凍るような冷たさをもつ京都の朝は、だんだんとその鋭さを和らげてきた

少し暖かくなった空気ではあるが、まだ少し布団から出ることを躊躇わせる

まだ誰も目覚めてはいない早朝、春はのろのろとまだ重い瞼を擦りながら布団から出た

ぐーっと伸びをして部屋の障子をあけて、朝日を入れる

冷えた空気に暖かい日差しはとても気持ちがいい

ぼんやりとした頭を少しずつ覚醒してくれる

春は同室である桔梗を起こさぬように、そっと自室から出てゆき、洗面所で身支度を整える


「さて、今日の朝御飯を作らないと」


春は台所に一人立ちながら作業を開始する

下準備もそこそこのところで、パタパタと階段を降りてくる音が聴こえてきた

その人物は台所にいる春の元へと慌ててやって来た


「お、おはようございますっ!!!」


キキーっとブレーキ音が聞こえてきそうな勢いで致佳人が、台所へと姿を現した

そんな彼を見て、クスリと笑いが零れる


「おはようございます、致佳人くん。そんなに慌てなくても大丈夫ですよ」

「い、いえいえ! 寧ろ起きるのが遅くてすみません。あ、こっちをやってもいいですか??」

「はい、ではコンソメスープをお願いします」


手際よく汁物に取り掛かる致佳人を見て、慣れていると思った

なんでも昔はアルバイトで調理していたらしい


「まぁ、本当に手際がいいんですね、致佳人くん」

「え? いえいえいえいえ!!? 俺なんか全然ですよ!」


一生懸命否定する致佳人に春が少しだけ顔をしかめる


「致佳人くん、そうやって自分の経験で得た能力を否定するのはあまり褒められたことではないですよ。過去の経験とは何物にも代え難いモノなのですから」

「春さん…。はい! わかりました!!」


本当に素直ないい子だと思う、致佳人くんは

はなが気に入ったのもなんだか少しわかる気がする

同年代の男の子をいい子というのは少し失礼な気もするが


「でも、春さんも手際すごくいいと思います。俺と同じくらいなのに…。どこかでアルバイトとかされていたんですか??」


致佳人が尋ねたことは話の流れからして当然の質問だった

朝食を作りながらのなんということもないただの雑談のうちの一つ

だが、春にとって、その話題は雑談にするには少し違った生い立ちにあった

アルバイト…、していたかもしれない

していた気がするし、していなかった気もする

もしかしたら家の手伝いでやっていたのかもしれない

とうの昔に薄れてしまった日々は、最早自分では抗えぬほど遠い日々となってしまっていた


「多分、私はアルバイトをしていないですよ。きっと、母が教えてくれたんだと思います。あまり、覚えてないですけど…」

「え? 覚えてない?? もしかして春さんも桔梗さんと同じ…」

「いいえ。私は桔梗のように記憶が無いわけじゃないです。忘れているわけじゃないんです、ただ、もう無いだけで…」

「それはどういう…」

「ちょっとした事情で記憶が抜け落ちてしまったんです。けど、今はもう大丈夫ですよ。沢山の方々に救って頂きましたから」


両親だけではない。本当に多くの人の助けがあって私は此処にいるのだ

そんな過去も今となっては忘れ難いいい思い出だ

人が人を見返りも求めずに救ったのだから

だが、致佳人はそうは捉えなかったらしい

彼はとても悲しそうな顔をした


「今は大丈夫だからって、そんな…! 落ちてしまったものは戻らないんですか!?」

「戻ってませんね、少なくても今はまだ」

「そう、なんですか…」


しゅんと項垂れる致佳人くんを見て申し訳ない気持ちになった

そうやって暗い気持ちにさせたかったわけではないのだ

本当にそれは昔の話で

悲しくていつも両親が泣いていたのも昔の話で


「“心からは消えてしまっても、体が覚えている。だからきっと大丈夫”」

「春さん?」


ふと、春がこぼした言葉に致佳人が戸惑ったような声を上げる

戸惑う致佳人に春は優しく微笑みかける


「これ、私の母が言ってくれた言葉なんです。離れていても、忘れてしまって会えなくなっても、寂しくなんかないんだって。その人が生きている限り、体の記憶が大切な人との思い出を忘れないんだって」


もう、今生にて会えることはなくても


「心に残っていなくても、こうやって母が残してくれたものが私に残っていて、それが他の人達の笑顔を引き出してくれる。これは私にとって記憶よりも大事な財産です。だから、抜け落ちてしまった私の記憶を思ってそんな悲しそうな顔をしないで下さい」


春が言いたいことが伝わったのか、致佳人は首をぶんぶんと上下に振って頷いた


「こんな話を朝からしてごめんなさい。さ、朝食を作り終えてしまいましょうか。皆の為に」

「はい!!」


終わってしまった事なのに、自分の事をを想って心を痛めた致佳人は本当にいい子だと、春は朝食を作る手を止めることなく思った


「さぁ、できましたね。皆さんに声を掛けてもらえますか、致佳人くん」


出来上がった朝御飯を居間のテーブルの上に運びながら致佳人に頼む

どう起こせばいいのかと尋ねてきた彼に、ここから声を掛けてくれればいいと答えてやる


「みなさーん! 朝ご飯、出来ましたよー!!」





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