藤色の焔 | ナノ


杏寿郎と胡蝶さんが居なくなってから一人で大人しく眠っていると、夢を見る間も無く胡蝶さんから揺すり起こされた。

「食べてください」と言われて机に置いて行かれたのは盆の上に乗せられた沢山の料理。どれも美味しそうだったけど、どれを食べても喉が痛くて飲み込むのが辛い。食事がこんなにも辛いと感じたのは生まれて初めてだ。

それでもどの料理も小さく切られていたりすり潰されていたりと食べやすく工夫されていて、ちゃんと考えて作ってくれているんだなと一人で勝手に感動した。普段から料理を作っているからこういうことにはきちんと気付くことができる。

なるべく残さないようにと、ゆっくりとでも食べていたら結構時間が掛かっていたようで、様子を見にきた胡蝶さんに「まだ食べているんですか」と呆れられた。いつまでも食べていることに申し訳なさもあったけど「残したくないので」と本音を伝えると、胡蝶さんは可笑しそうにクスクスと笑って「無理はしないように」と言い残してまた部屋から出て行ってしまった。

やっぱり胡蝶さんは可憐で可愛らしい人だ。時々ドキッとするような鋭い発言もあるが、普通に接していたら本当に優しくて心に慈愛が満ち溢れているように感じる。もし僕にお嫁さんができるのならあんな優しい人がいいな、なんて図々しい希望を抱いた。

「宇髄やめろ!」
「いーじゃねぇかよ」
「ダメだ!入るな!」
「……?」

何やら戸の向こう側が騒がしい。あの声はひょっとして杏寿郎だろうか。まだ昼下がりだと言うのにもう任務を終えて来たというのか。忙しない奴だな。

「邪魔するぜ」
「おい!」
「ッ!ぅっ、ゲホッ!ゴホッ!」

じっと戸を見つめていたら突然その戸が開かれた。驚いて肩が跳ね、飲み込もうとしていたほうれん草のおひたしがうっかり気管に入った。

「皐月!」
「ゴホッ!ゴホッ……!」

咳き込む僕の元へ杏寿郎が駆け寄ってきた。
ああやっぱり杏寿郎か、なんて思ってる場合ではないのだが、待ち侘びていた存在が目の前にまで来ていると思うと苦しくても嬉しいものだ──いやまて、確かに待ってはいたがそこまで恋しかったわけではない。
熱くなる顔を誤魔化すようにして僕は杏寿郎から顔を背けた。

「っ、だ、だじょぅゴホッ!」
「苦しいのか!胡蝶を呼んだ方がいいのなら呼んできてやるぞ!」
「ちが……ゴホッ!噎せ、ゲホッ!……噎せただけだ……!」

急に入ってくるからだぞ、と責めるように言葉を続ければ杏寿郎は眉尻を下げてしおしおとした様子で「すまん」と謝った。
お前そんな急に落ち込むような性格していたか? そう疑問に感じるほどに今の杏寿郎は以前までの杏寿郎とは別人と化していた。

「ほぉ〜……痩せてはいるがたしかに別嬪だな」
「宇髄!」
「……?」

杏寿郎の背後から歩み寄ってきた人物が僕を見下ろして自分の顎を撫でた。興味深そうにじっと僕を見つめている。この人も鬼殺隊の隊員なのか──杏寿郎よりも体格が良く派手な格好をした人だから、もしかしたら杏寿郎と同じ柱の人なのかもしれない。

「お前が炎柱の幼馴染みとかいうやつだな。俺は鬼殺隊音柱の宇髄天元だ」
「……あ、琴乃葉皐月です……」
「ん? 何か声がやけに低くねぇか……?」
「喉を痛めてるので……」
「あー、どうりで──」
「宇髄!もういいだろう!君はもう帰ってくれ!」
「なんだよ、会ったばっかりなんだからもう少しくらいいいだろ」
「良くない!」

