ゴリラと見紛うあの男性が訪れた、明くる日のこと。

「リーザ!」

 西の端にある私の部屋に、限りなく白に近い金の髪をもつ少女が飛び込んできた。

「サシェ様……」
「ここの庭に獣が出たんだって?!」
「え、あ、まあ……」
「大丈夫だった? 怪我は? 噛みつかれたりしてない?!」
「大丈夫ですよ」

 苦笑いで答えたが、ひとまず安心したらしい。よかったあ、と心底安堵したように言って床にへたりこんだ。
 慌てて腕を取り、少女を立たせる。せっかく綺麗な服を纏っているのに、直に床に座っては汚れてしまう。本人は頓着しないかもしれないが、見ているこちらは勝手にハラハラしてしまうのだ。

 少女の右腕には、紋様がある。
 陛下と対になる“ツガイ”のシルシ。
 後宮では“ツガイ”様と呼ばれているが、少女は名をサシェと言った。私と同じ庶民の生まれだ。

「わざわざ心配して来てくださったんですね。ありがとうございます」
「心配するのは当たり前でしょ。リーザはあたしの友だちなんだから!」
「サシェ様にそう言って頂けるなんてうれしいです」

 笑ってそう言うと、サシェ様は妙な顔をした。魚の骨が喉に引っかかったような顔だ。

「……そのサシェ“様”っていうの、いい加減やめてよ」
「え?」
「他人行儀な感じがする。友だちなのに、あたしたち」
「でも、あなたは陛下の“ツガイ”だから……」
「そうだけど、あたしはジェスの“ツガイ”である前に庶民出身の平々凡々なサシェなの! 様付けなんて気持ち悪いよ」

 拗ねたように唇を尖らせる様子が子どもっぽくて、つい笑みがこぼれた。
 これまで一年以上“ツガイ”として様々な特別待遇を受けてきただろうに、そういったことには未だに慣れないようだ。そういうところは、実に彼女らしいと思う。
 彼女の美点はきっとこうした部分なのだろう。特別扱いをされるからと言って、変に驕らない。後宮で陰に日向に嫌味を言われることも多いだろうに、屈折してひねくれることもない。
 どこまでもまっすぐで純粋な存在。それがサシェ様。

 ―――あたしはジェスの“ツガイ”である前に……

 そう。
 だから、一国の王を親しげに呼び捨てにできるのだって、彼女だからこそなのだ。
 “ツガイ”だからではない。彼女だから。

 呆れながらもきっと笑顔で許しただろう陛下の姿が目に浮かぶ。
 陛下は本当に、心からサシェ様を愛している。歴代の王の中には決して“ツガイ”と仲睦まじい方ばかりではなかったという話だから(所詮庶民の間で流れる噂だから真偽のほどは分からないが)、“ツガイ”だからと言って一も二もなく愛情を抱くものではないらしい。
 けれど陛下は、サシェ様が王都へ連れて来られた日からずっと、変わらぬ愛情を注がれている。いや、変わってはいるのかもしれない。愛情はきっとあのときより深まっているはずだ。
 理由は分からないが、陛下は“ツガイ”をずっと待ち望んでいた。そして、待ち望んだひとがようやく現れたのだ。いとしくて、いとしくて、目に入れたって痛くはないだろう。

 ちくり。
 胸が痛みだす。
 それは次第に様子を変え、じくりじくりと体中を駆けめぐる鈍痛となった。

 なぜ、私ではなかったのだろう。陛下の待ち望んだ“ツガイ”が、なぜ私ではなかったのか。彼女が現れてから何度も思った。
 そして同時に思うのだ。たとえ私が“ツガイ”だったとしても、陛下にああまでいとおしんでもらうことは出来なかっただろう、と。

 サシェ様が“ツガイ”となったのはきっと運命だった。
 運命によって結ばれた二人に、私が入る隙などあろうはずがない。
 私は所詮、きらびやかな物語の中の地味な脇役なのだ。あのひとは結局どうなったのだろうと夢想されることすらない、ただそこにいるだけの役回り。
 望みなどないのなら、いっそどこか遠くへ行かせてほしかった。二人の仲睦まじい姿が目に入らないくらい、遠い遠い場所へ。
 それなのに、私は結局、中途半端にここに留め置かれている。


「サシェ様!!」

 びくりと肩が跳ねた。
 サシェ様が入ってきたときのまま開け放たれた扉のあたりに、サシェ様付きらしい若い侍女が肩をいからせて立っていた。

「失礼致しますわリーザ様!」
「あ……ええ、どうぞ」
「サシェ様! 勝手に部屋からいなくなられては困ります! モニがターニャ様に怒られてしまいますわ!」
「あ、ごめんモニ! ……あれっ、でもあたし書き置きしてきたよ?」
「あんなミミズがのたくったような字、モニ読めませんわ!」
「み、ミミズー?!」

 金切り声を上げている侍女は、どうやらモニというらしい。話に出たターニャは確か、侍女を束ねる女官長の名前だった気がする。
 侍女にしては仕えている相手に随分な口振りだが、それもサシェ様の人柄だろうか。二人はほぼ同年代のように見えるし、以前サシェ様が新しく友だちができたと嬉しそうに話していたから、もしかしたらそれが彼女なのかもしれない。

「とにかくっ、ターニャ様に見つかる前に戻ってくださいまし!」
「えー」
「『えー』じゃありませんわ! さあ行きましょう! 失礼致しましたわリーザ様!」
「あ、はい、お構いなく……」
「ちょっと引っ張らないでよモニ! もう! リーザっ、また近い内に遊びに来るからね、またね!」

