お友達から | ナノ

  救いの手


保健室で一人ティッシュで鼻を押さえながら待機していたら、その内保健医の珠世先生がやって来た。

先生は最初、血だらけになったティッシュで鼻を押さえる僕を見てすごく驚いていたけど、流石保健医というだけあってかすぐに処置に移ってくれた。



「しばらくそのままじっとしているのよ」
「はい……」

その後珠世先生に清潔なガーゼと新しいティッシュをもらって「これで押さえていなさい」と言われた。

これでもう安心だと思ったけど、どうやら先生はまだ用事が残っていたらしく、僕の処置が済むとすぐに保健室から出て行ってしまった。後10分くらいはこのままだって言われたけど、鼻血ってそんなに押さえてなくちゃ治らないのか。

嫌だな。結局体育は休んじゃったし、玄弥くんにも迷惑かけちゃったし、おまけにあの憧れの炭治郎くんにカッコ悪いところを見られちゃったし。

「はぁ……」

でも、流石に鼻血程度では保護者に連絡されることはないと思うからこの失態が黒死牟さんに知られることはないだろう。まあ、知られたところであの人はもう僕のことなんかどうでもいいと思ってるだろうし、今更僕が気にする必要なんかないか。

「相変わらず鈍臭い奴だな」
「!!」

俯いてじっとしていたら不意に保健室の出入り口から声が聞こえた。それも、すごく聞き覚えのある声だ。
弾かれたように顔を上げると、その先には壁に寄り掛かってニヤニヤと笑っている獪岳先輩が立っていた。

「かっ、獪岳先輩……!?」
「窓から見えてたぜ。お前の失笑レベルの無様な姿」
「う……」

窓から見えてたって──ああ、そうか。この人はきっとグラウンドにいる僕を教室の窓から見下ろしていたんだろう。いや、でもそうだとしたら何でまだ授業中なのにここに居るんだ。そもそも何しに来たんだこの人。

「あの、何でここに……」
「あ? そんなのお前をからかう為に来たに決まってんだろ」
「ですよねー……」

この人なら言うと思った。間違っても心配して様子見に来てくれたなどと思ってはいけない。期待してはいけないんだ、この人には。

「ま、つーのは建前で……実際のところはお前と話すタイミングが欲しかったから来ただけだ」
「え?」
「今なら誰にも邪魔される心配がねぇからな」

そう言って獪岳先輩は保健室に入ると後ろ手に扉を閉めた。一歩ずつ僕の元まで歩み寄って来る獪岳先輩の表情は少し楽しげで、どこか怖い。まるで獲物を狩る時の獣のような目で僕を真っ直ぐ見つめている。

「ハッ。ぶるぶる震えてまるで怯えたウサギだな。とって食ったりしねぇからそんなに怯えんなよ」
「……っ」

この人の言うことの99.9%は信用できないのだからこうして怯えているんじゃないか。逃げたってきっとすぐに捕まるだろうし、刃向かったらどんな酷い目に遭わされるか分かったもんじゃない。僕はもうこうして震えて怯えていることしかできないんだ。

「なぁ……お前、前に俺とした約束覚えてるよなぁ」
「や……約束……?」
「覚えてねぇなんて言わせねーぞ」
「ひっ」

上からギロリと睨まれて思わず肩が跳ね上がった。その目付きと言ったら、動いたら殺されると錯覚させられ全身の震えがぴたりと止まるほどの迫力だった。

「お前の生活費をまだ俺は貰ってねぇんだよ」
「な、何の話──はっ!」

いきなり何を言い出しかと思えば──あの女装した日の話をしているのか?

僕の生活費を先輩に捧げる代わりにありもしない話を言いふらさないという、あのとんでもない理不尽な取り引き──

「思い出したか?」
「そんな……あの、あれはだって……」
「チッ……そうやってグダグダ言って踏み倒すつもりか?」
「踏み倒すって……」

そんな、別に借金したわけでもないのに──踏み倒すって言い方はないんじゃないのか。そもそもあの生活費だって僕のお金じゃないんだから先輩にあげられる訳ないのに、いつまで僕に無心するつもりなんだろう。

「約束が守れねーってんなら、お前が女装趣味の体売り歩く変態ヤローだって事実を学園中に広めてやるよ」
「……っ!」

そんなの、事実でもなんでもない酷い嘘なのに。
先輩が怖くて何も言えない自分に腹が立って、すごく悔しくて──溢れそうになった涙を堪えながら唇を強く噛み締めた。

「否定しねぇってことは事実なんだろ。さっさと自分の性癖認めて大人しく金寄越せよ。バラされて援交出来なくなってもいいのか?」

この人って──本当に本物のクズなんだな。

「悠がそんなことするわけないだろ」
「!!」
「ぇっ……」

明らかに先輩のものではない声に驚いて顔を上げた。僕と同じように驚いて後ろを振り返る先輩の背後に人影が見えた。

「あ……」

いつの間にか開けられていた保健室の出入り口には、瞬きのない真っ直ぐな目で先輩を睨み付けている玄弥くんと、善逸くんの姿があった。

どうして二人がここに──

「何だテメェ……何でカスがここに居るんだよ」
「アンタの方こそ何でここに居るんだよ。怪我したってわけでもないくせに」
「お前には関係ねぇ。引っ込んでろ」
「嫌だ」

