お友達から | ナノ

  伝わらない


昨日は色々あり過ぎた。おかげで変な夢まで見てしまったし。内容は黒死牟さんが目がいっぱいある鬼みたいな姿になって僕を食べる夢。悪夢に他ならない。今朝は本当に最悪な目覚めだった。

それでも今日も竈門ベーカリーに寄っていつものように餡パンを購入する。毎度お店で出迎えてくれるのは炭治郎くんのお母さん。凄く綺麗で優しい人だ。僕は綺麗な人を前にすると余計うまく話せなくなるので、炭治郎くんのお母さんに話しかけられてもいつもゴニョゴニョとしか返事できない。


「結局今日も会えなかった……」

炭治郎くんは朝早くにパンを作り終えると兄弟と一緒に家を出てしまうらしい。それがなかなか早いらしいから僕はいつも会えないでいる。まあ、タイミングが合わないのも原因の一つだろうけど。

買ったばかりの餡パンを潰さないようにそっと鞄に入れて、僕は毎度の如く一人で学園まで登校する。

僕が住んでるマンションのご近所さんはみんな赤の他人。だから会っても挨拶なんかされたことない。一度前に僕から挨拶をしたことがあるけど無視されてしまった。もうそこで僕の心はバッキバキに折れてしまって、その日以来僕は他人とは挨拶できなくなってしまった。

「ん……あ、おいお前」
「え?」

校門を通り抜けようとしたら金髪の生徒に呼び止められた。
どこかで見た顔だ──あ、炭治郎くんと同じクラスのなんとか善逸くんだ。いつも炭治郎くんと一緒にいるのを見かけていたから顔は覚えている。

「えーっと……なんとか、善逸くん?」
「我妻だよ!お前確か隣のクラスの……えーっと、加藤?」
「継国悠だよ……」
「あーそうだっけ。まあどうでもいいや。それよりお前、髪の毛ちょっと伸びてるぞ」
「えっ」

耳元を指差されて思わず手を伸ばした。触れると確かに長い気がする。最後に髪を切ったのいつだったっけ。

「あと前髪も。さすがに伸び過ぎ。目が全然見えてねーじゃん。よくそれで真っ直ぐ歩けるなお前」
「うん……これでも結構見えてる方だから……」
「いやそんなことどうでもいいから。早く切っとかないと冨岡先生に叱られるぞ」
「えっ、何で……」
「風紀委員なの!俺が!でもって冨岡先生が生活指導員なんだよ!」

そうだったのか。僕はいつも遠巻きになんかやってるなぁってくらいの感覚で見てたけど、アレ風紀の検査だったのか。全然気がつかなった。

「とにかく次の検査にまでは切っとけよ。今日は初犯だし許すから」
「なんか軽犯罪犯した犯罪者みたいな扱いされた気がするんだけど……。まあいいや、ありがとう。次までには切っとくね」
「おー、忘れんなよー」

我妻善逸くん、初めて話したけど結構気さくでいい人だった。髪の毛の違反も見逃してくれたし、やっぱり炭治郎くんの友達は優しい人が多いんだな。だけど今度は言われないように気をつけないと。

「おい継国」
「えっ?」

今度はいつ髪を切ろうかな、なんて考えながらのんびり校舎に向かっていたら、突然背後から声をかけられた。呼ばれたので当然のように振り返ったその時──目の前に何か細長いものが勢いよく降りてきた。

「ヒュッ……」

間一髪のところで僕は後ろに下がってそれを避けきることができた。そして僕のすぐ目の前の足元に力強く落ちてきたのは、竹刀の切先──そこから視線を辿ると、竹刀を構えていたのは体育教師の冨岡義勇先生だった。

「せ、んせ……えっ、何で……竹刀……」
「髪が長い」
「えっ」
「切れ」

いきなり竹刀で襲われたかと思えば髪の毛を切るように言われた。意味がわからない。そもそも竹刀で攻撃する意味があったのか。下手したら大怪我するぞ。朝から大惨事だぞ。

「……す、すみません……。次の休みに、切ってきます……」
「その前髪……見ているだけで鬱陶しい。そもそも校則違反だ。ハサミを貸してやるから今すぐどうにかしろ」
「そんな……」

いくらなんでも無茶苦茶だろう。僕本当に不器用だから自分で髪なんか切ったら絶対ヤバいことになるよ。そうでなくても今すぐここで切れなんて普通言ったりしないよ。この人変な人だ。怖い。

