番外2:都倉 啓太



「すみません、」

 花を買いたいんですけど、とバイト中に声をかけられたので振り返ると、そこにはどこかで見た顔が立っていた。はて、誰だっただろう。一瞬考えこんだわたしとうっかり見つめ合うかたちになってしまったその男の人は、わたしが振り返った瞬間から目をまるく見開いて固まってしまった。はて。

「あっ」
「えっ」
「ケイタくん!」

 そうだ、どこかで見たと思ったらあれだ、ケイタくんだ。ママの、息子の。
 いつかの遠目から見た印象しかなかったからすぐに思い出せなかったけれど、間違いない。爽やかな短髪と太めの眉、くっきりした二重の目。すっぴんのときのママを若くした感じだ。当時のママはさそがし精悍な好青年だったんだろうと一人訳知り顔でうなずく。

「え、な、なんで俺の名前……」

 動揺した様子でそう口にしたケイタくんに、そういえばこのままだと不審者になってしまう、と思い自己紹介をする。ママが大家をやってるアパルトマンの新しい住人で、紺野愛といいます、と言ってお辞儀をすると、あ、ご丁寧にどうも、と慌てたようにお辞儀をし返してくれた。いいひとだ。

「そっか、親父のとこの……あ、俺は都倉です。都倉、啓太」
「知ってます」
「……えっと、会ったこと、ありましたっけ?」
「ううん」

 でも前にママといるところを見かけて、と説明したら、ああ……と気の抜けたような返事がかえってくる。ついでに、あれ見られたんだ……という呟きも聞こえた。なにか不都合でもあっただろうか。

「あれ見てよく親子だって分かりましたね。知り合いに見つかると大体オカマの恋人がいるのかって聞かれるのに」
「あっくんと達也さんに聞いたら、たぶんそれはケイタくんだろうって言うから」
「あー、なるほど……」

 頷くケイタくんは、苦笑を浮かべていた。あのひとたち元気ですか?と聞かれたので、今朝の二人の様子を思い出してみる。確か共用スペースに集まって朝食に手をつけながら、やれ朝のニュースはやっぱめざましだと思うだの、やれジップだろうだの、むしろテレ東の独自路線を支持するべきなんじゃなかろうかだのと、ものすごく低いテンションで討論していた。
 それを脳裏に浮かべながら、ぼちぼち、と答えたら、ケイタくんの目が再びまあるくなって、なぜか赤面されてしまった。わたし変な顔でもしてたかな。

「そ、そうですか……」
「なんの花がいいですか?」
「え」
「花束、買いに来たんでしょう?」

 ふと、声をかけられた本来の理由を思い出して問いかけると、あちらも今になって思い出したらしい。

「あ……じゃあ、なんか適当に見繕ってもらっていいですか?」
「予算は?」
「これくらいで。……あの、親父にあげるやつだからほんとテキトーでいいんで」

 渡されたお札を受け取りつつ、ママにあげるの?と聞いたら、会いに行くときは花束のひとつでも持参しないと文句言うんですよあの人、とケイタくんがげんなりした顔をする。それが可笑しくて、ママらしいなあとも思って、ぷ、と吹き出すと、ケイタくんはまた真っ赤になってあわあわし始めた。

「や、やっぱ変ですよね、この歳の男が父親に花束とか!」
「そう?」
「えっ」
「いいんじゃないかな。ママ、心は女のひとだし」

 というか、花束を見繕ってくれと頼まれたはいいもののわたしはまだアルバイト1週間目のシロウトなので、裏でデスクワークをしているナミエさん(店長さんだ)を呼んでこようと、ちょっと待ってて、とケイタくんに告げて奥に引っ込もうとした。

「あのっ!」

 呼び止められた。なんだろう。

「すぐ戻ってくるけど……あ、お金一旦返した方がいい?」
「い、いやそうじゃなくて」
「……なに?」
「あの……アイさん、でしたよね?」
「うん」
「仕事っていつ終わりますか」

 時計を見る。今は19時半なので、あと30分くらいと言ったところか。そう答えると、ケイタくんはちょっとほっとしたようだった。

「それだったら、良ければ一緒に帰りませんか? 俺も今から親父んとこ行くつもりだったし……」
「……でも待たせちゃうよ?」
「30分くらいなら平気です……つーか30分も待たれんのとか気持ち悪いですかね?」
「なんで?」
「いや、なんか会ったばっかなのにそういうのキモいかなあと……」
「……きもい?」
「あ、や、なんとも思ってないならいいんですけど!」

 なにがどうなってきもいに繋がるのかよくわからないけれど、一緒に帰るのは別に構わないのでいいよと頷く。ほんとですか!と存外にうれしそうな顔をされた。ただ帰るだけなのに。そんなに一人で行くのが嫌だったんだろうか。……あ、そうか。花束持って歩くのが恥ずかしかったのかな。わたしがいれば少しはそれが紛れるだろうと、そういうことか。にしても、そんな恥ずかしさを押してまでママに花束を持っていってあげるなんて。

「いい息子さんだね」
「は、……え?」

 今度こそ、ちょっと待っててね、と残して奥へ引っ込む。
 キーボードをぱちぱちと打ちながらパソコンで作業していたナミエさんに声をかけた。花束のお花みてもらっていいですか、と言うと、あれっもしかして啓太くん来てる?と眼鏡を外しながら聞き返される。

「知ってるんですか?」
「常連さんだもん。最近はなかなか来なくなってたけど。あ、じゃあレイコさんへのお花かな?」
「レイ……?」
「アイちゃんとこの大家さんの源氏名だよー、知らないの?」

 お店を持ってることは知ってたけど、源氏名があることまでは知らなかった。ただ言われてみればお店の性質上、そりゃああるに決まっている。でも、わたしにとってママはママだ。ママがそう呼んでって言ったときから、わたしの中ではそういうことになった。

 そういえば、ケイタくんはママのこと、親父って言ってたな。お化粧をしたママにも親父って呼びかけるんだろうか。きれいなおねえさん風に化けたママには、ちょっと似合わない気もする。
 でも、わたしにとってママがママでしかないように、ケイタくんにとっても親父は親父でしかないんだろう。そういうのは、なかなか変えられるものじゃない。ママが嫌がっていないのなら、変える必要もない。

 ふと、どうせ一緒に帰るのなら、はじめて二人を見かけたときに浮かんだあの疑問をぶつけてみようかと思い立った。あの日ママの乗ったタクシーを見つめながら、なにを思ってたの?って。
 そう考えて、すぐに却下する。ちょっと立ち入りすぎな気がしたからだ。いきなりずかずかとひとの心に踏み込んでいけるほど、わたしは無神経ではないし、鈍感でもないつもりだ。それに、ママの息子さんだからわたしがあそこに住んでいる限りは長い付き合いになるだろう。聞くタイミングはきっといつかやってくる。気長にいこう。人生は長いってママも言っていたし。

 だって、そうでしょう?
 なにしろ、わたしとケイタくんは今日が初対面なんだから。




20140120

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