藤色の焔 | ナノ


あんなこと言わなければ良かった──今更後悔しところで、一度口から出した言葉はもう無かったことにはできない。

杏寿郎と別れた後、すぐにでも追いかけて謝れば良かったのに僕はそうしなかった。自業自得だ。嫌われたって仕方ないことを言ってしまった。杏寿郎とはもうしばらく会えないというのに。

「……稀血じゃなければ……」

僕が稀血なんかじゃなければ、今すぐにでもここから抜け出して杏寿郎に謝りに行くことができるのに。祖父の許可なんか得なくても一人で外を出歩けるのに。

『世に許されるような関係ではない』
『御当主にも認めてもらえないだろう』

──いや、許可なんか必要ない。僕は僕の意思で動くだけだ。一々祖父の許可なんか取ろうとしていたらそれこそ一生外に出ることも叶わない。杏寿郎と会うことすらできない。

杏寿郎と別れてからまだそんなに時間は経っていない筈だ。今からでも後を追いかけて、一言でもいいから自分の本当の気持ちを伝えよう。そして、傷付いていたからとは言え酷いことを言ってしまったことを謝ろう。


決心してからの行動は早かった。
祖父に気付かれぬように神社から屋敷へと移動し、手早く荷物をまとめた。使い道もほとんどなかったお金も全て鞄に詰め込んで急いで着替えに移る。

「……どうしようか」

着物を脱ごうとしたところでふと思った。
真面目で行動的な杏寿郎のことだから、一刻も早く鬼を狩ろうともう出立しているかもしれない。もしそうだとして、杏寿郎の屋敷に行ったところで会えなかったら全く意味がない。

だったらどうする。先回りして杏寿郎が行くと言っていた列車とかがある街に行ってみるか。そうすれば会える確率はグッと上がる。

だが、どうやってその名も知らない街まで行くかが問題だ。馬なんかここにはないし、明治時代とは違って馬の値段もそれなりに上がっている。そもそも買ったところでウチの屋敷で飼えるわけがない。馬にだって乗ったことがない僕が馬を手に入れるなんて無茶な話だ。

じゃあ歩いて行くのか。いや、僕は体力がないからすぐにバテてしまうだろう。それに行き先だって詳しくは知らない。やっぱりこのまま杏寿郎の屋敷に行くべきなのか──

「…………」

待て、諦めるな。行く方法は他にもあるはずだ。考えるのをやめるな。今日中に杏寿郎に会うんだ。絶対に仲直りするんだ。

よく考えれば移動手段は他にもある。馬車に乗せてもらえれば街まで行けるはずだ。お金ならあるし、仮に断れそうになっても断られないような真っ当な理由さえ付ければ乗せてもらえるかもしれない。

目立つだろうし気は進まないけど、仕事着で行くとしよう。祭りか行事か、神職が必要な何かで出張みたいな理由さえつければ何とかなるはずだ。

白衣と袴に着替えて身なりを整え、まとめた荷物を抱えて部屋を出た。祖父に出会さないように祈りながら廊下を進むと、祈りが通ったのか祖父とは一度も会うことなく屋敷を出ることができた。

こんなあっさり出ることが出来たんだな──屋敷を振り返りながら、今まで自分がこんなちっぽけな箱の中で大人しく生きていたことを今更可笑しく思った。

それでも──

「……ごめん、爺様」

爺様が作ってくれた強力な鬼除けを握り締めて、僕はその場から立ち去った。小さな頃から僕を守り通してくれた、唯一の家族を思いながら──



◆◆◆



屋敷を出てから随分歩いて、ようやく人里らしき場所まで訪れることができた。道を辿れば地図がなくてもこんな所まで一人で来ることができるのかと一人で感動する。

だけど感動しているばかりもいられない。早く街まで行って杏寿郎に会わなくては。ここまで来て今更引き返すなんて考えは僕の頭にはなかった。

どこかに馬車を引く人はいないのか。辺りをキョロキョロと見渡してみるが、広い通りには行き交う人々の姿しか見えない。この程度の広さの人里だと馬車は走らないのか。

焦りながらも懸命に探し続けて、いよいよ人里の出口辺りに着く頃──ようやく馬車を見つけた。運んでもらえないか頼むために所有者を探すが、馬車の周りには居なかった。

「どこだろう……」

早くしないと日が暮れてしまう。日が暮れれば鬼が出る。そうなればもう外に出ることが出来ない。

早く、早く見つけないと──焦る気持ちを抑えながらしばらく馬車の周りをウロウロとしていると、近くの蕎麦屋から出てきた男が真っ直ぐにこちらの方にまで歩いて来るのが見えた。この馬車の所有者かもしれない。

