藤色の焔 | ナノ


対峙する二人の間に緊張が走る。どちらも一歩も譲る気がないように動こうとしない。
まだ子供だというのに、彼は僕と男との間に立って、大人である僕を庇ってくれていた。

「何だテメェは!」
「俺は竈門炭治郎だ!」
「知るか!ガキはすっこんでろ!俺はこの嬢ちゃんに用があるんだよ!」
「ダメだ!嫌がっているじゃないか!」
「なんだとぉ!?」

二人の言い争いに辺りにいた人々がざわつき始めた。そしてこの状況に一番苦い顔をして見せたのは男の方だった。

「やだ……喧嘩?」
「何だ何だ、女の取り合いか?」
「誰か警官呼んだ方が──」
「くそ……!覚えてろ!」

ヒソヒソ声で話しながら注目する人々を見て男もようやく分の悪さに気付いたらしい。捨て台詞を残すと、男は舌打ちしながらその場から逃げ去って行った。
争いが収まったことで、足を止めて見学していた人々も次第にその場から離れていった。

「大丈夫ですか?」
「あ……」

声を掛けられてようやく、視線が人の垣根から目の前に立つ人物に向いた。
声を掛けてきたのは、額に痣のある少年だった。柔らかな笑みを浮かべて僕を見つめている。どうやら僕を守ってくれたのはこの少年らしい。

「あ、た、助けてくれてありがとう……」
「気にしないでください。俺が放っておけなかっただけなんですから」
「炭治郎!」
「!」

急に割って入ってき別の声に、少年の顔が横に向いた。つられて横を向くと、こちらに向かって走って来る金髪の少年と──あれは、何だ? イノシシ? 何故か猪の被り物をしたムキムキの半裸男が走ってきた。

「善逸!伊之助!」
「狡いぞお前!急に行くなよ!出遅れちゃっただろ!」
「おい!何してんだ!早く行くぞ!」

どうやら彼らはこの少年の知り合いらしい。よく見ると、彼らの着ている服は杏寿郎と同じものに見える。それに腰には刀を携えていた。彼らも鬼殺隊の隊士かもしれない。

「ひえっ……生巫女……!近くで見るとより一層可愛い……!」

顔を赤らめた金髪の少年がもじもじしながら僕を見つめている。こいつも僕を女だと勘違いしているのか。
軽蔑するように睨むと金髪の少年がさらに興奮しだした。

「だあぁもう!言い争う声が聞こえた時点で俺が颯爽と助けてれば……っ抜け駆けした炭治郎が悪い!」
「抜け駆けって……別にそんなつもりじゃ──」
「ごちゃごちゃうるせぇぞお前ら!早く駅とやらに行くぞ!」

「……?」

駅とは、列車がある駅のことだろうか。この鬼殺隊の少年達について行けば杏寿郎が乗る列車に辿り着けるかもしれない。

「あの!」
「ひょわああああ!!」

一番近くにいた金髪の少年の腕を掴むと高い声で悲鳴を上げられた。

「僕もその駅に行きたいんだ!お願い!連れて行って!」
「えっ?」
「もちろんです!俺がお連れ致しますどこまでも!」

ガッチリと手を握り込んで頷いてくれた金髪の少年にほっとした。これで杏寿郎に会うことができる。

「俺っ、我妻善逸っていいます!あのっ、お巫女さんのお名前は──」
「えっ、あ……琴乃葉皐月……」
「皐月さん!素敵なお名前ですね!もう覚えました!」
「おい、善逸……」
「あっ!心配しなくても大丈夫だからな炭治郎!俺は将来禰豆子ちゃん一筋だから!」
「別にそんな心配してるわけじゃ……」
「いいから早く連れて行け、凡逸!」
「善逸だっつってんだろ猪頭!」

