お友達から | ナノ

  意外な一面


知らない場所をひたすら歩き続けている。辺りはもうすっかり暗くなっていて、街中にあるネオン灯が少し眩しく感じるくらいだ。

地図アプリを使ってみても同じところをぐるぐる回り続けていて、何度見ても自分が矢印に従って右を向いているのか左を向いているのかもわからない。

早く帰らなくちゃいけないのに。獪岳先輩は今頃怒っているかもしれない。それかもう出て行ってしまっているかもしれない。先輩に僕の連絡先なんか教えてないし、僕も先輩の連絡先を知らない。

「……あ」

その時ふと、黒死牟さんのことを思い出した。彼の連絡先なら知っている。

でもダメだ。黒死牟さんは仕事中で忙しいだろうし、迷子になったからなんて理由で呼び出そうとするのも勝手すぎる。

じゃあどうすればいいんだろう。
スマホの画面をじっと見つめながら考える。お金もほとんど残ってないからタクシーも使えない。見知らぬ通行人に駅の場所を尋ねるなんて勇気は僕にはないし、交番とか見つけて道案内を頼んだ方がいいのかな。

考えを巡らせていると、じっと見つめていたスマホに突然着信音が鳴り響き、ついさっきまで思い浮かべていた黒死牟さんの名前が出てきた。僕は慌てて通話を選んでスマホを耳元に寄せた。

「も、もしもし……」
『今どこにいる』

黒死牟さんの声だ。居場所を尋ねられてドキッと心臓が跳ねた。

「あっあの……今は外にいて……」
『場所を訊いている』
「えっと……ちょっと、僕にもわからない場所、です……」
『誰かと一緒か』
「いえっ、一人……です」

怒られるかもしれない。でも、黒死牟さんが今まで僕に対して怒ったことは一度もない。ほとんど干渉してこなかったし、感情を表に出すような人でもなかったから。親のような顔を見せたこともなかったから。

だから今から何を言われるのかと、不安もあったけど少しだけ興味もあった。

『……迎えを寄越す』
「……え?」

予想外の台詞に唖然となった。その声には怒りも呆れも感じられない。淡々としていて、いつも通り冷静だった。

『15分以内に向かわせる。そこから動くな』
「えっ!? ちょっ……待ってください!だって黒死牟さん、僕の居場所知らな……あれ? 黒死牟さん? もしもし?」

いつの間にか通話が切られていた。僕自身ですら現在地がわからないのにどうやって迎えなんか寄越すと言うんだ。

だけど動くなと言われた以上大人しく従うしかない。僕は居酒屋が建ち並ぶ中の薄暗い細路地へと移動した。コンクリートの低い段差の上に腰を下ろして膝を抱える。向かいにある大量の植木鉢をじっと見つめた。

──こんなことになっちゃったけど、善逸くんとのオフ楽しかったな。

今日あったことを思い出しながらスマホの連絡先を開いた。数少ない連絡先の中にある『我妻善逸』という名前に思わず口角が緩んだ。

あの後二人でゲームショップに行って、そこで好きなアニメやゲームですごく気が合って──別れる前にお互いの連絡先を交換した。同級生で僕と連絡先を交換したのは善逸くんが初めてだ。交換しようと言われた時はすごく嬉しかった。

「ふふ……」

今度メールする時は何て送ろうかな、とか考えたりして──知らずうちに笑みが溢れる。でもメールを送って彼に鬱陶しがられた嫌だな、と思い直して結局メールは打てずじまいだ。上がっていた口角が下がる。

「はぁ……」

ため息をつきながら膝の中に顔を埋める。目を閉じると、暗闇の中に炭治郎くんの顔が思い浮かんだ。

「ッ……!」

反射的にパッと目を見開いて膝を強く抱いた。
さっきまで善逸くんのことを考えていたのに、どうして炭治郎くんのことが頭に浮かんだんだろう。

──明らかに、さっきの駅での出来事が原因だ。

痴漢されていた僕を助けてくれた上に、怯えて吃る僕を勇気付けようと励ましてくれた。感激と喜びで胸がいっぱいで、思い出しただけで胸がドキドキする。

「……カッコよかったなぁ……」

いつもは可愛らしい笑みを浮かべている炭治郎くんだけど、あんな男らしい顔も見せるんだ。彼の知らない一面を知ることができて嬉しいのもあるけど、思い出してしまうとなかなか興奮がおさまらない。

