短編小説 | ナノ

▽ 二人きりの話


僕は、物心ついた頃から爺様に屋敷から勝手に出てはダメだと言われていた。

だから僕はいつも屋敷の中でひとりぼっち。爺様は買い物や商売に出掛けてしまうことが多いから、一人の時は戸締りをして誰も屋敷へ入れないようにする。

──それでも、一人だけ例外がいる。

「名前!いるか!」
「……!」

それは、僕の友達の煉獄杏寿郎。何ヶ月か前に僕と杏ちゃんは藤襲山という山で出会った。杏ちゃんは鬼殺隊の隊員で、悪い鬼を退治する強い女の子なんだ。

僕の家は昔、鬼殺隊の人達に助けてもらった藤の花の家紋の家だから、鬼殺隊の人はみんなおもてなしをするんだって爺様から聞いていた。だから杏ちゃんも、任務で傷を負ったりするとよく僕の家に来てくれた。

「杏ちゃん、いらっしゃ……あっ!杏ちゃん怪我してるの!?」
「ああ、大したことはない!だがどうせ世話になるなら名前の所の方がいいと思って寄ったんだ!」
「待ってて、いま薬と包帯持ってくるから!」
「すまない、助かる!」

ボロボロの姿の杏ちゃんの体にはあちこちに傷があって、見ているだけですごく痛々しかった。泥だらけだし、お風呂にも入れてあげないと。着替えは僕のものでも大丈夫かな。杏ちゃんは同い年で女の子なのに僕より背が高くて体格がいいから大きさが合うか不安だったけど、裸でいられるよりはずっとマシだ。

「杏ちゃん、着替えは僕のものでもいい? ……あっ、もし嫌だったら嫌って言ってね……?」
「大丈夫だ!」
「じゃ、じゃあ薬を塗るから……あの、えっと……ふ、服を……」
「服を脱げばいいのか?」
「あっ、あっ……だめ!待って!脱いじゃダメ!」
「うむ、わかった!」

汚れた隊服をあっさりと脱ぎ始めた杏ちゃんに僕は慌てて止めに入った。女の子なのにそんな簡単に男の前で服を脱ぐなんて破廉恥だ。

僕は杏ちゃんの、見えても大丈夫な肌にある傷にだけ手当てを施した。包帯を巻いている間、杏ちゃんは大きくて綺麗な目をパチクリさせながら僕が包帯を巻いているところをじっと見つめてくる。じっと見られるのはちょっと慣れなくて、見られているだけなのに頬が熱くなった。

「名前は包帯を巻くのが上手いな!」
「そ、そうかな……」
「ああ!俺は急いでいる時自分の手当てはどうしても大雑把になってしまうから、名前の丁寧な施しにはいつも感心している!」
「……いつも感心するほど、怪我なんかして来ないでよ……」
「む、確かにそうだな!ハハハッ!」
「もう!」

杏ちゃんは男勝りで活発なところがあるからいつも僕よりやんちゃして怪我してしまう。それを僕が注意しても杏ちゃんは口で謝るだけでちっとも反省していない。こんなに心配してるのに、杏ちゃんには伝わっていないのかな。

「僕、杏ちゃんの将来がちょっと心配だな……」
「心配する必要などないだろう!俺は何か名前に心配を掛けてしまうようなことをしただろうか!」
「してるよ。こんなにいっぱい傷を負って……」
「ああ、戦い抜いてきた証だな!」
「そういうことじゃなくて……」

杏ちゃんは、自分が将来お嫁さんに貰えなくなったらどうしようとか、考えたりしないのかな。僕なら傷だらけの杏ちゃんでもお嫁さんに欲しいって思うけど、どうなんだろう。

僕だとやっぱり頼りないかな。杏ちゃんみたいに強い子なら、もっと強くてカッコいい男の子の方がいいのかな。背だって僕の方が小さいし、全然筋肉がつかないし、お庭でのかけっこも杏ちゃんにいつも負けている。

「……ねぇ、杏ちゃん」
「ん?」
「……杏ちゃんは僕のことどう思ってる?」
「名前か? とても可愛いと思うぞ!」
「ッ……!」

可愛い、なんて──男として言われると結構傷つくなぁ。

「そう、じゃなくて……」
「ん?」
「……す、すきか、きらいかで……」
「好きだ!」
「えっ!本当に!?」
「ああ!名前の笑顔が一番大好きだぞ!」
「あ、うん……」

笑顔だけかぁ。やっぱり杏ちゃんは僕を恋愛対象としては見てくれないんだろうな。じゃあ将来、杏ちゃんは僕と違う男の子と夫婦になって──

「……うぅ〜……っ!」
「ん!? どうした名前!何故泣くんだ!」

想像したら悲しくて涙が勝手に出てきた。杏ちゃんが僕の元から離れてしまうのが嫌で、ひとりぼっちになるのが怖くて、すごく寂しくて、僕は杏ちゃんの手を離さないように強く握りしめた。

