短編小説 | ナノ

▽ 念願の幸せ 2


チョコレートがギッチリと詰まった紙袋を両手に手下げて杏寿郎は家へと帰った。

「あっ、おかえりなさい兄上!」
「うむ!ただいま千寿郎!」

家に帰ると既に制服から部屋着へと着替えていた弟の千寿郎が出迎えに来てくれた。杏寿郎は脇に挟んでいた仕事用の鞄を玄関に置く前に、手に持っていた紙袋をまとめて廊下の隅に置いた。

「わぁ……今年もすごい数ですね、兄上」
「ああ!だがバレンタイン当日は明日だからな!週明けにはまたチョコを持って登校してくる生徒がいるかもしれん!紙袋はまだまだ必要になりそうだ!」
「ふふふ。兄上のお人柄がこれだけの人の心を掴んでいるのですね。なんだか俺、誇らしく思います」
「そうだろうか!しかし俺よりも千寿郎、お前はどうなんだ?」
「えっ?」
「去年のバレンタインはお前も沢山もらっていただろう!」
「あっ……俺のは、気にしないでください……」

千寿郎は顔を赤らめると「これ、お部屋にお持ちしますね」と言って杏寿郎のバレンタイン紙袋を運んで行ってしまった。
千寿郎にも俺と同じようにチョコを貰いたいと願う好いた人がいるのだろうか──杏寿郎は自分の部屋へ向かっていく千寿郎の背中をじっと見つめた。

「……む!いかん!千寿郎宛のチョコがあったのを忘れていた!」

ご兄弟でどうぞ、と胡蝶カナエに渡されていたチョコがあったのを今思い出した杏寿郎は、靴を脱いで慌てて千寿郎の後を追った。

「千寿郎すまん!お前宛のチョコがその中に──」
「あっ……!」
「!」

閉じ切られていた自分の部屋のドアを開けると、暗闇の中で目が合った千寿郎が咄嗟に何かを後ろへと隠した。

「千寿郎? 何を隠したんだ?」
「いえっ、これはあの……!」
「見せてみろ」
「あっ」

兄から隠していたものを容赦なく取り上げられてしまい千寿郎は顔を青くさせて慌て出した。見てみると、それはラッピングされたチョコのようだった。

「……ふむ」

貰った覚えのないラッピングだ。赤色や黄色の暖色系ばかりが揃ったラッピングの中にこんな藤色のラッピングはあったたろうか。それに、ラッピングの柄も若者向けではない随分と古風な感じだ。

まさか千寿郎が俺宛に? ──いや、千寿郎からは既に朝もらっていたので、これは千寿郎から俺へ渡そうとしたものではないだろう。ではこれは一体何なのか。

──はて。このラッピング、どこかで見たような。

「あっ、あの……兄上……」
「千寿郎。これはお前のものか?」
「いえっ、それは、あの……兄上宛のもので……」
「しかし俺はこんなラッピングのチョコをもらった覚えはないぞ?」
「…………」
「……千寿郎」
「うぅ……」

言いにくそうな顔で視線を泳がす千寿郎に杏寿郎が問い詰めると、ついに折れたのか、千寿郎が「すみません……」と肩を落として小さく謝った。

「実は……そのチョコ、名前さんのなんです」
「な……」
「兄上が毎年大量のチョコレートを頂くことを名前さんはご存知だったので……兄上が帰ってきたら、そのチョコをこっそりと他の人達のチョコに紛れ込ませてくれと頼まれました」
「何故早く言ってくれなかったんだ千寿郎!!」
「すみませんっ!名前さんに絶対兄上には秘密だと言われていたので──」
「すまん千寿郎!ちょっと出て来る!」
「えっ、あっ兄上!?」

突然猛スピードで家を飛び出して行った兄の後ろ姿を、千寿郎は「名前さんごめんなさい」と涙目になりながら見送った。



◆◆◆



この気持ちがいつから胸の中で育っていたのかはわからない。
気づくと僕は、幼馴染である煉獄杏寿郎のことが好きだった。もちろん、恋愛感情で。

小さい頃から隣にいることが当たり前で、男の僕から見てもカッコいい容姿をした杏寿郎は男女共に人気があった。優しくて、笑うと綺麗で、誰に対してもその姿勢を崩すことなく接する杏寿郎がモテるのは、火を見るよりも明らかだ。