早くお友達になれたらいいのに──自分のうるさい心臓の音を聴きながらこっそりと思う。

明るくて優しい炭治郎くんは、いつもお日様のような暖かさをみんなに配りながら輝いている。そうなると僕はまるで逆の、雨のようにどこか憂鬱げで仄暗くじめじめした存在。みんなに嫌われて疎まれる存在だ。

友達なんかになれるはずがない。僕なんかが近付いていい存在じゃないんだ、炭治郎くんは。

炭治郎くんに触れられた腕がまだ熱を持っているように感じられて、僕はそっと自分の両腕を抱いた。縮こまる僕の姿はどこまでも地味で誰からみても暗い奴に見えるだろう。想像すると虚しくなってきた。

こんな僕はきっと誰からも愛されない。友達はおろか家族すらいないのだから。僕を産んだ母親は僕を施設に預けて行方をくらませたらしいし、父親に至ってはなんの情報もない。顔も名前も知らなかった。

施設の人からは僕の顔は母親似だって言われたけど──母親の顔なんてろくに覚えていない僕にそんなこと言われてもな、って正直思う。それに小学校に入学したすぐ後に養子にもらわれたから、もう元の親のことなんかどうでもいい。

「…………」

でも、どうして黒死牟さんは僕なんかを養子にもらおうと思ったんだろう。特別なところなんか何一つないのに。施設には僕の他にももっと可愛い子供がたくさんいたのに。勉強ができる子もいれば、すごく足が速い子もいた。なのに、どうして僕だったんだろう。

──もしかして、子供なら誰でも良かったのかな。

後継ぎとか、そういうので独り身の人が養子にもらうこともあるって聞いていたし、仕事の手続きの上で子供が必要だったのかもしれない。いつも仕事が中心な黒死牟さんなら、あり得なくも無い話だ。

思い返しても僕に親らしいことをしてくれたことはなかったし、小さい頃はクレジットカードだけ渡されて家に放置なんてことは当たり前だった。

だからはじめての買い物の時は店員さんによく心配されていたな。ろくに栄養も摂らなかったから背も低いままで育っちゃったし。でも不思議と先生達からは何も言われなかったんだよな。そう思うと唯一僕の親について尋ねてきた人って、不死川くんぐらいだ。

そういえば僕、不死川くんの連絡先知らないよな。小中高と一緒だったのに、どうして交換してこなかったんだろう。でも不死川くんとはそんなに友達っぽい関係でもないし、知らなくても別に不思議じゃないか。善逸くんみたいに二人で会って遊ぶわけでもないし。

「悠様ですね」
「!!」

色々考えながらじっとしていたら、不意にすぐ側から声が聞こえた。驚いて顔を上げたら、スーツ姿の見知らぬ男の人が僕を見下ろしながら立っていた。

「黒死牟様の指示により悠様をお迎えに上がりました」
「ぇっ……」
「表に御車を用意してあります。どうぞこちらへ──」
「えっ、あのっ!まっ待ってください!」

突然上から手を差し伸べられて僕は慌ててその場から退いた。

「何で、あの……僕の居場所がわかるんですか? 僕、あの人に現在地伝えてないのに」
「悠様と必要最低限の会話以外はしないよう指示を受けております。恐れ入りますが、御車まで御同行願います」
「えっ、でも……」
「以降のご質問は御車の中でお願いいたします。中で獪岳様もお待ちしておりますよ」
「えっ!? 先輩が!?」

顔を向けると、男の人の向こうにはたしかに車があった。ここからでは中の様子は見えないが、獪岳先輩がいるのかと思うと余計に乗りたくなくなった。

「あの……何で先輩を連れて来たんですか……?」
「申し訳ございません。私は必要最低限の会話以外はしないよう指示されておりますので、理由については話すことができません」
「えぇ……」
「さぁ悠様、こちらへ」

