短編小説 | ナノ

▽ 限られた弱点 2


僕からまだ何か別の答えが聞き出せると思っているのか、杏寿郎が僕の目をじっと見つめてくるから僕も睨むように見つめ返してやった。そうしたら突然、今まで黙っていた杏寿郎の手がぬっと伸びてきた。

「えっなに ……」

頬に触れられて一瞬肩が跳ねた。そのすぐ後、撫でるように手が上へと這って杏寿郎の指先が髪に触れた。

「この髪飾りはどうしたんだ」
「あっ、これは……」
「あの男のものか?」

目を細めて尋ねてくる杏寿郎に、別にやましいことなんかないのに少し気まずくなった。

「お金の代わりって言われて……僕は別に欲しいなんて言ってない」

言い訳じみたこと言ってる自分が不思議でならなかった。どうしてそんなことまで言う必要があったんだ。

「ではこれはもう必要ないな!」
「あっ!」

カチ、と耳元で音がした後にはもう、離れていった杏寿郎の手にあの髪留めが握られていた。欲しかったわけじゃないけど、勝手に杏寿郎から取り上げられたのにはちょっと納得できなかった。

「っ返せよ!」
「いらないのではなかったのか?」
「だからって……お前に取られる筋合いもないだろ!お金の代わりなんだから売ればそれなりの金額になるかもしれないし ……!」
「そうか!だが俺はあの男の物がお前の元にあるというだけで既に気に入らない!」
「はぁ?」
「金なら俺が出そう!いくら必要だ?」
「馬鹿!そんなの全部お前の都合じゃないか!」

どうして僕がお前の都合に一々振り回されなくちゃならないんだ。お前が来るのをソワソワしながら待って、お前がいないことに不安に襲われて、何でこんなにもお前がそばに居ることに喜びを感じているんだ。

「……もういい。わかったよ、杏寿郎」
「……?」

もう振り回されるのは嫌だ。とことんお前を困らせて今度は僕がお前を振り回してやる。

「名前……?」
「そんなにその髪留めが欲しいならお前にやるよ。……その代わり──」


僕に一番似合う、お前が選んだ髪留めを買って来てくれよ──僕は精一杯の意地悪を杏寿郎に言ってやった。



◆◆◆



「名前!これならどうだ!?」
「……ッ」

まず結果を言うと、失敗した。

意地悪を言って困らせてやるつもりが、変に杏寿郎の闘争心に火をつけてしまったようだ。あれから杏寿郎はどこかで買って来たであろう高級そうな髪留めを用意してすぐに僕の元までやって来た。

「……そんな派手なもの、僕には合わない……」
「そうだろうか!俺は名前になら似合うと思ったのだが!」
「だってそれ……綺麗だし、ちょっと……女向けな感じがする……」
「何を言う!綺麗な名前にはよく似合っているぞ!」
「っ、誰が──ッ」

いけない、駄目だ。僕は杏寿郎を困らせてやると決めたんだ。ここでいつものように怒鳴っても杏寿郎の流れに巻き込まれてしまうだけだ。

もっと他に、杏寿郎をあっと驚かせて戸惑わせるようなことを言わないと──

「……ほんとう? 僕に似合うかな?」
「っ、ああ!似合うとも!」

怯んだ。今のは間違いなく怯んだ反応だ。
なるほど、僕が普段素っ気なくするから甘えたようなことを言うと杏寿郎は戸惑うんだな。これは面白い。もっとからかってやりたくなる。

「じゃあ、杏寿郎が僕の髪に着けてよ」
「そ……れは、いいのか? 俺が触れるとお前はいつも──」
「駄目?」
「ッ駄目なものか!」

予想以上の食いつきに少し驚いた。杏寿郎でもこんな必死な顔を見せるんだな。
僕が普段怒鳴っていたら清々しいくらい平然としているのに、こんな時だけあたふたしてるなんてそれはそれでちょっとムカつくな。

「名前……本当に、いいのか?」
「いいって言ってるだろ。早くし……あっ、大丈夫。杏寿郎に着けてもらえるなら……う、嬉しい、から……」
「……ッ」

自分で言っていて恥ずかしい。声も上ずってしまったが杏寿郎には気づかれていないだろうか。

「っ、触るぞ……名前」

良かった、全然気付かれていない。と言うよりも、どうして髪留め一つ髪につけるだけなのにそんな赤い顔して固くなってるんだ。全く普段の杏寿郎らしくない。

手も震えていてろくに髪に引っかかってないし、着け方が下手過ぎる。自分の髪の毛は器用に結えるくせに人の髪になると途端に不器用になるのかお前は。

杏寿郎が下手過ぎて髪留めが何度も耳元までずれ落ちてくる。それを杏寿郎が必死に持ち直して着けようとするから、指先が耳に触れて地味に擽ったい。

「杏寿郎っ……くすぐったいよ」
「ッすまん!!」

擽ったいと言っただけなのに物凄い速さで手が離れた。まるで熱いものに触れて火傷でも負ったみたいに、杏寿郎は引いた片手を押さえて固まってしまっている。お前今どこ見てるんだ。

「……杏寿郎、着けてくれないのか?」
「す、すまん名前!着けてやりたいのは山々なんだが、俺はどうにもこういったことは不慣れのようでなかなか上手くいきそうにない!」
「……じゃあもういいよ」
「……!」

普段何でも卒なくこなす癖にこんな簡単なことができないなんて、案外杏寿郎も僕と変わらないところがあるんだな。それに少しだけホッとした。僕だけが置いて行かれているような気がしていたから、杏寿郎にも苦手なことがあるということが知れただけでも得した気分になれた。

