藤色の焔 | ナノ


ガタン、と右に揺られ、ゴトン、と左に揺られ、不安定な足場は絶えず小刻みに振動を足裏に伝わせた。

轟々と地響きを立ててながら、黒いバケモノは──無限列車は、大勢の人間を腹の中に詰めた状態でのろのろと動き出した。



「うおおおお!!腹の中だ!!」

常に揺れている床になかなか慣れなくて一人で戸惑っていると、列車に入る前から威勢の良かった伊之助が興奮したように突然叫び出した。

「主の腹の中だ!うぉおお!!戦いの始まりだ!!」
「うるせーよ!」

咎める善逸の後を追いながらみんなで列車の中を移動する。列車の長い胴体の中は部屋のような個室がいくつもあって、まるで数珠繋ぎのようにして一直線に繋がっていた。たくさんの人が、その部屋の中にある椅子に向かい合うようにして座っている。

「どこも人でいっぱいだな」
「もう少し先なら座れる場所もあるよ」
「おっし!一番前まで行くぞ!」
「だから突っ走んなってば!迷惑になるだろ!」

いつまでも騒いでる伊之助達の声など頭の片隅にやりながら、僕は辺りを見渡しながら杏寿郎の姿を探した。勢いに任せて乗ってしまったけど、駅で待ち続けた方が良かったかもしれない。

もし杏寿郎が乗っていなかったらどうするんだ。後先のことを考えないで即決行動をしてきたのが裏目に出てしまった。どうしようか。

「皐月さん」
「え?」
「どうしたんですか? さっきからキョロキョロしてますけど……」
「あっ、いや……」

杏寿郎を探す姿があまりにも挙動不審に見えたのか、炭治郎が不思議そうに僕を見つめて首を傾げた。

「皐月さん、列車初めてなんですか?」
「えっ、あ、うん……」
「ああ、そういえば切符の買い方も知らないって言ってたもんな」
「わかったぜ!こいつこの主の中を探検したかったんだ!」
「違うだろ」

「じゃあ……」と一斉にみんなの顔が僕の顔へ向いた。気になるんだろう。答えをはぐらかす理由も特にないので、僕はみんなにこの列車に乗った理由について話すことに決めた。

「……実は、人探しをしているんだ」
「人探し?」
「ま、まさか……男……?」

頷くと何故か善逸が白目を剥いた。気にしていないのか、炭治郎は彼に見向きもせず「人探しならお手伝いしますよ」と申し出てくれた。

「その人の名前は何ですか?」
「ありがとう。でも、これは僕の問題だから……」
「問題って?」
「……喧嘩別れしたんだ。その、探している幼馴染みと」

思い出して涙が出そうになった。悔いても悔いても悔やみきれない。酷いことを言ってしまった。早く杏寿郎に会って謝りたい。

「皐月さん……」
「……ごめん、大人なのにめそめそして……。でも、気持ちは嬉しかったよ……ありがとう。ここからはもう一人で大丈夫」

滲んだ涙を手で拭って笑いかけると、炭治郎は「わかりました」と笑顔で頷いてくれた。それじゃあ、と踵を返したところで突然「待って!」と後ろから抱きつかれた。振り返ると、善逸の目を引く金髪が目の前にあった。

「ここまで来てそんなお別れみたいなこと言わないでください!」
「こら!善逸!やめないか!」
「ヤダヤダヤダ!同じ車内なんだから一緒に行動したってそんなに変わらないだろぉ!何で別れる必要があるのぉ!?」
「皐月さんには皐月さんの事情があるんだからそれを俺たちが邪魔したらダメだ!」
「いやだぁぁぁ!こんな優しくて可愛いお巫女さんと別れたらもう二度と会えないよぉぉぉ!」

優しくした覚えなんかないし、可愛いなんて言われても全然嬉しくないんだが。一回小突いてやろうか、この我が儘な助平。

「善逸!やめろ!」
「炭治郎だって人探ししてるんだろ!? じゃあ目的は同じじゃんか!一緒に行動しようよぉ〜!」
「炭治郎達も人探しをしてるのか?」
「あ、はい!」

往生際の悪い善逸はもう無視することにした。構っていても仕方ない。

「じゃあ探すの手伝うよ」
「えっ!?」

ここまで世話になったんだし、炭治郎も人探しをしているのなら手伝ってあげたい。杏寿郎を探すついでに特徴くらい聞いておけば見つけた時に教えてあげられる。

「どんな人? 名前は?」
「えっでも……悪いです!俺たちはほら、人数も多いですし手分けすれば……」
「そう言っても固まって行動するんだろう?」
「それは……」
「ついでだから気にしないでくれ」
「……じゃあ、皐月さんの人探しも俺に手伝わせてください!」
「えっ……それはいいよ」
「な、何故ですか!」

断ると炭治郎は衝撃を受けたような顔をして見せた。その様子は納得できないといった風だった。

「あいつの仕事に関わりそうだし、あまり口外しない方が無難だから」

僕はいつまでも離れようとしない善逸の頭を引き剥がそうとしながら理由を話した。それを聞いて炭治郎は「そうですか」と残念そうな顔をしながらも納得してくれたように微笑んだ。

「えーっ!? じゃあ何!? 結局別行動!? ざっけんな!お前もっと粘れよ炭治郎!!」
「いい加減にしないか善逸。皐月さんにいつまでも迷惑をかけるんじゃない」
「だってさぁ〜!」
「それといつまでも抱きつくんじゃない。皐月さんが困ってるだろう」
「ひぃん……」

