短編小説 | ナノ

▽ 念願の幸せ


冬になると色彩が失せ、何もかもが灰色の風景に閉じ込められる。

年が明けて早1ヶ月──2月のキメツ学園では毎年大賑わいとなる節分の行事も済んで、すっかり静かになってしまった。しかしまだ2月のイベントは終わってはいない。次の大イベントであるバレンタインデーが、甘い空気を運んで2月14日に等しく世界に訪れるのだ。



ここキメツ学園でも、生徒達の間で来たるバレンタインデーの話で盛り上がっていた。特に女子達は「誰に贈るか」で盛り上がり、男子達は「いくつもらえるか」「誰からもらえるか」で盛り上がるのだ。

そしてその両面から注目の的とされているのが、キメツ学園の三名の教師達である。

一人目は校内バレンタインチョコ獲得数一位の美術教師──宇髄天元。
二人目は校内バレンタインチョコ獲得数二位の体育教師──冨岡義勇。
そして三人目は校内バレンタインチョコ獲得数三位の歴史教師──煉獄杏寿郎であった。

毎度女子生徒達から大量のチョコレートをもらっているこの三人は当然バレンタインチョコに困ることはないのだが、三人のうちの一人、煉獄杏寿郎は大量のバレンタインチョコを前にしても浮かない顔つきをしていた。


「……ふぅ」
「なぁんだ、そんだけ大量にもらってんのに不満げだな、煉獄」
「……!」

職員室の机の上に山積みされたチョコを見つめていた杏寿郎の背後から現れたのは、美術教師の宇髄であった。彼の机の上には乗り切れていないほどのチョコがあり、更に机の下にはチョコの袋が詰められた紙袋がいくつもあった。

どこか得意げな表情をした彼は、チョコを前にしてもため息を吐いている杏寿郎にからかいがてら声を掛けてきたのだ。それを心配してくれているものだと勘違いした杏寿郎は苦笑いして、同僚からの興味本位の優しさを有り難そうに受け取った。

「うむ……実は、俺がもらいたいチョコはこの中にはなくてだな……」
「あー? 煉獄お前、チョコもらいたい相手とかいたのか?」
「ああいるとも!君だってそうだろう!」
「まあ、たしかに……俺は嫁達にさえもらえれば後はなくてもそこまで気にしねぇけどよ……」
「うむ!俺も同意見だ!ただその相手がどうにもチョコを贈ってくれるようなタイプの人間ではないので俺は今悩んでいる!」

堂々とした口調で悩みを打ち明けてきた同僚に宇髄も少しは相談に乗ってやろうと思ったようで、彼は杏寿郎の隣の机にあった伊黒の椅子を引っ張って勝手に座り込んだ。

「宇髄!勝手に座ると伊黒に怒られるぞ!」
「いーんだよそんなことは。それよりよ、お前がチョコもらいたい相手って誰だよ。まさか生徒じゃねぇよな」
「いや!生徒ではない!俺と同い年の幼馴染みだ!」
「ほぉ〜初耳。いいじゃねぇか、幼馴染みって響き。派手に青春の匂いがするぜ。どんな奴なんだ?」

宇髄の頭の中では既に勝手なイメージで杏寿郎の幼馴染みが形成されていた。そうとも知らず、杏寿郎は実に嬉しそうな表情を見せて幼馴染みの話をつらつらと語り出した。

「うむ!同い年だが背が俺よりも小さく体つきは細く、日焼け知らずの白肌だ!」
「ほうほう、白肌な……」
「相当の恥ずかしがり屋でな!昔は俺のことを杏ちゃんと呼んでくれていたのだが、今はもう恥ずかしがって名前でしか呼んでくれなくなってしまった!」
「なるほど……」
「今は鬼滅神社に務めているが、俺が会いに行くと決まって何故か最後は怒らせてしまう!改善しようにも目が合うといつも逃げられてしまうからなかなか話すことができないでいる!」
「あー、はいはいはい」

完全に惚れてるな、これは。しかもこいつが鈍いだけの両想いのパターンだ──色恋に目敏い宇髄はすぐにそう決定付けた。
まだ幼馴染みの自慢話を続けている杏寿郎の横顔を眺めて、宇髄はやれやれと首を振った。

「じゃあよ、いっそのことそいつに『チョコくれ』って頼んじまったらどうだ?」
「いい考えだな宇髄!だがもう試した!」
「マジかよ」
「そして断られた!」
「マジかよ。派手にか?」
「ああ派手にだ!」
「具体的にどんな感じで断られたんだよ」
「うむ!俺がまだ学生の頃に真正面から『お前のチョコが欲しい!』と伝えたら『お前にやるチョコなんかない!自分のもらった分を食べればいいだろ!』と怒鳴られてしまった!」
「派手にショックだなそれ……」
「ああ!その日の食事が何一つ喉を通らなかったから相当なものだな!」
「笑いながら話すことでもねぇだろうよ……」

見込みがないことはなさそうなんだが──宇髄はこの男のどこがダメなのかをよく考慮して、改めてこの男のどこが気に食わなくてそんな冷たい態度を取れるのか、杏寿郎にチョコを渡さなかった幼馴染みの正体に興味を抱いた。

「……なあ、その幼馴染みって奴の名前何なんだよ」
「ん? 苗字名前だ!だがどうしてそんなことを訊く?」
「いや、気になっただけだ。……俺ちょっと抜けてくるからよ、もし俺がいない間に女子生徒達が俺にチョコ渡しに来たら机の上に置いておいてくれ」
「今からか? もうすぐ昼休みが終わってしまうぞ!」
「すぐ戻るからよ」

