朝。

小さな体を更に小さく折り曲げて床に就いていた主がもぞりと起き上り、未だとろりとした眼のまま誰にともなく「おはよーございます…」と呟いた。
ぐらぐらと揺れる頭は気を抜けばすぐにまた床に倒れてしまいそうで思わず笑みが漏れる。
目を擦って可愛らしい欠伸を一つ。
手を組み伸びをするのは毎朝の日課で、やっと覚めてきたらしい目が大きく瞬いた。


「ぬー…」


未だ肌寒い早朝、奥州は快晴。
今日も主の一日が始まる。


「こーちゃーん。」


顔を洗い、髪を整えいつも通りの元気な主が己の名を呼んだ。
天井を見上げ「朝やでー」と笑う。
その笑みに誘われるように下りて行けばぎゅうと細い腕に捕まり。


「おはよ。」
「(ぺこり)」
「今日もええ天気やねぇ。」


首元が柔らかく温かいもので満たされる。
そのまま背中をゆうるく撫でれば腕の力が強まって、暫く額をぐりぐりと己の肩口に擦りつけていた主から朝餉の誘いがかかるのだ。


「今日のご飯は何やろー。」


楽しみやねぇ。

てくてくと歩きながら主が言った。
主の朝餉は伊達政宗の自室で伊達政宗と共に行われる。
以前、「一人で食べてもおいしくないん」と頬を膨らませ、主が伊達政宗の部屋に膳を運んだ事が始まりだが、共に食べたいという主の可愛らしい願いを伊達政宗が断われるはずも無く。
今では主が頬を膨らませながら膳を運ばずとも、行けば主の分も温かい朝餉が準備されている。


「政宗様おはよー!!」
「Morning sweet!」


待ちくたびれたぜ!

戸が開き、主が伊達政宗に飛びついたのを見届けその場を後にした。
主を伊達政宗の自室まで送り届ければ、主のお呼びがかかるまで己の仕事は無い。
城の屋根に上り、楽しそうな主の声を聞きながら辺りに気を配る事だけは怠らず日の光を浴びた。

ゆるりゆるりと過ぎる毎日がひどく平和で、時に己が忍だという事を忘れそうになる。
己を甘やかす主がいつだって笑っているから、今が戦国の世だという事を忘れそうになる。
空を見上げればただひたすらに青い。
鳥が二羽、飛び去っていくのが見えた。

ほう、と一息。

言葉に出来無い充実感が体を巡る。
その充実感に柄にもなく浸り、静かに目を閉じ耳を澄ましていれば下から賑やかな声が聞こえてきた。


「政宗様ー政宗様ー、しいたけ食べてー。」


お汁になー、刻まれて入ってたん。
きくらげっぽい存在感で入ってたん。
危ない危ない。
もうちょっとで食べてしまうとこやったー。


「政宗様のお椀に入れていい?」
「Ah?仕方ねぇな。」


ほら寄越せ。


「(…)」


あれは主のものと伊達政宗のものと。


あ、ちょっと真樹緒!何してんの!
「ひょお!」
「梵も!」


そんな甘やかし方は俺許さないよ!


「(…)」


伊達成実のものだ。

主はこれといって好き嫌いは無いが、どうしても例の茸が食べられない。
見た目に臭い食感、どれをとっても主の可愛らしい眉間に皺を増やす要因でしか無く、いざそれを食べるとなると半ば泣きながらそれを噛み締めるのだ。
出来れば食べず様にと己も思っているが、この城の母と父がそれを許さず食事に椎茸が出た日には必ず今のような問答が繰り返されていた。


……
………


今日も今日とて。
いつも通りである。


「(…)」


すこぶる平和だ。

忍らしからぬ事と思いながら見上げた空はやはり青かった。
今日もよい天気で何よりだ。
下では椎茸を食べる食べないで未だ賑やかで、伊達政宗が伊達成実と言い合う声が聞こえてくる。


「椎茸ぐらいいいじゃねぇか。」
「何言ってんの。この時期から直しておかないとずっと食べられないまんまなんだよ。」


お母さんはそんなの許しません。


「…別にずっと食べれやんでもええもん。」
真樹緒。
「ひう!」


おシゲちゃん怖い…!


「てめぇ成実。真樹緒が怯えてんだろ。」
「梵が余計な事しなきゃ俺だって怒らないよ。」
真樹緒を甘やかすのは俺の役目だ。
マジな顔で何言ってんの。


そんな自信満々に言わないでくれる。
こういう甘やかし方は止めてっていっつも言ってるよね。
真樹緒のためにならないんだから。
好き嫌いがあったら大きくならないよ。
そりゃあ真樹緒はこのまま小さくても可愛いけれど、それとこれとは別。


「ぬー…」
「食べなきゃ今日のおやつないよ。」
「まじで…!!!」


「(…)」


尤もな伊達成実の言い分に主は黙ってしまった。
相変わらず主の隣で伊達政宗は不満げに伊達成実と言い合っているが、食が進まないところを見るとやはり茸を口に入れるのを躊躇っているのだろう。
それならば、そろそろ己にお呼びがかかる頃だが。
いつでも動けるように耳をすましていれば、小さく唸りながらきょろきょろと辺りを見渡し意を決したように一呼吸、やはりささやかな声で主が「こーちゃーん」と。


「(しゅた)」
「あ、こーちゃん。」


さっきぶり!
屋根でおってくれたん?

やぁやぁ俺ちょっとこーちゃんにお願いした事あってなー。
隣にかしずけば主が己の耳元でひそひそと。
「おシゲちゃんには秘密やで」などと言いながら口元に手を当てる。


「こっそり俺の椎茸食べてほしいん。」


今日の朝ごはんのお汁、俺の好きなお豆腐入ってたんはええねんけど何と椎茸も入ってたんよ。
ほら、おシゲちゃん今政宗様としゃべってるから今のうちにこっそりぱくっといってほしいなーとか思ったりしてね。
二つは政宗様のお椀に入れるん成功したんやけど後一個残ってるん。
強敵やねん。

こーちゃんお願いー。


「(…)」


主から差し出された椎茸を見る。
箸に摘まんだそれはいう程大きくも無く、一口口に含み呑み込んでしまえばすぐに喉を通ってゆきそうな大きさだ。
もう一度に目を戻せば悲壮な顔で己を見上げている。

主にその様な顔は似合わない。
椎茸ごときが主にそんな顔をさせているなど言語道断。
この風魔小太郎の名においてひと思いに消してくれる。
そう思い目の前の椎茸を思い切り噛み砕いてやるべく口を開けたのだが。


待て風魔。


それは真樹緒の為にならねぇ。


「あっ!こじゅさん…!」


いつの間に!!


「(?)」
「忍ならここは主を静かに見守るのが筋ってもんじゃねぇのか。」


これは真樹緒と椎茸の戦いだ。
てめぇが手を出す場じゃねぇ。


「(……)」


果たして。
この朝餉の席がそのような大層なものかと僅か疑問は残ったが。
母ばかりか父まで出てきてしまえば主も己ももうどうしようもなく、悲壮な顔をより一層引き攣らせてしまった主の頭を撫でて、奥州の晴れたこの日、いつも通りの朝が過ぎて行った。

まるで毒でも食べたかの様な形相で口を動かす主を、その両隣で口直しの甘味を用意した父と母が見守っているのもいつも通りである。



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