短編小説 | ナノ

▽ 遊び相手


杉元は今朝から酷く頭を悩ませていた。昨日の夜、白石から「明日名前を猫カフェに連れて行ってやってくれ」と頼まれたのだ。

その頼み事自体は大して問題ないのだが、杉元にとって一番厄介だったのは白石のその後に続いた言葉だった。

「急なシフト変更で俺が行けなくなったからよ……」

――そう。今回の名前とのお出掛けに白石が存在しないということである。

それが意味するところはつまり、白石は名前との約束を守れず、名前は大好きな由兄ちゃんとのお出掛けが出来なくなったことに酷く落ち込んでしまっているということだ。

その前提で杉元は今名前と猫カフェに訪れている。猫の写真やイラストで飾られた可愛らしい店舗を前にしても、名前の顔は団地を出てからずっと浮かないままだ。

杉元は困ったように自分の後頭部を掻くと、顔を俯かせたままの名前を一瞥して強引な作り笑顔を浮かべて見せた。

「ねぇ名前くん……中入らない?」
「…………」
「せっかくここまで来たしさ……」
「…………」

どう声をかけてみても名前は暗い顔のままだった。白石から約束を破られたことがよほどショックだったのだろう。
こういった損な役回りはいつも自分になるので、杉元はいい加減白石の急なシフト変更に対して一言物申したいと思った。

無意識のうちに出た杉元のため息に、名前の顔がハッと上がった。ようやく顔を上げてくれた名前に気付いた杉元は「おっ」と声を漏らして笑顔を浮かべた。

「猫カフェ入りたくなった?」
「……うん」
「じゃあ入ろうか」
「ん……」

遠慮がちではあるがきちんと頷いて答えてくれた名前に杉元はほっと胸を撫で下ろした。「やっぱり由兄ちゃんがいい」なんて言われた際にはどうしようかと思っていたところだった。


まだ少しモジモジとしている名前を連れて杉元が猫カフェに入ると、中は既に猫を愛でようとして訪れていた客達で賑わっていた。名前はあちこちから聞こえてくる猫の鳴き声に目を輝かせている。杉元はそのわかりやすい反応に思わず吹き出しそうになった。

「名前くん、猫カフェ初めてだったっけ?」
「うん……!」
「そっか。じゃあまずはアルコール消毒して手を綺麗にしてから――……」

杉元が説明している間も名前の目は店内にいる猫達に釘付けであった。「早く一緒に遊びたい」という気持ちが体全体で表されているようだ。

「……――よし。じゃあ後は俺が手続きしておくから名前くんは遊んでおいで」
「いいの?」
「うん。ずっと遊びたくてうずうずしてたでしょ?」
「うんっ」

いい返事だなぁ――名前の満面の笑みに杉元もつい頬を綻ばせた。

「杉元お兄ちゃん、早く……」
「ん? ああ、俺は後ででも――」
「杉元お兄ちゃんも一緒じゃないとやだ……」
「もぉ〜っ!」

どうしてこうも名前くんは可愛いことばかり言うのだろう。それも天然であるから益々タチが悪い。

普段は白石ばかり好かれていて少し寂しさを感じ始めていた杉元にとって、名前のこの甘え方は非常によく効いた。蓄積されていた疲労などあっという間に吹き飛んでしまう。むしろ力がみなぎってくるようだった。

「杉元お兄ちゃん、あっちの猫さん可愛いよ……あっ!こっちの猫さんも可愛いよ」
「そうだね……すごく可愛いね……」

床にしゃがんだ状態で猫を指差す名前の姿に杉元は「名前くんの方が可愛いよ」とついこぼしそうになったが、周りの目もあることでそこはグッと堪えた。それでも名前は容赦なく杉元の可愛いもの好き精神を擽った。

まるで割れ物にでも触れるようにそっと猫に触れる名前の顔は真剣そのもので、その緊張感を感じ取ったのか、触れられる猫の方も若干怯えたように身を縮めている。

なかなか縮まらない距離感に杉元は苦笑して名前の側まで歩み寄った。よほど集中しているのか、名前は背後から近づいて来る杉元の存在に気付きもしない。

「名前くん」
「あっ……!」

後ろからそっと声を掛けられた名前が驚いて思わず声を上げると、びくりと反応した猫が慌ててその場から逃げて行った。可愛がっていた猫に逃げられてしゅんと下がった名前の眉尻を見た杉元は「しまった」といった顔で慌てたように手を振った。