「あの……本当に勘弁してください……せめて明日まで待ってください……」
「自分で切れないと言うのなら俺が切ってやってもいいんだぞ」
「いえ本当にそれだけはどうかご勘弁を──」
「何してんだよ」

冨岡先生と押し問答を続けていたら、横から不機嫌そうな声が聞こえた。振り向くと、鞄を肩に担いだ不死川くんがこっちを睨んでいた。

「お前らそこ邪魔」
「あっ……ごめん!」
「行くぞ」
「えっ」
「おい、待て」

邪魔だと言われて慌ててその場から退いだら、すれ違いざまに不死川くんが僕の腕を掴んで引っ張った。そのまま強引に校舎まで連れて行かれそうになっていたところで冨岡先生が後ろから待ったを掛けてきた。

「不死川。お前の髪型は特別に許可が下りているが継国のは認められていないぞ」
「うっせぇーなァ。髪型なんかに一々噛み付いてんじゃねぇーよ。女々しいんだよお前、男のクセに」
「俺は女々しくない」
「つーかそんなこと言ってたらお前の髪だって充分長いだろ。自分さえ良けりゃいいってか。このスパルタ野郎」
「……教師に向けていい発言ではないぞ、不死川」
「うっせぇ。文句あんなら勝手に一人で吠えてろ」
「不死川!」

すごい。相手は教師なのに──下手したら不死川先生より厳しい冨岡先生なのに、不死川くんはちっとも怯まない。臆せず自分の意見をハッキリと伝えている。

カッコいい。僕も不死川くんみたいになりたかった。そうしたらもっと、自分に自信も持てて明るく振る舞えたのに。僕もいっそのこと不死川くんみたいな髪型にして思い切ってイメチェンしてみようかな。そうしたら気持ちだけ不死川くんみたいなワイルドな男に近付けるかもしれない。

「あのっ……不死川くん、ありがとう……!」
「…………」
「あっ」

校舎に入って下駄箱まで辿り着くと、不死川くんは僕の腕をパッと離した。そのまま何にもない顔で自分の上履きと履き替えて僕を残したまま廊下の向こうへ行ってしまった。

また、避けられた。
嫌われたんじゃなかったんだ、なんて淡く期待を抱いていた僕の心に大きな亀裂が入る。同じクラスなんだから最後まで一緒に行ってくれたっていいと思うのに。

あーもう本当に僕ってどうしようもないな。誰からも好かれないしむしろ嫌われてばかりだし、僕の長所なんて僕自身考えても何も思いつかないくらいだ。なんか死にたくなってきた。

「……友達が欲しいよぅ……」

せめてリアルな友達が一人──いや、この際犬でも猫でもハムスターでも構わない。そうだ、ペットを飼おうかな。あ、でもダメだ。ウチのマンションたしかペット禁止だ。最悪。詰んだ。もう死ぬ。寂しくて死ぬ。

──やっぱり、ネトゲの友達しか僕にはできないのかなぁ。

どうしてネットの世界だと別人でいられるんだろう。現実なら女の子に話しかけるなんて絶対できないのに、ネットの世界だとバンバン自分から話しかけることができる。そう考えるとネットって案外怖いな。画面の向こうにいる人の本当の姿なんか一切知らないんだから。聞いた情報でしか判断できない。

でも、光ちゃんとはちょっと会ってみてもいいかなって思えてきた。もちろん僕は性別を偽っているので会えば詐欺に等しい行為に繋がるんだけど、遠目から少しだけでも光ちゃんの姿が見てみたい。

そりゃ、面白くて機転利いててちょっと性格悪くてでも弱ってる時に妙に空気読んで優しいところあったりするけど。そういうところが僕はすごく好きで、考えるだけでもっと仲良くなりたいと思ってしまう。

──会ってみよう、かな。

オフに誘ってきたのは光ちゃんからだし、この際会って「実は男だったんだ、ごめんなさい」って真実を告げよう。それでキモがられたら帰ろう。データ消して新規のデータ作ろう。今度は男キャラで。

僕は教室に向かいながらスマホを取り出した。アプリを開くとフレンドの枠から光ちゃんのページを選び、メッセージを書いた。

『今度のオフ、ちょっと興味あるから行ってみたい。でも私本当にブスでキモいから光ちゃんガッカリさせちゃうかもしれない。それでも大丈夫?』

それだけ書いて僕はオフ状態の光ちゃんにメッセージを送った。これで光ちゃんが次にログインしたら僕のメッセージに気が付いてくれる筈だ。優しい光ちゃんのことだからきっと断ったりはしないと思うけど、やっぱり返事の内容を予想すると胸がドキドキする。

