短編小説 | ナノ

▽ 稀血とまたたび


近頃、野生動物に血鬼術を仕掛けてそれを人里に仕向ける鬼の情報が上がっていた。

詳細を聞くと、その血鬼術にかかった野生動物に引っ掻かれたり咬まれたりすると、人間も同じ動物と化してしまうというものらしい。いわゆる感染型の血鬼術であった。

その情報が上がって、何人かの犠牲者が出たところでまず蟲柱の胡蝶しのぶが治療薬を作り出した。しかし爆発的に増えていく感染者達に対応していくのに手一杯で、まだ即効性の治療薬は出来上がっていない。今のところは、その症状を段階的に少しずつ治していく試作段階薬しか出来ていないのだ。

そして現在、鬼殺隊の隠達はこの薬を被害のあった各地へと運び感染者達に対応している。幸い動物にされても人間の言葉は理解できるので、感染した動物かただの野生動物かの判断はすぐについた。

感染域が広いこともあり、今回は事後処理部隊の隠達だけでなく任務がない隊員達も動員されている。そしてこの隊員達を率いていたのが炎柱の煉獄杏寿郎であった。


「壱ノ班は西の方角へ!弐ノ班は東の方角へ!薬が足りない班は運搬部隊の隠から補充分を受け取るように!」

的確に指示を与える炎柱の真剣な顔を、鬼殺隊の隊員達は呆然と眺めている。彼らの視線は、杏寿郎のある一点に注がれていた。

「薬の配布に当たっては必ず二人以上で行動するように!一人で感染すると厄介だぞ!」

彼の頭上にあるのは、ぴこぴこと震える二つの立て耳。真正面からでは見えないが、長い尻尾のようなものが時折彼の後ろから覗いている。

「以上で説明は終わりだ!何か質問はあるか!」

大きな声を張り上げる彼の口からは牙のようなものまで見えた。

杏寿郎の言葉に、今まで黙っていた鬼殺隊員の一人が恐る恐る手を挙げた。それに杏寿郎は目敏く気付き、手を挙げた彼の方へ勢いよく顔を向けた。

「む!何だ!」
「あの……炎柱様、その耳は……」
「ああ!これか!」

ぴくん、と動いた頭上にある耳に、杏寿郎は堂々と腕を組んだまま視線を向けた。

「この騒動を起こした鬼との戦闘中に不覚にも血鬼術を受けてしまってな!だが安心してくれ!鬼は滅殺済みだ!薬のおかげで今はこの程度にまで落ち着いたが、完治までにはまだ丸一日かかるそうだ!皆の士気を削いでしまうような情け無い姿で申し訳ないが、あまり気にしないでくれ!」

「猫だ……」
「絶対猫だな……」
「猫にやられたのか……」
「可愛いな……」

炎柱の変わり果てた姿に何故か嘆くことなくむしろ興奮して見せる隊員達を尻目に、杏寿郎は浮き足立つようなうずうずした感覚に捉われていた。

感染域の中には、己の幼馴染みである苗字名前の屋敷がある。杏寿郎は名前の身が心配で仕方なく、指揮を取るのもほどほどに彼はすぐにでも名前の元へ行きたかったのだ。

「質問がなければこれより各班出動開始とする!くれぐれも野生動物には気を付けるようにな!」

出動開始しだした隊員達とは別に、杏寿郎は名前がいる藤の花の家紋の屋敷へと向かった。



◆◆◆



名前の屋敷へと近付くにつれて、皮膚の表面がチリチリと粟立つように意欲が湧いてきた。

道中で見えた山に紅い煙りのような山桜が咲いている。春の陽気に気分が高揚しているのか、それとも名前を心配するがあまり急き込んでいるのか、普段よりも足取りが軽く、すぐに屋敷へと着くことができた。

藤の花の家紋が彫られた門はしっかりと閉じ切られているが、門を開けて入るという発想もなくそのまま塀を飛び越えて中へと入った。

「名前!」

大声で名前の名を呼び回るが、返事はない。しかし、屋敷のあちこちから猫の鳴き声がする。

──よもや、名前も猫にされたのでは……!