なんだかよくわからないが、案内してもらえる流れのようだから多少騒がしくてもここは我慢するとしよう。

いつまでも手を離そうとしない金髪の少年──善逸と名乗った彼に導かれ、僕は杏寿郎がいるであろう無限列車の元へと向かった。



◆◆◆



駅へと向かう途中、改めてお互いの名を名乗り合い、僕を助けてくれた少年の名前が竈門炭治郎というのだと知った。そして猪頭の方は嘴平伊之助というらしい。

「さっきは助けてくれて本当にありがとう。今度お礼をさせて欲しい」
「いえ、お礼だなんてそんな……次いつ会えるかもわかりませんし、気にしないでください」
「きっと会えるさ。それに会えなくても、君達が鬼殺隊の隊士なら別の方法で連絡がとれる」
「えっ!皐月さんは鬼殺隊をご存知なんですか!?」
「もちろん」

ニコリと微笑むと炭治郎は慌てた様子で視線を下に逸らした。

「鬼とは無縁そうなあなたがどうして……」
「僕の実家は藤の花の家紋の家なんだ。まあ、家はここから少し離れた場所にあるけどね」
「なるほど!それで鬼殺隊をご存知だったんですね!」
「うん。それに、僕の幼馴染みに鬼殺隊の──」
「オイ!あれ見ろ!」
「あっ!伊之助!」

話している途中で、常に前を歩いていた伊之助が急に走り出した。大きな建物の中に入って行った彼を慌ててみんなで追うと、人の群れの向こうに大きな黒い塊が見えた。

あれは、もしかして──

「何だあの生き物はーッ!」

気の強い伊之助が慄くほどの巨大な黒い塊──見たこともないそのバケモノは、百足のような長い胴体をどっしりと地面に鎮座させていた。

「こいつはアレだぜ……!この土地の主……この土地を統べる者……!この長さ、威圧感……間違いねぇ!今は眠っているようだが油断するな!」
「いや汽車だよ。知らねぇのかよ」
「シッ!落ち着け!」
「いやお前が落ち着けよ」
「まず俺が一番に攻め込む!」

僕が一人で圧倒されているうちに、伊之助は既にやる気を見せていた。あの巨大なバケモノ相手に戦うつもりでいる。なんて勇敢な男だろうか。

「待つんだ伊之助!」
「あ゙ぁッ!?」

固唾を飲んで見守っていると、傍にいた炭治郎が彼を止めた。

「この土地の守り神かもしれないだろう。それから急に攻撃するのも良くない」
「いや汽車だって言ってるじゃんか。列車、わかる? 乗り物なの、人を運ぶ」

「この田舎者が」と続けた善逸にぎくりと肩が跳ねた。自分のことを言われているようで胸がキリキリと痛む──って、ちょっと待った。

「ん? 列車? じゃあ鴉が言ってたのがこれか?」
「鴉が?」

これが列車と言うのなら、杏寿郎が言っていたあの大きくて黒い乗り物とはこのバケモノのことを指しているのか。

これが──これが乗り物だって? どこからどう見てもバケモノだろう。馬も見当たらないし、どうやって人を運ぶんだ。

「猪突猛進!!」
「やめろ恥ずかしい!!」

ドシン、と聞こえた大きな音に振り返ると、伊之助があのバケモノに頭突きをかましていた。その途端、高い笛の音が辺りに響き渡る。

「何をしている!貴様ら!」
「げっ!」

騒ぎ過ぎたせいか、人の垣根の向こうから制服を着た男達が駆け寄ってきた。まずい、警察かもしれない。

「あっ!こいつら刀持ってるぞ!」
「警官だ!警官を呼べ!!」
「やばっ!やばいやばいやばい!」
「あっ!」

突然お腹に腕を回された。グン、と強い力で引かれたかと思えば物凄い速さで運ばれた。
男三人の体をこんな軽々と持ち運ぶなんて、伊達に彼も鬼殺隊の隊士ではないらしい。見直したというよりも、見た目からは想像もつかないほどの彼の秘められた力に純粋に驚いていた。



