思ってた。ほら、名前『賢二郎』だし」
「なんですかそれ、意味わからないんですけど」
「それが好きな人に対する態度?」

白布くん、今日はとってもおしゃべりだね。

そう言ってふにゃりと笑うから、だから俺は、苗字さんへの想いをうまく断ち切れない。少しの間もきっと、今の俺には耐え切れない。というか、俺の名前、知ってるのか。

「白布くん、人気あるのよ。それこそ同期にほら、あの、かわいい子、いるでしょ?」
「知りませんそんなの」
「白布くん、かわいい子好きでしょ?」
「俺が好きなのは苗字さんです」
「私かわいくないでしょ?」
「苗字さんはかわいいしキレイです」
「それはどうも」

フロントガラスを不規則に伝う雨。ガラスの上でじっとしていた粒が、上から伝ってきた雨とぶつかって一緒になって下へと落ちていく。

どうでもいい人の名前なんて覚えない。少なくとも俺はそうだ。同期だから、覚えるとか、そんなことない。社会人としてまずいんだろうけど。

それにしても、苗字さんはどこまでも掴み所がない。俺はなんだって、この人の事が好きなんだろうか。「人気あるのよ」って、なんだよ。そんなの全然、嬉しくない。

「白布くんも、かわいいしキレイだよ」
「全然嬉しくありません」
「そっか。私のこと、嫌いになった?」
「いえ好きです」
「私、白布くんより瀬見くんの方が好みだな」

瀬見、の名前を出された瞬間、俺は驚くほど動揺してしまった。冗談だとしても、嫌だ。すごく嫌だ。なんだ、この嫌悪感。このまま、苗字さんのこと嫌いになれそう。

「どこがいいんですか、あんな人の」
「瀬見くん、私のこと好きだって言ってきたの」
「は?」
「結婚してるのにね」
「それ、最低じゃないですか」
「私、不倫平気よ」
「最低ですね」
「うん、嫌いになった?」
「いえ」

瀬見さんは俺の一つ上の先輩だ。一応、先輩。既婚者が何やってんだ。いや、これ本当なのか?苗字さんが適当なこと、言ってるんじゃないのか?

さっきからずっとついているはずのラジオからは、何が聞こえてきているのか分からない。

触れようと思えば触れられるし、キスしようと思えば簡単にできる。でも、できない。こんなに近くにいるのに。

馬鹿にしていた。彼女と遠距離になった途端別れてしまった友人のことを。教師に気持ちを寄せていた隣の席の女子のことを。気持ちと物理的な距離は関係するのか。上手くいくはずがないと、ハナから分かっている相手を何故好きになるのか。距離が離れれば気持ちも離れるのか。報われない恋をするなんて時間のムダだ。そんなことを他人事のように思っていた。でも、そんなに簡単なことではないみたいだ。


「名前、呼んでくださいよ」
「白布くんの名前なんて知らない」
「さっき言ってたじゃないですか」
「知らない」
「名前さん」
「私の名前、知ってるのね」
「瀬見さんの名前は知ってるんですか」
「英太でしょ」
「名前さん」
「けんじろうって、言いづらい」
「名前」
「白布くん、英太と仲良くしないとダメだよ」

知りたくなかった、こんな気持ち。


ぜんぶ嘘でいいのに

20171003


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