己と同じ動物に感染してしまったとなると、名前は今猫の姿になっているはずだ。

「名前!どこにいる!」

人間の言葉は伝わるはずなので俺の声には気が付いているはずだが、聞こえてくる鳴き声は明らかに複数である。どうやらこの屋敷にいる猫は名前だけではないようだった。

しばらく外回りを走っていると、早速一匹の猫を見つけた。猫は茶トラ柄で俺の姿を見るなり興奮したように毛を逆立てた。ふっくらとした体型と鋭い目つきから名前ではないのがわかる。

では名前は何処にいるのかと再び探し回るが、次に現れたのも、その次に現れたのも、どれも名前とは思えない野良猫ばかりだ。

「君は元人間か!?」
「フシャーッ!」
「違うようだな!」

試しに話しかけるも警戒されて逃げられてしまった。どうやら今まで出会った猫は皆ただの野良猫らしい。

「名前!俺だ!煉獄杏寿郎だ!いま庭先にいる!いるのなら出て来てくれ!」

再び声を掛けるがやはり返事の鳴き声はない。しばらく待ってみようかと、ふとその場で野良猫の様子を眺めていると、野良猫達は俺から興味を失くすと皆一斉に同じ方向へと駆け出して行った。

何かあるのだろうかと不思議に思い、猫達の後を追うと進むにつれて野良猫の数がどんどん増えていった。そうしてやがてたどり着いた場所は、梅の木が一本生えた裏庭で──

その梅の木の上に、藤色の瞳をした小さな黒猫が一匹登っていた。

野良猫達は皆、夢のかけらでも眺めるように木の上の黒猫をじっと見つめていた。黒猫はそんな野良猫達を見下ろしたまま、置物か地蔵のように微動だにしない。

ただ、すこぶる怒おこった様子で背中の毛を逆立てていた。

「ニャァン」
「ニャー!」
「フシャーッ!」

「!」

野良猫達の中の一匹が木の上に登ろうものなら、黒猫は片脚を威嚇的に二、三回、野良猫に向って槍のように伸ばした。その威嚇に恐れを成した野良猫が耳を下げて情けなく降りていく。

あの黒猫は、おそらく──いや、間違いなく名前であろう。

「名前!」
「!!」

思った通りであった。
名前を呼ぶと名前はすぐにこちらに気付いて木の枝から腰を上げた。

「にゃぁう!」
「やはり名前だな!待ってろ、今下ろしてや──」
「フシーッ!」
「ブニャーッ!」

名前がいる梅の木へ近づこうとすれば、木の根本にいた野良猫達が一斉に牙を剥いた。毛を逆立て、完全に俺を威嚇している。

「何なんだ君達は!俺は名前に用がある!そこを退いてくれないか!」
「ニャーッ!」
「シャーッ!」

何故こんなにも威嚇されるのか──半分ではあるが俺も一応猫だ。薬で半分人間に戻ったのでもう猫の言葉はわからないが、敵意を向けられているのは明らかだ。

「名前、こっちまで跳ぶことはできるか?」
「にゃぅん……にゃっ!」
「おっと」

離れた位置から手を伸ばすと、軽やかな動きで名前は木の枝の上から飛び降りて来た。その跳躍力、流石は猫と言うべきだろうか。俺の腕の中に丸く収まった名前はどこからどう見ても猫そのものだ。

「にゃうーっ!」
「わかっている!何故そのような姿になったのか知りたいのだろう!」
「にゃう!にゃぁにゃあ!」
「説明すると長くなるが、一言で言えば鬼の血鬼術によるものだ!名前、猫に引っ掻かれたりはしなかったか?」
「にゃうん……」

差し出された小さな右手──この場合前足となるのだろうが、名前の手には小さな引っ掻き傷のような痕があった。血で黒毛が濡れたのか、今はもう乾いて毛先が固まっている。

「その右手……怪我をしたのか、名前!」
「ふに゙ゃッ!」

どの程度まで傷付いたのか、傷の深さを見ようと前足を掴むと名前が毛を逆立てた。俺を見る目付きも鋭く、怒っているのがわかる。

「すまん、痛かったか?」
「なーう……」
「よしよし、今元に戻るための薬をやるから大人しくしていてくれ」
「……?」

名前を腕に抱いたまま、俺はポケットから胡蝶にもらった薬を取り出しモコモコの口元まで近付けた。

「!! フギャーッ!」
「なっ……!」

薬を飲ませようとした途端、何故か名前は目を剥いて嫌がりだした。顔を目一杯に逸らし、俺の腕から離れようと暴れている。

「名前!どうしたんだ!落ち着け!」
「ニャーッ!」
「これはお前を元に戻すための薬だ!飲まないとお前は──」
「フシャッ!」
「ッ!」

しまった──引っ掻かれた!

