あの日確かに音がした(比呂春) 「泣いてたね、国見くん」 そう言って柔らかく微笑んだ春華ちゃん。 その笑顔は嬉しそうで、でもどこか切なさを感じさせる。 誰もが比呂の涙を喜びの涙だと思っているだろう。 甲子園、準決勝で、あの明和一の、あの橘英雄を打ち取ったのだから。 でも、比呂が流した涙が決して喜びの涙ではないことを、俺は知っている。 あいつの全力投球の球をこの手で受けていたのは、俺だ。 そして、この試合の裏に隠された、比呂と英雄、そしてもう一人の想いを知っているのも、きっと俺なんじゃないかと思う。 彼らの想いを、比呂と英雄がどんな想いで勝負していたのかを春華ちゃんが知ったら、どう思うだろう。 きっと、その柔らかな笑顔で受け入れながら、心で泣いてしまう。 知らないフリをして、比呂を労って笑いかける。 彼女は、正直で素直で、ヤキモチももちろん妬くけれど、でも一番辛い時は、笑って知らないフリをして、我慢してしまう。 側にいたから、そういう春華ちゃんを何度か見て来た。 だから、そんな事をしてほしくないから、俺は彼女の言葉に何も言えなかった。 何も言わない俺を不思議そうに見る春華ちゃんに、俺はただ笑いかける。 けど、彼女は何か感じているかも知れない。 比呂に関しては何かと鋭い彼女だから、あの涙が喜びからのものじゃないと、気付いてしまっているかも知れない。 (なあ、比呂) 遅い遅い勝負だったな。 やっと、決着が付いたんだよな? ―勝った方を、ひかりに選ばせる― おまえがひかりちゃんをどんなに好きだったか、俺は知ってたよ。 ずっと想いを手放せなくて、でも打ち明ける事も出来なくて、燻ったままだったのかも、知ってた。 「比呂」 「……ん」 声をかける頃には比呂はもう泣いていなかった。 「勝ったな」 「そうだな」 疲れたような、憑き物がとれたような比呂。 「…キツかった、な」 「比呂」 「ずっと、この気持ちは俺の一部だった。…苦しい時もあったけど、コイツが俺を支えてくれてたんだ」 胸の辺りでユニフォームを掴んで、無表情な比呂を俺はただ見ていた。 「だけどもう…終わらせる。いや、終わらせたんだ」 比呂の視線の先には仲間に囲まれた英雄。 表情は見えないけど、あいつも比呂みたいにキツイ思いをしてるだろう。 スタンドの何処かにいるひかりちゃんも。 「正直、ホッとしてる、かも」 比呂は千川のベンチを見た。 「これでちゃんとあいつに笑えそうだ」 比呂が見る先にはタオルをみんなに配る春華ちゃんがいる。 ひかりちゃんへの想いをどうしても捨てられなかった比呂。 春華ちゃんを好きになっても、ひかりちゃんを忘れることは出来なかった。 春華ちゃんもそれを解っていて、お互いに気を使ってばかり。 「あいつ、スチュワーデスになって、メジャーリーグに行く俺と一緒の便に乗りたいんだと」 「春華ちゃんから聞いた」 「ベンチで、スチュワーデスになれよって言ったんだ」 「驚いてたな」 「…叶えてやろーかな」 「本気か」 「たぶん、な」 そして、試合が終わってからやっと比呂は笑った。 同時に春華ちゃんへ駆け出す。 「古賀ぁ!」 「! お疲れさま、国見くん!――はい、タオル」 「おう」 笑った比呂の顔を見て、春華ちゃんは嬉しそうに笑った。 そんな二人を見て、俺は思う。 あの二人が始まるのは、これからなんだと。 ようやく、色んなもんを取っ払って二人だけで、歩いて行けるんだ。 (今はまだ、強がって笑うあいつ等だけど) 大丈夫。 お互いを想う気持ちは真実だから、傷を癒して、心から笑える日が訪れる。  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ 大切な想いとの決別・解放。 曖昧になってしまった「愛情」の意味を改めて確かめることで、終わっていく恋。 そこからやっと、始まる新しい関係。 |