警告する杏寿郎の言葉を背に受けながら、宇髄は気さくに手を振って職員室を後にした。一人残された杏寿郎は、目の前にある山積みのチョコを眺めて再び重いため息を吐いた。



◆◆◆



職員室からだけでなく校舎からまで出て行った宇髄は、キメツ学園の近くにある鬼滅神社にまで訪れていた

「ここか……」

宇髄は初めて訪れた神社を見渡したが、参拝客らしき人物は全く見当たらない。ただ、拝殿の前辺りで誰かが枯れ葉を掃いているのは見えた。格好を見るに、藤色の袴を履いた巫覡らしき人物だ。この神社の巫女だろうか。

宇髄はこちらに気付かないまま竹箒で枯れ葉を掃いている人物の元まで歩み寄って行った。

「なぁ、ちょっといいか」
「……?」

箒を握ったままこちらを振り返った巫女の顔を見て、宇髄はすぐにピンときた。
間違いない、こいつが例の“幼馴染み”とやらだ。
華奢な体、色白な肌、長い睫毛の下に覗く瞳は吸い込まれそうなほどに美しい。こんなにも可愛らしい容姿なら世の男が放っておかないだろう。

この巫女が煉獄が惚れ込んだ幼馴染みって女か──意外と面食いだな、と失礼なことを思いながら宇髄は人の良さそうな笑みを浮かべた。

「苗字名前っていう奴を探しているんだが──」
「はい? 苗字名前は僕ですけど……」
「えっ」

目の前にいる巫女──名前の口から予想外の低い声が出たので宇髄は驚いて固まってしまった。聞き間違えでなければ今の声は男のものだろう。どこからどう見ても女らしいこの巫女が男だなんて宇髄にはにわかに信じられなかった。

「……? あの、僕に何か用ですか?」
「あっ、いや……ハハハ。あー……男?」

宇髄の問いにブチッ、と名前のこめかみに太い青筋が一本浮かんだ。目付きを鋭くさせて宇髄を睨め上げる今の名前には、つい先ほどまで見えていた女らしさは皆無である。ああ、こりゃ男だな──宇髄は確信して肩を落とした。

「……何なんですか……急に現れといて名乗りもしないで失礼な台詞吐くなんて……非常識にもほどがありますよ」
「あぁ悪い悪い。純粋に疑問に思ったことだったんだよ」
「僕は気分を害したんですが」
「悪かったって。それよりあんたにちょっと頼みたいことがあるんだが──」
「まずは名乗ってください」

なるほど、煉獄の奴が派手に断られたのも納得だぜ──顔はたしかに可愛らしいが、そもそも性格が可愛くないのだ、この男は。

これは下手に干渉すると二人の関係を更に悪化させてしまうだろう。いや、というよりもまずあいつはこの男からチョコをもらいたかったのか? こんな今にも噛み付いてきそうなくらいに警戒心を剥き出しにした小動物からよくチョコをもらおうだなんて考えたなあいつ。

「……何ですか? 人の顔をジロジロと……失礼ですよ」
「あー……悪い。やっぱ何でもねぇや。邪魔したな」
「あっ、ちょっと!」

相手が女だったらまだ仲を取り持ってやろうかとも考えたが──宇髄は前途多難そうな同僚の恋に興味本位で足を踏み入れるのをやめた。



◆◆◆



宇髄が職員室に戻った後、杏寿郎は宇髄に向かって「どこまで行っていたんだ」と尋ねるが、彼は言葉を濁すだけで杏寿郎に対し「まぁ、頑張れよ」と謎の励ましを残して去ってしまった。

一体何の話だと思いながらも杏寿郎は午後の授業を順調に進めていく。その合間に可愛い教え子達から(おそらく多くが本命であろう)バレンタインチョコを受け取っては彼は切ない気持ちに駆られた。

昔もこんな風に大量のチョコレートをもらっては名前に怒鳴られてしまったな──杏寿郎は学生時代の頃の自分を思い出した。

毎年毎年校内の女子生徒達──後輩から先輩まで幅広い女性達からバレンタインチョコを渡されてきた。

食べ切れないからという理由で一番気の許せる幼馴染みの名前と食べようと思って声を掛けたら「お前一人で食えばいいだろ!」と怒鳴られて逃げられて悲しい気持ちになった。

かと言って好意でチョコを贈ってくれる女子達の気持ちを傷付けるような真似はしたくなくて、杏寿郎は現在まで多くの女性達からバレンタインチョコを受け取ってきた。

しかしどうしても名前からチョコレートがもらいたくなって、彼はついに高等部卒業年度のバレンタインデーに勇気を出して「名前のチョコが欲しい!」とねだってみた。

しかしそれが何故か名前の逆鱗に触れたらしく、名前は見たこともないくらいの怒った顔で「お前にやるチョコなんかない!自分のもらった分を食えばいいだろ!」と怒鳴られてしまった。

その年以降、杏寿郎はバレンタインデーが若干のトラウマになってしまったが、今ではそこまで怯えることもなくなった。名前にバレンタインデーの話さえ振らなければいいのだから。

しかし、それでもやっぱり名前からのバレンタインチョコが欲しい。

「……よもやよもやだ」

杏寿郎は手渡しされたチョコを眺めながら切なさに胸を焦がした。


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