短編小説 | ナノ

▽ 獣耳の生えた夢主と遊べる権利


第七団地公園前交番──

今日の勤務者は月島、尾形、二階堂浩平、谷垣の四人であった。しかし何故か今日そこに、第七駅前交番勤務の筈の宇佐美巡査長がいる。管轄外の彼が何故この交番にいるかと言うと──

「じゃあ、はい。これ、盗難届」
「回してくんな、そんな面倒なもん」

宇佐美は自分の勤務する交番から持って来た自転車盗難の届出を、同期の尾形巡査長に差し出した。差し出された尾形は渋い顔で届出を睨み、一向に受け取ろうとしない。それもそのはずである。一度引き受けたからには、処理が終わるまでそれを預からなければならないのだ。尾形にとってそれはただの迷惑なお荷物でしかない。

「えー、でもガイシャはここの団地の人だし……」
「お前が受けたのならお前が処理しろ」
「駅前付近で見つかったら連絡するから、預かっててよ」
「月島部長に相談しろ。俺は受け取らないからな」
「はぁ〜ぁ。ほんっと、クソ尾形は融通効かないしで役に立たないね」
「アホのお前に言われたくないな。それ持ってさっさと失せろ」

「二人共やめろ。在所で喧嘩するな」

いつ人が来てもおかしくない交番の在所で口汚く喧嘩する尾形と宇佐美に、責任者の月島は眉根を寄せて止めに入った。月島の登場に宇佐美は表情を変え、媚びるような笑顔を見せると持っていた届出を差し出した。

「あっ、月島部長〜。ちょうど良かったです〜。これ、よろしくお願いしま〜す」
「駅前のビラ配りみたいに届出を押し付けるな、宇佐美巡査長。担当の印はお前だろう。ここにあると上にあがった時鯉登警部補から指摘されるぞ」
「まだ押してませ〜ん」
「そういう問題じゃない。そもそも、届出を勝手に持ち出してくるな」
「だってFAX禁止じゃないですか」
「だから、そういう問題じゃない」

どうしてこうも面倒なことがウチの交番に限って降りかかってくるのか──月島は痛む頭を抱えてため息をついた。午後には鯉登警部補が視察に訪れると聞いていた月島は、今だけでなくこれから先に起こるであろう面倒にも対応しなくてはいけなくなる。ストレスは溜まる一方で、行き場のない怒りは全て飲み込まなければならない。心労でいつか倒れないかと月島は自分の身を案じた。

そんな時、月島の元に一本の無線が入った。

『至急至急、第七三丁目交差点で信号機トラブル。迎える者ありませんか?』

月島はすぐに意識を切り替えて無線に対応した。

「第七団地04、第七駅前03、向かいます」
『了解』

「えー!何で僕まで行かないと行けないんですか!?」

自分の呼称までも無線で伝えられ、宇佐美は不満の声を上げた。その間にも第七団地公園前交番の者はテキパキと出動準備に取り掛かっている。続々と交番から出て行く皆の顔を見やりながら、宇佐美は一人残った月島に詰め寄った。

「僕帰るんで、取り消しお願いします」
「……わかった。その代わり後で鶴見警部殿に小言を言われても文句を言うなよ」
「行きます」
「そうか。協力感謝する。あの交差点は交通量が多いから人手も欲しいだろう。門倉には俺が伝えておくから、お前は尾形達と一緒に向かってくれ」
「はぁい」

最後は渋々であったが、宇佐美も鶴見の評価を気にして大人しく交番から出て行った。月島以外誰もいなくなった交番は、まるでお通夜のようなひっそりとした静けさを取り戻した。

一人交番に残った月島は、部下達が各々放置して行った書類を簡単にまとめてファイルに戻していく。こういうところにはだらしない部下達の後始末は、大概月島が担っていた。これらを見ていると、彼らはまるでオモチャを出しっ放しにして遊びに行った子供である。そう考えると月島はそのオモチャを片付けてやる面倒見のいい母親──否、本来なら父親というべきか。

