短編小説 | ナノ

▽ レモン味の判別 2


映画が始まると共に俺は用意していたお菓子の袋を開けた。お菓子は伊之助の為に用意したので俺はほとんど手を付けない。

なので俺はお菓子の山に埋もれていた飴を取って口の中に放り込む。昨日伊之助からもらったのど飴だ。想像通りのレモンの香りが口から鼻に抜けていく。

伊之助はお菓子を食べたりジュースを飲んだりと、最初のうちは大人しくしていた。
けど映画が終盤に差し掛かる頃には伊之助は段々と飽き始めてきて、瞼を半分ほど下ろした状態で寝転がりながら映画を見ていた。もうお菓子にもジュースにも手をつけていない。

そんなにつまらなかったのか。
俺は伊之助の反応に少し悲しくなった。せっかくお前が好きそうなものを選んできたのに、そんなつまんなさそうな顔されると結構ショックだ。

「……ふぁ。なあ、まだかかんのかコレ」

ついに欠伸までされた。

「……あーうん、たぶんもうすぐ終わる」

俺は動揺に震えそうになった声をなんとか抑え込んだ。リモコンを握る手に力が篭る。

「……面白くないなら、消すか」
「あー? ……別に。お前が見てぇんならつけてろよ」
「いや、いいや。消そう」
「あっ」

今度は自分の意思でテレビを消した。真っ暗になった画面に驚いている伊之助の顔と、どう見ても不貞腐れている自分のひどい顔が映っていた。

「何で消すんだよ」
「だってつまんないだろ」
「つまんねぇなんて言ってねぇだろ」
「そんな態度だったろ!」
「何怒ってんだよ」
「怒ってねぇし!」
「怒ってんじゃねぇか!」

最悪な展開だ。自分の勝手な判断のせいで伊之助と喧嘩にまで発展している。本当はこんな展開を望んでたんじゃないのに。俺はただお前と一緒に今日一日を楽しく過ごせたらそれで良かったのに。

「……ごめん」

気が付いたら謝罪の言葉が出ていた。だけど伊之助の顔を見て言える勇気がなくて、俺の顔はいま抱いた自分の膝の中に埋まってしまっている。謝れただけでも良い方だと心の中で自分を励ました。

「なぁ、何で怒ってたんだよ」

せっかくこれでこの喧嘩も終わりだと思ってたのに、伊之助はまたさっきの喧嘩をほじくり返すようなことを言ってくる。お前もうちょっと遠慮とか配慮とか覚えたほうがいいぞ。

「……だって、お前がつまんなさそうにしてたから……」
「だからつまんねぇなんて言ってねぇだろ」

馬鹿野郎。これじゃさっきと同じことの繰り返しになるだろうが。

「俺にはそう見えたんだよ」
「そうかぁ? けど俺は別につまんねぇなんて感じてなかったぞ」
「だって欠伸とかしてただろ」
「ああ、眠かったからな」
「眠いって感じてる時点でつまんねぇって思ってんだよ!」
「はぁ!? 思ってねぇよ!」
「だから!お前がそう思ってないだけで実際はそういう風に感じてんだよ!」
「ごちゃごちゃうるせぇな!思ってもねぇし感じてもねぇよ!」
「だからぁッ」
「俺はなぁ!お前と一緒なら何やったって満足できるんだよ!」
「えっ」

また喧嘩が始まったと思えば伊之助の口からとんでもない台詞が飛び出してきて、俺は言いかけた言葉を出せなくなってしまった。

「特に面白くねぇ映画もお前となら最後まで見られるんだよ!お前が俺と一緒なら何が何だろうがつまんなくねぇんだよ!だから俺はつまんねぇなんて思ってもねぇし感じてもねぇ!わかったか!!」
「ぁ……わ、わかった……」

気が付けばお互いの鼻先が触れそうなくらい近い距離で怒鳴られていた。伊之助の綺麗な顔がすぐ目の前にあって、その澄んだ瞳に俺の赤い顔がばっちりと映っていて更に顔が熱くなった。

