藤色の焔 | ナノ


杏寿郎と喧嘩してから十年もの間──心にぽっかりと穴が空いたように感じられて、僕は寂しさからよく祖父に対して「早くお嫁さんが欲しい」なんて口癖のように言っていた。

でもそれも、杏寿郎と想いを通わせてからは一切言わなくなった。杏寿郎がそばに居てくれると知って、寂しさを感じなくなったからなのかもしれない。

だけど、祖父からすれば僕達の関係なんか知る由もない。だからあれも祖父なりに、僕のためを思ってやってくれたことなんだろうと思う。



◆◆◆



「お見合い……?」
「うむ」

ある日のこと──神社の掃除中に突然祖父から呼ばれたので部屋に訪れると、祖父は急にお見合いの話なんかを話し始めた。あまりにもいきなり過ぎてどう反応を返すべきかわからなくなった。

「えっ……ちょ、待ってよ。何なの、急に……お見合いって……」
「見合いは見合いじゃ。お前、嫁を欲しがっておっただろう」
「そんなの……前の話だよ。っていうか、別にもう必要ないって言うか……」
「必要ないとはなんじゃ!あれだけ欲しい欲しいと喚きよったくせに!」
「だって……」
「今更怖気付きよったか!この軟弱者めが!もう見合いの話は進めておると言うに!」
「はあ!? 何勝手なことしてんだよ!」

そりゃあ欲しいとはたしかに言ったけど、探してきてくれなんて頼んだ覚えはない。なのに僕の気持ちも考えないで勝手に話を進めて、いくらなんでも酷すぎる。

「どこの誰かも知らない奴とお見合いなんかできるわけない!」
「ばかもん!それがお見合いというものじゃ!それに心配せんでも相手はお前には勿体ないくらいの気立の良い別嬪な娘じゃ!」
「勿体ないなら僕じゃなくていいだろ!」
「ええい!口答えするでないわ!」
「なんだよ……!」

祖父はたった一人の家族だ。そして僕が子供の頃からお世話になってきた人だ。そんな祖父の期待に応えようと、今まで屋敷に篭って鬼除け作りにも励んできたのに──祖父は唯一の孫である僕の気持ちなんかどうでもいいと言うのか。

「ッ……冗談じゃないよ!僕は見合いなんかしないからな!しても絶対破談させてやる!」
「皐月!」

頭にきて、僕は祖父に暴言を吐き付けるとその勢いのまま部屋から飛び出した。怒鳴り声が「戻ってこい」と僕を呼んでいる。

誰が戻ってやるもんか。今回の件に関しては明らかに祖父が悪い。祖父がお見合いを無かったことにしてくれるまで絶対に口をきかない。祖父は少し頭を冷やすべきなんだ。

喧嘩してる間は部屋に戻らず、祠に篭って隠れていよう。多分すぐに見つかるだろうけど、喧嘩中の祖父と同じ屋敷にいるよりずっとマシだ。

そのまま屋敷を出ようと玄関の戸を開けると、すぐ目の前に杏寿郎がいた。

「っ、皐月?」
「ぁ……!」

壁のように出入り口を塞いで立っている杏寿郎は僕を見下ろして驚いたように目を見開いた。

「どうした。浮かない顔をしているが何かあったのか?」
「っ、ほっとけ!」
「皐月!」

呼び止める杏寿郎の声も無視して玄関から出た。神社へと向かう僕の後を杏寿郎が当たり前のようにしてついて来ている。普段なら嬉しいと感じるだろうけど、今は少しだけそれが鬱陶しく感じる。

来てくれたのはたしかに嬉しい。だけど、なにもこんな時にわざわざこなくてもいいだろうに──

「皐月!」
「…………」
「皐月!何故目を合わせてくれないんだ!」
「…………」
「何故無視をする!ちゃんと聞こえているはずだろう!」
「あーもううるさいな!ついてくんなよ!」

うろちょろと僕の周りを歩く杏寿郎が頻繁に顔を覗き込もうとしてくる。その度に顔を逸らすけど、追うようにして杏寿郎も顔を向けてくる。ふざけているように見えてそれが余計に癇に障った。

「よもや……また御当主と揉め事か!」
「お前に関係ない!」
「何故そうも頑なに俺を拒もうとするんだ!俺は皐月の力になりたいだけだ!」
「じゃあそっとしておいてよ!」

いつものくだらない喧嘩の話なんかわざわざ杏寿郎に話すまでもない。どうせお前と話すならもっと楽しい話がしたかった──そう思うならそう伝えればいいのに、僕は今日もまた癖のように憎まれ口を叩くんだ。


「皐月!待ってくれ!」
「何だよ!特に用もないのに待つ理由なんかない!」
「用ならある!今日はお前に大事な話があって来た!」
「えっ?」

後ろからそう大声を掛けられてようやく足が止まった。振り返ると、後ろにいた杏寿郎が真っ直ぐに僕の顔を見つめていた。

いつも通りの、杏寿郎の姿なのに──今はそのいつも通りの笑顔に、嫌な予感がする。

「明日から、任務で遠出することになった」

凛とした声で杏寿郎は言った。その内容はいつもと差して変わらないようにも聞こえる。だけど、その目はいつになく真剣で、ほんの少し緊張を孕んでいた。

「……そう、なんだ」

動揺を悟られないよう、そう素っ気なく返事を返すのがやっとだった。だけどいま顔を見られたら杏寿郎に胸の内を覗かれてしまいそうな気がして、僕は振り向かせていた顔を逸らすようにして前に向けた。