「こんにちは……」

やれやれとかぶりを振って月島が書類をまとめ終えると、不意に後ろから声が掛けられた。振り返ると、交番の出入り口に名前がいた。月島は目を見張った。

「名前くん……」
「ぁっ……月島おじちゃん、こんにちは……」
「ああ、こんにちは」

名前はぺこりと頭を下げて、トボトボと交番の中にまで入ってきた。月島が在所の机を回って歩み寄ると、名前が腕に何かを抱えているのが見えた。その正体に、月島は再び驚くことになる。

「名前くん、それは……」
「ウサギさん……」
「生きてるのか……?」
「うん」

名前が腕に抱えていたのはなんと、生きたウサギだったのだ。白と黒が入り混じる毛色のウサギは鼻をヒクヒクとさせて、目の前にいる月島を見上げた。

「それは……名前くんが飼っているのか?」
「ううん。さっきそこでね、見つけたの」
「そのウサギを?」
「うん」
「参ったな……」

だとするとこれは名前にとって拾得物扱いになる。そうなると名前は、きっとこのウサギを交番に預けに来たのだろう。なかなかに厄介な“落し物”だ。
持って来られたからには追い返す訳にもいかず、月島は仕方なく届出を書くための準備に取り掛かった。

「待ってなさい。今、届出の準備をするから」
「うん」

月島は名前の側から離れると、机を回ってまずは遺失届にウサギの届出がないか調べることにした。ファイルはどこにやったかとノートパソコンを覗いていると、突然目の前から「痛いッ!」と名前の悲鳴が上がった。月島は弾かれたように顔を上げ、急いで名前の元まで駆け寄った。

「どうした!?」
「ぅっ……噛まれた……」
「噛まれた……?」

そう言って名前は、血が滲んだ指を月島の前に差し出した。ウサギはいつの間にかいなくなっていたので、おそらく逃げ出したものと見て間違いないだろう。
月島は目に涙を滲ませる名前の手首を持ち、急ぎ気味に交番の奥へと連れていった。

「とにかく、傷口を洗わないと……」
「ウサギさん……」
「それも大事かもしれないが、まずは君の傷口からだ」

月島は人命優先を心掛けているので、足の生えた遺失物が逃げ出したことよりも一人の子供が怪我をしたことに重点を置いていた。

「手洗い場がそこにあるから、手を洗ってきなさい。俺は救急箱を持ってくる」

コクコクと頷く名前を見て、月島は奥に繋がる休憩室まで一人で向かった。棚に置いていた大きな救急箱を取り、中身を確認する。ガーゼも包帯も消毒液も、どれもきちんと揃えられてある。有事の際はこれらを使って治療するのだが、ここの交番の警察官達は皆怪我をほとんどしないので、この救急箱自体使われることが滅多にない。

「手、洗った……」
「!」

月島が消毒液の使用期限を確認していると、手を洗い終えたらしい名前が休憩室までやって来た。

「そうか。じゃあこっちに来……っ」
「……?」

月島は振り返り様に言いかけた言葉を突然切った。何故なら、振り返った先には目を疑うような光景があったのだから。

「名前くん……その、耳は……」
「……耳?」

名前は自分の耳に触れた。月島は手を伸ばして「ああいや、そっちじゃなく……」と名前の頭部を指差した。名前は首を傾げながら、自分の頭に手をやった。その時感じたふわりとした感触に、名前は肩を大きく跳ねさせた。

名前の頭には、ウサギの耳らしきものが生えていたのだ。

「ぁっ……な、なに、これ……」
「……自分でつけたんじゃないのか?」
「わ、わかんない……わかんない……」
「あ、な、待て、泣かないでくれ……!」

不安がって泣き出しそうになっている名前に月島は慌てて駆け寄った。未だに頭部から生えた耳を触る名前の脇の下に、月島は手を差し入れてそっと抱き上げた。そのまま休憩室の床に座らせて自分も向かいに座ると、改めて名前のうさ耳をじっと眺める。しかし何度見ても、それが作り物には見えなかった。時折ピクピクと動く耳は、本当に自生しているようだ。

