藤色の焔 | ナノ


どんなに罵倒されようと、皐月の関心が俺に向くのならそれで良かった。会いに行って怒鳴られても、声を掛けていい顔をされなくても、皐月が俺を見て俺を認識してくれるのなら、何度でも通い続けた。俺がそれを、幸せだと思えたからだ。

気が付けばいつも皐月の屋敷にいた。皐月と過ごす日々がたまらなく幸せだった。このままずっと皐月の側にいられたならと何度も思った。

しかし、幸せを追い求めるあまり──気が付けば俺は、己の責務を疎かにしていた。

このままではいけないと自分自身頭ではわかっていた。他の柱からも時間を無駄に使うなと非難された。だが己の皐月に会いたいという気持ちは抑えきれなかった。

任務地にて鬼の首を斬り落とせばすぐにても皐月の屋敷へ赴いた。以前のように嬉しい顔はされなくなったが、皐月が俺を屋敷へ迎え入れてくれるようになったことは大きな進歩だった。

だから何度も通った。そこに俺の幸せがあるとわかっていたから──心が少しずつ侵食されるのを心地よく感じていたから。



「覡!」

いつものように皐月の屋敷へ訪れた。最近はずっと皐月の屋敷に居るような気がする。

「覡!どこだ!」

通い慣れた屋敷を歩き回りながら皐月を探すが、すぐに見つかるはずの姿が今日は見当たらない。神社の方にいるのかと思いそちらの方にも向かってみたが皐月は居なかった。声を掛けてみても返事はない。まさか、留守だろうか。

「皐月!」

稀血の皐月が屋敷の外に出るなど、御当主が一緒でなければ有り得ないことだった。御当主は留守が多いので俺がいつ来ても会うことはほとんどない。そして今日も御当主は屋敷に不在だった。

不安が襲った。そこに居るはずの存在──皐月の姿が見当たらないだけで、ひどく落ち着かない気分になった。何故いないのか、どこへ行ったのか──不安と焦りが増して、らしくもなく冷静さを欠いた行動が続く。

ここには居ないのやもしれん。
そう薄々感じながらも、それはあり得ないとまだ諦めきれずに考えている自分もいた。もう一度屋敷の方を探してみようと、神社の拝殿前から踵を返した時だった。

「……!」

鳥居の下に、一人の男が立っていた。
参拝客だろうか──男は柴暗の瞳を真っ直ぐに俺に向けていた。どこか、皐月と似た瞳の色をしていた。藤の花を思わせる色だった。

「君は誰だ?」

無意識のうちにそう問い掛けていた。ただの参拝客ではないと、そう直感したからだ。男の格好はあまりにも見慣れぬものだった。皐月が普段着ている白衣と袴とは違う。だが神職が着るものだとはすぐにわかった。

「……煉獄杏寿郎だな」
「うむ!それはたしかに俺の名だ!だが俺は今君のことを訊いている!まずはそれに答えてはもらえないだろうか!」

何故俺の名を知っている。俺のことをどこでどうやって知った。皐月の知り合いなのか。皐月の居場所を知っているのか。
少しずつ男に向ける警戒心が強まっていく。語気が荒くなるのを抑えきれなかった。

「お前は今眠っている状態だ」
「何の話だ!」
「思い出せ。お前は鬼を討つために列車に乗った。そして今その鬼によって夢を見せられている。お前が今見ているものは私以外全て夢だ」
「君が言っていることの意味がわからない!ここが夢だという証拠があるのか!」
「今から私がお前を殺す」
「!!」

男がその場から消えた瞬間に頭上から影が落ちてきた。咄嗟に避けたつもりだったが、突如現れた足によって右肩を押しつぶされた。メキリと己の身体から嫌な音が聴こえた。

「ぐっ……!」
「避けるな」

刀を抜いて薙ぎ払おうとした身体はすぐに俺から離れて地面に降り立った。おそらく今の攻撃で右肩の骨が砕かれただろう。相手は鬼ではないはずなのに、何故こんなにも強いのか。人間とも違う男の力に困惑を隠せなかった。