善逸くんのハッキリとした拒絶に獪岳先輩は顔を歪めた。グッと堪えるように善逸くんは拳を握ったけど、先輩が更に目つきを鋭くさせて睨み付けると善逸くんは少し怯んだように一歩退いで眉根を寄せた。

何だろう。先輩と善逸くんは知り合いなのかな。

「チッ……カスのくせに生意気な……俺の足元にも及ばねぇ奴が今更何だってんだ。また叩きのめされてぇのか?」
「……別に、俺はアンタに用があって来たんじゃない。関わりたくないのは俺だって一緒なんだから……」
「じゃあさっさと失せろ!目障りなんだよ!」
「……っ」
「せ、先輩……!」

やめてよ。善逸くんに酷いこと言わないでよ。どうしてそんな酷いことばっかり言ったりするんだよ。善逸くんは別に何も悪いことなんかしてないのに。

「……ぜ、善逸くんに……」
「あー?」
「ぅ……っぜ、善逸くんに……酷いこと……言わないで、ください……」

言った。言ったぞ。ついに言ってやった。あのおっかない獪岳先輩に物申せた。ほら、僕だってやればでき──

「うるせぇよ」
「ぁッ……」

ドッ、と肩を強く押された。

パイプ椅子に座っていた僕はたったそれだけの衝撃でバランスを崩して、椅子ごと床に倒れ込んだ。

「悠!」
「悠!」

派手な音が保健室に響いた。
ほぼ同じタイミングで玄弥くんと善逸くんの声が重なって聞こえてきて、その直後に頭にじわりと痛みが走った。どうやらパイプ椅子の金属部分に額をぶつけたようだ。
滲む視界に走り寄って来る二人の足が見えて喉が震えた。

「大丈夫か!?」
「……ぃたい……」
「チッ……大袈裟なんだよグズが……」
「獪岳お前ッ──!」
「あーウゼェ。しらけた。あとは好きにやってくれ」
「獪岳!!」

善逸くんの怒鳴り声の後に離れていく足音が聞こえた。ああ、あの人ついに居なくなってくれたのか。心底ホッとしたけど頭はまだ痛くてちょっと今は動けそうにない。

「おい、どっか打ったのか?」
「ぁ……あたま……」
「どの辺だ?」
「おでこ……」

打ったところを触ろうと手を伸ばしたら不意に手を取られた。視線を向けたら玄弥くんが苦々しい顔で僕を見下ろしていた。

「……馬鹿が……」

えっ、それはちょっと酷くないかキミ──

「善逸、彼の様子はどうだった?」
「あ、炭治郎……」
「!!」

た、た、た、たたたた炭治郎くん!?

「っ!!」
「悠……!?」

炭治郎くんという名前とおそらく彼のものであろう声に僕は弾かれたように身を起こして出入り口の方へ顔を向けた。

「あ……君は──」
「──ッ!!」

眩い光の先に“彼”はいた。

神々しいまでの後光が見えて神様なのではないのかと一瞬思ったが──あの特徴的な赤みがかった髪と瞳の持ち主は、間違いなく竈門炭治郎くんのものだ。

「あっ!」
「おい!」

視認した瞬間に、僕は鬼に出会ったみたいにすっ飛んで逃げ出した。それも炭治郎くんがいる出入り口と反対側にある窓の方へ。

「待ちやがれ!」
「ゔっ!!」

一階だから大丈夫だと自分に言い聞かせて窓から飛び出そうとしたのだが──それよりも早く玄弥くんは僕の襟を掴んで逃走を阻止した。ジャージの前を閉めていたので当然僕の首は絞まって後ろへ倒れることとなる。が、それを玄弥くんが支えてくれて再び頭を打つことは免れた。

「頭打ってんだから下手に動くな!」
「え!? 頭も打っていたのか!?」
「あー違う炭治郎。頭の方は……」
「大変じゃないか!」
「ヒェッ」

玄弥くんに拘束されて身動きが取れない中で、なんと炭治郎くんが僕の元まで駆け付けてきた。今すぐこの場から逃げ出したいというのに玄弥くんは全然離してくれないし炭治郎くんはいつの間にか僕の目の前にまでやって来て跪いているし──

「鼻だけじゃなく頭まで打っていたなんて……」

えっ、な、なに、何ですかその手は。何でこっちに手を伸ばし──

「どこを打ったんだ?」
「ッ……!」
「伊之助に当てられたところがまだ痛むのか?」

た、炭治郎くんの手が、ぼ、ぼくの、おで、おでこに、あた、当たっ、当たって、顔が、綺麗な、顔、すぐ、すぐ近くに──!!

