短編小説 | ナノ

▽ 未来認定


第七団地公園前交番に勤務する警察官達は皆、何故か出世欲がない。
昔からあの交番に勤務する者達は皆成績も良く実績もあり、昇進試験さえ突破すれば必ず出世できるだろうに、何故か誰も試験を受けようとはしないのだ。

第七駅前交番に勤務する宇佐美巡査長はとっくの昔に昇進試験を受けて刑事課に配属されたというのに、彼と同期だった尾形は試験さえ受けない。

配属されて役10年経った今でも、彼は未だに第七団地公園前交番で勤務し続けている──


◆◆◆


本日の日勤勤務を終えて、第七警察署から第七団地まで帰宅した尾形百之助は、つい先程まで自分が勤務していた第七団地公園前交番に見向きもせず、真っ直ぐに自分の部屋にまで向かって行った。

まだ外が少し明るい夕方だと言うに、この団地の公園には相変わらず子供の姿が見えない。平和といえば平和であるが、ここはいつも人気もなく閑散としていて、どこか寂しい印象を与える。錆びれた遊具は薄汚れたままで、ここ数年の間で誰かに使われた形跡もない。

完全に風景の一部として取り残された遊具を背に、尾形は無言で自分の部屋の鍵を開け、ドアを開いた。

「あっ……おかえりなさい」

そんな出迎えの挨拶と共にひょっこりと台所から顔を覗かせてきた人物に、玄関に入った尾形は目を細ませて口をへの字に曲げた。

「……何でここにいる」
「晩ご飯作りに来た」

そう言って悪びれもなくニコリと微笑んだ彼の笑顔は、これまでにも尾形は数えきれないほど見てきた。尾形は額に手を当て、ため息を吐きながら顔を俯かせた。

「……違う、そういうことが聞きたいんじゃない。俺は”この部屋にどうやって入ったか”を訊いているんだ」

どれだけ低く擦れていても、尾形の出す声には怒りの感情は感じられない。
仮面サーファーの絵がプリントされたエプロンを着た少年──白石名前は、尾形の問いかけに対しようやく少し気まずそうな様子を見せた。

「……ベランダの窓の鍵、開いてたから……」
「……それで勝手に入っていいと思ったのか」

そもそも何故ウチに晩ご飯など作りに来たんだ──尾形は名前が着ている仮面サーファーのエプロンを睨みつけ、彼の真意について考えた。

中学生になった名前は今でも、小学校の家庭科の授業で作ったその手作りエプロンを愛用している。随分前に「僕が作ったんだよ」と言って、名前がわざわざエプロンを見せにウチへ来たことも尾形は覚えていた。

「……ダメだった?」

お玉を手に握り締め、恐る恐るそう尋ねる名前に尾形は眉間に皺を寄せた。彼は名前の問いに対し答えることもなく無言で玄関の鍵を二重施錠すると、革靴を脱いで真っ直ぐベランダまで向かって行った。

見てみると、ベランダの窓の鍵は確かに無施錠のままだった。尾形は更に眉間に皺を寄せて、手早く鍵を掛けると力任せに乱暴な仕草でカーテンを閉めた。

帰ってからここまでイライラした様子ばかりを見せる尾形に、名前は少しビクビクとしながらリビングまで出てきた。

「尾形お兄ちゃん……もしかして勝手に入ったこと怒ってる?」
「…………」
「ごめん……。いつもは尾形お兄ちゃんがいる時しかベランダから入ったことがなかったもんね……」

確かに尾形も、自分が家にいる間のみベランダの鍵だけは開けていた。それは名前が年齢を重ねて、小学校高学年になる頃から自然と尾形がしてきていたことだ。ベランダの鍵が無施錠だと知るや否や、名前は由竹や杉元がいない時のみ頻繁にベランダから尾形の部屋へ出入りするようになった。そして尾形もそれについて大して言及するようなことはなかった。

しかし今回は訳が違う。
普段、玄関の鍵や窓の鍵についてもしっかりと施錠をし警戒を怠らない筈の自分が、何故かベランダの鍵だけは無施錠のままで仕事に出ていていた。尾形は無意識のうちに、名前がこの部屋に入るための手段を残してしまっていた。

そこに気付いてしまった尾形は、いつの間にか名前によって培わされてしまった自分の甘さに頭を抱えたくなった。

「……あの、尾形お兄ちゃん……」
「……なんだ」

相変わらず尾形の機嫌を窺うように恐る恐るといった様子で名前が声を掛けてくるので、尾形は“別に怒っているわけではない”という意味を込めてなるべく穏やかな口調で尋ね返した。
名前は持っていたお玉を後ろ手に回し、顔を俯かせながら視線を逸らした。