再び手を差し伸べられて、僕は嫌々ながらその手を取った。ニコリと薄っぺらな笑みを浮かべた男の人が僕の手を引きながら車の方へと向かう。徐々に近づいていく車の窓ガラスは、街のネオンすら反射する黒色に染まっていた。これだけ近寄っても中の様子が見えない。

「どうぞ」
「あっ」

男の人がドアを開けると、中には言われた通り獪岳先輩が座っていた。腕を組んですごく不機嫌そうな顔をしている。

どうしよう。やっぱり乗りたくない。

「……何ボサッと突っ立ってんだよ。さっさと乗れ」
「はっはい……!」

ギロッとキツい目つきで睨まれて僕は慌てて車の中に乗り込んだ。後ろでドアが閉められると音が聞こえると、男の人が外から運転席の方へ回ってきた。

「……何で勝手に出て行った」
「えっ?」

外の様子を見ていたら突然獪岳先輩に声を掛けられた。驚いて顔を向けると、彼はさっきよりもキツい目つきで僕を睨みつけていた。

「何で勝手に出て行ったのか訊いてんだよボケ!」
「ひっ……あっ、あの、すみません……!」
「すみませんじゃねぇ!訳を話せ!」
「今日は、あの、外で、友達……と、会う約束が、あって……」
「だったら一言声くらいかけて行けよ!お前のせいでッ……くそっ!」
「ぁ……す、すみません……」

僕が勝手に出て行った後に何かあったのか──獪岳先輩はそれ以降口を閉ざしてしまって、僕から顔を逸らした。それでも体全体から彼がイライラしているのが伝わる。

「……大体何だよ、そのふざけた胸は」
「え……あっ!」

獪岳先輩に言われてから、今朝胸に詰め込んだタオルがそのままだったことに僕はようやく気が付いた。慌ててパーカーの下からタオルを取ってリュックの中に押し込む。顔はもう真っ赤に変わって、今すぐ消えてしまいたい気持ちだった。

「これはあのっ……違くて……!」
「女装が趣味とかイカれてんな」
「違うんですちがうんです!本当にそうじゃなくて……色々事情があって……」
「ほー……じゃアレか。お前はこんなところで女装フェチの変態野郎共に体を売ってたのか」
「えぇっ!? なっ何ですかそれ!違いますよ!」

飛躍した話に慌てて否定してみせるも、獪岳先輩はニヤニヤした顔を僕に向けて窓の外を親指で指した。

「何が違うってんだ? お前さっきまでこの色街にいたんだろ? どうせ援交とかで小遣い稼ぎでもしてたんだろ」
「ちっ違います!そんなことしてません!本当に友達と会って遊んでただけで──」
「いいぜ、俺は優しいから黙っててやるよ」
「だからっ……」
「お前の“パパ”に内緒にして欲しかったから……わかるよな?」
「ッ……」

肩を掴まれ、顔を寄せられた。
表情からわかる。いくら否定しても、この人は僕の話なんか聞いてくれそうにない。

「……僕に、どうしろって言うんですか……」

声を振り絞りながら尋ねると、獪岳先輩は嫌な笑みを浮かべて僕の前に手を差し出してきた。

「わかんねぇのか? 金だよ、金。お前の過保護なパパに生活費だっつって強請ればいくらか貰えんだろ。それ全部寄越せ」
「えっ!そんな……無理ですよ!」
「うるせぇな。無理じゃねぇんだよ、やるんだよ。じゃなきゃお前が女装して体売り歩いてたってこと学園中に言いふらすぞ」
「まっ待ってくださいよ!そんなのって……あんまりじゃないですか!酷いです!そもそも僕は本当に──」
「何回同じこと言わせんだ!!」
「ひぃっ」

ダンッ!と後ろにあるドアを殴られて背筋が凍った。運転手さんが気付いてくれないのかと視線を向けても、後部座席と運転席の間には半透明の壁のようなものがあって、運転手さんはこちらを見ようともしてしない。助手席にも、他に助けてくれる人は誰もいなかった。

