藤色の焔 | ナノ


始めまして。僕の名前は琴乃葉皐月と申します。
二十歳になって間もない独身の男です。因みに絶賛彼女募集中です。

僕は今、どこにでもあるような平凡神社で″(かんなぎ)″として日々勤めております。覡とは何かというと、何か神社で色々やってるアレです。説明するのはちょっと面倒くさいですけど、仕事は真面目にやってます。

僕の家はその神社のすぐ隣にありまして、観音開きの立派な門扉にはこれまた大きな藤の花の家紋がございます。しかしこれは別に僕の家に代々受け継がれてきた家紋ではございません。では何かと言いますと、これはあれです。“鬼狩り様”に無償で協力致しますという意志の表れであります。

鬼狩り様とはいわゆる鬼殺隊の皆様のことでごさいまして、鬼を退治してくださる方々のことです。鬼とは人を喰らうそれはそれは恐ろしい生き物でありまして、僕の両親はその恐ろしい生き物に食べられてしまいました。僕がまだ四歳程度の頃の出来事だったでしょうか。生憎当時の記憶が朧気で、未だ鮮明には思い出せていない状態です。

気付いた頃には祖父と二人きりの生活を過ごしていました。祖父は大変厳しい頑固ジジィでしたが、職人としての腕はそれはもう世に名を馳せる程の素晴らしいものでした。僕はその頑固さにうんざりしつつも、祖父の腕には常に尊敬の念を抱いておりました。

祖父の仕事は御守り作りです。主に厄除けや魔除け──いわゆる“鬼除け”なるものを作ります。鬼が嫌うとされる藤の花を使うその鬼除けには、特別な祈りを込めなければなりません。なので作るのにも結構時間と手間がかかります。

そして僕は今その鬼除けを作っています。正直超眠いです。昨日から夜通しでお祈りしておりますから。もうお昼だと言うのにですよ。

藤の花を袋に突っ込んで終わりではないのです。中途半端な出来栄えだと祖父が僕のことをめちゃくちゃ叱りつけます。「やり直し」と怒鳴られ返品されます。コレが物凄くヘコみます。

なのでこの仕事は精神的にも肉体的にもキツいお仕事なのです。ようやく出来上がって合格を貰えた後には即爆睡しています。こんなキツい仕事をよくもまあ先代から引き継ごうなどと決めたものですよ。頑固ジジィですから仕方ないですけれど、僕はもう毎日がいっぱいいっぱいで堪らないです。

僕が鬼除けを一つ作るのに大体三日掛けている間に、祖父は四つも五つも作っています。お前本当にジジィかというくらいの集中力と忍耐力と精神力の持ち主です。未熟者の僕ではとても祖父には敵いません。いや、わざわざ敵おうとは思っておりませんけれども。

「″(かんなぎ)″!」

人が寝る間も削って懸命にお祈りを捧げていると言うのに、背後から無遠慮に大声で呼びかけてくる不届き者が現れました。しかもその声には物凄く聞き覚えがあります。

嫌々ながら振り返ると、背後には腕を組んで堂々と仁王立ちしている男の姿がありました。太陽の光を背に浴びて輝く金糸の髪に混じる、散りばむ火の粉のように鮮やかな紅髪。曇りなき眼を真っ直ぐに僕に向けて、口角をキュッと結び上げている。

何度も何度も見てきた顔。定着したその表情にはどのような感情が込められているのか未だにわからない。っていうか上からじっと見下ろすな。腹立つな。

「お館様より藤の花を頂戴して来た!」
「……ああ、そうですか」
「うん? 何故そんな他人行儀なんだ?」
「さようなら」
「ちゃんと名前ではなく役職名で呼んだだろう! どうして敬語を使う!」

話すのも嫌で顔を背けてお祈りを再開させると、すぐさま肩を掴まれ後ろへグイと引っ張られた。その瞬間頭にカッと血が昇って、僕は肩に置かれた手を反射的に振り張った。その際に見えた男の顔はムカつくくらいにニッコニコで、何故手を振り払われたのかわかっていないようであった。

「今日は一段と機嫌が悪そうだな!」
「誰のせいだと思ってる!」
「考えるにほぼ俺のせいだとは思うが、俺は今日覡に何か怒らせるようなことをしただろうか?」
「忙しいのが見てわからないのか!」
「なんと!仕事中だったのか!それは感心だな!」
「感心してないでさっさと帰れよ!」
「だが俺はまだ今日皐月に詫びていない!」
「……っ!名前を呼ぶな!」