「あーっ!送っちゃったぁ……!」

今更若干の後悔。でももう送ったんだからうじうじしない。あとは大人しく結果を待つのみ。

教室に辿り着くとふふん、と胸を張って自分の席に着いた。今の僕はもう無敵だ。怖いものなしだ。何故なら光ちゃんという僕の女神がついているから。まだ約束したわけじゃないけど今度会う予定になりかけてるから。だから周りのみんなに白い目で見られても平気なのだ。



◆◆◆



昼休みになって、クラスのみんなは一斉に教室から出て行った。たぶんみんな食堂か購買部に行っているんだと思う。それ以外の生徒は大体教室で友達同士で机をくっつけ合ってお弁当を食べている。

僕も今朝買った餡パンを持っていそいそと席を立とうとした。しかし、その時──

「ひえっ!」

ガコンッ!と突然僕の机の向かいに別の机がぶつけられた。びっくりして思わず悲鳴を上げてしまった。一体誰が──と視線だけを前に向けたら、何故か不死川くんが僕の机に自分の机を向かい合わせにくっつけていた。

なにゆえ──僕は頭の中が真っ白になってしまって何も言えなかった。呆然として立ち尽くす僕を不死川くんがギロリと睨んだ。またも悲鳴が漏れる。

「……ここで食え」
「ひっ……」

有無を言わせぬ目だった。お前に拒否権なんかないとでも言いそうな形相だった。僕は訳がわからないまま席に着いて、餡パンの入った袋を目の前に置いた。だけど今度は取られないようにしっかりと袋を握りしめている。絶対に離すもんかという意思を見せつけた。

しかし不死川くんはそんな僕のことなんか一切眼中になく黙々とお弁当を食べ始めた。よく見たら二個もある。そう言えば昨日も二個持ってきてたって言ってたもんな。

「……食わねぇのか?」
「えっ!いやっ、食べる!」

じっと見てたら急にこっちに視線を向けた不死川くんとうっかり目が合った。驚きと気まずさと緊張とでギクシャクしながら僕は目の前の袋を開けた。

「……それだけか?」
「えっ、うん……」

餡パンを取り出したら不死川くんに怪訝な顔をされた。僕は気まずい思いをしながらもゆっくりと餡パンに食らい付いた。

「午後の授業腹空かねーの?」
「大丈夫だよ……」
「ふぅん……」

会話終了。
いやお互いご飯食べてるし静かなことはいいことなんだけどね。なんかね、こう、とにかく、うん、気まずい。

どうしようかなコレ。僕から何か話しかけた方がいいのかな。でもそんな勇気ないし、いざ話しかけてウザがられたらどうしよう。

結局僕は何も言えないまま黙々と餡パンを食べ続けることしかできなくて、お昼ご飯が餡パン一個の僕は不死川くんより早く食べ終えてしまった。めちゃくちゃ気まずい。

「……あの、不死川くん……」
「あ?」
「あっ……あのさ、何で今日……机、くっつけたの?」

勇気を振り絞って疑問に思っていたことを尋ねたら、不死川くんは食べ終えた一個目のお弁当を片付けながら口を開いた。

「お前昨日食堂嫌だっつったろ」
「えっ……!う、うん……言ったけど……」
「なら教室だったら問題ないだろ」
「え〜……う、うーん……」
「……んだよ、文句あんのか」
「ないです。ごめんなさい」

教室も人がまあまあいるから良くはないんだけど、不死川くんがこうして僕のことを考えて行動してくれたんだと思うと素直に嬉しいと思えた。ちょっとだけ心の奥がぽかほとあったかくなった気がする。

「……あの、ありがとう……」
「……飯」
「えっ」
「飯、これ。食え」

不死川くんはそれだけ言うと突然僕の前にもう一つのお弁当を差し出してきた。

「えっ、いやっ、それはいいから──」
「食いたくねぇってのか……?」
「いただきますありがとうございます」

そんな物騒な目で睨まれたら断れないじゃないか。毎回目だけで脅しに掛けてくるの卑怯だぞ君。


僕は不死川くんにじっと睨まれながらもなんとか少しずつお弁当を食べていった。不死川くんのお母さんが作ったというお弁当は、今まで食べたどのお惣菜弁当よりも美味しかった。



