短編小説 | ナノ

▽ 限られた弱点


最近、杏寿郎がめっきり屋敷へ来なくなった。

柱なんだし忙しいんだろうと思うけど、こんなに長く──まあ、せいぜい半月ほどなんだけど、屋敷に来なかったのは今までにないような気がする。

でも僕には祖父がいるから寂しくなんかない。いや、祖父がいようがいまいが、杏寿郎がいなくても僕は別に寂しくなんかない。ただ、少し心配なだけだ。

鬼と戦って傷付いてないかとか、風邪でも引いて寝込んでたりしてないかとか──ああ、あいつが風邪なんか引くわけないか。いつも馬鹿でかい声で話しかけてくるくらい元気だし、鬼も風邪菌も逃げ出すくらいの力があるから心配したところで杞憂に終わるだろう。

でも、祖父が今はいないからそれは少し寂しい。あくまでも祖父の話なんだから杏寿郎は全く関係ないんだけど、一人で留守番をするのはどうしても慣れなくてつい玄関付近で待機してしまう。

早く帰って来ないかな──膝を抱えて廊下に座っていると、突然目の前の戸が叩かれた。

「ごめんください」
「えっ、あ……は、はい!」

びっくりした。まさか誰か来るとは思わなかったから、驚きのあまり玄関の段差から転げ落ちそうになった。急いで草履を履いて戸を開けると、戸の向こうには眩しそうに目を細めて笑う一人の男が立っていた。

「こんにちは。私は売り歩きで珍品を商売させていただいております、商人の連雀(れんじゃく)と申します」
「は……はぁ」

笠を被ったその男は仕立ての良い着物を着ていた。肩越しに大きな背負子が見えているからおそらく商人には間違いないようだ。見るからに怪しいが、初対面で無下に追い返すのもよくないだろう。

「今は当主は不在です。買い付けには当主の許可が必要で──」
「いえ、商人とは名乗りましたが何かを売りつけに来たわけではありません」
「え? それじゃあ……」
「町の方で、この辺りは鬼が出ると物騒な話を耳にしましたので……こちらで鬼除けを買わせて頂きたく参りました」
「鬼除け、ですか?」

なんだ、お客様だったのか。呼んだ覚えもない商人が来たからてっきり何か買わされるのかと思ったけど、とんだ早とちりだったみたいだ。

「そうとは知らず……すみませんでした。せっかく足を運んでくださったのにも関わらず、あんな失礼なこと……気を悪くされましたでしょうか」
「いえ、職業柄こういったのには慣れておりますので、どうかお気になさらず」
「ありがとうございます。では、ここで話すのも何ですから、どうぞ中へ」
「はい。失礼いたします」

連雀さんは被っていた笠を取ると軽く会釈をして、玄関先から屋敷の中へと入って来た。

本当なら祖父がいた方が対応がしやすいし後で怒られるようなことには絶対にならないのだけど、売り歩きの商人と言うからにはいつまでも引き留めておくわけにもいかない。

僕は連雀さんを一番広い客間の方まで案内し、お茶といくつかの鬼除けを用意した。彼は目の前に並べられた鬼除けをしげしげと眺めて興味深そうな反応を見せた。

「ほう、これが巷で話題の鬼除けですか……」
「話題だなんて……きっと良い話ではないのでしょう」
「ええ、まあ……効くか効かないかで笑い話にはされていましたが、私は噂に興味を持っても鵜呑みにするまでの愚か者ではありませんので、この鬼除けについては自分で効力を確かめてみますよ」
「……そう言ってくださると……嬉しいです」

鬼殺隊が政府公認ではないという話は杏寿郎から聞かされたことがある。鬼なんて存在も、栄えた街の方では与太話として語られているだけだ。祖父と僕とで作った鬼除けも、そういった噂に便乗して作られたただの儲け道具として見られているのはわかっていた。

だから、そういう風にハッキリと言ってくれる連雀さんの言葉がすごく嬉しかった。

「こちらの鬼除け……見事なものですね。藤の花の香りがします……いい匂いだ」
「あ、それは……僕が昨日作ったばかりのものでして……」
「そうだったのですか。ではこちらを買わせて頂きましょう」
「えっ、そんな!もっとあの……僕より技術が上の祖父の鬼除けの方が──」
「あなたが作った鬼除けだから良いんです。持っていれば道中、あなたの顔を思い出せそうです」

それは、どういう意味で言ったんだろう。まだ会って間もないのに、僕の顔なんか思い出して何になるんだろうか。
けど、それがどうしても欲しいと言うのなら僕は無理に引き止めはしないけれど──

「……わかりました。では、紙に包んでお渡し致しますのでそちらを──っ!」

鬼除けを引き取ろうと手を伸ばしたら、突然その手を握られた。驚いて反射的に手を引こうとしたら逆に引っ張られて、正座していた体が前のめりに倒れかかった。肩を支えられ、まるで連雀さんに抱きつくような形に収まった自分に顔が熱くなった。

「す、すみません……!」
「お可愛らしい人だ。反応がまるで生娘のようで……」
「ッ!!」

誰が──誰がムスメだって?

「ッ……どうも失礼致しました!急いでいるでしょうし、包む必要はなさそうですね!今回はお代は結構ですので、どうぞ今すぐさっさと速やかにお帰りくださいませ!」
「おやおや……私の不手際で随分怒らせてしまったようですね。申し訳ありません。お代だけでもどうか受け取ってく──」
「結構ですッ!!」
「強情な人だ。ですが、嫌いではありませんよ」

そんなの知るか!今すぐ僕の目の前から消えろ!