どれだけ咎められても愚図り続ける善逸をついに炭治郎が引き剥がした。善逸に握り締められ続けた白衣が皺だらけになっている。最悪だ。涙の跡のようなものまで染み付いている。本当に最悪だ。

「それじゃあ……次の車両まで……一緒に行きたいですぅ……」
「まだそんなことを言ってるのかお前……」
「あーあーお前にはわからんだろうな!この生巫女の貴重さも!尊さも!」
「何なんだそれは……」
「おいグズグズしてんじゃねぇぞお前ら!早く一番前まで行くぞ!」
「伊之助は一人で先に行こうとするじゃない」
「皐月さんねぇいいでしょ? ねっ? お願いしますぅ〜!」
「こら善逸!」

「…………」

何というか、可哀想だ。主に炭治郎が。こんな問題児ばかり抱えてよく怒らないでいられるな。僕ならすぐに怒鳴り散らして置いていきそうなものだけど、彼はよほど懐が深いと見た。

僕がここで断ればまた善逸が愚図りだすかもしれないし、ここは炭治郎のためにも少しは融通を効かせてやろうかな。

「わかった。次の車両とやらまでついて行くよ」
「えっ、いいんですか?」
「うん。その代わりそこから先は一人で探すからね」
「やったぁーっ!ありがとうございます!ありがとうございます!」
「だから抱きつくなお前は!」
「善逸!」

興奮するとすぐに抱き付いてくる善逸に一々抵抗するのも疲れてきた。次の車両でどうせ別れるんだし、もうこいつのことは放置することに決めた。
僕は善逸を引き摺るようにして前へと進んだ。

「くっ……重たいな」
「えへへへ〜幸せ〜」
「すみません、皐月さん……」
「大丈夫だ……次の車両に着いたら叩き落としてやるから……」
「遅いぞお前ら!早くしろ!」

せっかちな伊之助はもう次の車両の扉を開いて待っていた。割と重たい善逸を懸命に引き摺りながら彼の元まで向かって行く。

「そういえば……炭治郎が探している人ってのはどんな人なんだ?」
「え? ああ、俺が探している人は俺たちと同じ鬼殺隊の柱で、名前は──」

「うまい!」

脳にまで響くほどよく通る大きな声が、開いた扉の向こうから聞こえてきた。

昔から何度も聞いてきた、覚えのある力強い声──誰の声なのかなんて、考えるまでもなくすぐにわかったのに。

僕はその場から一歩も動けずにいた。

「……皐月さん?」
「……っ」

怖い。この先に、杏寿郎がいる。絶対にいる。間違いない。あの声は杏寿郎のものだ。

どうしよう。足が動かない。怖い。僕のことをもう嫌いになっているかもしれない。睨まれたらどうしよう。罵倒されて追い返されたらどうしよう。

今まで僕が杏寿郎に対して平気でしてきたこと──それと全く同じことが返ってくるのが、怖くて堪らなかった。

「皐月さん、大丈夫ですか?」
「ぁ……」
「震えていますけど……具合でも悪いんですか?」
「いや……」
「うまい!」
「ひっ」

またも聞こえた杏寿郎の声に肩が跳ね上がった。
やっぱり無理だ。今杏寿郎と会ったら絶対に何も言えなくなってしまう。そんなかっこ悪い姿見せたくない。ちゃんと謝って、仲直りさせて欲しいと言えるようにならなくちゃここまで来た意味がない。

「……ごめん、炭治郎」
「え?」
「ここから先は……行けない」
「えっ、そんな!」
「ごめん!」
「うわっちょっ」

くっついていた善逸を無理やり引き剥がして僕はその場から逃げ出した。杏寿郎がいる車両から離れるようにしてどんどん後戻りして行く。

どうして逃げたんだ。せっかくここまで謝りに来たのに。臆病者。卑怯者。最低な奴だ。謝れ。何をしてるんだ。今すぐ戻って謝って来い。

すれ違う人々の視線が突き刺さり、それがまるで逃げたことを咎められているようで、胸が苦しくなった。

それでも逃げる足は止まらなくて、たくさんの視線に傷付きながらも僕は列車の中を走り抜けた。



「はあっ……はあっ……!」

そうして気が付けば列車の一番最後尾にまで来ていた。
景色を掻き消すような勢いで走り続ける列車の響きは鼓動に似ている。巨大な鉄の血管の上に乗っているのではないか──そんな気持ちになった。

「……ぅ、うぅ……」

耐えきれず、その場に座り込んだ。見下ろす足は震えている。列車の揺れだけが原因ではないことは分かっていた。

杏寿郎に会う前からこんな調子でどうするんだ。声を聞いただけで逃げ出すだなんて──本当は、早く杏寿郎と会って謝りたいのに。

「っ……杏寿郎……!」

情けない声で、まるで求めるように杏寿郎の名前を呼んだ瞬間──背後から、何かを叩き付けるような大きな物音が聞こえた。辺りの空気が僕の体ごと引き摺り込もうとするように背後へと流れた。誰かが、後ろの扉を開けたのだ。

「皐月……?」
「……!」

後ろから掛けられた声に、心臓を手で鷲掴まれたような気がした。無意識に胸を押さえながら背後を振り返ると、列車の中を照らす淡い光を背にした杏寿郎が、目を剥いて僕を見つめていた。




  



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