「とにかく金を用意しろ。そうすりゃ大人しく黙っておいてやるよ」
「うっ……うぅっ……」
「泣くな。返事しろ」
「ッ……は、い……」

泣きながら僕が返事をすると先輩は満足げに笑った。僕から身を離して、どっかりとシートに背中を預けた。

「ひっく……ぐすっ……」
「……いつまでメソメソしてんだ。ウゼェから泣くな」
「だ、だって……ぐすっ……」
「アイツから金貰うのなんてお前には簡単なことだろ。生活費全部渡した後でも足りないっつって貰えばいいだけの話じゃねぇか」
「む、むりです……ぐすっ……そんなこと、できません……」
「チッ……この意気地なしが……」

舌打ちされた。僕は何も悪くないのに。

でもどうしよう。黒死牟さんに何て言えばいいんだろう。今まで「足りない」なんて言ったことがないのに。それに、黒死牟さんはいつも多過ぎるくらいお金を振り込んでくる。今はまだ獪岳先輩に話していないけど、もし部屋にある通帳を見られていたらお終いだ。

「……何でお前みたいなのがアイツに……」
「ぐすっ……え?」

何かぶつぶつと呟いたように聞こえたけど、聞き返しても獪岳先輩そっぽを向いたまま何も答えてはくれなかった。

僕たちを乗せた車はそのまま夜の街を抜けて、黒死牟さんのマンションまで走った。



◆◆◆



マンションの前にまで辿り着くと、運転手さんは僕たち降ろしてそのまま車で去ってしまった。先に歩き始めた獪岳先輩に「行くぞ」と言われて僕も慌てて後を追う。

二人でマンションの部屋にまで行くと、中は僕が今朝綺麗にしてきたままの状態で保たれていた。先輩は今までどこで何をしていたんだろう。絶対散らかってるだろうと思っていたのに。

「腹減った」
「え?」
「お前迎えに行かされたせいで飯食いそびれたんだよ」
「あ……す、すみません……」

謝ると先輩は鼻を鳴らしてソファーにまで行ってしまった。彼はそのままテレビをつけてソファーに腰を下ろすとそれきり黙り込んだ。

お腹が空いたんじゃなかったのかな。てっきりまた僕にお金をせびって買い物に行くとばかり思っていたのに、どうしたんだろう。

「……お前何か適当なの作れねーの?」
「えっ……」
「何か料理作れねーのか訊いてんだよ」
「えっあ、作れません……」
「チッ……使えねぇ」
「……すみません……」

どうやら僕に作らせようと思っていたみたいだ。もしかして買い物に出掛けるのも面倒に思ってるのかな。僕を迎えにきたせいで食いそびれたとか言っていたし、疲れているのかもしれない。

「……あ、あの」
「何だよ」
「ぁっ……あの、僕……買いに行きます」
「あ?」
「あ、えっと、だから……食べ物、買ってきます……」

そう言うと獪岳先輩がこっちに振り返った。驚いている、と言うよりは疑るような怪訝な表情をしていた。

「……そんなこと言って逃げる気じゃねぇだろうな」
「し、しませんそんなこと!」
「別にいい」
「えっ」

否定すると先輩はまたテレビの方を向いてしまった。

「お前足怪我してるから」
「あ……」

僕の足のこと、心配してくれてんだ。
この人、意外なところで変な優しさ見せるんだな。

「絶対帰るの遅くなって結局俺がまた迎えに行かされるからもう出るな」
「あ……はい」

全然そんなことなかった。心配どころかむしろ迷惑に思われていた。少しでも優しいとか思った自分が馬鹿だった。

「勝手にピザでも頼むからお前はその辺でじっとしてろ」
「はい……」
「あ、金はお前が払っとけよ」
「えっ……あ、はい……」

本当にクズなんだな、この人。
ソファーから腰を上げてピザ屋に電話している獪岳先輩の横顔を、僕は床の上に座って膝を抱えながらじっと見つめた。チラシもないのにすらすらとピザの名前を言っている。もしかしたらいつも頼んでいるのかもしれない。

「おい」
「えっ?」
「金はあるんだろうな」
「あっ、はい。少しだけなら……」
「いくらだ」
「えっと……二千円ちょっとくらいです……」
「チッ……それだけしか持ってねぇのかよ」

それだけしかないのは先輩が使ったからなのに──でもそんなこと口が裂けても言えないから、僕はまた小さな声で謝って下を俯いた。

先輩はピザの注文を終えると電話を切って再びソファーに腰を下ろした。何も言ってこないけど、支払いはどうせ僕がしなくちゃいけないのだろうから僕は言われる前に玄関まで向かった。


