夕暮れ。 日が傾き、空が橙色に染まる頃。 城の湯殿は賑やかな声で溢れている。
「あー!もう!政宗様動いたらあかんやん!」
背中洗われへんやろー! もー! じっとしとって!
「くすぐってぇんだから仕方ねぇだろ。」 「一生懸命背中流してるのに何ていいぐさー。」
笑わんとってくれるー。 もー。 ええもん。 政宗様がそんなん言うんやったら俺こじゅさんの背中流してくるもん。 たくましー背中流してくるもん。 こじゅさんやったらじっと動かんとおってくれるんやから!
「って事でこーじゅさーん!!」 「なっ!wait真樹緒!!」
途中で放り出すんじゃねぇ!! 次は俺が洗ってやるって言ったろ!
「政宗様すぐ変なとこ触るからいやー。」 「…政宗様。」
あれ程。 あれ程真樹緒はまだ子供です故と申し上げましたのにまだ懲りておられぬのですか。 いい加減に致しませんとこの小十郎、流石に堪忍袋の緒が切れますぞ。 成実の耳に入ればあれもいよいよ黙っておりません。
「(…)」
もうもうと白い煙が上がる湯殿の屋根は足元が少し温かい。 橙色から紫に変わる空を見ながら、今日も何と平和であった事よと思い小さく息を吐いた。
主が湯殿に向かわれたのは夕餉の後すぐの事だ。 一人で入られる方が稀な主の今日の湯の共は片倉小十郎と伊達政宗で、「背中の流しっこするん」ととても楽しげだった。 現に聞こえてきた主の声は今までとても機嫌が良かったのだが、どうやら伊達政宗がその機嫌を損ねてしまったらしい。
とは言え。 きゃぁきゃぁと怒っているような、それでいて楽しそうな。 片倉小十郎と伊達政宗の言い合いの間から聞こえてくる主の声に思わず口元が緩んだ。
「おら、真樹緒!」
こっちに来やがれ!
「ぬー!」
やぁ政宗様お湯かけんとってー! 俺こじゅさんに背中洗ってもらうんやから! 政宗さまはひとりであらったらー。 やって俺洗ったらこちょばいんやろ!
ぬーんだ!
「政宗様!湯殿で走ってはなりません!」
真樹緒てめぇもだ! 転んでも知らねぇぞ!
「やって政宗様おいかけてくるんやもんー!」 「Ha!俺から逃げれると思ってんのか!」 「真樹緒!政宗様!」
いい加減にしやがれてめぇら!!
「にょぉぉぉ!」 「shit!真樹緒!」
「(…)」
片倉小十郎の一喝が聞こえた後、計ったかのように大きな水音が湯殿に響いた。 主に大事ないかひょいと格子戸から中を覗いて見れば、主と伊達政宗が二人揃って大きな湯船の中に沈んでいる。 奥州の父はそれ見た事かという様な顔でため息を吐いて。
「もー…政宗様が追いかけてくるからやで。」
こじゅさんには怒られるし。 お風呂には落ちてまうし。 もう。
ぷくりと膨れた主は濡れた前髪をかきあげながら隣の伊達政宗を可愛らしく睨む。
「Ah―…」
睨まれた伊達政宗はそんな目に怯む事もなく髪を纏めながら主を可笑しそうに見ていたがふと、意地悪気な顔が急にあの。 主を甘やかす、主を慈しむ、主を愛おしむ眼差しに変わり。 濡れた主の頬をすいと撫ぜ、額に張り付いた髪をよけ。
「Sorry sweet…」
口付け。
「(…)」
すると膨れていた主の頬が見る間にしぼみ、花咲く様な笑顔に。 一時照れたように赤くなって日輪の様な笑顔に。
「しゃあないなぁ政宗さまはー。」
そんな事を言いながら大人しく伊達政宗に手を引かれて湯船から上がられる。 何ともあっさりと機嫌が直ってしまった主に喉が鳴るのは己のみで。 上がった所目の前に待ち構えていた片倉小十郎に主は伊達政宗共々小言を貰い、体が冷えぬ内にとすぐさま湯船に戻されて賑やかな湯浴みのひと時は過ぎて行った。