自分のすぐ後ろにいる男を押し離そうと手を突っぱねてみるが、その手は呆気なく取られて握り込められた。そして相変わらずの爽やかな笑顔を真っ直ぐに向けてくる。真っ直ぐ過ぎて、直視できない。先に顔を逸らしたのは僕の方からだった。


「悪かった」

形の良い唇から出たのは謝罪の言葉。


──謝れば全て解決すると思っているのか。

煮え切らない思いが胃の中をぐるぐると回る。不快感と怒りが沸々と込み上げてくる。




この男──煉獄杏寿郎は、昔から付き合いのあった僕の幼馴染みだ。

僕と杏寿郎が初めて出会った場所は、藤の花が一年中咲いている藤襲山という山だった。そこは鬼殺隊へ入門するための最終選抜が行われる場所だったそうで、当時の僕はそうとも知らず祖父に連れられ藤の花を頂戴しに伺っていたんだ。

僕と祖父が山へ到着した時が丁度最終選別が終わった頃だったようで、当時見事に合格した杏寿郎は最終選別の開始時では見掛けなかった僕の存在に気付いた。

『見ない顔だな!』
『えっ……?』

声を掛けてきたのは杏寿郎の方からだった。馬鹿でかい声でいきなり話しかけられてすごくビックリしたのを覚えている。藤の花を頂戴しに挨拶へと向かった祖父はそこにはおらず、僕はどうすれば良いのかとひたすらあたふたとしていた。

『俺の名前は煉獄杏寿郎だ!君は何という名だ?』
『ぇっ、ぁっ……皐月だよ。琴乃葉、皐月……』
『皐月か!いい名前だ!来た時は見かけなかったが、皐月も最終選抜を受けたのか?』
『最終選抜……?』
『なんだ、知らんのか!では皐月は鬼殺隊の入隊者ではないのだな!』

鬼殺隊という言葉を聞いて、僕は鬼狩り様の話を思い出した。鬼を退治する人達のことだ。

僕はその時、こんな僕と歳が変わらないような子供が鬼を退治するのかと衝撃を受けた。僕なんかいつも人見知りばかりして、祖父の後ろに隠れて生きることしかできないでいるのに。鬼なんかに実際に遭遇した暁には、きっと足が竦んで腰を抜かしてしまうだろう。

『だがここに居るということは何かしら鬼殺隊に関わる人間なのだろう!ならば我々は同志だ!』

呆然としていた僕に杏寿郎はニカッと笑いかけて、突然片手を差し出してきた。最初は手を差し出された意味がわからなかったけど、それが握手を求めているんだと気付いた瞬間、僕は感激で思わず涙を零した。

『ん!? 何だ、どうした!?』
『うぅ……』
『どこか痛むのか!?』
『うーっ……うっぅっ……』
『泣いているばかりではわからないぞ!俺で良ければ話を聞こう!』
『うぁぁ……っ』
『うーむ!これは参った!一向に泣き止まぬ!』

初めてだった。杏寿郎が僕にとって初めての友達だった。両親もおらず、一人では屋敷からも出してももらえず、祖父とたった二人だけで過ごしてきた生活に射した明るい光。


そうして煉獄杏寿郎は、僕にとってかけがえのない存在になった。


鬼殺隊の一員となった杏寿郎はいつも忙しそうであったが、時間を見つけてはよく僕に会いに来てくれた。怪我を負えばいつも僕の家に施しを受けに来た。二人で過ごす時間が増えれば増えるほど、僕たちは強い絆で繋がれている気がした。


それなのに──


『渡した、って……どういうこと?』

忘れもしない、十年前のあの日──任務から帰還した杏寿郎は、誇らしげな顔で僕に任務の結果を報告をしに来た。

『僕が杏寿郎にあげたあの鬼除け……他の人に渡したの……?』
『うむ!稀血の人間だったからな!皐月が作った鬼除けはきっと──』
『馬鹿ッ!!』
『!!』


杏寿郎は、僕が杏寿郎のために作った鬼除けを他の人に渡したんだ。


初めて祖父に認められた鬼除けだったのに。
杏寿郎のことを想ってお祈りを捧げたのに。
大事にして欲しくて、肌身離さず持っていて欲しかったのに──!