「なんでもないぃ……!」
「泣くな名前!ほら、俺の胸を貸そう!」
「……!」

泣いていたら突然杏ちゃんに肩を引き寄せられて抱きしめられた。僕の頭が杏ちゃんの胸元に当たるとぎゅっと抱かれて、カァッと頭に血が昇った。

「やっ……だめだよ!」
「遠慮するな!」
「ダメだってば!こんなにくっついたら破廉恥だよ!」
「……!そういう意味か!すまん、気が付かなかった!」

やっとこの体勢の恥ずかしさに気付いてくれた杏ちゃんが僕の肩を押して胸から解放してくれた。くっついていたのはちょっとの間だったけど、杏ちゃんからいい匂いがして少しドキドキしてしまった。離れてもまだ顔から熱が引かなかった。

「悪かった名前!そんな不埒なことを考えていたわけではなかったのだが……」
「ぼ、僕も大きい声出してごめんね……」

どうしよう。恥ずかしくて杏ちゃんの顔がまともに見ることができない。だって女の子の胸に顔を押し付けてしまうなんてすごく破廉恥なことだ。杏ちゃんは僕のことを嫌いになったりしていないかな。

「……名前」
「ひぇっ……な、なに?」

下を俯いて指先を弄っていたら突然杏ちゃんから着物の袖を引かれた。びっくりして思わず顔を上げると、杏ちゃんはこっちに四つん這いになって顔を寄せてきていた。

「どうして目を見てくれないんだ。……断りもなく抱きしめたことを怒ってるのか?」
「っ……ちがうよ!」

杏ちゃんがあんまりにも悲しそうな顔をするから僕は大声で否定した。杏ちゃんに抱き締めてもらえるのはすごく嬉しいし、ずっとくっついていたいって思うけど、やっぱりまだ恋仲でもないのにいっぱい触れ合うのは破廉恥だ。とても恥ずかしいことだ。

「……杏ちゃんが……ぼ、僕と……恋仲になったら……」
「ん?」
「ぁっ、なんでもない……」
「名前と俺が恋仲になったら何だ?」
「聞こえてるのに何で聞き返したのぉ!? もう杏ちゃんなんか知らない!」
「名前!」

恥ずかしい。すごくすごく恥ずかしい。恥ずかしくて逃げたのに、杏ちゃんがすぐにその後を追いかけて来る。長い廊下に僕と杏ちゃんの足音がバタバタと響いた。

「もうっ!追いかけて来ないでよぉ!」
「名前!どうして逃げるんだ!待ってくれ!」
「いやだぁっ!」
「よもや俺とかけっこがしたかったのか!?」
「何でそうなるの!? 杏ちゃんちょっと変だよ!」
「よし捕まえた!」
「あッ!」

廊下の角の辺りでついに杏ちゃんに捕まってしまった。後ろから手首を掴んだ杏ちゃんは僕とは違って息一つ乱していない。僕なんかもう肺が苦しくて仕方ないのに。やっぱり杏ちゃんには一生勝てない。

「もう、杏ちゃんズルいよぉ」
「名前はもっと持久力がつくように鍛えた方がいいかもしれないな!」
「僕は杏ちゃんと違って普段から鍛えてないんだから無理だよ……」
「諦めるな!俺が一緒に訓練してやろう!二人で頑張ればきっと名前も足が速くなる!」
「でも……僕なんか鍛えたって意味ないよ」
「意味ならある!足が速くなれば簡単に捕まらなくなるだろう!俺より足の速いやつなんかこの世に大勢存在しているんだぞ!名前はすぐに捕まえられてしまうから俺は心配だ!」
「何で心配なんかするの……?」
「それは将来お前が俺の……!」
「…………」
「…………」
「…………?」

突然杏ちゃんが何か言いかけた状態で固まった。顔の前で手のひらを振ってみたけど全然反応しない。「杏ちゃん?」と声を掛けてみたら、杏ちゃんの顔が突然ボワッと音が聞こえてきそうなくらい真っ赤になった。

「杏ちゃん、どうしたの? 顔が赤いよ……? 熱が出たの?」
「むぅ……」
「大丈夫? ……お布団いく?」
「いやッ!!大丈夫だ!!」
「本当に?」
「ああ!それよりも腹が減った!何か食いたい!!」
「……じゃあ、杏ちゃんの好きなさつま芋でご飯炊くね?」
「いいのか!?」
「うんっ」
「わっしょい!わっしょい!」
「ふふふ」

両手を挙げて喜んでいる杏ちゃんはもうさっきみたいな赤い顔をしていない。ちょっと不思議だったけど、僕は杏ちゃんの幸せそうな笑顔に胸がいっぱいになった。

やっぱり僕は、男勝りでやんちゃなところがあっても、杏ちゃんのことが大好きなんだ。



◆◆◆



「杏ちゃん、お布団敷いておいたよ」
「ああ、ありがとう!」

──あれから杏ちゃんと一緒に夕餉を食べた後、僕と杏ちゃんは別々にお風呂に入って敷いた布団の上で寝転がって寝る前までおしゃべりをした。

任務先での話とか、その時出会った仲間の話とか、どこで何を食べたのかとか、そんな些細でも楽しい話。僕は杏ちゃんと過ごすこの時間が一番好きかもしれない。興奮しながら話す杏ちゃんの顔はとても活き活きとしていて見ているだけでも楽しいからだ。