◆◆◆



放課後──寄るところも特にないのでいつものように一人で下校していると、学園に一番近い駅の近くにやけに目立つ黒い車が見えた。なんだかすごく見覚えがあるような気がする。

嫌な予感がしたのでその車から遠回りするようにして駅の方へ向かって行ったら、突如ポケットに入れていたスマホがバイブ音を鳴らして震え出した。

慌ててスマホを取り出して見て、僕は思わず「ゲッ」と声を漏らした。画面には、今まで滅多に出たことがなかった人の名前が表示されていた。

「黒死牟さんだ……」

僕はずっと震え続けるスマホと遠くにある黒い車を見比べて、やがて観念したように通話に出た。

「もしもし……」
『こっちに来い』
「えっどこですか……」
『すぐそこだ……そこから俺の車が見えてるだろう』
「あー……」

やっぱりあの車黒死牟さんの車だったんだ。あんないかにもな高級車がタクシーとかと並んで駅前に停まってたら嫌でも目につく。

僕は通話を切って諦めた気持ちで車の方にまで向かった。近付くにつれて車のフロントガラスの向こうに黒死牟さんの姿が見えてきた。相変わらず黒いサングラスに黒いスーツ姿。あまりにも黒一色でむしろ不審者に近いように見える。

運転席側まで近づくと、僕は閉じた状態のサイドガラスを拳で軽く小突いた。意図を察してガラスを下ろしてくれた黒死牟さんが「どうした」と僕を見上げた。

「いや、どうしたじゃないですよ……。むしろこっちの台詞ですから、それ……」
「早く乗れ……家まで送る」
「えっ!そんな……大丈夫ですよ!僕一人でちゃんと帰れます!」
「この近くで不審者が出たと情報が入った……主に学生が狙われているらしい」
「えっ……そうなんですか? それは……知らなかったです……」
「学園側はそういった情報も生徒達に伝えないのか……。危機管理がなっていないな……」
「いやでも……まだ明るいですから……」
「いいから乗れ」
「あっはい」

ここでも有無を言わせぬ力強い眼差しを向けられた。僕は黒死牟さんに従って大人しく助手席へと座った。

シートベルトを締めると黒死牟さんはすぐに車を発進させる。僕は車の中で、日も落ちかけた夕空をガラス越しにじっと眺めていた。

それにしても──どうして黒死牟さんは今回迎えに来てくれたんだろう。普段なら不審者が出たとかそんな理由だけじゃ絶対に会いに来たりしないのに。というかよく考えたら黒死牟さんが僕に会いに来たの今日で二日連続じゃないか。こんなこと滅多にないぞ。本当にどうしたんだろう。

チラリと黒死牟さんの方を盗み見ると、彼は真っ直ぐ前を見据えながら静かに運転に集中していた。僕の方には一切目を向けない。

寡黙的で、無愛想で、いつも何考えてるのか全然わかんない人だけど、顔はすっごく綺麗なんだよなぁ。長い黒髪も艶やかで、一つに結った髪型もよく似合っているしちゃんとカッコよく見える。どこにも嫌味の見つからないかっこよさだ。これが自然体、って言った方が近いのかもしれない。

ちょっとだけ、羨ましいとか、思ったりして。

「……なんだ」
「えっ……」
「先程から…私を見ているだろう……。何か言いたいのなら…ハッキリ言え……」
「いえっ、すみません……!用とかは特になくて……じっと見てすみません……」

何で僕がじっと見ていたことが分かったんだろう。彼は一度も僕の方へ視線を向けなかったのに。あれかな、視線を感じ取ったってやつかな。

「お前は少し……いや、かなり鈍い……」
「えっ……何ですか急に……」
「加えて無欲だ……生活費以外に金を使おうとしない」
「そりゃ……あのお金は黒死牟さんが働いて稼いで来てくれたお金で……僕が遊ぶために使うお金じゃないですから……」
「もっとお前は……欲を持て……」
「いや、ですから──」
「それとその呼び方は改めろと言ったはずだ」
「っ……」

赤信号で車が止まった。そのタイミングでようやく黒死牟さんが僕の方へ視線を向けた。相変わらず何を考えているのかまるでわからない目だった。僕はその目が怖くて咄嗟に目を逸らしてしまった。