「……どういう事だ? 何が起きている……?」
「と、取れないぃ……」
「あぁ、無理に引っ張らない方がいい。俺にもよくわからないものだから、下手な真似をされると困る……」
「つ、月島おじちゃん、とってぇ……」
「取って、と言われてもな……」

月島は冷静そうに見えて、内心ではかなり混乱していた。夢でも見ているのなら早く覚めてもらいたいが、一向に覚める気配のないこれはおそらく現実に起こっている事なのだろう。月島は目を背けるのをやめ、名前のうさ耳にそっと手を伸ばした。

「ふぃっ……」
「あっ、すまん……!痛かったか?」
「……っ」

月島がうさ耳の先端に触れた途端、名前が首を竦めたのを見て彼は慌てて手を引いて謝罪した。名前は月島の問いにふるふると首を振って、怯えた目で彼を見上げた。

「先っぽ、触っちゃやだ……」
「……っ、神経が……通っているんだな……」

何故か反射的に目を逸らしてしまった月島は、行き場をなくした手を拳にさせ口元に充てがった。不用意に触れるのは良くないとわかったところで、一体どうすればいいか──月島は頭を捻らせた。

「……何故ウサギの耳なんかが突然……あ」

思い当たる節に月島は声を上げた。月島の視線がさっと名前の手に向く。噛まれた状態のままの指は、洗われたことで少し血が薄れていたが、また少しぷくりと血が溢れていた。原因と言えばこれしか考えられないが──

「……スパイダーマンじゃないんだぞ……そんなことが有り得てたまるか……」
「……?」

呟く月島に名前は不思議そうに首を傾げた。その時垂れた片耳が不覚にも可愛らしく見えてしまい、月島は眉間にシワを寄せて俯いた。

癒されている場合ではない──わかっていても、目に映る名前の姿はどこから見ても愛らしく、月島の疲れ切った心を浄化させた。心臓が早鐘を打ち、意識せずとも顔に熱が集まる。月島は自分の顔を上げられなかった。

「……月島おじちゃん、大丈夫?」
「ぐっ……!」

そんな時に突然名前が月島の顔を下から覗き込んできたので、月島は叫び出しそうになった声を慌てて手で抑えた。

「……? お顔赤いよ? 熱があるの?」
「……っ」

月島は否定するようにブンブンと首を振るが、顔の熱は一向に引かず、むしろ益々温度を上げているようだった。月島が逃げるようにして上半身を仰け反らせると、名前はそれを追うように月島の膝の中に入り込み顔を近づけた。ヒクヒクと動く名前の小さな鼻は、まるで最初に連れて来られたウサギのようだった。

やめろ、それ以上近寄らないでくれ──月島の思いも届かず、手の隙間から呻き声を漏らす彼のおでこに、名前は自分の小さな手を伸ばして熱を測るように押し付けた。

「……月島おじちゃん、すごく熱いよ……? 大丈夫……?」
「ぅ……」
「どうしよう……救急車……」
「……っだい、じょうぶだから……!」
「ほんと?」
「ああ、平気だよ……」

長い耳を折って不安がる名前に、月島は自分を奮い立たせてなんとか声を出した。それでもさっきから心臓は鳴り止まないのだが、今はこの状況をなんとかしなければならない。
名前の耳がピクリと動く。

「……? 誰か来たのかな……」

──とにかく、まずは自分の股座の乗っている名前を下ろさなくてはいけない。このままだと色々とマズい事になりそうだ。

名前の呟きにも気付かないまま、月島がそう思った矢先──


「おい!誰もいないのか!」
「……ッ!」

怒り混じりの大声が、交番の在所の方からから聞こえた。
月島は目を見開いて振り返った。そういえば今日は確か、午後から鯉登警部補が視察に訪れる予定だった。

──マズい!あの方が今ここに来たらかなり面倒な事になる!