空はもう暗闇に包まれている。 星と月が瞬き、明日も晴れるのだろうと予感させた。
「(…)」
本日、湯から上がった主は自室には戻られない。 このまま伊達政宗の元で夜を過ごされる。 伊達政宗の溜まっていた政務が漸く完了したのだ。
少し静かになった湯殿を離れ屋根を駆けた。 主と伊達政宗が戻るまでに部屋の無難を確かめねばならない。
「(…、)」
夜。 他愛も無い話をし、絵巻を開き、伊達政宗の胸に抱かれ主は眠りにつく。
決して主より先に寝入ったりしない伊達政宗が、主の眠った後愛しげにその寝顔を眺めているのを知っているのは己だけだ。 そしてその寝顔に、何かを囁きながら口付けをしているのを知っているのも己だけだ。 囁いているのは異国の言葉で何を意味するかなど己には計り知れないが、くすぐったそうに身をよじった後主が相変わらず幸せそうな顔をするので、それはそう言う事なのだろう。 屋根裏を見上げ口元に指を立てた伊達政宗は笑っていた。
「政宗さまーご本読んで!」
今日はこれ。 猫がお化けになるお話。 鬼さんに貰ったん。
「分かった分かった。」
ほれ、こっちに来い。 湯冷めするだろう。
「うい!」
床に入った主と伊達政宗を確かめ気配を消した。 伊達政宗がちらりと屋根裏を見上げ主から「おやすみこーちゃん」と声がかかる。 それに灯明の火を消す事で応え、行灯の明かりだけの仄暗い部屋では本を読み上げる伊達政宗の声だけが響く。
偶に主が笑い、伊達政宗がそれに応えているがやがてそれも止み、物語の最後に辿り着く前に主はあれよと夢の中へ誘われてしまう。 その後は例の、もはや日常となっている「儀式」で。
小さな寝息を聞きながら穏やかに夜が更ける。 朝、主が起きて再び「こーちゃん」と名を呼ぶまで、静かに静かに夜は更けて行く。
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小太郎さんの観察日記でございました! お付き合い下さってありがとうございます。 リクエスト下さった方への御礼はあとがきにて。 本当にありがとうございました!
おまけとして。 朝の風景(笑) おシゲちゃんからお届けものです。
「真樹緒。」 「ぬー…」 「真樹緒。」 「むー…」 「真樹緒、成実から何か届いてるぞ。」 「おシゲちゃん!?」
ええまじで。 やぁやぁ、おシゲちゃんからお届けものってまさか。 もしかして。
「Ah?何か心当たりあるのか?」 「ぬんぬんぬんぬん。」
こら、聞けよ。
「ふぉぉぉぉぉぉ!!」 「何だぁ?」 「皆のお揃いほっかむりー!!」 「Ah?」
ほら見て政宗様! ほっかむり! おシゲちゃんの手作り!!
話せば長くなるんやけどー。 おシゲちゃんが作ってくれたんやですごい!
「ほっかむり?」 「政宗様は龍やで龍。」
こう、お空に昇るかっこういい龍! みて!
「ほう、よく出来てんな。」
ほかにもあるん。 ほかにもあるんやけど…!
「ぬううううう。」 「真樹緒?」 「俺ちょっとおシゲちゃんとこ行ってくるー!!」 「What’s!?」 「おシゲちゃーん!!!」
だだだだだ!
…… ………
「……風魔。」 「(しゅた)」 「一体あれは何事だ…」
おい、俺との朝の挨拶より先に成実んとこに行きやがったぞ。 この腕のやるせなさは何だ。
「Goddam…!!!」
お粗末さまでした!
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