そうしてしばらく待っていたら、リビングの方からインターホンが鳴ったのが聴こえた。じっとしていたら「さっさと出ろ」と先輩に言われたので、せっかく玄関に移動したけど仕方なく再びリビングまで向かった。

カメラには配達員らしき人の姿が映っていたので、僕は一応声を掛けて配達員かどうか確かめてから中に通した。たぶんすぐに来るだろうから、僕はお財布を片手に玄関まで戻った。

玄関のドアを開けて待っていると、長い廊下の向こうにあるエレベーターのところから配達員が出てくるのが見えた。声を掛ける勇気はないのでじっと待っていたら配達員は僕の姿に気付いて小走りで来てくれた。

「こんばんは〜。ご注文された稲玉様ですか?」
「あ……あぁ、はい……」
「あーすみません、お待たせしました!こちらがご注文された“贅沢クワトロミートMサイズ”です!お間違いないですかね?」
「あっ……えっと、はい……」
「ではこちら……えー、2,589円ですね」
「えっ!」

予想以上の値段だった。
足りるだろうか──そっとお財布の中を覗いたら、二千円の他に小銭が600円残っていた。良かった。ギリギリ足りた。

「はい……あの、じゃあこれで……」
「はい!……はい、2,600円ですねー。ではこちら……お返しが11円です。どうぞ」
「あ、はい……」
「どうも!ありがとうございましたー!」
「えっあ、はい、ありがとうございます……」

支払いが済むと配達員は笑顔で頭を下げて、また小走りでエレベーターの方にまで行ってしまった。僕はほぼ空っぽになってしまったお財布と、出来立てのピザの入った温かい箱を持ちながら部屋に戻った。


「先輩、ピザ届きました……」
「わかってんだよそんなこと。いいからそこ置けよ」
「は、はい……」

頼んだピザがようやく届いたのにまだ機嫌が悪そうだ。そんなにお腹が空いててイライラしてたのかな。

もうこれ以上八つ当たりされたくなくて僕はビクビクしながら先輩の前にあるローテーブルの上にピザを置いた。そのまま逃げるようにして部屋に行こうとすると「おい」と低い声で後ろから呼び止められた。僕は恐る恐る振り返った。

「な……何ですか……」
「飲み物がねぇだろ」
「え……」
「何か出せ」

何か、って言われても。

「……お水でいいですか?」
「はあ? お茶もねぇのかここは」
「す、すみません……」

だから買って来ますって言ったのに。
どうすればいいのかわからなくて俯いていると、獪岳先輩は「もういい」と不貞腐れたように言ってピザの箱を開けた。

箱が開けられて、リビングにピザの匂いが一気に広がった。すごく美味しそうな匂いだった。

そういえば昨日の夜から何も食べていないことを思い出した。思い出すと同時にお腹が空いて、思わずお腹を両手で押さえた。ピザを食べながらテレビを見ている先輩の後ろ姿を眺めながら、僕は小さくため息をついて部屋に戻った。

──明日早起きして竈門ベーカリーに行ったら、朝ご飯用のパンを二つくらい買おう。でもその前にコンビニに寄ってお金を下ろさないと、今はたった11円しかないんだから何も買えない。

ベッドに腰掛けて再びため息をつくと、リビングの方から「おい!」とまた獪岳先輩の声が聞こえた。今度は何なんだ。

嫌々ながら部屋から出て行くと、リビングでは獪岳先輩が相変わらずテレビを見ながらこちらに背を向けていた。

「…………」
「…………」
「……あ、あの……」
「…………」
「……何ですか……?」
「来い」
「えっあ、はい」

反射的に返事をしてしまって、仕方ないのでゆっくりと先輩の元まで歩み寄った。近付くと、ローテーブルの上にある箱の中にはまだピザが二切れほど残っていた。

「食え」
「えっ」
「その部分好きじゃねぇから食っていい」
「えっ……」

その部分とは──もう一度視線をピザに向けると、ミニトマトとサラミとオリーブが乗ったいかにもピザらしいピザが残っていた。一見すると美味しそうだけど、先輩はコレの何が嫌いんだろう。