「お前が早く起きなければいつまで経っても皐月を屋敷へ連れ戻せない」
「ッ皐月はどこだ!どこへやった!」
「今度こそ頭を粉砕させる。じっとしていろ」
「答えろ!」

刀を構えるが、右肩に力が入らないために片手でしか構えることができない。今度同じ攻撃を受ければ防ぎきることはできないだろう。まずは避けることに徹して、隙を見て攻撃に踏み切る他ない。

次の攻撃に向けて神経を研ぎ澄ませるが、男からは不思議と敵意を感じない。俺を殺そうとしているのは明らかだというのに、敵意はおろか殺意すら感じなかった。

「抗おうとするな。時間の無駄だ」
「お前は何者だ!鬼ではないのだろう!皐月の居場所を吐かねば人間であろうと容赦はせんぞ!」
「私は式神だ。皐月にお前を起こすよう命じられてここに来た」
「式神……?」
「元々は皐月を生きた状態で屋敷へ連れ戻すのが私の使命だった。だが覚醒に近い状態の皐月に命じられたので、今はお前を起こすという命令に優先して従っている。お前を起こすにはお前を殺すしかない。だから私はお前を殺す。理解できたか?」

淡々と説明をされたがそんな内容で俺が納得できるわけがないだろう。自分が殺されるとわかっていて相手に警戒心を向けない理由などない。

「もう一度問う!皐月はどこだ!」
「列車にいる。眠った状態のお前に締め殺されそうになっているぞ」
「嘘をつくな!」
「嘘ではない。鬼によって眠らされているお前は外部からの刺激では目覚めないのでこのままだと皐月が死ぬ」
「そんな戯けた話が通ると思っているのか!」
「疑り深いな。そんなにここが夢の中だと認めたくないのか」
「夢ではない!」
「では強制的に目を覚まさせる他あるまい」
「ッ!」

言った直後に男の姿が消えた。

また消えた──どこに行った!
探すよりも先にその場から逃げた。先程と同様の攻撃なら上から来るだろうと予想したからだ。

「!!」

後ろか!
空気の流れが変わった瞬間、見えていない背後を振り返るがそこに男は居なかった。上でもない、後ろでもない、では他に見えていない場所は──

「っ、下か!」

気付いた時には遅かった。
咄嗟に下を向くと、己の影の中から人の手が伸びていた。

あり得ない。何だこれは。鬼にしか成せない異常接近だった。跳び離れようにも足首を掴まれ逃げることができない。

刀を振って腕ごとを斬り離そうとするが、その前に影の中からもう一本腕が生えて片手で刀を止めてしまった。

何という膂力──身動きが取れない!このままだと殺られる!

「杏寿郎!」
「!!」

今の声は──皐月か?
視線を巡らせると、拝殿の向こうから皐月がこちらに向かって走って来ているのが見えた。

「皐月!来るな!」
「ッ……」

皐月が無事であったのには安心したが、俺が今相手している男が何者なのかまだ定かでない今は皐月を近づけるわけにはいかなかった。

「危険だから離れていろ!」
「っ嫌だ!」
「皐月……!」

止めたにも関わらず、皐月は俺の方にまで駆け寄って来た。その間にも俺の足を掴む手が影の中へと俺を引き摺り込もうとする。駆けつけて来た皐月が俺の腕を掴んでなんとか引っ張り出そうとした。