やっぱり柱の人だった。でもなんだろう。杏寿郎と同じ柱なのに杏寿郎とは仲が良くないみたいだ。(おそらく)ここに来る前から言い争っているようだし。そもそもこの人は何しにここに来たんだろうか。何か僕に用でもあるのだろうか。

「お前にちょっと訊きたいことがあるんだが──」
「やめろ宇髄!言うな!」
「何慌ててんだよ。別にあのことには触れてやらねーからそんな心配すんなよ」
「そういう問題ではない!」
「あの……うるさいです」

主に杏寿郎の声が。
僕はまだ食事中だし、話があるからまた今度にしてくれないかな。いい加減早く食べてしまわないと胡蝶さんが──

「お二人とも何をされてるんですか?」

ああ、マズい。いずれは来るだろうと予想していた彼女の冷ややかな声に、煮物を掴む箸が手から落ちた。カランカランと盆の上に落ちた箸の乾いた音が部屋に響く。杏寿郎は笑顔のまま固まっていたが、宇髄と名乗った男は平然とした顔で彼女の方に振り返っていた。

「お、胡蝶か。悪いな、ちょっと邪魔してるぜ」
「邪魔してると自覚してるのならさっさと出て行ってくれませんか? 皐月さんはまだ安静にしていてもらう必要がありますし、そもそも今は面会禁止中ですよ」
「宇髄!胡蝶の言う通りだ!君はもう帰るんだ!」
「煉獄さん、あなたもです」
「ぐっ……!」
「なに自分は関係ないみたいなことを仰っているんですか? あなたは面会禁止なことは既にご存知でしたよね?」
「任務は終えて来たぞ……!」
「そういうことじゃないんです。面会禁止って言葉が理解できないんですか?」

なんだかよくわからないけど、この最悪な環境下で唯一僕だけは全く関係ないのに何でこんな肝を冷やすような展開に巻き込まれてるんだ。頼むからゆっくり食事させてくれ。どうかひと時でも僕に安らぎをくれ。

「宇髄さんはそもそも何しにいらしたんですか? 怪我をしたわけでもないあなたが一体何の用があって──」
「いや、こいつの幼馴染みってやつの顔を一目見ようと来ただけだ」
「だったらもう目的は果たせたんですから帰ってください。皐月さんはまだ療養中なんですから」
「お前らちょっとこいつに過保護過ぎねぇか?」

状況を見るに宇髄さんはこの場にいること自体おかしい人なのだろう。僕の顔を見に来ただけだと言っていたし──いや、そもそも何で僕の顔なんか見に来たんだ。見たって何にもならないだろうに。

「まあ、今日は顔も見れたしこの辺で勘弁しといてやるか。……おい、皐月」
「……?」

いきなり名前で呼び捨てか──なかなか非常識な人だなと眉を顰めて宇髄さんの顔を見上げたら、彼は形の良い唇に微笑みを乗せて片手を振って見せた。

「また今度二人きりでお茶でもしながらゆっくり話そうぜ」
「宇髄!」
「冗談だよ。帰ってやるからからそんな目吊り上げて怒んな」

ようやく宇髄さんが出て行った後も、杏寿郎はまだ彼が出て行った戸をじっと警戒して見つめている。杏寿郎があそこまでムキになる人も珍しいな。そんなに仲が悪そうには見えなかったけど、杏寿郎とはどういう関係なんだろう。

「皐月!」
「えっなに」
「宇髄のことは気にするな!一癖ある男だが彼も立派な鬼殺隊の柱達の一人だ!お前のことをどうこうしようとは考えていない!」
「ああ、うん……」

心配してくれたのかな。そうだとしたらちょっとむず痒い感じだな。嫌って感じじゃないんだけど、少し居心地が悪いと言うか、恥ずかしいと言うか──

「ん? 皐月、顔が赤いぞ!熱が出たんじゃないのか!?」
「ひぇっ」

俯いていたら突然杏寿郎から額に手を当てられた。杏寿郎の手はいつも温かいから額に触れても全く冷たいと感じない。だというのにこんなにも顔が熱いと感じるのは、僕の体からじわじわと熱が上がってきているということだ。

