曖昧な心
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第四上級学校にトレイズが転校生としてやってきた後、リリアは少し不満そうに口を歪めた。
それも無理はない。あれだけの事があって数日失踪していたトレイズが今、目の前で何事もなかったかのようにこちらへ笑顔を向けているのだから。
……どれだけ心配したと思ってんのよ。ばか。
教壇で殴り飛ばしただけじゃ物足りないくらいだ。しかし、トレイズは肋骨を何本か折っている。そんなこと私には知ったこっちゃないと思ったが、よくよく考えれば私もその肋骨を折らせてしまった原因なのだと思い直し、行き場のないモヤモヤした思いが体内に溜まっていく。
「リリア、どーしてそんなに睨んでるの」
「心当たりはないのかしら、トレイズ」
「……さぁ、検討もつきません」
絶対わかってるくせに知らない振りをして返してくる言葉に少し苛立った。
「リリア、そんな顔してちゃダメよ」
後ろからリリアの同級生メグがやってきて、二人の様子を見ていたのかリリアだけに聞こえるようにベゼル語で耳打ちした。
「あんなに心配して、やっと会えたんだからもっと喜ばないと」
「だ、誰が…っ!!心配なんてしてない!!!」
メグの言葉に慌てて私もベゼル語で返す。
心配は確かにしたかもしれないが、外野にそのことを知られるのは恥ずかしくてつい否定してしまう。
「へぇー、リリア心配してくれてたんだ」
おもわず大声で言ってしまった私の言葉に同じくベゼル語で返したトレイズは「ありがと」と言葉の最後に付け加えてニッコリと笑った。
「肋骨を折っただけじゃなく、耳も悪くなったの?」
「うん。そういうことにしておく」
端からみたら外国の言葉をペラペラと話しているので怪訝な顔をする生徒もいたが、言葉の意味はさっぱりなので誰もその3人に話しかける者はいなかった。
「……あ、そういえばリリア。アリソンさんに会いたいんだけど…」
「ママに?今日は確か早めに帰るって言ってたような気がするけど」
「じゃあ、今日寄っていくからよろしく」
いつもなら「なんでよ」とつっかかるのだが、ママに用事があるなら仕方ない。
しかし、いつも帰りはメグと一緒に校門まで下校していたのでメグに目を配らせると、目が合った瞬間メグは微笑んだ。
「大丈夫、私は今日部活だから」
気にしないで、ごゆっくり。と最後の言葉に関しては聞いていないフリをする。
「じゃあ、放課後ね」
「ちゃんと迎えにきなさいよ?」
「はいはい。お姫様」
「はい、は一回」
「はい。お姫様」
「最後のは繰り返すな」
*****
放課後になって校門でトレイズを待っていると、お馴染みのサイドカーでやってきた。
あまり人目につかないようにあらかじめトレイズに指示しておいたので、校門から少し離れた場所に駐車している。
それを見たリリアはそこまで歩いていき、トレイズの右側に乗り込んだ。
「遅い!」
「あれ、そんなに待たせた?」
「女を1分でも待たせる時点でダメなの。そんなことも分からないのかしら、トレイズ殿下?」
「すみません。次からは気を付けますから殿下だけはホントにやめて」
会話を区切ったところでサイドカーを出発させる。リリアの自宅へ向かう二人はしばらくの間、相変わらずな会話で話し合っていた。
*****
数分後、リリアの自宅到着。
サイドカーを道路の脇に停めて、さっそく二人して自宅に続く階段を登った。
「ただいま〜」
「お邪魔します」
部屋のドアを開けて中に入ればリリアはすぐに自室へ入っていく。
どうやらまだアリソンは帰ってきてないので、手持ちぶさたなトレイズはリリアへ扉ごしに声をかけた。
「お茶いれていい?」
「ご勝手に。………あ、ついでに材料あるからクッキー作ってー」
「了解」
軽く返事を返してトレイズはキッチンへ向かう。
こんなやりとりは過去に何度もあったことだ。リリア自身はトレイズの料理の腕は知っているため、たまにこうして作るのを頼むことが多い。
トレイズもそれを苦にしているわけではなく、むしろ楽しんでやっているため文句はなかった。