だけど杏寿郎はあまり恋愛ごとに関して興味はないらしく、どんなに美人な子に告白されても首を縦に振ることはなかった。それが僕にとっては嬉しいことだったけど、反対に男でカッコよくもない僕は100%相手にされないと突きつけられているようで、一人勝手に傷ついては泣いていた。

ずるずると不毛な片思いを続けて、気付けば二人とももう社会人。杏寿郎はキメツ学園の歴史教師で、僕は代々受け継いでいる神社で覡として働いている。卒業してからも杏寿郎はちょくちょく僕がいる神社にやって来ては勝手に騒いで行くけど、何の用があってこんな所まで来るのか僕にはちょっとわからなかった。


「ねぇ〜何お願いした〜?」

夕暮れ時、神社にやって来たキメ学の女子生徒達が絵馬が売っている場所ではしゃいでいるのが見えた。こんな時間まで何やってるんだか。不審者が出る前に帰った方がいいというのに。

「冨岡先生と卒業後にお付き合い!」
「えー!無理無理!」
「なんでぇ!」
「私は煉獄先生と卒業後に付き合いたいって書いた!」
「……!」

竹箒を握る手に力がこもった。平常心、平常心──聞こえなかったふりをしようとしても、頭の中は女子生徒達の言葉で埋め尽くされてしまった。

「絶対無理!」
「えー!バレンタインチョコあげたし少しは気にしてくれるかもじゃん!」
「いやあんたじゃ無理!」
「ちょっとぉ!」
「きゃあーっ!」
「あはははっ!」

「…………」

──杏寿郎は、今年もきっと沢山のバレンタインチョコをもらったんだろうな。

「……ふんっ」

バレンタインなんかに浮かれて馬鹿みたいだ。まんまとチョコ会社の企業戦略に嵌められて、悔しいとか思ったりしないのか。

「…………」

──とか言う僕も、手作りチョコなんか作って杏寿郎宛に千寿郎くんに渡してしまってるんだけど。

だって好きなんだからしょうがないだろう。僕は間違ったことはしていない。はずだ。少なくも僕は好きでもない人からのバレンタインチョコなんかもらわない主義だから、何でもかんでも受け取る杏寿郎とは違う。

『名前のチョコが欲しい!』

学生時代、僕だってチョコの一つや二つ貰ってるもんだろうと思い込んだ杏寿郎は、突然僕に向かってチョコを強請ってきた。その時の杏寿郎にかなり腹を立てたのを覚えている。

持ってるわけないだろ、馬鹿。どんだけ欲しがりなんだよ。お前以外の人からチョコをもらってないんだから、お前にやれるチョコなんか何一つ持ってなんかない。むしろお前が僕に寄越せ──そう言いたかった。

だけど断った直後の杏寿郎の顔が見たこともないくらいに真顔になってブロンズ像の如く固まってしまったから、あれはたぶんかなり傷付いたんだろうと思う。言い方もキツかったし、それは少し反省している。

だから翌年から僕はこっそりと杏寿郎にチョコを渡すようにした。手作りしたお菓子を毎年千寿郎くんにお願いして、杏寿郎の他人にもらったバレンタインチョコに紛れ込ませてもらっていた。

「うまいうまいと名前さんのお菓子を美味しそうに召し上がっていましたよ」と後日報告されたのがたまらなく嬉しかった。でもやっぱり自分で作ったと言って直接手渡すのは無理だから、今年も千寿郎くんにお願いして紛れ込ませてもらうことにしたんだけど──

「名前ッ!!」
「……!!」

昏れがかった神社の静寂に響き渡った大声。
振り返ると、夕陽の名残がほとんど消えつつある空を背に立った、杏寿郎の姿があった。

「杏寿郎……?」

どうしてこんな時間にここに──疑問に思っていると、遠く離れた位置にいた杏寿郎は物凄い速さでこちらにまで駆け寄って来た。

「なっ……何だよお前!」
「ッ、待ってくれ名前!」

急に距離を詰めて来るから怖くて僕は逃げ出した。それを杏寿郎が追いかけて来る。僕より体力もあって足が速い杏寿郎はすぐに僕に追いついてしまって、必死に走っていたのに背後からぱしっと手首を掴まれた。