本当なら渡した鬼除けも返してもらいたいくらいだったが、こんな奴でも鬼の餌食になるのは可哀想なので、仕方なく鬼除けはくれてやることにした。祖父が作った物ではないから、一つくらいなくなったところで怒られる心配はないだろう。

「ではせめて、私の持ち歩いてる品を一品、詫びも兼ねてあなたに贈らせてください」
「そんなの別に……」
「そんな遠慮なさらずに。ほら、これなど如何でしょうか」
「っ……何するんだ!」

箱の中を漁ったかと思えば突然髪に手を伸ばされた。祖父や杏寿郎以外に頭など触れさせたことがなかったので、驚いてつい手を叩き払ってしまった。

「あっ……す、すみません……」
「いえ……それよりも、よくお似合いですよ」
「えっ……?」
「ほら」

今度は鏡を向けられ、自分の顔を真正面で見つめる羽目になる。ポカンと口を開けている間抜けな自分の顔より少し上──耳元の髪を留めた綺麗な髪留めに目が行った。碧く澄んだ、まるで宝石のような輝きについ目が奪われた。

「綺麗でしょう。あなたにピッタリです」
「……こんな、高そうなもの僕には……」
「売る前にその価値を決めるのは商人である私の役目。ですので、贈る私がその価値に見合う人に贈るのは道理に適っております」
「……? 難しい話は、よくわからない」
「ふふふ……本当に、あなたはお可愛らしい」
「っ、おい触るな!」

また気安く触れようとしてきたので今度は距離を取って触れられないように体を離した。相変わらず彼はおかしそうに目を細めて笑っている。

「きっと、あなたの事をお慕いしている方も良く似合っていると仰ってくださいますよ」
「っ……余計なお世話だ!早く帰れ!」
「おや、誰を想像されたのですか? お顔が真っ赤──」
「うるさいっ!帰れ!これ以上居座る気なら……ッ」
「居座る気なら?」
「ぅ……!」

どうするんだ。今は祖父もいないし、包丁だって台所にある。大声を出そうにも近所には誰もいない。助けなんて呼んだって誰も来るはずがない。

「……用ならもう済んだでしょう。早く、帰ってください……」
「…………」

あまり生意気なことを言うと何をされるかわからないので極力相手の怒りに触れないように言った。だというのに、彼は無言で距離をじりじりと詰めて来たので頭の中が真っ白になった。

「えっ……な、何だよ……」

今更下手に出ても遅かったのか──手を伸ばされて、僕は殴られると思って目を固く瞑った。

「名前!!」
「ッ!!」

その時、玄関口から杏寿郎の声が聞こえた。閉じていた瞼がぱちっと反射的に開いて、杏寿郎の声が聞こえた方へつい顔を向けてしまった。

「ッ……きょうじゅろぉ!」

恐怖がまだ拭いきれず、助けを求めるように声を上げてしまった。刹那、廊下を駆ける大きな足音がこちらにまで近付いて、勢いよく客間の障子が開かれた。

笑ってもいない、些か呆気に取られているような顔をした杏寿郎が僕たちを見て固まっていた。

「……何をしている?」
「杏寿郎……!」
「名前、その者は誰だ。俺には見覚えのない男だ」
「私は商人の──」
「俺は名前に訊いている。君は黙っていてくれないか」

ギョロっと杏寿郎の目が連雀に向いた。
純粋な疑問──そうに違いないのに、杏寿郎からは静かな怒りの感情が窺えた。僕はもう、杏寿郎の顔を見ただけですっかり安心しきってしまって、答えを返す前に立ち上がって杏寿郎の元まで逃げていた。

「杏寿郎!」
「名前……」
「馬鹿お前……ッちゃんと連絡くらい寄越せ!今までどこで何してたんだよ!」
「名前、今は俺がお前に質問を──」
「別に心配してたわけじゃないけどお前ならあの喋る鴉使って近況くらい伝えることだってできただろ!嫌がらせのつもりか!? この馬鹿!」
「む、すまん!そうまで名前に心配を掛けてしまったとは思わなんだ!」
「ちがっ……心配してないって言っただろ!」
「今度はちゃんと鎹鴉を送ろう!任務中、お前の身に何か起きてはいまいかと……俺も気が気でないからな」
「…………」

さっきまで僕を一心に見つめていた杏寿郎の目が再び連雀の方へ向いた。彼は座ったまま杏寿郎の顔をじっと見上げていたけど、ふと微笑みを浮かべると静かにその場から立ち上がった。

「随分と仲がよろしいことで」
「なっ……」
「お目当ての鬼除けは手に入りましたので、私はそろそろお暇させていただきます」

連雀は置いていた背負子を背負うと、僕と杏寿郎を通り過ぎて玄関の方へ行ってしまった。出て行くのを見送ろうかと思い足を一歩前へ踏み出すと、後ろから突然手首を掴まれ引き留められた。

振り返ると、杏寿郎が引き結んだ唇の口角を緩く上げた状態で俺の顔をじっと見つめていた。

「なんだよ……」
「名前、もう一度問うが……あの男は何者だ」
「あの人は……ただの商人だよ。鬼除けが欲しいって言うから、屋敷にあげて鬼除けを渡した。それだけだ」
「……それだけか?」
「……? だから、なんだよ。ハッキリしないな」

嘘なんかついてないのに、探るような目つきで僕の瞳を覗き込んでくる杏寿郎に少しだけムッとした。


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