「その髪留めいくら? 無茶振りしたのは僕からだし、半分くらい出すよ」
「待ってくれ名前!」
「うわっ!」

財布を取りに立ち上がろうとしたら、突然下から杏寿郎に腕を掴まれ引っ張られた。思わず膝をついて、杏寿郎と同じ目線に戻ってしまう。

「挽回させて欲しいッ!もう一度、お前に触れてもいいか……?」
「……っ」

何でそんな──そんな、泣きそうな顔してるんだよ。

意地悪をしたのは確かに僕だけど、そんな必死になるほど僕の気を引こうとするなんて──そんな顔されたら、胸が苦しくなるじゃないか。

「も、もう……いいってば。無理しなくても、大丈夫だから……」
「いや!お前があんな風に……また、昔のように俺のことを求めてくれる日が次いつ来るかもわからない!だから俺は今どうしてもお前の願いを叶えたい!」
「杏寿郎……」
「頼む名前!」

なんて真剣な表情だろう。僕の意地悪だとも知らないで──いや、杏寿郎なら意地悪だと知っていたとしても真剣に付き合ってくれるだろう。

だって昔とちっとも変わらない。杏寿郎は杏寿郎だ。いつも僕のために全力でいてくれて、寂しくなる頃には必ず会いに来てくれる。

もう、意地の悪いことをするのはやめよう。

「……わかった」
「本当か!?」
「うん。でも、次が最後の一回。それで駄目なら今日はもう帰ってよ」
「ああ、承知した!!」

杏寿郎が大きく頷いたのを見て、僕は再び彼の前に正座した。杏寿郎の手のひらの上で、金の枠に収まる鮮やかな紅色の飾りが転がり、小さく光を反射した。
まるで杏寿郎のようだ──そんな馬鹿なことを考えながら待ち構えていると、髪留めを摘んだ杏寿郎がにじり寄ってきた。

一気に縮まった距離に少しだけ緊張した。杏寿郎の顔は相変わらず真剣そのもので、見ている僕の方まで気が張り詰めてしまう。呼吸する音さえ聞こえてしまうほど静かになった空間で、今僕は杏寿郎と見つめあいながら向かい合っている。なんだか、居た堪れなくなってきた。

「……杏寿郎、まだ?」
「……すまない名前。目を閉じてはもらえないか?」
「えっ?」
「情けないが……こうして見ているとお前の瞳にどうしても見惚れてしまう」
「ばッ……馬鹿なこと言ってないで早くしろよ!」
「すまん、名前」

仕方ないから目を閉じてやった。それも思い切り強く。ぎゅっと眉間に皺が寄って、変に肩に力が入ってしまう。そこへ突然手を乗せられて思わず肩が跳ね上がった。

「杏寿郎……ッ」
「じっとしていてくれ」

肩に乗っていた杏寿郎の手が徐々に首元まで進んで、指は首の後ろを支えるようにして回された。うなじに触れた杏寿郎の長い指が悪戯に動いてくすぐったい。まさかふざけているのか。

「っ、やめろよ……!」
「…………」

顔を逸らそうとすると、首元にあった手とは別の手が前髪に触れた。すりすりと額を撫でられてこそばゆい感覚に背筋が震える。

「もうっ……ふざけるなら目を開けるぞ!」
「すまない、あまりにもお前が大人しくしてくれるのでつい調子に乗ってしまった。……今度こそ着けてやるから、どうかまだ目を開けないでくれ」

ほら、やっぱりふざけていた。せっかく目を閉じてやったのに小馬鹿にするような真似して何一人で楽しんでるんだか。

「……っ」

不意に固いものが耳元に触れた。
髪留めがついに着けられるのか。僕はじっとして着けられるのを待った。

「…………」
「……杏寿郎?」

そこから先で、何の動きも感じられない。またふざけているのかと思えば、ふわりと杏寿郎の匂いが近くなった。
堪らず目を開けると、すぐ目の前には口角を緩やかに上げている杏寿郎の顔があった。

「ッ……お前また──」
「よし!できたぞ名前!」
「えっ」

耳元から杏寿郎の手が離れていって、思わず髪に手を伸ばした。そして指先に触れた固い感触に体が震えた。知らぬ間に、きちんと髪を留められていた。

「うむ!やはり名前によく似合っている!」
「……あ、僕……これ、今着けてるの?」
「ああ!今度はしっかりと着けることができた!名前が目を閉じてくれたおかげだ!」

そう言って花が咲いたように笑う杏寿郎に顔が熱くなった。お前はどうしてそんな純粋に笑うことができるんだ。僕なんか目を瞑っている間、お前の一挙一動に心を掻き乱されて全く平常心でいられなかったのに。

お前はまるで子供のように──好意を前面に押し出して僕に笑顔を向けてくる。もう目を開けているのに、まだ心臓がうるさく鳴り続いている。

「……? 名前、どうかしたか?」
「……がと……」
「ん?」
「っ……ぁ、ありがと、って言ったんだよ……ばか」

一回でちゃんと聞き取れよ、恥ずかしいだろ──誤魔化すように足そうとした台詞は声にならなかった。不安げに見上げた杏寿郎の顔が、今まで見たこともないくらいに赤く染まっていたからだ。

「杏寿郎……」
「……よもやよもやだ」


──やっぱり、こいつは僕の素直な言葉にとことん弱いらしい。

しばらくの間はこれで退屈せずに済みそうだな──未だに顔を真っ赤にさせて硬直化している杏寿郎を眺めながら僕は小さく笑った。


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