「名前……ッ!」
「離せよ馬鹿!急に何だよ!怖いよ!」

杏寿郎らしくない──期待と喜びと一抹の不安を混ぜ合わせた、複雑な表情を僕に向けて杏寿郎は乱れた息を整えている。

「お前に、どうしても……はぁっ……訊きたいことが、あって……ここまで、走って来た……!」
「なんだよ……」
「この……チョコは、お前のものか?」
「ッ!!」

杏寿郎の顔ばかりに目が行っていて、彼が持っていたモノに全く気付かなかった。杏寿郎が掲げていたものは、今日間違いなく千寿郎くんに託したはずの僕の手作りチョコだった。

「ッちがう!そんなの知らないっ!!」
「名前、頼む……正直に答えてくれ」
「知らないって言ってるだろ!そんな、の……見たことないし、僕が知るわけない!」
「ならどうしてそんなにムキになるんだ」
「ッ、ムキになってなんか──」
「よもやこの“文字”が頑なに否定する原因になってるのか?」
「……!!」

杏寿郎が見せつけてきたチョコに僕は声にならない悲鳴を上げた。他のチョコに紛れるから気にも留められないだろうとストロベリー味のチョコペンでチョコに書いた文字──『杏寿郎大好き』という血迷った言葉。

「うわああああっ!!やめろ馬鹿!捨てろ!今すぐ捨てろーッ!!」
「うむ!その反応を見るにやはりこのチョコは名前がくれたものだな!」
「馬鹿野郎!杏寿郎のアホ!寄越せそれ!僕の手で粉々にしてやる!!」
「そんな勿体ないことさせられるか!」

杏寿郎が掲げていたチョコを慌てて取り返そうとするが、指先が袋に触れるよりも早く杏寿郎がチョコを自分の頭上にまで持ち上げてしまった。

「ぐっ!くっ……!……ックソォ!!僕より背が高いからって狡いぞお前!高いところに持ち上げるな!馬鹿!このっ!」
「名前、少し落ち着け」
「ひっ!」

飛び跳ねてなんとか取り返そうとしていたら、地面から跳んだ瞬間杏寿郎から片手で抱き寄せられた。一気に体が密着されて顔に熱が上がってくる。口から火が出そうなほど恥ずかしい。

「はっ、離せよ……!」
「名前、ありがとう」
「ぅっ……」

普段の明るい笑顔とは違う──穏やかな、優しい光を帯びた目で笑いかけて来る杏寿郎の表情に目が離せなくなった。抵抗しようと暴れていた手も杏寿郎のシャツを強く握ることしかできず、緊張に体がガチガチに固まってしまった。

「俺は今堪らなく幸せだ。お前からやっと、念願のバレンタインチョコをもらえたことが嬉しくて堪らない」
「……んなの、男からもらって嬉しいなんて……」
「名前から貰えたからこその話だ!ずっと前にもお前に言ったが、俺はお前からチョコを貰いたかったんだ!」
「なっ……」

違うだろ。そうじゃないだろ、なあ。

「お前っ……それ、僕がもらったチョコ欲しがってたんだろ!」
「ん? 何の話だ? 俺はたしかにお前からチョコが欲しいと伝えたが──」
「いや、お前のチョコが欲しいって……あ」

あ、ああ。あああ。そういう意味でお前は僕に『チョコが欲しい』と言ったのか。僕がもらった分のチョコが欲しいではなく、僕からお前へという意味でのチョコが欲しかったのか。

「ッ……紛らわしいんだよ馬鹿!」
「ん!? すまん!」
「っていうかいい加減離せよ!恥ずかしいだろ!」
「恥ずかしいか? 俺は最高の気分だ!!」
「お前の気分なんか知るか!離せーッ!!」
「よもやよもやだ!ハハハッ!」
「笑うなァ!!」


結局、恥ずかしい文字の書かれた僕の手作りチョコは取り戻せなかったし、杏寿郎には馬鹿力でわっしょいわっしょいと一人胴上げされるしで、今年のバレンタインデーはろくな日にならなかった。やっぱり千寿郎くんに預けるべきじゃなかったかもしれない。

だけど、来年からは──千寿郎くんにわざわざ預けなくても、馬鹿で真っ直ぐな幼馴染みが勝手に取りに来てくれるだろうと思う。

今までと違う、来年訪れる予定のバレンタインデーが僕は少しだけ楽しみになった。


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