「あっ、ごめん……!」
「……猫さん行っちゃった……」
「ホントにごめん名前くん……!」

杉元は何度も謝るが、一度下がった名前の眉尻はなかなか上がらない。

せっかく笑ってくれてたのに――また振り出しに戻ってしまった名前の機嫌に杉元は頭を抱えた。

――……やっぱり俺じゃダメなのかな……。

それきり無口になってしまった名前をじっと見下ろすと、杉元は悩ましいため息を吐いてその場から離れて行った。

――俺がいない方が名前くんにとっても良いのかもしれない。

そんな思いを抱きつつ杉元が黙ったままカウンター席に向かうと、先に席に着いていた二人組の若い女性がふとこちらに気付いたように振り返った。

「あっ……」
「うそ、こっち来ちゃった……!」
「……?」

杉元の姿を見るなり突然顔を赤らめて焦り出した二人に、彼は不思議そうな顔をしつつも二人から少し離れた席に着いた。適当な飲み物でも頼もうと彼がメニュー表を持つと、何やらヒソヒソと話し合う小さな声が隣から聞こえた。

視線だけ横に向けると、先程の女性客二人が何やらこちらの方を見て盛り上がっている様子が窺えた。

――何なんだ……?

自分の顔に何か妙なものでもついているのかとも思ったが、どうやらその予想はハズレだったらしい。

「あ、あの……」
「……?」

ついに席を立った女性客の二人が杉元の真隣にまで歩み寄ってきた。

「あ、突然すみません。……あっちにいる子って、もしかして息子さんですか?」

そう言って女性が顔を向けた先には名前がいた。名前は先程逃げられた猫とは別の猫と遊んでいるようで、どこから持ち出してきたのか、何やら猫用のオモチャらしき物を持って楽しそうに振り回していた。

――良かった。名前くん、ちゃんと楽しめてるみたいだ。

名前の楽しげな笑顔を一目見た杉元は安心したように微笑んだ。

「あー……いや、俺の息子じゃないけど――」
「ほらっ、やったじゃん……!やっぱ兄弟とかだよ……!」
「もうっ……!声大きいってば……!」
「……?」

またも謎の盛り上がりを見せる二人に杉元は益々不審感を募らせた。一体何だと言うのだろうか。彼は目の前で勝手にはしゃいでいる女性客に対し訝しげな顔をして見せた。

「あのっ、良かったらランチご一緒しませんか?」
「え?」
「あ、弟さんの面倒は私が見るんで……!」
「隣座ってもいいですか?」
「えっ、ちょっ……」

答えも待たずに距離を詰めてくる女性客に杉元は困惑しうろたえた。しかしここで断っておかないと、今後自分にとっても相手にとっても気まずく居心地の悪い思いをする羽目になるだろう。

そう判断した杉元はすぐに席を立ち、近寄る女性客から一旦離れるとなるべく相手側に不快感を抱かせないように努めて愛想笑いをして見せた。

「いやっ、俺は別にランチしにここに来た訳じゃなくて――」
「あ……猫ですよね? そうですよね……すみません。私なんかが……」
「えっ、あー……いや……」

――俺はただ名前くんと一緒に猫カフェを楽しみにして来ただけなんだけど……。

そんな言いたい事も言えずに、杉元が女性に対して慎重に言葉を選んでいる最中――

「……ないで……」
「え……」

消え入りそうなほど小さな声が聞こえてきたと思えば、突然服の裾を後ろから引かれ杉元は思わず後ろを振り返った。

「名前くん……?」

そこには、寂しげな顔を俯かせた名前の姿があった。何か言いたげな様子の名前に杉元は少し慌て気味に彼の前に屈んで頬に優しく手を当てがった。

「どうしたの?」
「…………」
「喉が渇いたとか? あ、ジュース買ってあげようか?」
「ううん……」
「えっ……と、じゃあ……お腹空いた?」
「……空いてない……」
「えー……っと……」

杉元は考えた。喉も渇いていない、お腹も空いていないとなると他に自分を求める理由は何があるだろうか。
考えに考え抜いた末に、杉元は「あっ」と声を漏らすと名前の下がったままの顔を苦笑しながら覗き込んだ。

「もしかして……」
「…………」
「……トイレ行きたい?」
「……もういい」
「えっ」

名前は泣き出しそうな顔で杉元に抱き付いた。その後すぐに肩にじわりと濡れた感触がして、杉元は名前が泣き出してしまったことに気づく。

「えっ、ちょっ……名前くん? え? 何で……っごめん、どうしたの? ちょっと……ちょっと待って、一旦顔離して?」

軽くパニックに陥った杉元が慌てて名前の背中を叩くが、名前は決して杉元の肩から顔を離そうとしない。ぐすぐすと聞こえるすすり泣き声に杉元は益々混乱した。

しかしただ一つ思い当たる理由を思い出した杉元は、困った顔で名前の背中を撫でてやりながらその場からゆっくりと立ち上がった。

「ごめん、やっぱり俺より白石の方がいいよな。今あいつに連絡してあげるから――」
「違うぅ〜」
「えぇ? じゃあ……何で?」

すっかり困り果てた杉元は再度その場に屈み込むと、周りの目を気にするかのように視線を配らせながら名前の体を抱き上げた。泣き止まない名前を抱き上げた今の杉元はまるで愚図る子供を抱いた若い新米パパそのもので、店にいた客達の誰もがその姿を微笑ましげに眺めていた。