 ぶんぶんと手を振りながら引きずられていくサシェ様を苦笑いで見送りつつ、嵐のように来て、また去っていった彼女たちに思わず溜め息が出た。
 賑やかなのは嫌いではないが、長らく後宮での一人住まいに慣れてしまったのか、どっと疲れが押し寄せてしまう。あるいは若さの違いなのかもしれない。


「なるほど、アレが“ツガイ”か」

 驚きすぎて妙な声が出た。

「だっ……どっ、えっ」
「どこもかしも棒みたいだったな。俺はもう少し尻が大きい方が好みだ」
「な、なんっ」
「だが威勢がいいのは気に入ったぞ。尻はこれから育てれば良いしな!」

 尻の問題ではない。

「なななななぜあなたが、ここに……!!」
「うん? 昨日入ったところからまた忍び込んだのだ」
「でも警備兵がいたはずじゃ……!」
「ああ、あれか。平和ボケも甚だしいぞと国王陛下にでも伝えておけ」

 質問に答えていない。強硬突破でもしたのだろうか。
 おろおろする私をよそに、まあ危害は加えていないから安心しろ、とそのひとは鷹陽に言った。

 そう、庭先に立っているのは、やはり間違いなく昨日の顔。
 ゴリラだ。

「どうして、またここに……」
「お前に会いに来た」
「は?」
「話をしよう、リーザ」

 手招かれて、庭先へ降りる。
 自分でもなぜ言う通りにしているのかよく分からなかったが、近付くとゴリラ──ルカは満足げに笑みをみせた。

「時に、リーザよ」
「え、あ、はい」
「お前はここの侍女なのか?」

 問われて、気まずい思いをしながら俯く。

「……いえ」
「では側室か?」
「はい」
「ふむ、にしてはお前の部屋には侍女が一人も控えていないのだな。身の回りのことは誰がしている」
「それは……その、私は、ちょっと特殊なので」
「特殊?」
「嫌われているんです」

 なんと。そう言わんばかりにルカが目を丸くした。

「話が長くなるな。座って話そう」

 あまりこちらに話すつもりはないのだが、ルカは勝手にそういうことにすると、私の顔ほどもありそうな手のひらでむんずと私の肩を掴んで近くのベンチへ移動させた。気分は操り人形である。
 座らせる前に懐からハンカチーフを取り出し、ベンチの座面に敷く。そこに私を着席させてから隣に自分も座った。
 彼は随分と大柄なので、ベンチは割とぎゅうぎゅうだ。

「嫌われているとは、どういうことだ」

 さっそく切り出された話題に、気分が重くなる。
 けれど同時に、どこかで、話してしまいたい、とも思っていた。吐き出せる場所を、ずっと探していたのだ。

「……私は、最初“ツガイ”として王都へ連れて来られたんです。この、腕の痣のせいで」
「確かにシルシのようにも見えるな」
「でも違いました。全然違いました。そんなことあるはずなかった。陛下も私が違うと分かっていらしたから、すぐに寝所から返されました」

 訥々と、私は話し続けた。
 関係は持たなかったのに、決まりだからという理由でオルネル様から側室となって一生後宮暮らしをするよう言われたこと。家族が手切れ金と引き換えに私を売ったこと。陛下のお渡りが十年間で一度しかなかったこと。陛下の手も付かない庶民出の自分は、後宮では人間以下な扱いであること。そのせいで、侍女すらも私を軽んじ、必要最低限、朝昼晩の三度しか来ないこと。

 そして。

「……あなたは、陛下が“ツガイ”様をどれだけ御寵愛なさっているか、知っていますか?」
「ああ、王都でも評判だ」
「本当に、仲睦まじいんです。最初の頃は“ツガイ”様も陛下に反発されていたらしいんですけど、徐々に歩み寄って。陛下はとてもお優しい方だし、お顔立ちも綺麗だし、何よりあれだけ愛されているんですもの、惹かれて当然ですよね」
「女は愛されるのが本分だからな」
「………ええ、そうですね」

 いつのまにか無意識にもぞもぞといじっていた爪を見下ろす。俯くためのこじつけだった。きっと、今の私の顔は醜い。見られたくはない。

「……“ツガイ”様も庶民の出だから、私に懐いてくださるんです。私のこと、リーザ、リーザって。素直で明るくて、笑顔がとてもかわいらしい子なんです」
「体が棒なのが玉に傷だがな」
「私もずっとここではひとりきりだったから、彼女は初めての友だちで、味方のような存在なんです。大好きなんです。大事にしたいんです。幸せになってほしいんです」
「……」
「それなのに、私、あの子のこと、ときどき憎たらしくて堪らなくなる」

 膝の辺りの布をぐしゃりと強く握った。

「どうして私じゃないんだろうって何度も思いました。どうして私はあの子になれないんだろうって、何度も、何度も。二人が幸せそうに寄り添っているのを見る度に、こんな誰もいないところでたったひとりでそれを見つめている自分がみじめで堪らなくて、二人の幸せを願いたいのに、壊れてしまえって思ってしまう自分が醜くて、消えてしまいたくなる」

 サシェだから愛されるのだと分かってはいる。分かっているけれど、思考はずっとループし続けるのだ。
 答えの分かりきった問題を、まるで自傷行為のように、繰り返す。

 彼女を見ていると、どうしようもないくらい胸が騒いで、焦燥感のようななにかがせり上がってくるのを感じる。
 彼女は光だ。強い、強い光だ。陛下はきっとその光に心地好さを覚え、いとおしんだ。
 けれど、私には少し強すぎたのだ。見なくていいものまで照らし出して、今まで目を逸らしていたものすら浮き彫りにしてしまう。他人に潰されて、自分で潰した、いくつもの希望の残骸が露になってしまう。

 彼女がその光で照らし出したのは、どろどろと濁った、私の本性だった。





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