氷室さんはきっと悪いひとではないと思う。優しいひとだと思う。じゃあぺらぺら話せるかと言ったらそれはまた別。相変わらず教室内では話しかけてこないし、それにはすごく感謝している。だってわたしなんかが氷室さんに話しかけられたらきっと、…ね。悪夢を見たくないと思うことは正常な反応だ。
 秋のすこし冷たい風が頬を撫でる。

「ま、また来たんですか」
「うん、だめだった?」
「だ、だめではないですけど…」

 いちいち理由を考えるなんて野暮なことなのだろうか。でもわたしと話しても何もメリットなどないし、無意味で楽しくないだろうし。教室でひとりぼっちでいる子に話しかけたからってそこまで株はあがらないと思う。というか、それだったら教室でも話しかけてくるだろうし…何がしたいんだろう。

「前の約束、覚えてるかい」
「…約束」
「うん、甘露ちゃんの一番好きな音楽を教えてっていう話だよ」

 …どうしよう。思いっきりヘッドホンを常備しているくせにプレイヤーもってないですなんてばかな話、あるわけがない。でもどうしよう、もし嫌いって言われたら。あんまり好きじゃないって言われたら。わたしの一番、否定されたくないな。ポケットのうえからプレイヤーをぎゅっと握る。
 好きなものは認めてもらいたいと思う。好きなものを好きだと言ってもらえたらとても嬉しいんだろうなあと思う。だけど、それ以上に否定が怖い。

「好きとか嫌いとか、思っていることは口にださないと伝わらないよ」

 たとえば。そう言って氷室さんは携帯の待ち受け画面をこちらに見せる。

「オレはバスケが好き」
「あ、バスケはよく知りませんが、かっこいいなあとは…思います」
「うん」

 しばらく、氷室さんはバスケのことを話していた。バスケの話をしている氷室さんはきらきらしていた。好きなことを好きだと言えるのは純粋に羨ましい。ここまで好きになれるものに出会えたこと、も。わたしにとって音楽は外と内をわけるものでしかない。…なんて思いつつ、いろんな曲に手を出しているのだからそれは好きと言ってもいいのかな。

「き、聴きますか…、わたしの、いちばん」
「うん、聴きたいな」

 ヘッドホンを差し出そうとすると、氷室さんはうーんと考えるしぐさをした。も、もしかしてひとが使ったヘッドホンは使えないとかそういうやつだっただろうか。そ、そうだよね、ここはプレイヤーだけ渡したほうがよかったのかな。

「こっちのほうが、一緒に聴けていいと思わない?」
「わ、わたしはしょっちゅう聴いてますし…ヘッドホンのが音質いいですよ…?」
「きみと一緒に聴くことに意味があるんだよ」

 わ、わわ…キザなひと、ってこういうひとを指すんだろうなあ。氷室さんにとってはなんでもない一言でも、わたしにとっては…女の子にとっては、なんでもなくないんですからね。
 結局押しに負けて片方のイヤホンを受けとる。すごく、こういうのは慣れない、です。耳につけて再生ボタンを押す。
 やっぱり音質だけで考えてしまえばヘッドホンのが断然いい。でも、一緒に聴くことに意味があるって、こういうことなんだろうなあ。なんて表現したらいいけど、でも、悪くないなって…そういう感覚。

「幻想的できれいな曲だね」
「あ、わたしきれいな曲好きなんです…!」

 好きなことだから話題は尽きない。言いたいことがたくさんあって、そうやって好きなことをひとに話すのは楽しい。わたしはただ相槌をうつばかりだったけれど、氷室さんもバスケの話をしているときはこんな気持ちだったのだろうか。

「ご、ごめんなさい、わたしばかり話してしまって」
「ううん、甘露ちゃんがめずらしく饒舌だから楽しかったよ」

 も、もう。氷室さんはそういうことをすぐ言う。だからよくわからない、実際何を考えているんだろう。つまんないなあって思ってたかな、好きなことになると突然語りだすって気持ち悪いって思ってるかな。
 …どうしてわたしって言葉通りに受け取れないんだろう。嫌な子だな。

「もっときかせてほしいな」
「え、あ、音楽をですか?」
「うーん、それもだけど、きみの話をね」

 そうやって言ってくれるってことは気を悪くしてないって思っていいのかな。そうだよね。めんどくさいって思っていたらそんなこと言わないよね。だってわたしに気を遣ったって何のメリットもないもの。
 それからしばらく音楽の話をしていたけれど、氷室さんはずっと楽しそうに聞いてくれていた。氷室さんが何を考えているかよくわからないけれど、もうすこし信じてみたいなあって思うんだ。いろいろ話してみたいし、話を聞きたいって思うよ。

(小さな永遠)


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