「ぁ、あのっ……」
「ん?」

勇気を出して声を掛けると、男は刈り上げ頭をこちらに向けて逞しい眉をグッと上げた。

「おや? 巫女さんがこんな所で何してんだい?」
「すみません、この馬車の所有者はあなたですか……?」
「ああそうだよ。俺の馬車だ」
「あの、お願いします!どうか……街まで乗せて行ってくれませんか!?」
「えぇっ!?」

後はもうひたすら頼み込むしかなかった。行き先はおそらく違うだろうけど、この里にある馬車はこれしかないんだ。次の里まで馬車を探しに行く暇はない。

「街ってったって……どこの街ことだ」
「ぁ……街の名前はわかりませんが……あの、無限列車とかいう乗り物がある街で……」
「ああ、無限列車か!けど巫女さん、そこは多数の行方不明者が出てるって噂だぜ? あんたそんなおっかない噂のある街に一体何の用で──」
「そっ、その列車の無事を祈るお祓いの為に呼ばれたのです!ですが急用で出発が遅れてしまい、今から急いで行かなくてはならなくて……!」
「なぁんだ、そういうことかい!それなら無下には断れねぇな!まあ、こんだけ別嬪な巫女さんに頼られちゃあ世の男が断れるはずがねぇ!ガハハハ!」
「べっ……別嬪!? ぅぐッ……くぅっ!……お、お願いします」

この男──僕のことを女だと勘違いしてるのか。なんて無礼な奴なんだ。どこからどう見ても立派な男だろうに。

張り倒したい気持ちを隠して僕は男に渾身の作り笑顔を浮かべた。その途端、男が頬をぽぽぽっと染めたので背筋が凍った。世話になるにしても酷い相手を選んでしまった。だけどもう選り好みしてる場合ではない。

「じゃ、じゃあ……荷台で良ければ乗りな。街まで連れて行ってやっからよ」
「ありがとうございます」
「……乗り心地悪かったらいつでも言ってくれよ。俺の膝の上に乗せてや──」
「荷台に、失礼させてもらいますね」

寄り添おうとする男から身を離して素早く荷台に乗り上げた。白い布で覆われた荷台は身を隠すのにもちょうどいい。男の顔も見なくて済むだろう。

素っ気なくした事に男は残念そうな顔をして見せたが、僕はそんな顔など何も見なかったことにして、乗っている間は布越しだろうとずっと男に背を向けるようにした。



◆◆◆



ガタガタと揺れ続ける乗り心地最悪の馬車でじっと座っていると、お尻が痛くなりだした頃に馬車の前方から「着いたぜ」と言う男の声が聞こえた。

慌てて荷台から顔を出すと、最後に見た人里とは比べ物にならないほどに増えた人の数に目を見張った。

着ているものも、建物も、雰囲気も、全てが僕の知らないものだった。ここが、杏寿郎の言う“街”というところなのか。

「大丈夫かい?」
「ぁ……ありがとうございます!」

呆気に取られていたが、男が目の前にまで回って来たのですぐに気を取り戻して感謝を述べた。男は微笑むと「ほら、掴まりな」と言って手を伸ばしてくれて、僕が荷台から降りるのを手伝ってくれた。

初めて降り立った街は僕が暮らす田舎とは違って常に騒がしい。止まない話し声が行き交い、すれ違う人々から香る知らない匂いに酔ってしまいそうだ。

「駅まで一人で行けるかい?」
「えき……?」
「駅だよ。……嬢ちゃん、知らないのかい?」
「じょッ……う、ちゃんは、やめてください。えきというのは、その……すみません。田舎の者ですので……知りません」
「ガハハハ!そうかい!そりゃあいかんな!だったら俺が最後まで案内してやるよ!」
「!!」

ガシッと肩を掴まれ抱き寄せられた。
抱きつくなむさ苦しい──そう言って突き放したかったが、駅というところを知らないので男に案内してもらうために僕は大人しく黙っていた。