「俺は主婦か…」
たまに思うことだが、こうしてリリアの家に来ては家事などをこなす自分に突っ込みをいれたくなる。一国の王子をこんな風にコキ使えるのは多分、一生リリアしかいないだろう。
これじゃあ、リリアが王妃だな。さしずめ俺は執事か…使用人か…。
なんて考えながら手を動かしていると
「茶、茶はまだか」
と、後ろから部屋着に着替えたリリアが自室から出てきた。
「クッキーはこれから焼くところ。お茶は入れたけど…」
「最初にもらう」
「かしこまりました」
ポットに入れたお茶とティーカップを持って机に運ぶ。丁寧に運んだり、音を立てないように物を置くマナーは全て教えてもらっていた。
優雅な振る舞いをするようにお茶を注いでも、リリアは目の前のお茶だけを見ていて全くトレイズの方を見ていない。
「まだ熱いから」
「見ればわかる」
湯気が立つお茶をまじまじと見て、頃合いかと思ったときにリリアはティーカップに手を伸ばす。
クッキーを焼いている間にトレイズもリリアの反対側の席に座ってお茶を入れた。
「そういえば…ママに用事って。なんの用?」
「ん、ちょっとした伝言頼まれただけ」
「伝言?」
「うん」
トレイズは内容を言わずにただ簡潔にそう答えた。
そんなトレイズを見てリリアは眉を寄せる。
「…また、隠し事?」
「…そんなんじゃない。ホントに挨拶程度の伝言だから」
「ホントに?」
「……どうしてそんなに疑うの」
「だって……」
今まで自分自身のことに関して隠し事をしていたから。なんて言えない。
事情は全て話してもらったから隠し事をしていたのは仕方ないと考えてはいた。でも、そんなトレイズに伝言を預ける人はそれ相応の身分の人かもしれないので、どことなく疑ってしまう。
一般庶民母親へそんな人から伝言をもらうだなんて明らかに内容が怪しすぎる、というのが本音だ。
「本当に挨拶程度なんだけどなぁ…」
敏感なトレイズはリリアの思っていることをなんとなく予想して言葉を返した。
「じゃあ、相手は誰よ」
「…言っていいのか、分からない」
冷めてきたお茶を一口飲んでリリアはトレイズを睨む。
素直に教えられないって言えばいいのに…。
「言え」
「…あ、もうクッキー焼けたかな」
「逃げるな!」
逃げるようにオーブンへ向かうトレイズはそこから焼けたクッキーを取り出して、手っ取り早く皿へ移す。
香ばしい匂いがしておても美味しそうなのだが、今のリリアにはクッキーのことなど眼中になかった。
「隠そうとするってことは怪しい人からの伝言って受けとるけど?」
「…えっと、確かに隠し事はもうリリアにはしたくないけど、守秘義務というのが…」
「あー、そうよね。殿下様ですものね」
リリアはアリソンがトレイズの両親、もとい王と王妃と繋がっているのをまだ知らない。今回の伝言の相手は両親からだ。国の近況なんかをたまに伝言されることもあるが、内容のほとんどは挨拶。
なのでリリアに嘘を言っているわけではないのだ。
「確かにそうだけど、誰にだって守秘義務はあるし…」
「怪しい」
「それに、殿下だろうとなんだろうと、俺は俺って言ってくれたのはリリアだろ?」
「………」
むくれてしまったリリアの前にクッキーを置けば、リリアはそのクッキーを一つ摘まんで口にほおりこんだ。
「つまり、トレイズを信じろって?」
「うん」
「………信じてないわけじゃない」
「……え?」
小声で聞こえてきた声はまぎれもなくリリアのもの。リリアがデレた。珍しいこともあるのだなと感心しながらトレイズはリリアを見る。リリアはそれを気にせずにクッキーをまた摘まんで口に運んだ。
「…ハァ、本当に怪しい内容じゃないんでしょうね?」
「もちろんですとも」
「もし、そのせいでママに危険なことあったら、折れてる肋骨に拳十発と蹴りを入れてやる」
「おー、怖い」
さらりと怖いことを言ったリリアだが、自分を信じて話が収まってくれたことがトレイズ自身少し嬉しくも感じて、リリアが食べている自分が焼いた目の前のクッキーを手にとって同じように口へ運んだ。