迂闊にも感染者である名前に引っ掻かれてしまい、人間に戻りかけていた俺の体はあっという間に猫の姿に逆戻りしてしまった。

二人して──いや、この場合二匹と言うべきか、俺たちは地面に同時着地し、呆然とした顔でお互いに見つめ合った。先に正気に戻ったのは俺の方だったが──

『何故引っ掻いた!また感染してしまったではないか!』
『お……お前があんな臭い薬無理矢理飲ませようとするのが悪いんだろ!!』

猫に戻ったことで猫化した名前の言葉も全てわかる。しかしこれでは何の解決にもならない。早く人間に戻らなくては鬼と戦うこともできない。

『たしかに臭いがみんな我慢して飲んでいる!飲まなければ人間に戻れないぞ!』
『だからって口元に押し付けてくるなよ!無理矢理押し込められると思ってびっくりしただろ!』
『驚かせてしまったのなら謝ろう!すまなかった!だが薬は飲んでもらうぞ、名前!』
『……っ!』

落ちた薬を咥えて名前の元まで運ぶと、名前は眉間に皺をたっぷりと寄せて嫌な表情をして見せるとふいっと顔を逸らした。顔全体で薬を拒否している。

『名前!』
『お前が先に飲め!』
『薬はこれ一つしかない!』
『何でだよ!』
『広範囲で血鬼術の感染が確認されている!薬の数も限られているのだから俺一人でそう多くは持ち歩けない!』
『だったら尚更お前が戻った方がいいだろ!鬼殺隊の柱なんだから!』
『俺は既に一度薬を飲んでいたからすぐに戻る!名前はまだだろう!』
『う……』
『……よもや、まだ薬が嫌だと言うつもりか!』
『だって……臭いし……』

お前は猫になっても俺の心を惑わし掻き乱すのか。
目を背けつつ耳を下げる猫の姿の名前は実に愛らしく、惚れた弱みからかそれ以上強く言うことができない。

さて──この我が儘を押し通そうとする愛くるしい猫は、一体どう説得すれば大人しく薬を飲んでくれるだろうか。

『おい、テメェ!独り占めする気か!』
『そいつは俺のモンだ!』
『!!』

一人で頭を悩ませていると突然怒号が飛んできた。名前は怒鳴り声が聞こえた方へ振り返り、「げっ」と声を漏らすと慌てた様子で俺の後ろにまで逃げ隠れた。

何事かと顔を前に向けると、先程名前を追っていた野良猫達が不穏な気配を漂わせながら詰め寄って来ていた。

『おいおい、俺のカワイコチャン、そんなところに隠れてないでこっちに来いよう!』
『うまい残飯が食えるところに連れて行ってやるからさぁ!』
『ちょっとでいいから付き合ってくれよ〜!』
『俺を選んでくれりゃ悪いようにはしないぜ!』

じりじりと距離を詰めてくる野良猫達に名前はすっかり怯えた様子で震えている。近付いてくる野良猫達に俺は腰を上げて威嚇の体勢を取った。

『それ以上寄るな!』
『何だテメェは!』
『俺は煉獄杏寿郎だ!』
『にゃぁん? どこの野良猫だァ?』
『人の匂いがするなぁ……』
『飼い猫じゃねぇのか?』
『野良猫でも飼い猫でもない!人間だ!何故猫の君達が名前を狙うのかがわからない!名前が君達に何をした!』
『うるせぇ!そいつは俺の番になるんだよ!』
『つ……』

番? つがいだと?
名前が猫と? 何故そんな話になっている?

『馬鹿を言うな!名前は猫と番になどならないぞ!』
『杏寿郎!そいつらさっきから僕と交尾しろ交尾しろってしつこいんだよ!』
『交尾!? 何故そうなる!』
『僕が知るわけないだろそんなこと!』

猫になっても名前の気の強さは健在しているようだ。この怒鳴り声だけで既に数匹の野良猫が怯えて後退りしている。

しかしそれにしても何故名前が猫の番に選ばれるのか理由がわからない。そもそもそこまで怯えるのなら交尾しようなんて言うのもおかしな話だが──

『百歩譲ってお前が猫だからと言っても、あの猫は雄でお前は男だろう!』
『僕だって何回もそう言ったのにあいつら全然話聞かないんだよ!』
『おい!いつまでベラベラ喋ってんだ!その雌猫をこっちによこせ!』
『誰が雌猫だッ!!』