「 やはり皐月は止めようとはしないな!」
「当たり前だろ。どうせ止めたって行くくせに。その任務だってお前が行かなきゃならない任務なんだろ」
「うむ!その任務先では短期間のうちに四十人以上の人が行方不明となっているそうだ!数名の剣士も送り込んだが全員消息を絶った!だから柱である俺が行くことになった!」
「そんなに人が消えたのか……? それなら警察が動いてもおかしくないだろ。鬼殺隊は政府非公認だって言ってたじゃないか。見つかったら捕まるぞ」
「いや!任務先はたしかに街であるが、鬼が出ると言われる場所は街ではない!」
「……? どういう意味だ?」

街なのに街ではないなんて意味がわからない。逸らした顔もすぐにまた後ろへと振り向けてしまった。

「列車だ!」
「れっしゃ?」

僕の問いに杏寿郎は腕を組んだ状態で叫んだ。

「うむ!鬼はその“無限列車”と呼ばれる乗り物に現れるそうだ!」
「……れっしゃ、って何だ?」
「よもや!皐月は列車を知らないのか!」
「っ、知らなかったらなんだよ!悪いか!」
「そんなことはない!俺も数える程度にしか乗ったことがないからな!そこまで詳しくはないがどんなものか説明することはできるぞ!」
「必要ない!」

知らなかったことを馬鹿にされたようで、恥ずかしくて僕はすぐにその場から離れた。だけど足踏み強く神社へと向かう僕の後を杏寿郎がまたついて来る。しつこいその足音に更にイライラが増す。

「皐月!列車というものはだな──」
「うるさいっ!しゃべんな!話しかけんな!」
「石炭で走るそれはそれは大きな黒い乗り物で──」
「興味ない!」
「切符というものがなければ乗れないのだが──」
「ッ話しかけんなって言ってるだろ!」

あまりにもしつこいのでいつも以上に大きな怒鳴り声を上げると、ようやく杏寿郎は喋るのをやめた。だけど、僕の後をついてくる足音はやまない。

あんな大声で怒鳴っても杏寿郎はまだ僕の後ろにいる。罪悪感で後ろを振り返ることができない。杏寿郎が今どんな顔をしているのか想像するのも怖かった。

「……話はそれだけか」
「うむ!」

僕から話しかけて杏寿郎は口を開いた。声色からして杏寿郎が怒っているようには思えないけど、振り返って確認するまでの勇気はなかった。

「……じゃあ、僕からもお前に話しておくことがあるから今のうちに話しておくよ」

どうせしばらく会えないのだろうし──そう吹っ切れて、僕はしばらく顔を合わせることもないだろう男の方へようやく自分の顔を振り向かせた。

振り返った先の杏寿郎は相変わらずの笑顔だった。それに少しだけホッとしたけど、自分の言葉に何の感情の揺れも見せない杏寿郎に安心感よりも悔しさを感じた。

──それだけの余裕があるのなら、これから僕が話すことだってなんにも感じないのだろうな。

「……今度、祖父の勧めでお見合いをすることになった」

「それはめでたいな!」なんて笑顔で返してくるのだろうと思っていたのに──告げた瞬間、杏寿郎の顔から笑顔が消えた。唖然とした顔で僕を見つめたまま固まっている。
その反応が意外過ぎて、逆にどう反応すればいいのかわからなくなる。

「……どうした?」

取り敢えず声を掛けてみると、杏寿郎は顔付きを険しくさせて眉間に皺を寄せた。

「……いつの予定だ」
「えっ……ぁ、えっと……まだわからないけど……」
「皐月はその見合いを受けるつもりなのか」
「…………」
「皐月」
「受けるって言ったら?」

敢えて挑発するように言ってやると、杏寿郎は沈んだ微笑みを浮かべながら顔を俯かせた。

「……そうか」

違う。受けるつもりなんか最初からない。本気にするな──そう何度心の中で叫んでも杏寿郎には届かなかった。焦るばかりの僕の気持ちは伝わらないまま、杏寿郎はその場から去るようにして踵を返した。

「っおい!どこに行くんだよ!まだ話の途中だろ!」

ようやく出せた言葉も引き止めるにしては酷い言葉だった。背中を向ける杏寿郎に「行かないでくれ」と僕はどうしても言えなかった。

「皐月、お前はこの神社を後世に繋いでいかなければならないだろう。見合いの話も、いつ出てもおかしくなかった話だ」
「ッ……じゃあお前は反対しないのか!僕がどこの誰かとも知らない女と、顔を合わせただけの薄っぺらい関係のまま婚姻を結ぶことに!」
「誰でも会ったばかりの頃はそういうものだ」
「ふざけんなよ!」

決して振り返ろうとしない杏寿郎の背中に僕は湧き上がる怒りをぶつけた。

「好きだとか言ってたくせに……ッ!そんな簡単に僕を他人に譲るのか!」
「皐月、俺とお前との想いは同じでも、そこから先の関係は世に許されるような関係ではない」
「何だよそれ!」
「御当主にも認めてもらえないだろう。おそらく俺も、煉獄家の跡継ぎとして近いうちにお前と同じように──」

「杏寿郎、それ……本気で言っているのか?」

震えた声が出た瞬間、杏寿郎がこちらに振り返った。余裕のない顔。そんな顔はするくせに、あんな酷い台詞は言えるのか。

「許されないって何だよ。誰に許されないって言うんだ? 恋愛に誰かの許可が必要なのか? 認めてもらえないて……他人に認められることが、そんなに大事なのか?」
「皐月……」

「……僕の気持ちより、大事なことなのか……?」

じわりと視界が滲んだ。驚く杏寿郎の顔が歪んで見える。だけどもう、止まらない。

涙と一緒に突き上げてくる呼吸を、唇を堅く結んで必死に押さえる。

「もう、いいよ」


お前なんか、好きになるんじゃなかった──最後に告げた台詞は、別れの言葉としては最悪の言葉となった。




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