「えっと……ちょっと、相談したいことがあって……」
「相談?」
「うん……。由兄ちゃんのことなんだけど……」

由兄ちゃん──本名は白石由竹で、言わずと知れた名前の保護者であり名前にとって唯一無二の大切な存在。
尾形は無表情のままネクタイを外し、名前から視線を外すことなく彼の言葉に耳を傾けた。

「由兄ちゃんがね……今日の朝『週末の夜、名前に大事な話がある』って言ってきて……」
「…………」
「僕、なんとなくだけど……由兄ちゃんが結婚するのかもって思ってて……」
「有り得ないな」

尾形は興味をなくしたように顔を逸らし、名前の相談を一笑した。言い切られてしまった名前は悔しそうに唇を噛むと、シャツのボタンを外しながら寝室へ向かう尾形に駆け寄った。

「だって由兄ちゃん、前に叔母さんからお見合いの写真送ってもらってたんだよ!?」
「それで? あいつが実際に見合いを考えてる風に見えたか?」
「それは……わからないけど……」
「その程度の話で一々相談しに来るな」

ワイシャツをベッドの上に脱ぎ捨てた尾形はスーツをハンガーに掛け、クローゼットの中へと仕舞い込んだ。彼がふと名前の方へ顔を向けると、名前はなんとも言えない、何かに耐えるような表情で顔を俯かせていた。

尾形は小さく息を吐くと、俯いたまま突っ立っている名前の横を通り抜けながら彼のエプロンの肩紐を後ろ手に引っ張った。

「あっ、ちょっ……」
「出ろ」

尾形によって強制的に寝室から引っ張り出された名前は、そのまま台所まで引っ張られ調理途中で放置されていた鍋の前に立たされた。

「作るつもりで来たなら終いまでやれ」
「…………」

厳しく言い放され、名前は何も言えないまま途中だった調理を再開させた。

名前が作っていたのは味噌汁だった。冷蔵庫の中にあった余り物を使ったのか、鍋の中にはキャベツやにんじん、玉ねぎ等の具材が見える。しかし傍には尾形も買った覚えがない食材が並んでいた。

「……おい、その肉は何だ」
「あ……これは豚肉だよ。生姜焼きにしようと思って……」
「俺はそんな肉買ってないぞ」
「うん。僕が買ってきた」
「…………」

尾形は無言で額を抑えた。何かやらかしてしまったのかと不安がる名前を残し、尾形は黙ったまま再び寝室まで向かって行く。

「……尾形お兄ちゃん?」
「いくらだ」
「えっ?」

財布を片手に戻ってきた尾形が、財布の中身を確認しながらそう問いかけてきたので名前は慌てて首を振った。

「あっ……そんな……いらないよ僕!」
「いいから受け取れ。中学生が隣に住むおっさんなんかの晩飯代に貴重な小遣いを使うな」
「あっ、あっ……」

そう言って強引に二千円を押し付けてきた尾形に、名前はあわあわとしながら後ろへと退いた。

「僕、こんなにいっぱい使ってない!」
「ほう。ようやくお前にも庶民のまともな金銭感覚が身についてきたか」
「もうっ!馬鹿にしないでよ!」

二枚の千円札を顔の前でひらつかせる尾形の手を名前は顔を赤くしながら振り払った。

「もういいよ……今度から尾形お兄ちゃんなんかに相談しないから……」
「…………」

そうして不貞腐れたように調理を再開させた名前の背を尾形は黙って後ろから見つめた。手際良くキャベツの千切りを始めた名前の後ろ姿は、どう見ても世間一般で見るような男子中学生には見えない。尾形はそっと名前の背後へと忍び寄った。

「料理を始めたのはあいつのためか」
「……っ!」

突然耳元で話しかけられ、名前は慌てて振り返った。すぐ後ろに立っていた尾形の顔は相変わらずの無表情で、何を考えているのか全く読めない。名前は気まずそうに視線を逸らした。

「尾形お兄ちゃんには関係ない……」
「だったらあいつに料理が作れる女ができるのが怖いから料理を始めたのか」
「っ……そんなんじゃないよ!」
「なるほど。最初の質問を否定しなかったということはあいつのためではあるんだな?」
「もう!変な質問ばっかりするのやめてよ!」
「自分からこの部屋に来ておいてよく言うもんだ」

からかうように笑って離れていった尾形はそのままリビングまで向かい、テレビをつけるとどっかりとソファーに腰を下ろした。夕方のニュース番組は明日の天気予報について放送している。