「胡蝶!皐月が熱を出したかもしれん!診てやってくれないか!」
「煉獄さん、他でもないあなたの行動が彼の熱を上げているのにいい加減気付いてください」
「何の話──っは、よもや!俺と宇髄が騒がしくし過ぎたせいか!?」
「まあ、それもありますけど……」
「すまない皐月!今日のところは大人しく帰るとする!熱が下がり体調が戻った頃にまた会おう!」
「えっ、あ……」
「人の話を最後まで聞いたらどうなんですか?」

何を急いでいるのか知らないが、杏寿郎は結局胡蝶さんの話を最後まで聞こうとせずに「ではまたな!」と手を挙げて見せると慌ただしく部屋を出て行った。

何だったんだ、今までの茶番劇は。まるで嵐でも過ぎ去ったかのようだ。胡蝶さんもなんだか不穏な気配出しているし、結局残された僕が二人の尻拭いをさせられるのか。

「……皐月さん」
「はいっ!」
「さっさと食べちゃってくださいね」
「はいぃっ!」

恨むぞ、杏寿郎。



◆◆◆



──あの日以来、杏寿郎と宇髄さんは揃ってよく見舞いに来るようになった。

胡蝶さんは毎度言っても聞かない二人にもう対応を諦めたのか、最近は二人が来ても追い返すようなことは言わなくなってしまった。

杏寿郎は時々一人で見舞いに来てくれることもあったけど、宇髄さんが一人で来ることは一度もなかった。彼が来る時は必ず隣に杏寿郎がいた。

見舞いに来てくれるのは嬉しいけど、いつも二人で揃って来る姿を見ていると少し複雑な気分になる。初めて見た時はあまり仲が良くなさそうな二人に見えたけど、僕の知らない場所では上手くやっていそうな感じがするのだ。僕と杏寿郎にはない別の強い絆で結ばれているように見えてしまって、そんな二人が少しだけ羨ましいと思ってしまう。


「明日で家に帰るんだろ?」

今日も見舞いに来ていた宇髄さんが、ベッドの傍にある椅子に座った状態で僕に尋ねてきた。その隣には当然のように杏寿郎もいる。二人ともいつもと同じように、同じ位置で僕のことを見つめていた。

「はい。祖父も待たせていますし、長居はできません」
「まだ全快してないのにいいのか?」
「……? いえ、もうすっかり良くなりましたよ」
「あー……なるほどな。後遺症ってやつか……。ま、気にすんな。煉獄は声なんかで人を判断なんかしねぇからよ」
「……?」

何の話だろう。真意を確かめようと杏寿郎に視線を向けたが、杏寿郎も何のことだかさっぱりだという顔で僕を見ている。

「結局お前とは一度たりとも二人きりにはなれなかったな」
「宇髄」
「睨むなって。俺にはもう嫁がいるんだから手なんか出しゃしねぇよ」
「そういう目で皐月を見るな」
「あーもう面倒くせぇなお前」

口喧嘩をしているようだけど、やっぱりどこか心を許し合っているような会話に聞こえる。

宇髄さんはいつから杏寿郎と一緒にいるようになったんだろう。いつから一緒に鬼と闘うようになったんだろう。きっと、安心して背中を任せられる仲間なんだろうな。僕の知らない杏寿郎の顔もよく知っているだろう。あんな風に気楽な喧嘩をできる仲を保てていられるのはすごいことだ。

──今の僕には絶対真似できない。

「じゃあもう今後会う機会もねぇだろうから今ここで訊いとくけどよ、お前煉獄のことどう思ってんだ?」
「宇髄!!」

宇髄さんの問いに杏寿郎が椅子から立ち上がってまでして声を荒げた。怒っているような、そうでないような顔をして、悪びれもなく飄々としている彼を睨んでいる。

彼がどうしてそんなことを尋ねてきたのか僕にはわからなかった。だけど訊かれたらつい答えを考えてしまって、自分が杏寿郎のことをどう思っているのか改めて考えさせられた。