「……そんな急には、ムリです……」
「……では、せめて……」
「えっ?」
「せめて家の中では……その呼び方を変えろ……」
「あ……は、い……」

黒死牟さんは、“黒死牟さん”って呼ばれるのが嫌なのかな。でも今までそんなこと気にしたことなかったのに。最近の黒死牟さんは少し変──いや、だいぶ変だ。なんかこう、性格が少しマイルドになった気がする。

以前までの黒死牟さんはもっと冷徹で、何事にも動じない人形みたいな人だった。家族とか友人とか恋人とか、そういう人間関係の絆的なものに一切興味がなさそうだったのに。今じゃ僕からの呼び方にやたらこだわっている。

「……あの、どうしてそんなに呼び方を気にするんですか? 前までそんなこと全然気にしてなかったのに……」
「…………」

勇気を出して訊いてみたけど、黒死牟さんが答えを返してくれることはなかった。

何か地雷でも踏んだのか──それきり彼はマンションに着くまで頑なに口を閉ざしてしまった。



◆◆◆



気まずい雰囲気が部屋の中に充満している。

それもそのはず──黒死牟さんが未だ部屋の中にいるからだ。

いや、この部屋は確かに黒死牟さんが買ったものだから彼がここに居座るのはなんらおかしなことではないのだけれど。普段なら来ても上がらずに速攻でいなくなるような人が、何故か今日は部屋に上がってソファーの上に座って寛いでいる。

えっ本当にどうしちゃったのこの人。昨日からちょっと様子が変だ。どうかしたらこのまま明日まで泊まっていきそうなレベルの寛ぎ具合だ。まあ、彼の家はここだから泊まるって言い方は少し変だけど。

どうしようかなこれ。コーヒーとか出してあげた方がいいのかな。でも僕が飲むコーヒーってインスタントコーヒーだし、たまにしか飲まないからこだわりとかもないし、そもそも黒死牟さんってコーヒー飲むのかな。

「あの……黒死牟さ──」
「呼び方」
「あっ……」

声かけた瞬間注意された。そんなに呼ばれたいのか、パパって。でも今更だけどパパってちょっと恥ずかしいな。

「……えっと……お、お父さん……」
「…………」

え〜何で返事してくれないんだ。これハズレなのか。それとも当たりなのか。無反応だからよくわからない。というよりも反応あれば当たり判定なのか。どうなんだこれ。

「……コーヒー、飲みますか?」
「……何故パパと呼ばない」

ハズレだったかー。そうかそうかー。パパが良いわけですね、はいはい。無理です。

「えーっと……流石に……パパ、は幼稚かなって……恥ずかしいし」
「家の中でなら…恥じる必要はない……」
「いえあの、そもそも黒死牟さんに言うのが──」
「呼び方」
「…………」

こだわりが強すぎる。そんなにパパって呼ばれたいのか。

「……っ、パ……パパ……」
「何だ」

うわっ呼んだらこっち見た。さっきまでソファーに座って前しか見てなかったくせに、パパ呼びしたら急にこっちに顔を振り返らせた。

もしかして嬉しかったのかな。全然そんな風には見えないけど、こうして目でわかるくらいの反応を返すってことはそれなりに嬉しいってことなんだと思うけど。

黒死牟さんって、案外可愛いところあるんだな──

「……えと、コーヒー飲みますか?」
「いらん」
「…………」

──と思えばもうそっぽ向いてしまった。やっぱ可愛くないな、この人。

「……今日は、泊まって行くんですか?」

コーヒーを淹れる気も無くなったので、僕はキッチンで暇を持て余しながら黒死牟さんに尋ねてみた。彼は未だに真っ直ぐ前を見据えている。表情は窺えないけど、どうせまたいつもの無表情なんだろう。

「……私がいると…嫌なのか」
「えっ、やっ、嫌とかじゃないですけど……ほら、ご飯とか……どうするのかなって」
「……普段お前は…何を食べている」
「えっ……あ、普段は……コンビニとか……その辺で買ったお弁当とかお惣菜とか……」
「なんだと……?」
「っ!」

さっきまで前を向いていた黒死牟さんが急にこちらへ振り返った。相変わらずの無表情なのに、その無表情が今はなんだか怖く見える。

黒死牟さんはそのままソファーから腰を上げると、僕がいるキッチンの方にまで歩み寄ってきた。僕はもう蛇に睨まれたカエルみたいに動けなくなって、近寄ってくる彼の無表情をじっと見つめ続けた。