もうこれ以上話すこともないのだろう。
少し冷静さを取り戻した名前は再び調理を再開させた。


◆◆◆


「ご飯できたよ」

その声に尾形は見ていた番組から顔を逸らし後ろを振り返った。
背後には、出来立ての生姜焼きと味噌汁を持った名前が立っていた。尾形は無言で立ち上がり、名前から料理を受け取った。

「美味しくなかったらごめん」
「安心しろ。中学生相手にそこまで期待していない」
「全然フォローになってない……」

ローテーブルに料理を並べながら淡々とそう話す尾形の様子に名前は不満そうに唇を尖らせた。

「まあ、ここ最近食ってたものはどれも手抜きなものばかりだったからな……。久々にまともな料理だからコレを不味いと感じることはまずないだろう」
「だから、全然フォローになってないってば……。尾形お兄ちゃんさ、もしお嫁さんができて料理作ってもらったら絶対そんなこと言わない方がいいよ」
「嫁はいらない」
「え? どうして?」

箸を並べて隣に腰掛けた名前は、不思議そうに首を傾げて尾形に問い掛けた。尾形は名前に見向きもせず、箸を取ると味噌汁を片手に生姜焼きへと箸を伸ばした。

「俺には必要ない」
「お嫁さん、欲しくないの?」
「…………」

名前の何気ないその問い掛けに尾形は眉間に皺を寄せた。

「……あいつに女の影が見えると不安がるくせに、俺だと気にしないのか」
「えっ……だって、尾形お兄ちゃんは僕のお隣さんなだけだし……僕がわがまま言うのはおかしいと思って……」
「……お前、俺がこの歳まで出世もせず女も作らず現状維持しているのを不思議に思ったことないのか」
「え……」

困惑する名前の顔を見て、尾形は益々機嫌を悪くさせた。

「……もういい」
「あっ……」

はっきりしないまま食事を再開させた尾形の仏頂面を名前は気まずそうに横から覗き込んだ。どこか不貞腐れた様子を見せる彼の考えが分からず、名前はあわあわとしながら料理と尾形の顔を見比べた。

「ぁっ、あの……」
「…………」
「尾形お兄ちゃん……」
「……その“お兄ちゃん”ってのも、もうやめろ。俺ももうそんな呼ばれ方をされるような歳じゃない」
「でも……」
「元々ただのお隣さん同士だったんだ。これからは最初に呼んでた風に”おじちゃん”でいい」

急によそよそしい態度になり始めた尾形に名前は一瞬困惑したが、彼の未だに不貞腐れたような横顔に名前はようやく彼の伝えたい気持ちを理解した。名前はこみ上げてくる笑いを噛み殺し、味噌汁を啜る尾形の横顔を下から覗き込んだ。

「……尾形お兄ちゃん、本当は寂しがり屋さんなんだね」
「ブッ!」
「わっ!」

急に味噌汁を吹き出した尾形に名前は慌てて身を引いた。

「ゲホッ!ゲホッ!」
「大丈夫!?」

咽せる尾形の背中に手を添わせながら、名前は彼の手から味噌汁の茶碗を取り上げた。それをローテーブルに置き、未だに咽せる尾形を気遣いつつ汚れた箇所を手早くティッシュで拭いていく。尾形はソファーで咳き込みながら、慌てて片付けを進める名前をジロリと睨みつけた。

「ゲホッ!お前っ、ゲホッ!……天然も大概にしろ……!」
「えっ、何?」
「どうしたらあの状況で俺がっ、ゲホッ!寂しがり屋だなんて発想になるんだ……!」

若干怒りを含ませて尋ねる尾形に、名前は緩やかに首を傾げさせた。

「えっと……だって、尾形お兄ちゃん、あの交番が好きだから……あそこにいるお巡りさん達とずっとお仕事したいから、ここにいるんでしょ?」
「はあぁ……」
「えっ……」

呆れてものも言えない──尾形は額を抑えて深いため息をついた。

何故、第七団地公園前交番に勤務する警察官達は皆出世しないのか。
何故、頑なにあの交番から離れようとしないのか。

中学生になってようやく少しは考えが働くようになったかと思えば、根本的なところは昔とちっとも変わっていない。

「えっ……なんで? 違うの?」
「……もういい。知るか。お前も、あいつのことも。俺の知ったこっちゃない」
「えっ、なんで? 尾形お兄ちゃん……!」
「うるさい。縋り付くな。杉元に訊け」

わざわざ杉元の名前まで出して全てを丸投げしようとする尾形に、名前はしばらくの間尾形の機嫌を窺う羽目になった。


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