この時期になると、屋上はだいぶ冷えるからほとんど人気がない。夏は暑いのになんだかんだでひとがいる屋上だけれど、秋から冬にかけては近寄るひとはほとんどいなくなる。だから秋冬の屋上はわたしのお気に入りの場所だ。
 もってきたひざ掛けと、愛用のヘッドホンをかける。これさえあれば秋の寒さぐらいは余裕でしのげる。冬は、こんなものじゃ全然たりないけれど…。

「すこし寒い、です」

 今日の朝、クラスの女の子たちが今日は氷室さんの誕生日だと話していた。理由はよくわからないけれど、氷室さんはよくわたしに話しかけてくれる。だからお礼もかねてお祝いしたいという気持ちはあるけれど、迷惑ではないだろうか。
 そもそもわたしに話しかけるのなんて、ただの気まぐれかもしれない。氷室さんはきれいなひとだから、わたしみたいなひとがおめでとうございます、だなんてうっとうしいだけかもしれない。
 秋の冷たい風を感じつつ、水筒を手に取る。この場所の欠点をひとつあげるなら、手がかじかんでしまうこと。そこだけはどうにも防げそうにない。暖かいお茶の入った水筒もカイロも、あくまで一時しのぎにすぎない。…暖かいけれども。

「―――」
「!?え、あ!?」

 突然だれかにヘッドホンをとられて、驚いてしまい手から水筒が滑り落ちた。がしゃん、と音をたて、ころころと地面に転がっていく。見上げると、すこし申し訳なさそうな顔をした氷室さんがいた。

「ごめん、驚かせちゃったかな」
「や、まあ、驚きましたけど、わたしも気が付かなくて…すみません」

 ヘッドホンをとられたことにも驚いたが、氷室さんがここにいることにも驚いた。噂をすればなんとやらと言うけれど、それは心の声にも適用するものなのだろうか。もしそうなら、正直困りますが。
 氷室さんはわたしのヘッドホンをもったまま、隣に腰を下ろした。返してはくれないのだろうか。わたしにとってヘッドホンがどれほど重要か、氷室さんは知っているというのに。ヘッドホンがないことがすこし不安で、ぎゅっとひざ掛けを握る。

「なにか、用ですか」
「苗字さんと話がしたくて―…っていうのが7割、逃げてきたのが3割かな」

 逃げてきた、というのはきっと女の子たちからなのだろう。今日は氷室さんの誕生日だから、お祝いしたいと思っている女の子はきっとたくさんいる。それならば、やはりわたしのお祝いしたいという気持ちは迷惑かもしれない。

「苗字さん、昼ごはんは食べないのかい?」
「あ、食べます、食べますけど、ヘッドホン…」

 返してください。そう言うと、氷室さんは今気づきましたといった表情でてもとのヘッドホンを見つめた。

「返すけど、ヘッドホンはしないって約束してほしいな」
「え、な、なぜですか」
「苗字さんと話がしたいからね。あ、でも首にかけるのは構わないよ」
「……わかりました」

 ヘッドホンができなくとも、てもとにないよりはあるほうが気持ちが落ち着く。約束どおり首にかけて、お弁当を手に取る。氷室さんはよくこうして屋上にくるから、慣れたといえば慣れたけれど、やはりひとの前で食事をするのは落ち着かない。

「それで、お話とは…?」
「ああ、うん。今日が何の日か知ってるかな」

 何の日、とは。氷室さんがそれを聞くということは、答えていいということだろうか。教室から逃げてきたのに、わたしが言っていいものなのか。でも、もしお祝いされたくなければこのような質問を投げかけないはず。大丈夫、ヘッドホンはここにある。すこしだけ深呼吸をする。

「お誕生日おめでとうございます、氷室さん」
「ありがとう、嬉しいよ」
「でも、祝われるのが嫌で逃げてきたのでは…?」
「うーん…それはちょっと違うかな」

 どういうことかよくわからなくて、目をぱちぱちさせる。

「苗字さんに祝ってほしかったんだけど、教室で言うのは嫌がりそうだなと思ってね」
「まあ、そうですね…」
「クラスのひと達は祝ってくれる、それはありがたいけど、苗字さんは屋上にいる。だから逃げてきた、かな」