と言うよりもまず、食べてもいいなんてこの人の口から出るなんて予想だにしなかったからかなりビックリしている。先輩のことだから、嫌いなものがあるなら僕に譲らずそのまま捨てそうなものだけど──

「……あの、いいんですか?」
「いーからさっさと食えよ。何度も言わせんな」
「あっはい、すみません。……いただきます」

僕はローテーブルの近くまで行くと床の上に座った。ソファーには獪岳先輩が座っていて、僕には見向きもせずにテレビをじっと見ている。僕は先輩の目が向いていない内に、残されたピザを一切れ摘んで食べた。

「……!」

美味しい。ピザなんかすごく久しぶりに食べた気がする。前頼んだのは確か小学校高学年くらいの時で、一枚を全部食べきれなくて残しちゃったからそれ以来頼もうとしなかった。

でも久しぶりに食べてみてもその美味しさは変わっていなくて少し懐かしい感じがした。お腹が空いていたのもあって、僕は夢中になってピザを頬張った。

「……うまいか」
「んっ」

飲み込もうとした瞬間に声を掛けられて噎せそうになった。なんとか飲み込んで顔を向けたら、先輩がいつの間にかこちらに視線を向けていた。

「お、美味しい、です」
「ふぅん……」

また目を逸らされた。つまんなさそうな顔でテレビを見ている。

「……先輩、コレ嫌いなんですか?」

残りの一切れを指したら、先輩はこちらに目も向けず眉間に皺だけ寄せた。

「ンな気色悪いもの食えるか」
「えっ……」

気色悪いって、何のことを言っているんだろう。もしかしてオリーブの実のことを言ってるのかな。

「……先輩、オリーブの実が嫌いなんですか?」
「うるせぇな。黙って食えよ」
「あ……はい……」

図星だったのか先輩は更に眉を潜ませた。僕は最後の一切れを食べながら先輩の顔からテレビへと視線を移した。

画面にはクイズ番組が映っていて、僕と年の変わらないような若い人達が問題に答えていた。今ちょうどその問題が映し出されていて、出演者達はみんな頭を捻っていた。

「……Bだろ」
「……!」

ボソッと小さな声で先輩が呟いた後、画面に大きく『B』と答えが映し出された。その瞬間先輩の顔がニヤリと変わったのが見えて少しびっくりした。番組の中では当たらなかった人達の嘆き声が上がっている。

「……先輩、よく分かりましたね」
「あ?」

思わず出てしまった僕の言葉に先輩が反応を見せた。

「……あんなもん普通わかるだろ」
「でも……あの人達誰も答えられなかったですよ。僕も分からなかったですし……」
「アイツらとお前が馬鹿なだけだ」
「う……」

あの人達がどうかは知らないけど、僕の頭の悪さを指摘されて少し凹んだ。黙々とピザを食べながら僕は画面を見つめた。

今度のは超難問らしく、出演者達はみんな「わからない」と頭を抱えている。ただでさえ頭の回転が遅い僕にはもうちんぷんかんだった。

「……先輩、分かりますか?」
「…………」
「……ですよね、難しいですもんね。僕も全然──」
「C」
「えっ?」

先輩が呟いた後、ナレーションの声と共に答えが『C』であることが発表された。どうして、という目を先輩に向けたら、僕の視線に気付いたのか先輩がこっちを見てまたニヤッと笑った。

「お前わかんなかっただろ」
「は、はい……全然……」
「馬鹿が。もっと勉強しろ」
「だってあんなの……難しいですよ」
「だからお前はガキなんだよ」

人のことさっきから馬鹿とかガキとか──オリーブの実も食べられない人が偉そうに言わないでほしい。

「何だよ、何か言いたいことでもあるのか?」
「……ないです」
「くく……それ食ったら後片付けしとけよ」
「えっ」
「シャワー浴びる」
「ちょっ……」

獪岳先輩は腰を上げるとそのまま僕を残して脱衣所の方にまで行ってしまった。

結局また僕が片付けなくちゃいけないのか──勝手なことばかりな先輩とそれを断れない自分に腹を立てながら、僕は食べかけのピザに勢いよく齧り付いた。

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