「あの、なんか……ごめん……」

急に恥ずかしくなって俺は顔を伏せた。視線を下にやれば、床についていた俺の手の上に伊之助の手が重なっていた。よく考えたらめちゃくちゃ接近されてないか、俺。

「……伊之助、ちょっと……」
「なんだ!」
「うわうるさっ……いや、あの……近い」
「何か問題あんのか!」
「いやないけど……いやある」
「どっちだ!」
「ある!あります!」
「何だよ!」
「困るんだって!」
「何でだ!」
「あーもう何々ってうるさいなお前!」

突き飛ばそうと思ったが手を押さえられているからそうも出来ない。今は顔を横に逸らすしか逃げる方法がなくて、俺は伊之助の顔を見ないようにして目一杯顔を逸らした。

「恥ずかしいんだよ!お前の顔が近くて!」
「あァ? 何だコラ……俺の顔に文句でもあんのか……?」
「だぁあ近い近い!近付けんなッ!文句ねぇから!」
「ならこっち見やがれ!」
「いやだ!」
「見ろ!」
「無理!」
「名前!」
「ッ!」

やっと片手を解放されたかと思えば途端に顎を鷲掴まれた。強制的に顔を真正面に向けられて、否応でも伊之助の顔を見ることになる。相変わらずの綺麗な伊之助の顔が目の前にあって、俺はもう興奮と恥ずかしさで鼻血でも出してしまいそうだった。

「……っ、離せよ……ばか」
「馬鹿じゃねぇ。俺のこと呼ぶならちゃんと名前を呼べ」
「……伊之助、離してくれ……」
「……断る」
「お前──……んッ!?」

伊之助の白い顔が近付いたかと思えば瞬きの間にキスをされた。驚くほど柔らかな唇の感触に驚いていると、俺の口の中へ伊之助の舌が突然ぬるりと滑り込んできて俺は慌てて奴の肩を片手で押した。

「んぅ……っぷぁ、伊之助!何す、んっ」

ようやく一度剥がせた唇が磁石のように再び俺の唇にくっついてきた。歯を食いしばって首を振って離れようとすれば、顎を掴んでいた伊之助手が少し強くなった。

「ぅんッ……ふぅ、むぅ」

苦しい──ガツガツと肩を拳で殴れば伊之助はようやく唇を離した。どちらのものか判別のつかない唾液で濡れた伊之助の唇が離れていって、その濡れた唇を舌でなぞる伊之助に目が離せなくなった。

「ゲホッ!……っおま、え……!」
「はぁ……なんだよ、これ」
「何って……お前がしたんだろうが!」
「すげぇゾクゾクする。もう一回するぞ」
「はぁ!? ちょ、ちょっと待っ……んっ」

今度はぶつけられるようなキスだった。実際鼻先がぶつかって少し痛い。だけど鼻の痛みよりも、当たり前のように口の中へ侵入してきた伊之助の舌の方に意識が向いてしまって今は何も考えられない。

「ぃの、ぅんっ……ふぁっ、まって……ンンッ!」
「はっ……甘ェ……」

それはきっと、さっきまで舐めていたレモン味の飴のせいだ。飴の名残でも探すみたいに伊之助の舌が俺の舌の上を這う。その度に背筋にゾクゾクとした痺れが走った。

静かな部屋の中には二人の荒い息遣いだけが聞こえる。伊之助も息が弾んでいて、息継ぎの為に一瞬だけ離れた口から熱い息が漏れている。

何分間そうしていただろう。いい加減口の中も頭の中も痺れてきて、もうどうでもいいとさえ感じている自分がいる。どうしてこうなったのかとか、早く何とかしないととか、そういう大事なこと全部考えられなくなった。


「はぁ……っ」

唇がふやけてしまったんじゃないかってくらいにキスをし続けた後、伊之助はやっと俺から顔を離してくれた。まだ舌がじんじんと痺れていて、口もだらなしなく開いたままになっている。伊之助は唾液が垂れた自分の顎を手の甲で拭いながら俺を見下ろした。

