最後の一歩


信じられない、と呟いた。その呟きを律儀にも拾ってくださって、クスクスと笑われた。テーブルの上、二人の間に置かれた紙を眺める。

「やっぱり信じられない」
「なんで?」
「だって、浩輔だよ?」
「うん」

浩輔なのに、と繰り返したら、やっぱりまた笑われた。テーブルの上、浩輔のほうには灰皿があるけど、今日はそこに1本の吸殻も入れられてない。頬杖をついてる浩輔の指には薬指に光る指輪。………右手側に指輪。

「奈々子、ホラ、あとそれだけだろ?」
「そうなんだけど、やっぱり、なんか実感ないというか、信じられないというか」
「じゃあ止める?」

私が止めるって言えば、簡単に止めてしまうのか、と聞き返そうとして、目を見て、そんなことすら言えない。らしくない、不安の瞳とぶつかった。

「止めたくないよ」
「じゃあ、あと一息じゃん」

浩輔が短く息を吐き出した。タバコを1本も吸っていないのは、緊張しているからなのか、とようやく合点がいった。

「浩輔、お願い、してもいい?」
「何?浮気しないよ?」
「それは基本中の基本の暗黙の了解で。じゃなくてね、」

今からお願いしようとしてることが、自分でもバカらしくて、なかなか続きが言えない。

「詐欺でもないよ?」
「いや、それも基本中の基本にしてください」
「うん?奈々子、言わなきゃわかんないよ?」

だって、とさっき不安の瞳とぶつかってからまたテーブルの上の紙に落としていた視線を上げる。こっちの言いたいことをさも良く分かってます、といった風な笑いを含んだ瞳とかち当たった。

「言わないんだったら、ねぇ、最後の一歩だって」
「………最後の一歩のーこした」
「拗ねなんなよ」
「浩輔のバカ」
「いいよ〜それで。だって折角なんだから本人の口から聞きたいんだもん」

大の大人がもんとか言うな、と言おうか、折角ってなんだ?イジメっ子、と言おうか、バカでいいのか、とか言いたいことは次から次に出てきたけど、肝心の言葉はなかなか言えない。

「奈々子」

名前を呼ばれて、先を促されて。ジッと見詰め合って口を開けば、自分の声か疑いたくなるほど、震えた声が出てきた。

「浩輔は、私でいいの?」
「奈々子がいいの」
「じゃあ、お願い」

一度視線を外して、自分の右手の薬指に嵌った指輪を見る。その輪っかの内側にちゃんと相手の名前が彫ってある。大丈夫。顔を上げて、改めて見詰め合う。

「もう一回、言って」

最後の一歩を持つ手が震える。もう一回だけでいいの?と浩輔が聞いてくる。

「これから、迷ったら、言って。何回でも、その分私は信じるから」

あぁ、なんでだろう。悲しいわけでも、今嬉しいわけでもないくせに、なんで泣けてくるんだろう。横に移動してきた浩輔に柔らかく抱きしめられた。耳元に優しい声が落ちてくる。

「絶対奈々子を幸せにする。俺にしかできないから。だから信じて、結婚してくれ」

今が嬉しくて涙を流すときだと思う。テーブルの上の結婚届。手に持った判子を押そうとしたら浩輔の手が添えられて、二人で押した。

今日から貴方と家族になります。



fin


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