 え、えっと、つまり、わたしに祝わってほしいために、クラスのひと達をおいてわざわざこっちへきた、と。改めて整理すると、なんだかすこし恥ずかしくなってくる。本当だったら今すぐヘッドホンをしたいけれど、約束は約束だ。

「氷室さん、」
「うん」
「お誕生日おめでとうございます。いつもありがとうございます。今日、誕生日だって知ったので言葉だけ、ですけど」
「そうだな…じゃあ、わがままを聞いてもらってもいいかい?」
「わたしのできる範囲なら…」

 お弁当に視線を落とし、軽く頷く。胃は食べ物を求めているというのに、なんだか食べる気がしない。なぜか、胸がいっぱいなのだ。

「苗字さん、名前で呼んでくれないかな」
「!?」

 かしゃん。一瞬思考が停止して、氷室さんが落とした箸を拾ってくれるまで箸を落としたことにすら気が付かなかった。名前、なまえ?氷室さんを、わたしが、名前で呼ぶ?

「む、無理です」
「今日はオレの誕生日だ」
「や、でも、わたしのできる範囲って」
「ただ名前を呼ぶだけだろう?」

 言ってしまえばそうだけれど、そうじゃない!お弁当を食べる気を一切なくしてしまい、動揺しながらも片付ける。だって、名前、名前って。女の子ならともかくとして、男の子を名前で呼ぶ、って。わたしにはできない、できない。

「どうしてもだめなら、苗字さんを名前で呼んでもいいかな」
「え、えっ!?」
「ふたつにひとつ。これは苗字さんが選んでいいよ」

 そこでどうしてわたしに選ばせるんだろう、いじわるなひと!どちらかといえば氷室さんがわたしを名前で呼ぶほうがいいのかもしれないけれど、それを言うのも恥ずかしいし、毎回名前で呼ばれるたびにびくついてしまうかもしれない。
 かといって、わたしが氷室さんを名前で呼ぶだなんて、絶対に無理だ。恥ずかしいし、周りの目がどうしても気になってしまう。ふたつにひとつ、選べと、言われても。

「どうかな、決まったかい?」
「っ…わたしが、氷室さんを、名前で呼びます…」

 氷室さんの誕生日に、氷室さんになにかをしてもらうのは違う気がして、そうなるとこちらの選択肢しか残らない。ただひとつ、条件がありますと付け加える。

「教室では変わらず氷室さんと呼びます、名前で呼ぶとしたら今みたいな、」
「ふたりでいるとき?」
「う、ま、まあそんな感じ、です…」

 ヘッドホン、ヘッドホンを今すぐつけて、大きな音で音楽を流して、氷室さんの声が聞こえなくなるようにしたい。すごく恥ずかしくて、すごく顔が熱い。
 次の言葉を待つような氷室さんの視線から目をそらしつつ、頑張って言葉を紡ぐ。

「あの、…えっと。辰也さん、で、いいですか」
「うん、ありがとう、名前」
「え、!?」
「君なら多分、オレを名前で呼ぶほうを選ぶと思ってたよ」
「な…!!」

 これって結局、全部氷室さんの思惑通りにことが進んだっていうこと、ですか…!一気に顔に熱がのぼっていく。だって、氷室さんを名前で呼ぶことすら恥ずかしいのに、かつ名前で呼ばれて、恥ずかしいを通りこして穴があったら入りたい…!
 どうしようもなく恥ずかしくて、でもヘッドホンはできないから、ひざ掛けを頭からかぶった。落ち着いてわたし、深呼吸、深呼吸っ…。

「誕生日プレゼント、ありがとう、名前」

 すこし笑いを含んだ声色に、ああからかわれてたんだなと思いながらもやっぱり顔の熱はなかなかひかなかった。


( つかまえた薄紅葉 / 131030 )

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