「おい、名前」
「はぁ……なんらよ……」
「お前、俺がやった飴食ったか」
「はぁ? お前……それ、今聞くことか?」
「どうなんだよ」
「舐めたけど……」
「…………」
「……?」

何でそんなちょっとショック受けたような顔してんだよ。本当に今日の伊之助はよくわからない。

「……なに? 何かあんの?」
「……ふぁーすときす、ってレモン味だって紋逸が言ってた……」
「えっ?」
「俺はしたことねぇから、お前もそうだと思ってた……」

お前初めてじゃねぇのか──そう続けた伊之助の綺麗な顔が珍しく沈んでいる。俺はその言葉に色々とツッコミたいことがあったが、もう何かを深く考える余裕もなかったからとりあえずまず伊之助の肩を掴んでやった。

「よく、わかんねぇけど……俺も、さっきのキスが……初めてだよ」

言った後に後悔するくらい恥ずかしくなった。何でそんなこと言う必要があったんだって自問して、それに自答できずに俺は恥ずかしさと後悔で撃沈する。俺今絶対ひどい顔してるだろうな。

伊之助はどうなんだろう──そんな些細な好奇心で顔を上げたら、目の前にいた伊之助は何故かご満悦な表情で笑っていた。

「じゃあお前は先に唾つけた俺のもんだな」
「は?」
「よし、もう一回するぞ」
「ちょっと待て!今の何だよ!説明しろよ!」
「あー? 別に説明なんていらねぇだろ」
「お前ッ……下手したら犯罪だぞ!そういう……無理やりなことするの!」
「嫌なのか」
「えっ」

急に真顔で訊かれたから心臓がドキッとした。
やめろよ、そういうの。さっきまでニンマリと笑ってたくせに、そんな突然不安そうな声色で訊かれたら何も言えなくなるだろ。

「……嫌では、ないけど」
「じゃあいいだろ」
「そうじゃなくて!何であんなこと……キスしたかって訊いてんだよ俺は!」
「お前がキス初めてかどうか確かめる為だ」
「そん、な……の……訊けばいいだろ!」
「んなモン直接キスしてレモン味かどうか確かめねぇとわかんねぇだろうが!」
「アホ!お前それ……ファーストキスがレモン味なんてのは迷信だっつの!」
「何だと……!?」

真実を告げると伊之助は雷に打たれたかのようにショックを受けて固まった。その顔が面白くてちょっと笑いそうになったが今はそれどころではない。訊きたいことはまだあるんだ。

「っていうか、何でそんなの確かめる必要あったんだよ。マジ普通に訊けよ。いくら気になってたからってさ……」
「……んなの、お前が俺以外の誰かに取られたくねぇからに決まってんだろ」
「……え?」
「先に唾つけられたら、もう唾つけたそいつのもんなんだよ。俺がガキの頃はそうだった。だから……先に唾つけられてねぇか、確かめたかったんだよ」

絞り出すような声でそう言った伊之助の顔がみるみるうちに赤くなっていく。それにつられて俺まで顔が熱くなってきた。

「ッ……言ったぞ!ちゃんと言ったからな!」
「えっ、あ、うん!」
「よしじゃあもう一回しろ!」
「はっ!? ちょっとそれは……っ」
「うるせぇ!もうお前は俺のもんなんだよ!」
「待てッ!ま、んんん……ッ」

引き止めても無駄だった。伊之助は相変わらずの強引さで俺を押し倒して押し付けるようなキスをしてきた。どんなにシャツを背中から引っ張ってもまるで剥がれてくれる気配がない。

こんなの一方通行だろ。ずるいぞ、お前ばっかり。俺だって、お前のことが好きでキスされた時だって嫌な感じなんか全然なかったって伝えたいのに、こんなんじゃ一言も気持ちが伝えられない。

「っはぁ、名前……」
「ふはっ、はぁ……んっ」

でも、今まで全部考え任せに行動してきた伊之助らしくて俺はこんな事でも愛おしいと思えてしまう。

だからまだしばらくは、伊之助の好きなようにさせることにした。俺の気持ちは、このキスが終わったもうちょっと後で伝えることに決めた。


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