「駅ってのは列車が停まる場所のことだ。切符もそこで買うんだよ」

歩きながら男は話し出した。
切符とは杏寿郎が言っていたものの事だろうか。僕は黙って男の話を聞き続けた。

「ここ最近行方不明者が増えているせいで駅周辺に警官も随分増えたそうでなぁ、切符一枚買うのも大変だそうだぜ」
「そうなんですか……」
「ま、よっぽど見た目が怪しくなけりゃ大丈夫だろ!嬢ちゃんはまあ……見た目からして身体検査って名目の取り調べを受けそうだがなぁ」
「っ!」

ニヤリと笑いながら僕を見下ろす男の顔に体が強張った。

──まさか、僕が男だと気付いたのか?

勘違いを利用したことに男が気付いて僕を警察に突き出すつもりなのかもしれない。もしそうなれば杏寿郎に会えなくなってしまう。
どうする。逃げるか。いや、逃げようにも男からしっかりと肩を掴まれているから振り払うことができない。どうしたらいいんだ。

「安心しな。嬢ちゃんを他の野郎に渡しゃしねぇからよ」
「……あ、ありがとうございます……」

今はまだ警察に突き出しはしない──という意味だろうか。

「……まあ、仕事が済んだら嬢ちゃんには俺の相手をしてもらおうかね。主に、俺の“息子”に取り憑いた悪霊を取り祓ってもらうために……」

なるほど、今度は僕の立場を利用しようと言うのか。お祓いなんか僕には出来ないが、祖父に訊けばやり方を教えてもらえるかもしれないし、出来なくても祖父に頼めばなんとかなるかもしれない。全てが済んだら男の用件を飲んでやるとしよう。

「なぁんてな、ガハハハ!」
「……わかりました」
「えっ!?」
「お世話になりましたし……い、一回くらいなら……」
「ほっ、ほ、本当かい!?」

こくん、と小さく頷くと男が頬を上気させて飛び上がった。

「ひゃーっ!こりゃあ堪らんぜ!いかん、想像しただけで息子が……!」
「……?」

お祓い一つに何をそんなに興奮しているんだこの男は。そんなにその息子とやらは悪霊に苦しめられているのか。可哀想なやつだ。

「ぐ、具体的にどんなお祓いをしてくれるんだい?」
「えっ、あ……そのっ……」

息を荒げながら尋ねてきた男に慌てた。だってお祓いなんかした事ないのにそんなのわかる訳ないだろう。

「っ……な、撫でたり……」
「なっ撫でたり!?」
「言葉で、慰めたり……」
「言葉でぇ!?」
「ぁ……でも、初めてだし、そんな上手じゃないだろうから……天国に逝かせてあげられないかもしれない……」
「ひーっ!!」

段々自信がなくなってきて弱音ばかり吐いているというのに、男は興奮しきって何故か嬉しそうだ。こんな頼りない神職に、自分の大事な息子に取り憑いた悪霊のお祓いを頼むなんて僕なら絶対御免だけど。

「ちくしょう!もう辛抱堪らん!おい嬢ちゃん!」
「え?」

急に叫び出したかと思えば突然手を握られた。腰を掴まれ抱き寄せられ、興奮して赤らんだ顔を寄せられた。

「今から宿をとって俺の息子を祓ってくれ!」
「は、はあっ!?」
「撫でるだけじゃ満足できねぇ!素股でいいから頼む!嬢ちゃんのその巫女服の下に隠した太腿で俺の“息子”を挟んでやってくれ!」
「なっ何言ってんだお前!やめろ!離せ馬鹿!」

息を荒げて抱きついてくる男をなんとか押し離そうとするが全然ビクともしない。その内尻を鷲掴まれて揉みしだかれた。

「ひいぃっ!!ッ何すんだお前!触るな!揉むな!くそっ!」
「ハァ、ハァ……ッ!柔らけぇ……いい匂いだぁ……!」
「うっ、ぁ……やめろ!誰か!」

大声を出して助けを求めた。助けてくれるなら誰でもいいと考えていても、頭の中には杏寿郎の顔しか思い浮かばなくて──杏寿郎がもし近くにいてくれたなら、なんて今更なことを考えてしまう。

「いやだ!杏寿郎ッ──」
「おい!やめろ!」
「!!」

突然男の体が離れた。いや、引き離されたんだ。
僕の目の前に、木箱を背負った子供が立っていた。




  



×
- ナノ -