月島は焦った。しかし彼はグズつく暇もなくすぐに行動に移る。

「わっ……!」
「頼む……!しばらくじっとして、大人しく隠れていてくれ……!」

月島は名前を抱きかかえて、仮眠用の布団の中に押し込ませた。咄嗟に頭を出そうとした名前は月島の頼みを聞いて、大人しく布団の中に潜る。

「月島、何をしている」
「……ッ!!」

ホッとしたのも束の間、ついに鯉登が休憩室までやって来た。思わず背筋を伸ばした月島は急いで振り返り、鯉登に対して敬礼して見せた。

「も、申し訳ありません。手が塞がっておりまして……」
「気付いていたなら返事くらいしろ。私が来ることは予め伝えていただろう」
「はい。失礼しました」

鯉登は眉間にシワを寄せながら交番の在所の方へ顔を振り向けた。

「大体、他の奴らはどうした」
「はっ。現在第七三丁目交差点にて交通整理に当たっております」
「ああ、あの信号機のトラブルか。全く、酷い渋滞だったぞ。おかげでここに来るまでにかなり時間を要した」
「それは……」
「それより月島、お前……顔が赤いぞ」
「はっ……」
「どうした? 風邪か?」

鯉登に指摘されて、月島は冷や汗を流した。名前の顔が頭に思い浮かび、益々顔に熱が集まる。鯉登は怪訝な顔をして見せた。

「具合が悪いのなら休め。仮眠用の布団は……ああ、そこか」
「……ッ!!」

鯉登が視線を走らせて目に留めた布団。不自然に盛り上がったそれに手を伸ばす彼に、月島は慌てて止めに入ろうとした。

「いけません警部補ッ!それは……ッ」
「いいからお前は休──」
「あっ」
「えっ」
「……っ」

ブァサッと布団を崩され、中から名前が現れた。ピョコンと飛び出た長いウサギの耳と、クリクリとした大きな瞳で自分を見つめる名前。鯉登の鼻からプシュッと勢いよく鼻血が噴出した。

「ぐぉ……」
「こっ、鯉登警部補ッ!」

鯉登は白目を剥いてその場に後ろから倒れた。月島は慌てて彼を支えて、休憩室の片隅に寝転がす。完全に気を失っている鯉登を見下ろして、月島は頭を抱えてため息をついた。目を覚ました時、一体何と説明すればいいのやら──

「やぁ……血がついた……」
「……!」

名前の声に気付いて、月島はようやく後ろを振り向いた。しかしそこには、あのウサギの耳を生やした名前の姿はなかった。

「……名前くん、耳は……」
「えっ?」

月島の指摘に名前は自分の耳を触った。月島は手を伸ばして「ああいや、そっちじゃなく……」と名前の頭部を指差した。名前は首を傾げながら、自分の頭に手をやった。これで今日は二度目のやりとりだ。

「あっ……ウサギさんの耳がない!」
「治ったのか……? しかし、何故また急に……あ」

月島は、名前の頬についている血液に目を付けた。おそらく、先ほど鼻血を噴いた鯉登によるものだろう。

──まさか、ヒトの血液で?
月島は自分の推測に益々混乱した。その内彼は考えることをやめ、元に戻って喜ぶ名前の元まで近寄った。

「ほら、こっちを向きなさい」
「んっ……」

月島は名前の顎を優しく掴むと自分の方へ顔を上向かせて、頬についていた鯉登の血液を指で拭い取ってやった。

「よし、これで綺麗に……」
「ありがとぉ」
「……っ」

顎を持たれたままにぱぁと笑う名前に、直視してしまった月島は目を見開いて顔を赤くさせた。その時感じた胸の奥を締め付けられるような感覚に戸惑い、月島はまた顔を俯かせる。名前はそっと、月島の顔を下から覗き込んだ。

「……お顔、真っ赤っか……」
「いい子だから、もうそのお口を閉じなさい……」

月島は自身の指先で名前の唇に封をした。


──その後、目を覚ました鯉登は月島によって『あれは全て夢だった』と伝えられたのであった。


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