「──その時鬼が一切の気配を消したがまだ近くにいたんだ!俺と三人の隊員は迂闊に四方には散らず、死角を無くすための陣形をとった!」
「大丈夫だったの……?」
「ああ!俺ともう二人は負傷したが、囮として気を引けたから上から鬼の首を落とすことに成功した!」
「すごい……!あっ、でも他の仲間は? 今日一緒に来なかったよね」

もしその負傷した隊員もいたらもっと賑やかになっていたかもしれない。そうなったら僕一人で対応するのは大変だろうな。

「うむ!あの二人は任務先から一番近い藤の花の家紋の家まで送ってやった!」
「えっ!でも、じゃあ……杏ちゃんは? 寄っていかなかったの?」
「俺が行く藤の家紋の家は名前の所だけだと決めている!」
「そんなの……怪我してるなら早く治した方がいいのに……!」
「いや!名前の所がいいんだ!」

そう言ってくれるのは嬉しいけど、怪我を負ってるなら少しでも早く治療してもらってほしい。杏ちゃんが怪我をしてここに来るたびに、僕はすごく心配になって悲しい気持ちになるのに。
きっと杏ちゃんが鬼殺隊の隊員である限りはこの繰り返しが続くんだろうな。

「……杏ちゃん、もう寝ようか」
「ん? ああ、そうだな!」
「おやすみ、また明日ね」
「おやすみ名前!」

杏ちゃん用に一組しか敷いていない布団の上から起き上がった。本当はもうちょっとお喋りしていたかったけど、早く寝かせないと杏ちゃんの傷の治りが遅くなる。

「……名前!」
「……?」

部屋から出ようと障子を開けたら杏ちゃんに後ろから呼ばれた。振り返ると、さっきまで布団の上にいたはずの杏ちゃんが僕のすぐ目の前に立っていた。

驚いている間に後ろからトン、と音が聞こえた。視線を向けたら、僕の体を囲うように左右から伸びた杏ちゃんの腕が障子の縁を掴んでいた。
僕は、中途半端に開けていた障子を杏ちゃんによって閉められたんだと気付いた。

「……どうしたの?」
「……やっぱり、名前は簡単に捕まってしまうな」
「え?」

何の話? と聞こうとしたら、突然ガバッと体を強く抱き締められた。あまりにも急過ぎて、頭の中が真っ白になって何も言えないでいると、杏ちゃんは僕を抱き締めたまま上に持ち上げて敷いてあった布団の上にごろりと転がした。

見上げたら、僕の上に馬乗りになった杏ちゃんがあのきらきらと綺麗な大きな瞳を瞬かせて僕を見下ろしていた。

「ッ……杏ちゃ──」
「油断大敵だぞ、名前!」
「えっ」
「明日は早起きして二人で訓練だな!」
「えーっ!」

にかっと笑った杏ちゃんがとんでもない事を言い出したから僕は慌てて杏ちゃんの下から這って逃げようとした。

なのに杏ちゃんは「確保だ!」なんて大声で言うと掛け布団を上から被さって僕を布団の中に閉じ込めた。

「ちょっと杏ちゃん!」
「こうしていると暖かいな!」
「破廉恥だよ!」
「よもや!これはお前を引き留めるだけのただの戯れだ!破廉恥ではないぞ!」
「もうっ!」

真っ暗な布団の中でも杏ちゃんが悪戯っぽく笑っているのが見えて、僕は仕返しに杏ちゃんの鼻を摘んで軽く引っ張った。そうしたら杏ちゃんは眉間に皺を寄せて「ふがっ」と変な声を出して抵抗した。それがもうおかしくておかしくて、僕はお腹を抱えて涙が出るまで笑った。

その後も二人で狭い布団の中でわちゃわちゃと遊び回って、笑い合って──




目が覚めたら、僕と手を繋いだまま寝息を立てる杏ちゃんの寝顔が目の前にあった。

「……っ」
「ぐー……」

遊んでいる間の杏ちゃんがすごく男の子っぽかったからつい最後まで一緒に夢中になってはしゃいでしまったけど、よもや嫁入り前の女の子と一緒の布団の中で寝てしまうなんて──

「は、はれ、破廉恥……ッ!!」
「……?」
「うわあぁーっ!」
「名前……?」

僕はその日大切な何かを失ったような気がしてならなかったけど──起きてきた杏ちゃんはちっとも気にしていなくって、むしろ「また今夜も一緒に寝るか!」なんて笑顔で言ってくるから、僕はもう二度と杏ちゃんに流されない男になると固く誓った。


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