「どっ……どうする? 一旦外出る?」
「うぅ〜……っ」
「あ、あのっ……」
「あーすみません!今ちょっと無理って言うか……。あーもう……っ白石のやつマジで次会ったら覚えてろよ……!」

杉元は引き止めようとする女性客達を軽くあしらうと、名前を抱いたまま会計を済ませ慌て気味に店を出た。


◆◆◆


「ぐすっ……ぐすっ……」
「…………」

耳元で聞こえるすすり泣き声に、杉元は本日何度目かわからない心のため息をついた。

猫カフェを出てからも名前は相変わらずぐすぐすとすすり泣き、杉元の肩から顔を離そうとしない。

せめて泣いている理由さえわかればまだ対処のしようがあるものの、名前は頑なにその理由を語ろうとしないのだ。

『何かあったら呼んでくれ』

団地を出る前に言われた白石の台詞が杉元の脳裏に浮かぶ。しかしここで白石の力を借りるのも気が引ける。どうにかして自分の力だけで名前を泣き止ませたかった杉元は、ひとまず名前が休めるような場所――来たこともない見知らぬ公園に立ち寄った。

辺りには人気もなく、ざっと見渡してみてもあるのは塗装の剥げた古びた遊具のみだった。杉元は抱いたままだった名前を一旦その公園の中で降ろしてやった。

降ろされた名前は顔を俯かせ、自分の指先をもじもじと弄りながら鼻水をすすっている。杉元はそんな名前に優しく微笑み掛け、濡れた頬にそっと手を添えた。

「落ち着いた?」
「……ん」
「何か飲む?」
「んーん……」
「遠慮しなくてもいいよ? そこに自販機もあるし、 団地出てから名前くん何も飲んでない――」
「ん〜……!」
「えっ、あっ、名前くん……!?」

屈み込んでいた杉元が名前の前から立ち上がろうとすると、名前は途端に顔をしかめさせて杉元の手を引いた。

一体どうしたんだろう――いよいよ杉元が根を上げて白石に電話を掛けようかと考えた時、名前の結ばれていた小さな唇がゆっくりと開いた。

「……おいてかないで……」
「え……」

見開かれる瞳。
掴まれた手に震えが走った。

「ぼくが、よしにいちゃと、いっしょがいいって、いうから……わがままばっかりいうから……すぎもとおにぃちゃん、ぼくと、いたくないって、おもって、おねぇさんと、あそびいく……」
「名前く――」
「わがまま、ばっかりで、ごめんなさい……。あやまうからっ、ひっく……ぼくっ、ひっく……おいてかっ、ないでぇ……ッ!」

言い終えるよりも前にぶわりと涙を溢れさせた名前は勢いよく杉元に抱きついた。その反動でか、杉元は思わずその場に尻餅をついた。

普段の杉元ならばこんな些細な衝撃に尻餅をつくようなことなどあり得ないのだが、彼はすっかり力が抜けたようにその場から腰を上げられず、完全に呆けてしまっていた。

唖然とした顔が少しずつ熱を帯びていく。無意識のうちに杉元は己の手を口元に当てがっていた。自分が今どれだけ腑抜けた表情をしているのか――想像にたやすく、杉元は赤くなった自分の顔を思い浮かべて悔しそうに唇を噛んだ。

「ッ……俺が名前くんを置いていくわけなんかないよ……!」
「ひっく……ひっく……だって、ひっく……おねぇさんと、あそぶって……」
「遊ばない!」
「ひっく……ほ、ほんとに……?」
「本当に!」
「ほんとに、ほんと……?」
「本当に本当!……約束するから、もう泣かないで……ね?」
「ぐすっ……」

安心させるように杉元がそう優しく声を掛けると、今までぐすぐすと泣いていた名前は目元に溜まった涙を自分の拳で拭い取り、杉元に対し満面の笑みを浮かべて見せた。


「じゃあ、もいっかい、ぼくとあそぼっ」


引かれる手に伝わる名前の尊い心の温もりに、杉元は涙腺を崩壊させてその場に蹲った。

二人きりのお出掛けはまだまだ終わりそうにない。


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