雌猫扱いされてことに名前も毛を逆立ててかなり立腹している。しかし名前が雄であることなど、動物である彼等ならすぐにわかりそうなものだが何故こんなにも名前に執着を見せるのだろうか。

『何故そうも名前を番にしようとする!名前は人間だぞ!』
『んなこと知ったこっちゃっねぇ!そいつから雌の匂いがプンプンするんだよ!』
『くそ!俺が絶対に孕ませてやる!』
『ふざけんな!あの雌猫は俺んのだぞ!』
『何だとテメェ!』
『黙れ!あの雌猫は俺の番になるんだよ!』
『チクショウ!おいそこの雄猫!邪魔だ!退け!』
『その雌猫と交尾してぇなら俺と勝負しやがれ!』
『俺が先だ!』
『いいや俺からだ!』
『割り込むんじゃねぇコラ!』

──もしも今俺が人間であれば、辺り一体は猫の鳴き声で埋め尽くされかなり騒がしかっただろう。

この野良猫達は全員名前との番、交尾のために争うつもりでいるらしい。名前が雄であるにも関わらずだ。彼等は名前を絶対的な雌猫と勘違いしている。

そこで猫達の中の一匹が口にした「雌の匂い」とやらに引っ掛かりを覚えて、俺は背後にいる名前の方に顔を振り返らせた。名前は言葉や態度では強がっていたが、いつ襲われるかわからない状況に怯えきっている。耳は下がり、尻尾も丸まって俺の体に巻き付いている。

しかしじっと見つめていると、不意に名前の方から甘い香りがした。

『名前!確かお前、怪我をしたんだったな!』
『えっ……うん。猫に引っ掻かれて……』
『うーむ……!』

以前、風柱の不死川が「稀血の人間の血は鬼にまたたびのような効果がある」と言っていたことがあった。

名前が出血ものの怪我をして鬼に見つかるとすぐに稀血の人間だと気付かれていたが、猫もそういうものなのだろうか。猫になった名前の血の匂いに惹かれて、猫達の間でこのような醜い争いが勃発しているのかもしれない。

『名前!とにかく人間に戻らねばお前はいつまでもあの猫達に狙われるぞ!』
『あの臭い薬はやだ!』
『頼む!我慢して飲んでくれ!』
『嫌だ!』
『名前!』
『うるさいっ!あんなもの飲むくらいなら時間がかかっても元に戻るまで耐えてやる!』

俺がきつく言いすぎたのか、それとも薬がそれほどまでに嫌だったのか──名前は身を隠していた俺の後ろから離れて、さっきまで登っていた梅の木の方へ走って行った。

『名前!待て!』
『今だ!』
『俺が先だ!』
『取った!』
『ぎゃっ!』
『名前!!』

木に登る直前に、名前は野良猫達の中の一匹に背中から飛び付かれ地に落ちた。後はもう砂糖に群がる蟻達のように名前の上に大勢の猫が集まっていく。名前は猫の塊に埋もれてあっという間に見えなくなった。

『よし!やった!俺のものだ!』
『おい!俺が先だぞ!』
『やめろ!』
『いてぇ!』
『くそ!動くんじゃねぇ!』
『離れろ!俺が挿れるんだ!』
『ふざけるな!俺が孕ませる!』
『ふに゙ゃあ゙ぁーっ!痛いっ!痛いってば!あっ、馬鹿!ばかっ!やっ、やめろ!杏寿郎!きょうじゅろぉッ!』

『……ッ!!』

名前の悲鳴を耳にした途端、名状しがたい不快感が猫に対する愛護心を抑えつけて、自分の中の奥底にある闘争心と嫉妬心が一気に溢れてきた。

名前を助けねばならない──そう思うよりもまず体が動いていた。

『退けッ!!』
『に゙ゃッ!』

その場から駆け出し猫の塊の中へと飛び込むと、名前の上に跨っている大きな白猫に爪を立てた。肉を裂く勢いで引っ掻くと、白猫は悲鳴を上げて名前の上から飛び退いた。

蜘蛛の子を散らすように猫達が退くと、中からすっかり怯えて縮こまった名前の姿が現れた。


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