ついに目の前までやって来た黒死牟さんが、無言の圧力を僕の上からかけてきた。

「…………あの、何か──ぁっ」

恐る恐る機嫌をうかがうと、突然黒死牟さんに抱き締められた。驚いている間に彼は僕をそのまま持ち上げてキッチンから離れて行く。どこに連れて行く気なのか──

「えっあの、黒死牟さ──」
「呼び方」
「いやっ、今そんなこと言われても……わっ!」

混乱状態で慌てていると今度はソファーの上に落とされた。弾力のある革製のソファーは僕の身体をしっかりと受け止めて、そこそこ広さもあるから簡単には転げ落ちない。

何故ソファーにまで連れて来られたのか分からなくて、僕がそのまま身を起こそうとすると上から黒死牟さんが覆い被さってきた。押し倒されたみたいな体勢で上からじっと見下ろされ、僕はもう緊張と恐怖で身体がガチガチに固まってしまった。

「えっ……な、なっ何……ひぇっ!」

怯えて動けなくなっている僕のシャツを黒死牟さんは突然下から捲り上げてきた。胸元が見える位置までシャツを上げられたので僕のお腹はいま黒死牟さんに丸見え状態だ。

「なっ何ですか!?」
「……痩せているな」
「へっ!?」
「むしろこれは……痩せ過ぎだ……」
「えっと……」
「ろくなものを……食べていないだろう……」

黒死牟さんの咎めるような目に何も言えなくなった。

朝は抜いてることが多いし、お昼はもっぱら餡パン一つだし、晩ご飯はコンビニとかスーパーで買ったものばかりで、自炊なんてほとんどやったことがない。

体に悪いとは思っている。事実、体育の授業でもすぐにへばってしまうし、体重だって平均値より低い。でもそんなこと、一々気にする人いなかったから──僕も全然気にしてこなった。

「……すみません」

明確に叱られた訳ではないけど、気が付けば僕はもう謝っていた。それが悪いことだって自覚しているからだ。

黒死牟さんはしばらく押し黙って僕の身体をまじまじと見つめ続けた。あんまり見れると恥ずかしいんだけど、いつまで見ているつもりなんだろう。

「……あの……まだ、何か──ひっ!」
「筋肉もないのか……」

突然お腹を触られた。撫でるような手つきで僕の腹筋の上に黒死牟さんの手が這っている。その手の冷たさと皮膚が擦れるくすぐったさに僕は身を捩らせて逃げようとした。

「ちょっと……ッ!」
「肋骨まで見ているぞ……」

お腹の上を這っていた手がそのまま胸元まで滑ってきた。浮いた肋骨をなぞるようにして丁寧な手つきで触れてくる黒死牟さんに、そんな気がないってわかっていても顔が熱くなってくる。

「わっ、わかりましたから……ッそんな触らないでください!」
「栄養のある食事を……しっかり摂ると誓え」
「誓います!誓いますから!離れて!」

黒死牟さんに散々身体を弄ばれてからようやく僕は解放された。床の上に座り込んでゼェゼェ息を荒げている僕を、黒死牟さんはソファーに座って無表情で見下ろしている。何だその涼しげな顔は。腹立つな。

「……これからは……抜き打ちで……お前の食生活を確認しに来る……」
「えっ!?」

それってつまり──今までより高頻度でここに来るって事?

「別にそこまでしなくても……。メールとか使って画像送りますよ」
「偽造可能な連絡ツールは……使用しない」
「あっ……そうですか」

信用されてないんだな。まあ、今までろくに交流してこなかったし仕方ないんだろうけど。でもわざわざ確認しに来るくらいなら、いっそのこと毎日ここに居ればいいのに。

──いや、毎日は嫌かもしれない。話すこと無さすぎて会話に困る。気まずくて息苦しい生活になりそうだ。

「金なら…いくら使っても構わない。少しは…自炊を…心掛けろ」
「はい……」

自炊なんてろくにしたことないのにどうしろと──先の見えない不安に項垂れていると、不意に黒死牟さんがソファーから立ち上がった。そのまま玄関の方へ向かったので、ああまた出て行くんだな、と悟った。

「……行ってらっしゃい」

聞こえなかったのか、それともわざとなのか──僕の声に黒死牟さんからの返事はなかった。

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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
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