『皐月……』
『…………』

それ以来、杏寿郎とはほとんど口をきかなくなった。杏寿郎が来た日は部屋に引きこもって、絶対に顔を合わせようとはしなかった。

『俺が悪かった。皐月がそれほどまでに想いを込めて作ってくれたものだとは知らず……』
『うるさいなあっ!どっか行けよ!』
『だが聞いてくれ皐月!お前には悪いと思っているが、俺はあの鬼除けを渡したことを後悔していない!何故ならあの時、稀血の人間をあのまま帰すわけにはいかなかったからだ!鬼が稀血の人間を食らわば更に鬼は強くなる!もしそうなれば──』
『うるさいッ!』
『皐月……ッ』
『うるさいうるさいうるさい!名前を呼ぶな!イライラするんだよ!お前なんかッ……杏寿郎なんか大嫌いだッ!!』


あんな酷いことを言っても、どれだけの罵詈雑言を浴びせても、杏寿郎は怒ったりせず、僕と縁を切ろうとはせず、毎日毎日謝りに来た。そのことはもちろん、僕の祖父も知っていて──

『いい加減にしないか!皐月! いつまで根に持つ気じゃ!』
『爺様には関係ない!そもそも杏寿郎が他の奴に渡したのが悪いんだ!』
『しつこいのぅ〜お前……ぶちのめすぞ!』
『ヒッ……!こ、こればっかりは僕も引かないからな!』
『コラ皐月!どこへ行く気じゃ!戻って来い、この恩知らずが!』

わかってる。自分の器が小さいことくらい。鬼除けを本当に必要としている人に渡した杏寿郎の方が正しいんだってことも。

だけどもう引けない──あんな酷いことを言い続けて冷たい態度を取り続けた僕のことなんか、杏寿郎はもう嫌いになっているはず。
杏寿郎は芯が真っ直ぐしていて誠実で真面目だから、きっと僕が許すまで謝りに訪れ続けるだろう。


僕が杏寿郎を許したら──その先を想像するのが怖かった。



「覡が俺のために作ってくれた鬼除けを、事情を知らなかったとは言え他の人間に渡してしまった事……この煉獄杏寿郎、心からお詫び申し上げる」

嗚呼、これで何度目のセリフだろう。毎度毎度、言われる度に胸が苦しくなる。

もうとっくに許してるなんて知られたら、杏寿郎はもう僕に会いに来てくれなくなる。枷が外れた罪人が清々しい顔で走り去って行くかのように、杏寿郎もまた僕の元からあっさりと離れてしまうのだろう。

僕はいつまで杏寿郎を縛り付けておく気なんだ。

「……帰れよ……」
「断る!」

こめかみに青筋が浮かぶ。
こいつ今何て言いました?

「何やら今日はまた一段と思い詰めたような顔をしている!そんな覡を放ってはおけない!」
「だあぁーっ!もう!そういうとこ!そういうとこがムカつく!わかんない!? 一人になりたいっていうこの感じ!」
「うむ!声には張りがあるな!今日も元気そうで何よりだ!」
「あーもうこの馬鹿!会話すら成り立ってない!帰れもう!疲れるから!」
「では今日は覡の悩みを聞いてから帰るとしよう!」
「何で僕がお前に悩みを打ち明けること前提にしてるの!? 意味わかんないだけど!?」
「さぁ、遠慮なく話してみるがいい!覡!」
「馬鹿!本当にお前って阿保!」
「うむ!覡が俺に向ける悪口は基本“馬鹿”か“阿呆”だな!」
「悪かったな語彙力なくて!っていうか悪口だってわかってるならもっと傷付いた反応して見せろよ!何でそんなけろっとしてるんだよ!ほんっとムカつく〜!」
「ん? 何を言っているんだ? きちんと傷付いているぞ?」
「えっ……」

傷付いてる? 杏寿郎が? 僕の言葉に?
どうしよう、怒らせたかな。そうだよな、普通は傷付くよな。僕がちょっと無神経過ぎたのかもしれない。どうしよう。どうしよう。謝ったほうがいいのかな──

俯いて考え込んでいる最中、突然頭の上にポンと重みが乗った。顔を上げたら、杏寿郎が僕の頭の上に手のひらを乗せて笑っていた。

「俺が傷付いていると知ればそうして真剣に思い悩むところが皐月の良いところだな!」
「……ッこ、この……!」
「どうした? 顔が赤いぞ皐月!風邪か!?」

僕の今の感情を察しもせず、無遠慮に両頬をペタペタと触っては顔を覗き込んでくるこの馬鹿男を──

「名前で呼ぶなこの馬鹿ーッ!!」


僕は一生許しはしない。




←  



×
- ナノ -