「からかうのはよせ!それ以上皐月に良からぬことを問うつもりなら俺は君を許さないぞ!」
「何そんなムキになってんだよ。自覚してからやけに俺への当たりが強くなってねぇかお前」
「君が事あるごとに皐月に絡むからだ!」
「絡んじゃ何か問題でもあんのかよ」
「ある!明確には言えないがとにかく不快だ!」
「あー、そういう感情はまだ無自覚なんだなぁ」

人が考え事をしていると言うのにこの二人は横で何を大声で言い争っているのやら。仲が良いのか悪いのかわからない。

「お前も気になるだろ?」
「これは俺と皐月の問題だ!」

でもここまで杏寿郎が頻繁に声を荒げる相手も珍しい。あんなに顔を真っ赤にさせて必死な様子を見せるなんて、やっぱり宇髄さんは杏寿郎と深い関係なんだろうな。

「俺は脈アリだと思うんだが……。なぁ、実はこいつのこと結構良い男だって思ってるだろ皐月」
「やめろと言ってるだろう!」

僕が怒鳴っても杏寿郎はいつも平気そうな顔しているから、杏寿郎の表情をコロコロと変えることができる宇髄さんが少し羨ましいなぁ──……

「……いや!全ッ然そんなことないから!」
「!?」
「!!」

あ、しまった。
考え事に集中し過ぎて二人の話を全く聞いていなかった。しかも自分自身へのツッコミまで声に出してしまった。

どうしよう。二人とも目を丸くさせて僕を見つめながら絶句している。そりゃ驚いただろうな。いきなり大声出したんだから。杏寿郎なんか呆気に取られたままでピクリとも動かない。

「ぁ……あの……」
「あー……」
「…………」

ごめん、何の話をしていたの?
そのたった一言がどうしても言えなかった。
何でかわからないけど杏寿郎の肩が徐々に下がってきている。顔は俯きがちで、明らかに落ち込んでいる様子だ。

それを隣にいた宇髄さんが肩を叩いて慰めてやっている。僕には絶対にできない、触れることができない杏寿郎の肩に手を乗せて。

「……な、なに落ち込んでるんだよ……」
「いや……そりゃあお前、あんな言い方されたら……」
「いいんだ宇髄」
「おい煉獄……」

宇髄さんに慰められていた杏寿郎が暗く重たい声を出した。どうしてそんなに落ち込んでいるんだ。僕が何か悪いことでも言ってしまったのか。

「杏寿郎……」
「……明日、日が暮れる前にお前を屋敷まで送ってやるから、それまでに胡蝶に挨拶を済ませておくと良い」
「おい」
「すまないが俺も……準備があるので失礼するぞ」

そう言うと杏寿郎はこちらに一度も振り返ることなく部屋から出て行ってしまった。最後に見た顔には確かに陰りがあった。何かに落ち込んでいるのは間違いない。でも僕にはその理由がわからなかった。

「お前このっ……鈍感女!」
「えっ」

突然の捨て台詞を吐きつけられて唖然とした。鈍感女と、彼は今僕に言ったのか。
僕を、女、おんなだと──

「だっ誰が──」
「煉獄!」
「あっ、おい!」

失礼極まりない誤解を解くために一言物申してやろうと思えば、彼は杏寿郎の後を追って瞬く間に消え失せてしまった。

「……なんだよ」

ずるいぞ、お前だけ。
どうしてそんな、杏寿郎の気持ちがわかってるような態度を見せるんだ。僕の方がずっと前から杏寿郎と一緒にいたのに。何で二人はそんな、お互いをよくわかり合ってるみたいに話すんだよ。

「……ぐすっ……」

やめろよ。僕の杏寿郎なのに。僕の幼馴染みなのに。たった一人の友達なのに──

「……なんだよぉ……」

僕から杏寿郎を取り上げないでくれよ。




  



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