「伊之助のおかげで酷い目に遭ったぞ!謝れ!」
「はあ゙ん!? 大体!何で警官から逃げなきゃいけねぇんだ!」

逃げ切った先で善逸と伊之助は言い争いを始めた。こんな所で争っていても仕方ないと言うのに。

「政府公認の組織じゃないからな、俺たち鬼殺隊。堂々と刀持って歩けないんだよ、ホントは。鬼がどうのこうの言っても却々信じてもらえんし、混乱するだろ」
「一生懸命頑張ってるのに……」
「まぁ仕方ねぇよ。とりあえず刀は背中に隠そう。でもって、皐月さんは俺たちとは別に切符を買った方がいい」
「えっ」
「そうだな。仲間だと思われて切符を買わせてもらえなくなったら申し訳ない」
「そんなこと言うなよ!」
「ひゃひぃ!」

縋るようにして善逸の腕を掴んだ。
そんな急に、ここから先一人で行けと言われても困る。切符の買い方だって知らないし、そもそも一人であのバケモノに近づくのが無理だ。怖過ぎる。

「恥ずかしいけど、切符の買い方もわからなくて……だから、今一人にされても困るよ。お願い、ひとりにしないで……」
「はいっ!大丈夫です!俺がお供します!!」
「おい善逸……」
「切符!買ってきますね!皐月さんの分も!」
「いいのか? ありがとう!助かるよ!」
「はひぃーっ!!行ってきまぁあす!!」

なんていい奴なんだ、と感動しているうちに彼はまた凄まじい速さでその場から離れてしまった。まだ僕の切符代も渡していないと言うのに。

「……皐月さんはどうしてこの列車に乗ろうとするんですか?」
「え?」

遠くなる善逸の見つめていたら、不意に炭治郎から声を掛けられた。
どうして、なんて──何でそんなことを尋ねるのだろう。

「出会ってからすごく切羽詰まっているように見えて……何か急ぐ理由でもあるのかと気になったんです」
「それは……」
「買ってきました!!」
「早っ」

すぐに戻ってきた善逸が、僕の隣に立っていた炭治郎を押し退けて僕の手を握り締めた。祖父や杏寿郎以外に触れられることに慣れていなくて僕はすぐにでも振り解きたかったけど、その際に切符を手渡されたので無理に振り解けなくなった。

「ぁ……ありがとう……」
「どういたしまして〜!えへへへ〜!」
「おい!これならどうだ!刀ってバレねぇだろ!」
「は? 丸見えだよ。服着ろ馬鹿」

にしても彼は何故こうも僕と仲間との間に温度差があるんだろうか。喧嘩でもして仲が悪いのか。

「…………」

喧嘩なんて、するもんじゃないな。

杏寿郎のことを思い出して胸が苦しくなった。今更後悔したところでもう遅いけど。

もし杏寿郎と会って、こんな風に冷たくされたらどうしよう。僕は今までよくも平気で杏寿郎に対して“馬鹿”なんて軽々しく言えたもんだな。馬鹿なのは僕の方だ。失ってから初めてその存在の尊さに気付くんだ。

「ひぇっ……皐月、さん?」
「えっ……あ、ごめん」

知らずうちに善逸の手を強く握り締めていたらしい。顔を真っ赤にした彼に声を掛けられてようやく気付いた。

「あ、あのっ、行きましょう!俺が案内しますから!」
「いいのか?」
「もちろん!」
「世話になりっぱなしで申し訳ないな……。ありがとう、善逸」
「どっ、どっど、どういたしましてぇーっ!!」
「うわうるっさ……」

杏寿郎に負けないくらいの大声だ。こんな目の前でいつまでも叫ばれたら耳がおかしくなる。

少し離れるために手を外そうとすると突然手を引かれた。善逸が、僕の手を引いたまま列車に向かって駆け出したのだ。

「っ、おい!急に走るな!」
「うふふふふ〜!」
「おい善逸!待て!」
「うおおおおーッ!俺だって負けねぇ!!猪突猛進!!猪突猛進!!」

夜空に向かって黒煙をもくもくと上げ続ける列車の腹の中へ、僕達は一斉に飛び込んで行った。




  



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