「皐月!よせ!お前まで引き摺り込まれるかもしれん!手を離せ!」
「嫌だ!絶対離すもんか!杏寿郎は僕と一緒にここで過ごすんだ!どこにも行かせない!」

抵抗するのも忘れるほどに胸が感動に打ち震えた。だが感動している場合ではないこの状況をどうにかしなくてはならない。それも今すぐに。

「皐月!とにかく手を離せ!このままだとお前を巻き込んでしまう!」
「嫌だ!離さない!」
「皐月!」
「全く、ここでも手を焼かせるのか」
「!!」

影の中から声が聞こえた途端、皐月が慌てて影から離れようとしたがその足を影から生えた手が掴む。瞬間、肉の焼ける匂いと絶叫が上がった。

「皐月ッ!!」

掴まれていた腕が力任せに振りほどかれた。皐月の身体が地面に引き摺り込まれていく様を、隣で俺は何もできないまま見ることしかできなかった。

そして嫌な音を立てて、血飛沫を辺りに散らして、皐月の身体が完全に影に飲まれた。

「皐月……」

後には何も残らなかった。影の中から男が姿を現し、血に濡れた身体を気にもとめず俺の元までやって来た。

「呆けているのか。安心しろ。アレが夢だということを今すぐ証明してやる」
「ッ!!」

その時、感じたことのない怒りが俺の身体を突き動かしていた。反動が大き過ぎて何もかもがブレてしまっている。それでも興奮が抑えきれず、呼吸も整わないまま刀を振った。

「杏寿郎!」
「!!」

しかし首を斬ろうと振り上げた己の刀は、割り込んできた声によりぴたりと止められた。

「……皐月?」

間違えるはずがない声の正体に戸惑いを感じた。信じたくとも、信じられなかった。
何故、どうして。そんな気持ちで声の方へ顔を向けた。二度目に見た皐月の姿は一度目に見た時と何ら変わらない姿だった。血の一滴すら見つからない。何もかもがあり得なかった。

「鬼の方もお前を起こすまいと必死だな。夢であるなら何でもありか」
「何が起こっている……」
「言ったはずだ。お前は鬼によって夢を見せられている。その夢の中で誰が死のうがそんな事は関係ない。鬼には無限に作り出せる」
「あれは、夢……なのか」
「そう言っているだろう。鬼狩りの少年はとっくの前に自分の力で目覚めて戦っているぞ。お前はまだ眠って夢を見続けるつもりか」
「……!!」

──そうだ。俺は、鬼を討つために汽車に乗った。俺には俺の責務があったはずだ。

「俺は今まで夢を見ていたのか!!」
「ようやく自覚できたな。では今度こそ起こしてやるからそこを動くなよ」
「待て!他に方法はないのか!」
「ない」
「うむ!なら致し方あるまい!」
「駄目だ!!」
「っ!」

覚悟を決めて刀を収めると、突如背中に衝撃を感じた。振り返ると、皐月が俺の背中にしがみついて顔を押し付けていた。

「……君とはここで別れなければならないな」
「何言ってんだよ杏寿郎!お前まさか……行く気なのか!? 僕を置いて行ってしまうのか!?」
「心苦しいが……これを鬼が見せているものだと思うと複雑な気分だな!」
「ふざけんなよ!行くな杏寿郎!ここに残れ!」

俺の羽織を掴んで叫ぶ皐月の姿は、見せられている夢の存在だとわかっていても胸にくるものがあった。この皐月が本物だったなら──たしかに幸せだっただろう。縋る気持ちもわからなくはない。俺はここまで夢中になってしまっていたのだな。

「……夢の中と言えど皐月が可哀想に見えて仕方がない!やるなら一思いに頼む!」
「駄目だ!!やめろ!!」
「起こしてやるのは構わないが、起きたら皐月を説得するのに協力しろ」
「何の話だ!」
「私は琴乃葉家当主の命で皐月を生きたまま屋敷へ連れ戻さねばならない。しかし皐月はお前と一緒でなければ帰らないと駄々をこねている」
「なるほど!よしわかった!俺も皐月を危険には巻き込みたくはないからな!協力しよう!」

協力の要請に承諾した時、男は今まで見せていた無表情をほんの僅かに崩して微笑みを浮かべた。その笑みにはどこか、見覚えがあるような気がした。

似ているのだ、男の見せる表情の一部が、皐月や、御当主のそれと──

「……我が儘な子だが、皐月をよろしく頼む」
「!!」


その言葉の後、男の姿はこの夢と共に目の前から掻き消えた。




  



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