「ぁぐ……」
「なっ!?」
「ちょっ!」
「おい!」

目の前にある炭治郎くんのご尊顔に、超クソ雑魚な僕の限界値はついに頂点を超えてしまい──三人の驚く声を最後に、僕の意識はプッツリとブラックアウトした。



◆◆◆



「起きなさい」

何かが聞こえる。

「目を開けて」

ふわふわと、まるで羽のように軽い。
それでいてどこか、夢のような現実味のない声だった。

「継国悠さん。起きてください。もうお昼ですよ」
「!!」

浮上してきた意識の中でハッキリと聞こえたその声に僕はようやく自分の瞼を開いた。

広がった視界に映ったのは珠世先生のお美しいお顔と、見知らぬ男子生徒と何故かいた玄弥くんの険しい顔。

──あれ? 僕は、今まで何をしていたんだ?

「やっと起きた……」
「いつまで寝てるつもりだ」
「まだちょっと呆然としてるみたいですね……」

くすくすと笑い声が聞こえる。そして聞き覚えのある重たい溜息も。

困惑しながらも僕はごちゃごちゃになった頭の中を掻き分けてこの状況に繋がる記憶を探し出した。

「みんな貴方のこと心配していたのよ? 急に気絶したって青い顔で善逸さんが言うから……」
「あ……」
「打ちどころが悪かったのかもって慌てていたわ」

思い出した。思い出してしまった。
あのとんでもなく恥ずかしい失態を。目も当てられない醜態を。

よりにもよって、炭治郎くんに見られてしまったという、現実を──

「打ちつけた頭の方は大丈夫よ。貴方が起きる前までずっと彼が氷で冷やしてくれてたから──」
「おいッ!余計なこと言うな!」
「おいお前!珠世先生に向かって何だその口の利き方は!」
「よしなさい、愈史郎さん」
「はい!」

玄弥くんが、僕のためにずっと冷やしていてくれたのか? あの、あの玄弥くんが?

どうしてそんな手間のかかる面倒を見てくれたんだろう。最近は僕の体のこととかも心配してくれるようだし、玄弥くん、ひょっとして僕のこと──


自分の兄弟と同じように見ているのでは?

「…………」
「…………」

しばしお互い無言で見つめ合っていたけど、僕が息を飲んだタイミングで玄弥くんは何故か僕の頬を摘んで思いっきり引っ張りだした。

「イデデデデデデッ!何で!何でッ!!」
「何か……的外れなこと考えてそうな顔してたからムカついた」
「乱暴はダメよ」
「珠世先生の前で騒ぐな!」

すっごく理不尽な理由で僕の頬は赤くなるほど摘まれてしまったが、鼻血も止まっていたし打ちつけた頭の痛みも引いていたので僕は保健室(にいた見知らぬ男子生徒)から追い出された。

摘まれていたほっぺたを手で押さえながら廊下を歩いていると、既に制服に着替えていたらしい玄弥くんが明後日の方向に視線を向けたまま「おい」と隣から声をかけてきた。僕はほっぺたを押さえたまま顔を向けた。

「次、昼飯の時間だから」
「あ……もうそんな時間なんだ……」
「早く着替えろよ」
「あ、うん……」

当たり障りのない会話が終わってしまい、少し気まずい空気が流れる。何か話した方がいいのかな──なんて考えながら、まだ少しヒリヒリと痛む頬を撫でて俯いていると「……まだ痛むのか」と先に話しかけれた。

「あ……ううん。もう頭はそんなに──」
「違う」
「えっ」
「……俺が摘んだところ」
「あ……」

もしかしてほっぺたのことを言ってるのかな。
僕はまだ痛む頬を押さえたまま慌てて笑顔で手を振った。

「あっ、ううん!大丈夫!これくらい平気!」
「……なんか、ちょっと腫れてねぇか?」
「き、気のせいだよ!ホントに、これくらいなんともないから……!」

やっぱり彼は僕のことを弟みたいに思ってんだろうと思う。アレもいつもみたく兄弟との戯れ合いをしていた感覚でやっただけで、それがついからかい過ぎて度を越してしまった、みたいな反省の色が彼から伺える。

「……悪い、やり過ぎた」
「えっ!?」
「柔らかかったから、つい……」

あの玄弥くんが謝ったことに対しても驚いたけど、その後に続いて出た言葉にも驚いた。しばし呆然としていると目線を逸らしていた玄弥くんの顔が急に真っ赤に変わって「ジッと見んな!」と怒鳴ったので僕は慌てて彼から顔を逸らした。

「着替えたら飯にするから屋上に来い!」
「へっ!? な、何で屋上!?」

逸らした瞬間にそんなことを怒鳴りながら言われたので僕は訳がわからずすぐに顔を戻してしまった。見るなと言われたばかりなので怒られるかとも思ったけど、玄弥くんはまだ若干顔を赤くさせたまま早足で僕を置いて先に行ってしまった。

「えぇ……?」

廊下に一人置いて行かれた僕は困惑した声を漏らし、呆然とその場に立ち尽くした。

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