▽ 一度きりの迎え
いつものように鬼を殺しに来たはずだった。
「おいおいおい……」
だが廃れた神社で出会したのは、探していた人喰い鬼ではなく、死んだはずの自分の弟だったなんて戯けた話を──
「……にぃちゃ?」
「……嘘だろ」
一体誰が信じるだろうか。
◆◆◆
夢か幻か──目の前で不思議そうにアホ面を晒しているガキは俺の弟である名前と酷似していた。
だが名前は死んだ。鬼と化したお袋に喰われて死んだんだ。俺が不甲斐ないばかりに死なせてしまった。
そう、ちょうどこれくらいの大きさで、まだあどけなく、舌ったらずに兄ちゃん兄ちゃんと俺を呼び回ってついて来ていた、あの小さな弟。
「さねみにぃちゃ、おかえり!」
「……っ」
「あのねっ、あのねっ、ぼくね、ひとりでむかえにきたよ!」
何を言ってんだ、テメェ。迎えに来たって、何だよ。あの世からって意味か?
「……ふざけんじゃねぇぞォ」
「……っ」
震えそうになった声を抑え込んで低く吐き出すと、名前に似たガキは怯えたように肩を跳ねさせた。それが親父の暴力に怯えていた頃の名前にそっくりで、見ていて更に胸糞が悪くなった。
「テメェ……何者だァ? 妙な血鬼術使いやがって……俺を惑わそうってったってそうはいかねぇぞォ」
「にぃちゃ……どうしたの? なんで……おこってるの?」
「黙れ!」
「ッ!」
大声で怒鳴り付けると、飴玉みてぇにデカいガキの目に大粒の涙が滲み出た。芝居には到底見えねぇくらいの鬼の演技に益々苛立ちが募る。
「今すぐそのムカつく猿芝居をやめねぇとぶっ殺すぞォ!」
「なっ、なんで……? にぃちゃ、なんでおこるの……? ひっく……」
「その面で泣くんじゃねェ!」
「ッ!」
更に怒鳴り声を上げると、ガキはいよいよ恐怖に耐え切れなくなったように大声を上げて泣き喚き出した。その、細っこい両腕で顔を覆うようにして泣くガキの姿が──俺の記憶に残る名前の泣く姿と全く同じでつい動揺しちまった。
「うぇぇん!にぃちゃあぁっ!」
やめろ。泣くんじゃねェ。名前と同じ声で、同じ面で、俺の前で泣くんじゃねェよ。
「ごめんなしゃ……っお、おむかえ、ひっく……ひとりで、かってに、ひっく……きて、ごめんなしゃぁい!」
「……!」
涙を拭って濡れた手を伸ばしながらよたよたと近寄ってくるガキに、俺は何故か一歩も動けずにいた。いつでもその首を跳ねることができるよう刀に手は掛けてあるのに、何故か抜けずにいた。
「さねみにぃちゃあぁぁ!」
そうして気が付けば、俺はガキに抱きつかれていた。
皺になるくらい隊服を強く握りしめて抱きついてくるガキはどこからどう見ても名前そのもので──あり得ないと頭でわかっていてもその幻のような光景に手が震えた。
「げんやにぃちゃ、だめって、いったの」
「…………」
「でもっ、ぼく、きょう、さねみにぃちゃがおうちかえってくるって、だからね、さねみにぃちゃのおむかえいきたいって、ぼく、いうこと、きかなくて、ひとりで、おうち、でたの」
「…………」
「だからっ、げんやにぃちゃ、わるくない!ぼくが、ぐすっ、ぼくがごめんなさいする!」
鼻先を真っ赤にさせて顔を上げたガキは凛々しく眉尻を上げて目を擦った。
「さねみにぃちゃ、ごめんなさい!」
「…………」
「ぁっ、だからね……げんやにぃちゃは、おこらないでね?」
こいつは──何を言ってんだ?
幻を見せて俺を騙すにしては、言ってることが支離滅裂過ぎる。玄弥のことを話している限り、俺の記憶に残る名前を再現しているようだが、過去に俺は名前とこんな会話を交わした覚えはない。
「さねみにぃちゃ、まだおこってる……?」
「…………」
「ふぇ……」
「チッ……泣くんじゃねェ」
無視しているとまた泣き出した。隙を見せているにも関わらず、いつまで経っても攻撃してくる気配が感じられず調子が狂う。
こんなくだらない茶番劇に付き合うのにもいい加減嫌気が差し、俺は手っ取り早く鬼の本性を暴き出すために己の腕を刀で斬りつけた。
名前に似たガキは目を見開かせて俺の腕を見つめて絶句した。無理もない。なにせ目の前で流れ出ているのは鬼なら無視ができない稀血なのだから。
──釣られて齧り付いてきたところでその細い首を叩き斬ってやる。
「さねみにぃちゃ、いたいよ!?」
「!!」
今か今かと待ち構えながら刀を持った手を振り上げた時、目の前にいたガキは俺の腕を掴んで不安げな顔を上げた。
「なんで? うで、いっぱい血がでてるよ!? おいしゃさんいこう!しんじゃうよ!」
何で、お前が心配なんかするんだ。
お前は鬼のはずだろう。そうでなくても、幻だったとしても、この幻を見せている鬼が近くにいるはずだ。だったら姿を現すはずだろう。
なのに何で、お前は、俺の心配をしていられる。
「さねみにぃちゃ、しんじゃやだよ!だめだよ!ぁっ、ぼくっ、げんやにぃちゃよんでくる!」
「…………」
「おっきいばんそうこうも、もってくる!だからまっててね!」
俺の腕から手を離したガキはそのまま何度も俺の方へ振り返りながら神社の奥へと走って行った。
俺は刀を持ったまま呆然とその場で立ち尽くし、見えなくなった小さな背中をいつまでも見つめるように真っ直ぐ前を見据えていた。
「…………」
おい、おい。なんかの冗談だろ。こんなふざけた話があってたまるかよ。
アレが、鬼じゃなかったとしたら、なんだ?
幻か? いや、あの温もりと感触は、間違いなく本物だった。本物の、名前の、俺の、俺の弟──
「……名前っ!」
俺はその場に崩れ落ちていた。たとえ幻だったとしても、弟を最後まで優しく受け入れてやることができなかった己に酷く後悔した。
溢れた出た涙が止まらず、傷だらけの手の上に雫が落ちた。
夜明けまで動けずにいる俺の元へ、その後名前が戻ってくることは二度となかった。
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